丸石神その26 ― 2010/01/11 22:56
「オコヤ」の形状は、きれいな四角錐。こどもたちの書いた書き初めがいくつもつけられていたが、どんど焼きで書き初めを燃やすと字が上達するという伝統の風習どおりである。
てっぺんの藁細工は、船のようにも二本の角のようにも見える。幣束の色が赤いのは、今年の吉方なるものが二十四方位の庚(西やや南)なので、南を意味する赤とか? でもどっちかというと庚は西だよな。毎年赤なのかもしれないし…。
なお、今日見た丸石さんでは、北杜市大泉町城南は、石に飾りはないけれど、立派な幟があり、高根町長沢、大泉町宮地はとくになにもなしだった。
もっと各地の道祖神まつりの造形を調べたいのだけれど、時間がないなあ。残念。
丸石神その25 ― 2010/01/02 22:20
丸石神その24 - 21年後の増刷 ― 2009/11/15 18:49
知らなかったが、この本には、先日甲府の古書市で見つけた『山梨県の道祖神』がまるまる一冊再録されていた。惜しいと思っているのではない。『山梨県の道祖神』オリジナルには、巻末の出版紹介で、『甲斐の落葉』とするところを『甲斐の葉落』とするなど、見所も多いのである(なんだそれ)。
しかし、この21年ぶりというのは、丸石神はやっぱり「きている」のか?
丸石は台石上に置かれていても野草にうずもれていても、ただそれだけの丸石だけに尊く美しいと見る。葉もれ日をうつすときも雨にうたれてあやしく光るときも、この神々しさ、この美しさに勝るものが他にあろうかとさえ思います。その造形の平凡さのもつ奇態の美しさを何と表現していいのか私は知りません。『丸石神の謎』(中沢厚)から
というわけで、中沢さんの丸石神への惚れ込みかたは尋常じゃない。そして、研究者として、息子の中沢新一さんとも義理の兄弟の網野善彦さんとも、立ち位置が異なっているひとで、文体も含めて、なんとなく宮本常一さんを彷彿とさせるところがあった。
なお、同書には、丸石神の写真もさまざま載っているのだが、「丸石神の謎」という章の冒頭に、長沢集落の丸石神が取り上げられているのが、友人を紹介されたようでうれしかった。
また、信濃の丸石で触れた生坂村のものに関しても、「今成隆良氏から、(略)生坂村に三カ所の丸石道祖神があると御教示いただいた」との記述があった。
丸石神その23 - 基本文献入手 ― 2009/11/03 20:15
見つけたのは、『甲斐の落葉』(山中共古著 1975の復刻)と『山梨県の道祖神』(中沢厚著 1973)。ここしばらく、それとなくだが探していた「丸石神」の基本文献である。双方とも、いまはない有峰書店という書肆からでている。
ほかにも『甲斐路 ふるさとの石造物』(山梨県県民生活局生活文化課編)も購入。悩んだけれど、見送った石造物関連の本も数冊。自治体の資料や自費出版ものもあったので、以前、都留市の資料館でちらっと見ただけの『甲斐の道祖神考』(山寺勉著)も期待したが、これは見つからず。
そして、これらの本に関してネットで調べていたところ、これも入手困難な『石にやどるもの』(中沢厚著)が、まさに今週復刊されるという情報を発見した。
これは、わたしに「もっと丸石神の研究をせよ」というお告げなのか。でも、そのお告げをしているおかた(…って、つまりはわたし自身だけれど)、わたしも、やるべきことがたまっているんです。ああ、でも丸石神は面白いんだよなあ。
… 村社ノ境内又ハ村道ナドヘ道祖神トシテ丸石數個ヲナラベ置クニスギズ 鳥居モナク宮モナシ 神職ニヨリ勧請スルニアラズ 勝手ニ丸石ヲ拾ヒ来リテ道祖神トナスニ 石數フヘルト道祖神サンガボコヲ持タレタトイフ(『甲斐の落葉』から)
『北越雪譜』 ― 2009/03/15 11:42
冒頭近く、「許鹿君の高撰雪花図説に在る所、雪花五十五品を謄写す」として、許鹿君(土井利位(どいとしつら))の『雪華圖説』の雪の結晶の図を写し(写真)、なぜそれが六角(と図では円弧)からなるのかを考察しているのだが、曰く、「円は天の正象、方は地の実位也。天地の気中に活動する万物悉く方円の形を失はず、(略)天地の象をはなれざる事 子の親に似るに相同じ」云々とあり、方:陰、円:陽のほか、偶奇を陰陽にあてはめてるなどして、雪は天(陽)と地(陰)の間にあるものなので、円と方のかたちを継いであのかたちなのであろう、みたいなことを言っているのである。今日の科学的視点ではトンデモと言えるが、こういう考え方が一定の説得力を持っていたということは、「民俗学的図像学」を考える意味では大きい。
『北越雪譜』を読もうと思ったのは、最近、近世の随筆にハマりつつあるからだが、ぱらぱらとめくっていて、『斎の神勧進』『斎の神祭事』という、道祖神の話を見つけたからでもある。
このほかに、「丸石関連」では、イボを取る石打明神、住職がみまかる前に近くの川に必ず丸い石が見つかってそれを墓石にする永谷寺、なんて話もあった。後者には、「是を無縫塔と名づけつたふ」とあったが、通常、無縫塔というのは、上部がわずかに膨らんだ円筒の墓石のことである。いまも五泉市にある永谷寺の住職の墓標は丸石なのだろうか、と気になる。
また、この本は、妻曰く「あらこの本、おとうさんが好きだったの」ということで、岳父の愛読書ということだった。
南畝と共古と道祖神祭りの菱餅 ― 2009/03/08 00:21
WBC(野球)を気にしつつ、帰路の電車内で読むと、なんと、ついせんだって思いをめぐらした菱餅と、かねてより気になっている道祖神をつなげる記述に遭遇して、おおっとなった。
駿州沼津道祖神祭りおんべ竹、(中略)、其の時(引用者注:おんべ焼き(どんど焼き)のとき)戸毎の若者手に手に青竹の先を割りてひし餅をはさみ、橙を先につらぬき餅の落ぬ様にしたるを、皆々鎗の如く荷ふて浜辺へゆく。この竹に書初の紙を結び付て来るもあり。これはおんべ焼の時に火中に入れ、火勢により、高く上るを見て手が上るとて喜ぶ。(『共古随筆』内『土俗談語』山中共古著)
絵も書いてある(写真)。道祖神祭りでは、「ループアンテナ」状の飾りのように、象徴図形として菱形が使われることはあるが、この菱餅は、飾りの菱形が「女性」を象徴するとされるのとは異なり、山中翁も書いているように「鎗」を思わせるものである。道祖神祭りを見たさいなどに、丸い餅花を見たことは何度かあるが、ひし餅が使われたこともあるわけだ。上巳の節句(雛祭り)の菱餅とは関係がないようでもあり、あるかもしれず、いずれにせよ、興味深い。
ほかにも、まだ読み始めたばかりだが、狂人塚と称する、妻が不義をはたらいたことで狂気に走った男が40年間かけてつくった高さ二間半(約4.5m)の石のピラミッド(駿河国富士郡沼窪村)など、わたし好みの(?)話題が多い。共古先生、明治の南畝である。
なお、例会と会議に出る前には、日本折紙学会事務局からほど近い本念寺に、南畝の墓を掃苔した。周囲の塔婆・墓石を圧するうすらでかい墓石だったが、南畝大田先生之墓とのみ刻まれただけののっぺりした直方体が、奇妙な雰囲気をただよわせていた。
最近のコメント