追悼・森田耕一郎さん2012/05/10 23:50

8日の朝、チリで森田耕一郎さんが亡くなった、というメールを見て、言葉を失った。それから二日が過ぎ、強盗という続報もあり、ショックはより強くなっている。

わたしが関わった天文台のシステムは、そのほとんどが、森田さんと共にした仕事と言える。干渉計データ解析処理の基礎は、森田さんのレポートで学んだことが多い。

すこし前にも、書きかけの論文を送っていただいたばかりで、先日帰国したさいにも親しく話をした。現実感がない。

これまでの厚情に感謝し、こころからお悔やみ申し上げます。

丸石神 その332012/04/09 21:31

藤垈の水芭蕉と丸石神
昨日、笛吹市藤垈(ふじぬた)で水芭蕉を見てきた。水芭蕉の開花時期等を調べる過程で、垈(ぬた)という漢字が、山梨県の地名でしか使われない「地域文字」であるということを知った。(国立国語研究所のこのページの「漢和辞典にない文字」の項 参照)

垈のつく地名と言えば、韮崎市相垈(あいぬた)にすばらしい丸石神があるが、藤垈にもみごとな丸石神があった。藤垈のそれは、「火の見櫓・丸石神隣接の経験則」に合致して、火の見櫓の近くにあったが、ふと、「垈地名・丸石神存在の経験則」なるものが頭をよぎった。まあ、これは成り立たたないと思うが、地域文字などというものがあること自体がミステリーなので、想像がふくらんだ。他には、甲斐市双葉町大垈、南アルプス市加賀美垈原、市川三郷町垈、南部町成島大垈といったものが、検索にかかる。

n進法ジョーク2012/04/05 12:40

Wikipediaの「数学的なジョーク」という項目で、以下のようなn進法に関するジョークを見た。

・プログラマはハロウィンとクリスマスを混同する。(25) dec= (31) octだからだ。
(野暮ながら解説:10進法の25は、8進法の31に等しい)

・世の中には10種類の人間がいる。2進法を知ってる人間と、そうでない人間だ。
(野暮ながら解説:2進法の10(イチゼロ)は、10進法では2である)

わたしもn進法のネタを考えてみた。なお、16進法は、数字を16個必要とするので、0123456789ABCDEFを使う。

・その1
天才数学者・ラマヌジャンのエピソードで知られる「タクシー数」(1729)というものがあるが、3243もタクシーに相応しい数である。16進法ではCABだからだ。

・その2
店員「The fee is 4078 yen.」(料金は4078円です)
プログラマ「FEE must be 4078.」(FEEは4078に決まっているよ)

・その3
「いくら安産の犬でも101匹は多すぎない?」
プログラマ「本当は5匹だな。2進法だ。」

・その4
「FF(早送り)です」
「ファイナルファンタジーがどうしたの?」
音楽家「フォルテシモ?」
プログラマ「255?」

「更新されていないね」「じゃあ、日記でも」2012/03/29 23:50

マグカップ
22日-23日
折紙探偵団関西コンベンションに参加するため、深夜バスで大阪に移動した。前日まで、京都で天文学会が開催されていて、聞いておきたい発表もあったけれど、そちらには参加しなかった。深夜バスは初めてで、どんなものだろうと、すこしだけわくわくしていたのだが、席の位置がよくないこともあって、かなり疲れた。あれは若いひとの乗り物だなあ、というのが素直な感想だ。

2年ぶりぐらいの関西。きょろきょろと街を見回した。
阪急電車の中にあった四谷学院という予備校の宣伝コピーが「なんで、わたしが京大に!?」というものだった。東京では「なんで、わたしが東大に!?」である。地域に合わせて全部違っていたら面白いとも思ったが、下手をすると不平を言っているみたいになる。宣伝コピー文というのは、違和感をひっかかりにするものなのだろうけれど、そもそもが変な文ではある。

24日
コンベンション二日目に、ジェイソン・クーさんの「折り紙設計」に関する講演があった。講演後にも話をして、折り紙設計法をグラフ理論と結びつけることには、ちょっとした研究の鉱脈があるのではないかと考えた。枝の二次元での配置(順序)を区別する木構造の定義は、グラフ理論ではどう扱うのだろう。

ひとの作品講習は覗くだけで受講せず、ずっとティーバッグの包み紙によるモデルを試していた。マグカップが会心作である。(写真)

懇親会を途中で退出して、新神戸から最終の新幹線で帰京した。車中で読んだのは、一年以上積ん読になっていたミステリ・『殺す手紙』(ポール・アルテ著 平岡敦訳)で、ちょうど品川駅ぐらいで読み終えた。いままでに訳されてきたアルテ氏のクラシカルな探偵小説とは違うタイプのサスペンスだが、「ひねりにひねりました!」というプロットである。「ツイスト博士(アルテ氏のシリーズキャラクター)はでてこないけれど、ツイストのある作品」といえる( なんて、誰かが既に言っていそうな評だけれど)。そういえば、アルテ作品を年一作訳出する予定(平岡氏)という話もあったけれど、2011年は出なかった。

25日
親戚に子供が生まれたので、お祝いに行った。この子は、わたしの知らない未来を生きるのだなあ、としみじみ思った。夜、山梨に着くと、うっすらと雪が積もっていた。格言や言い習わしには、ただし書きが必要なものも多い。
暑さ寒さも彼岸まで- ただし、平地では。

26日
昼休みに、職場の観測所内で折り紙に関する取材を受けた。「設計する折り紙に先鞭をつけたことに関しては自負しています」なんてことを言ったけれど、ひとに言われれば素直にうれしいけれど、自分で言うものじゃないなあ、とも。

この日は、金星、月、木星がきれいに並ぶ日だったのだが、珍しく(!)プログラミングに熱中していて、そういえばと気がついたときには、沈んでいた。先日の金星と木星の「最接近」のときは写真を撮ったのに。

27日
放射線測定器に関して、キャリブレーションの意味で「校正」を使っているツイートを読んだ。内容はきちんとしていたが、表記に違和感があった。「校正」は、文章の直しのときに使う語で、機器のキャリブレーションは「較正」ではないのか。しかし、ちょっと調べてみると、計量法の条文にも「標準器による校正」なるものがあったり、区別はないようだった。「較正」や「キャリブ」のほうが一般的だと思うのだが、わたしが知っている業界だけのことなのだろうか?

「24時間、震度3以上なしか」と言った数分後に、千葉で震度3、その数十分後に岩手で震度5弱が起きたが、ふーんと思っている自分がいた。震度5弱って、並じゃないのに。

28日
『天文月報』(2012.4)に『わたしが見た日本』(P. W. Rybka)というポーランド人の学生さんの手記が載っていて、
「友達の少女が紹介してくれた折り紙に、私はたいへん興味をもち、紙の芸術の世界にのめりこみました」
と書いてあった。どこかで会う機会があるかもしれない。日本文化との出会いは「マンガ・アニメ、折り紙、俳句」ということであった。

連想して、わたしとポーランドとの出会いは、と考え、「ポーランド人の有名人は誰か」という、ひとり雑学テストをした。ショパン、キュリー、スタニスワフ・レム、アンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー..。 ウェブを検索して「答え合わせ」をすると、コペルニクスがそうであったことを忘れていた。ここで、ひらめいた。ポーランド人は、エスニックジョークでひどい扱いを受けることが多い。たとえば、電球ジョークというものがある。電球を交換するのに、電球を持ったひとが乗っている台をまわすのがポーランド人、というものだ。なんでポーランド人なのかわからなかった。しかし、もしかしたらこれは、地動説と関係しているネタではないのか。
バナッハ=タルスキの定理(パラドックス)で有名な数学者のバナッハとタルスキもポーランド人であることを知った。これをつかって、とんでもない話が実は論理的だったのである、という隠れたメッセージを込めたジョークがつくれないだろうか、なんて考えた。

十二艘舟など2012/03/18 15:18

十二艘舟など
薗部ユニットの12枚組で知られる星型の多面体をいろいろ試していた。

まずは、図左端の正方形基本形(風船の基本形の反転)6個組である。前例を見たか、前例があると指摘された記憶があるのだが、誰のものなか、見つけることができていない。誰かわかるひといませんか?

次は、1:2の長方形の6枚組みで、きれいに組めるのだが、最後のひとつをいれるのが難しい。

次は、2枚組みである。これも既にありそうな気がする。しかし、かなりいいモデルだと思われるのに普及していないので、コロンブスの卵かもしれない。ユニット折り紙は、大量のパーツの作成や色合わせが面倒になることが多いが、ふたつだと、色合わせも楽だ。

次は、伝承の二艘舟を6個組み合わせたもので「十二艘舟」と名付けた。星型多面体とXYZ座標を組み合わせたかたちになる。これもまた、既にありそうな気がするのだが、組むのが案外難しいので、見落とされていた可能性も高い。

右端は、2枚組みのものをすこし変形したものだ。

####
先週は、深夜0時ぐらいまで仕事で、帰宅後早朝まで、折り紙を考えるという日が何日かあった。
やるべきことが多いほど、急ぎではないことに時間を費やしてしまう心理は、精神分析の防衛機制の概念でいえば、「逃避」よりも「補償」とみるべきだろう。しかし、心理的にはともかく、案件が溜まっているという実態はなにも補償されず、睡眠時間が短くなるだけなのであった。
また、〆切のはっきりしない案件が、そのことだけであと回しになってしまっていることを思うと、〆切って重要だなあ、とあらためて思うのであった。

閑そうにしか見えない日々2012/02/29 00:49


ニンジンとウサギ
某月某日
講習会用の難しくない折り紙作品を考えた。「キツツキ」をつくっていたのだが、なぜか「ニンジン」ができた。ニンジンとくればウサギかなと、似た構造(?)の折り目で、「ウサギ」もつくってみた。

Bow tie Unit
某月某日
ボツにしていた正二十面体構造のモデルが、ちょっとしたアイデアの変更でよみがえった。ボツにしていたのは糊づけが必要だったからである。ユニット折り紙において糊を使うことは、一枚折りで鋏を使うことよりもはるかに抵抗が大きいのだが、ほかのひとはどうなのだろうか。このモデルには、別の組み方もあった。

某月某日
3Dの見せ場なんだろうな、と考えながら3D映画の2D版を観るのは、ちょっとくやしい。

某月某日
読みかけの本が何冊もあるのに、また、本を買って読み始めてしまった。『枝分かれ 自然が創り出す美しいパターン』(フィリップ・ボール著 桃井緑美子訳)と、『白秋望景』(川本三郎著)。並べて書くと、いかにも脈絡がない。

『種子のデザイン 旅するかたち』
某月某日
『寺田寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(小山慶太著)で、寅彦の論文「藤の種子の自然放散機構について」の概要を知った。植物の種の不思議に関しては、先月、INAXギャラリーの「種子のデザイン‐旅するかたち‐ 展」(図録)を見て、その播種機構の多様性に感心してきたばかりだ。オーストリアに生息するハケアやバンクシアは、山火事による乾燥でしか実が弾けないという。図録の表紙の写真・北アフリカ産のツノゴマもすごい。

某月某日
フェルマーの最終定理の現代数学的でない証明があったら面白いけれど、まあ、ないだろうなあ、と、『数学に魅せられた明治人の生涯』(保阪正康著)を読みながら、考えた。この本は、ノンフィクションというより、モデル小説に近い感じだが、波瀾万丈でもあり平凡でもある、主人公の一生が味わい深い。

某月某日
某氏から、オランダでの研究生活の話を聞いた。ライデン市にシーボルトハウスという日本コレクションを展示する施設があるそうだ。シーボルトコレクションのリストには、和紙関係、折り紙関係のものはあったはずだが、展示物にそれはあるだろうか。

某月某日
「生きて行くことは案外むずかしくないのかも知れない」という文章を、『才子佳人』(武田泰淳)の冒頭だと思っていたが、『蝮のすえ』のそれだった。「あれは太宰をまねたんだよ」と武田氏がどこかに書いていたようにも記憶するのだが、それが何だったのかは見つからない。

某月某日
カレイダグラフは、重回帰分析はできないのか…。(と思ったら、table関数というものを使うと、できることが判明。便利。 3/1)

某月某日
天球座標に、緯度経度の組み合わせ(赤経赤緯、銀経銀緯)ではなく、北極南極を通る経線と東極西極を通る横経線(?)という二種の大円の組み合わせによるものがないのはなぜだろうかと、ふと思った。そのほうがすっきりしないかと。しかし、これがだめな理由はすぐにわかった。経線と「横経線(?)」が重なるところがあり、その線上では、座標位置を示すことができないのだ。

2月29日
一日得したという日をすごしたいものである。

「則した」と「即した」 - 『本格折り紙√2』と『日本文化のかたち百科』の誤植2012/02/17 12:40

以下は、いずれも「則した」という文字を使っているが、これは「即した」に修正したい。
図形に則した考えかたをする、ギリシアの数学の面目躍如の「名品」と言えるでしょう。
→即した
『本格折り紙√2』の26ページ、ユークリッドの互除法に関して。

もっと造形に則した折り紙と数学の関係もある。
→即した
『日本文化のかたち百科』「折り紙をひろげる」

###########
これに気がついた経緯は次のようなことである。
ある日、かなりくだけた表現なのにもかかわらず、「則って」という表記を目にした。「のっとって」である。訓読み漢字を仮名でひらくことが多いわたしは、文体との対応に微妙な違和感を持ったのだが、音読みの単語は漢字も使うので、「則す」という言葉はわたしも使うな、とも思った。ここで、待てよ、となったのである。「そくす」には「即す」と「則す」がある。似たような意味だが、使い分けがあるのではないか? 過去にどう書いたのかが気になって、活字になった自分の文章をチェックした。すると、上のふたつがでてきたのである。

『大辞林 第三版』によると、「即する」と「則する」は、次のように説明される。
即する。:離れないで、ぴったりとつく。ぴったりあてはまる。「事実に即して考える」
則する。:あることを基準として、それに従う。手本にする。「前例に則する」
『大辞林 第三版』

「事実」には「即して」、「前例」には「則する」。これはややこしい。
『新明解国語辞典』では、以下のように記述される。
即する:[理論やたてまえにとらわれることなく]その時どきによって変わる現実の事態に合う対処をする。[表記]この意味で「則する」と書くのは、誤り。「現実(変化)に即して/実際に即して考える」
則する:何かをする際に、理論・規則・方針など、基準(規範)となるものをより所とする。「建築基準法に則して/平等思想に則した政策」
『新明解国語辞典 第六版』

いつものように、「新解さん」は自信満々である。表記の誤りも指摘しているが、事実や現実と理論との峻別はそう簡単でもない。たとえば、「前例」は、現実なのか規範なのか。あるいは、自然科学において、事実の中に論理性を見るような場合は、どう考えればよいのか、などである。

漢字の意味に立ち返ると、「即」は「つく、近く、ただちに」、「則」は、「規範」といったことである。これに基づいた言い換えを考えると、「即した」は「寄り添った」で、「則した」は「規範にした」などとなる。これを、「照らしあわせた」とすると、どちらにも通用する言い換えに「なってしまう」。

「則した」は、比較的新しい用法である可能性も高い。『広辞苑 初版』(1955)には、「即する」のみが項目としてあり、「則する」はない。登場するのは第二版(1979)からだ。また、やや古い文献においては「則した」の実例はすくない。青空文庫の検索で見つかったのは、以下の二例だけであった。
天地の大道に則した善き人間となりたいという願い
倉田百三 『学生と生活 --恋愛--』 1953

そこの風土に則した工業を興すという点
三澤勝衛 『自力更生より自然力更生へ』 1979

倉田氏のものは、「理念にのっとった」ということで、「天地の大道を規範にした」という言い換えに適合するが、三澤氏のものは「風土を規範にした工業を興す」となって、やや解釈が難しい。「風土に寄り添った工業を興す」ならばより意味が通じやすいだろう。したがって、「即」がふさわしいと言える。単純な誤記の可能性も高い。しかし、「を規範にした」と似た意味の「に適合した」を使って、「風土に適合した工業を興す」とすれば、意味が通じる。誤用かどうかの見極めは、やはり難しい。さきに挙げた『大辞林』の「前例に則した」にも、この難しさがあるが、『日本国語大辞典 第二版 第八巻』の「則する」の用例もその例である。
その時作られる百科辞典は概ね、当該思想に則して編まれるのを常とする
渡辺一夫『フランスの百科辞典について』 1950

唯物史観の定式に則して社会の発展をとらえるとき
伊東光晴「現代経済を考える』1973

後者は、「定式」という言葉があり「規範にして」と解釈しやすいが、前者の「当該思想」は、「規範」を広義に考えて、「当該思想というパラダイム(範型)によって」というふうに解釈することになる。(1950年には、「パラダイム」のそういう用法はないけれど)

規範にも広義と狭義があることで、判断が難しくなるのだ。しかし、それだけでもない。法や方針など狭義の規範の用例をみるために、法律の条文も見たところ、そこにも混用があったのだ。まず、以下のようなものがあった。「則した」を使っても問題がないと広く認められた例だろうが、どちらも、新しい例である。
同法第二条の基本理念に則した東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進
『東日本大震災復興特別区域法』(平成二十三年十二月十六日法律第百二十五号 (未施行))

前項の服務の本旨に則して職務を遂行する旨
『日本年金機構法』(平成二一年五月一日法律第三六号)

いっぽうで、30年以上前のものになると、法令の場合も、方針や規程に対して「即した」を使うものが多い。

基本構想並びに都市計画区域の整備、開発及び保全の方針に即し、
『都市計画法』(昭和四十三年六月十五日法律第百号)

その内容は、卸売市場整備基本方針に即するものでなければならない。
『卸売市場法』(昭和四十六年四月三日法律第三十五号)

当該協定が共同施業規程に即していると認められるときは、
『森林組合法』(昭和五十三年五月一日法律第三十六号)

ほかにも多々あるので、これらは誤記とは言えない。「則した」という用法が、比較的新しいことを示しているのだろう。ただ、混用が古いか新しいかということでは、次のようなこともある。

漢文においては、則と即がほとんど同じように扱われる、ということである。訓み下しは「すなわち」だ。典型的な例が、『史記』の有名な一節である。
先即制人 後則為人所制 (先んずれば即ち人を制す、後るれば則ち人に制せらる)
『史記』

前者が即で、後者が則なのである。即も則も、「A→B」という同じ順接の副詞で、たぶん、単に同じ語の繰り返しに芸がないということだけで、即と則となっている。
細かくみれば、違いはあるらしい。「レバ則」(「であれば」のレバのこと)ともいわれるように、論理関係で説明がつくものは「則」、類似的、直感的、時系列的に直後に起きるといった関連づけには「即」のようだ。しかし、上の『史記』の例のように、明確に使い分けられているわけではない。ちなみに、「すなわち」という日本語は、もともとは「そのとき」という意味だそうで、則より即に近いと言える。
漢字ということでは、「則」を旁を持つ「側」が、「即」の意味にも通じる「近い」という意味であるのも、ややこしい。ただ、これは、意味を表す「意符」ではなく、発音を表す「音符(声符)」として使われたもののようである。

◎まとめ
とまあ、いろいろ考えたが、わたしの結論は次である。
・「則した」は、比較的新しい用法と考えられる。つまり、「即した」が基本で、せいぜい、ある場合は「則」を使ってもよい、使うようになってきた、といったものである。
・「則した」は、「狭義の規範(法、理念、理論)にのっとった」という意味の場合のみに使うほうがよい。
・紛らわしい場合は、「照らしあわせた」など、別の表現に置き換えたほうがよい。
・わたしの例は、どちらも「即」にするべきである。

わたしの例の前者は、「ギリシアの数学は、代数的な概念よりも図形(幾何)的な概念が基本にある」という文脈なので、「図形(的実在)という規範にのっとった」ということで、「則した」を使っても通じる例であると言える。しかし、「図形に寄り添った考えかた」、つまり「図形に即した考えかた」でも、言いたいことは伝わる。

後者は、「造形という現実に寄り添った」ということであり「造形の思想を規範とした折り紙と数学の関わり」とすると、きわめてわかりにくくなる。「則した」でよいと考えるのは難しい。

日々の言葉2012/02/07 00:10

「『おめでとうございました』って言うひとが多いけれど、『おめでとう』に過去形は変よね」
「まあね。えーと、『ありがとうございました』はOKだね」

感謝は過去と現在に、祝福は現在と未来に与えられるもの、ということかな…。

「おはようございました」
「あはは」

日々の挨拶言葉というのは、考えるとわからなくなるものがある。
昼は「今日は」で、夜が「今晩は」なら、朝は「今朝は」であってこそ対称性が生まれるのに、どうしてそうならないのか、とか。だいたい省略しすぎだよなあ。

「今日は」
「今日がどうしたの? いいの? 悪いの?」

「さようなら」は「美しいあきらめの表現」だ。と、アン・リンドバーグが記している。と、須賀敦子さんのエッセイで読んだ。

そうでなければならないのなら…。言葉にならない言葉。そう考えるとたしかに美しいけれど、意地悪く考えれば、これも、省略、言い澱み、ほのめかしととれなくもない。同じ系統の別れの言葉には、「んじゃ」や「そんなわけで」がある。

「そんなわけで」
「どんなわけ?」

ダイヤモンド富士2012/01/30 23:53

富士に沈む夕日
前にも書いたように、東京多摩地区にある自宅から、富士山が見える。

富士山の東北東に位置するので、山頂にちょうど日が沈む、いわゆる「ダイヤモンド富士」も、年二回11月と1月に見ることができるはずなのだが、毎年見逃してきた。

これを見るためには、(1)東京の自宅に居合わせる。(2)忘れない。(3)晴れる。という三つの条件がある。「自宅に居合わせる」というのは、変な言い方だが、留守にすることが多く、日没時刻が17時頃と早いのも待機を難しくしているのである。
また、案外大きいのは、「忘れない」だ。いままで、だいたいこの季節と思っていただけで、きちんと確認していなかったので、気がつくと日が過ぎていたのである。そこで今回は、ほぼこの日になるという日を概算した。すると、その日は自宅にいられることがわかった。そして、その日は天気がよかった。
というわけで、おおいに期待したのだが、残念ながら、日没の時刻がくると、わずかに日が過ぎていることがわかった。概算に使った方位角がすこし違っていたのである。

それでも、山際をすべるようにして沈む夕日は美しかった。この秀峰が噴火して山容が崩壊してしまったたら悲しいなあ、なんてことも思った。いっぽうで、どうせいつか噴火するのなら、生きているうちに見てみたいと、不謹慎にも思ってもいるのだった。

13日の金曜日2012/01/11 20:18

明後日は、13日の金曜日だ。ある日が何曜日なのかは、長い年月でみれば、ほぼランダムになるので、13日が金曜日である確率は、だいたい1/7になる。平均して7ヶ月に1回はあるということだ。ただ、じっさいにはランダムではなく、パターンが繰り返される。グレゴリオ暦がそのまま続くとして、細かく計算してみると、0.1433..と、1/7≒0.1428よりやや高い。月別で見ると、「1、3、4、5、7、11月」が高く(0.1450)、「2、6、9、12月」(0.1425)、「8、10月」(0.1400)の順になる。今年は、1月、4月、7月の三回ある。

なお、アポロ13号の事故を、4月13日金曜日とする記述を見たことがあるが、1970年4月13日は月曜日である。