書籍の寸法2009/02/28 23:02

『半日閑話』と『諸國紙名録』
書籍の寸法は横曲尺にて六寸ならは縦は曲尺の裏尺にて六寸とすべし、縦横とも裏表の尺にて同寸にすべし、外題は縦は書物の三分二横は六分一なり、書物に限らす縦横ある箱なとも裏表の尺にすれは恰好よろし。
(大田南畝『增訂半日閑話 巻之二十一』:1800年頃、『蜀山人全集第三巻』より)

 大工道具である曲尺(かねじゃく、さしがね:指矩)は、規矩術(きくじゅつ)という建築の計測・計算に使われる。その術のひとつの基本が、裏目の利用である。曲尺の裏目には丸目と角目の二種があり、角目の裏目は、表目の1.414倍でふってある。√2の近似値である。つまり、上記引用で、大田南畝(蜀山人)が述べているのは、書物の縦横の寸法を√2対1にせよ、ということなのである。紙の比率そのものではないが、紙の規格で√2を用いる提案の、最も古い文献資料と言える。この記述の存在は、紙の博物館の刊行物『百万塔』第61号に載った『紙の寸法規格とその経緯について』(小林清臣著 1985)という論文から知ったのだが、今回初めて原典にあたってみた、というわけである。(原典と言っても、活字化されたものだが。なお、そもそも『半日閑話』は後人の編集によるものだ)『半日閑話』は、数十年の長い期間に書かれたものだが、『書籍の寸法』を含む巻之二十一は、中に『寛政八年丙辰の頃江戸流行のもの』という項目があるので、寛政八・九年(1796,7年)の記述と思われる。

 近世日本には、暗黙の紙の規格があった。以前、『折り紙における相似性』という発表のために、『諸國紙名録』(1877)に載っている紙の比率を調べたことがあるが、それも1対√2に近い値であった。(ちなみに、「半紙」という規格は特別で、これの比率は1対1.25になる)
 現在の紙の規格は、1890年代に、ドイツの化学者・フリードリッヒ・オストワルト(1853-1932)が定めたものが基本となっているが、日本には慣習的な規格があり、それが1対√2に近かったのである。日本独自のB版というのもこれに基づいている。『半日閑話』は、こうしたことを裏付ける、ひとつの傍証である。

 それにしても、『半日閑話』の話題は、じつに多岐に渡っている。たとえば、巻之十二の「此頃薄暮頃におよびて東の方より南へ白き氣たなびく、人皆釈迦如來の後光さすといふ。孛星東北に見ゆる」などは、メシエC/1769P1彗星に関する記述と思われる。別項で「公にも天文家に御尋あり、京都にては七日御齋ありしとかや」とあるのが面白い。彗星の出現で、陰陽師の指導で物忌みをしたのだろう。
 以前『折紙散歩右往左往 知られざる出雲のおもかげ』(『折紙探偵団』105号)でも触れた、魚の干物などで三尊仏をつくった、見立ての見世物・「とんだ霊宝」に関する詳細も載っていた。18世紀末から19世紀初頭は、折り紙が隆盛した時期なので、折り紙に関する記述もあるのではないかと期待したが、それは見当たらなかった。しかし、南畝には著作も多いので、なにか見つかる可能性もある。いまわたしが住んでいる調布に関する『調布日記』という著作もあるので楽しみだ。多摩の話で言えば、今回借りてきた『蜀山人全集第三巻』にも『向岡閑話』や『玉川砂利』という本が収録されている。中之島(川崎区多摩区)や押立(府中市)にも紙漉きがあったとか、多摩川の梨は当時からあったのだとか、近所の散歩を楽しむさいの種になる話も多い。ということで、読みはまってしまった。

 写真は、『增訂半日閑話 巻之二十一』の挿絵(『蜀山人全集第三巻』1976)と、『諸國紙名録』の復刻本(1971)とその内容の一部。

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