『最後の三角形』など2024/01/22 21:06

◆『最後の三角形』
『最後の三角形』(ジェフリー・フォード著、谷垣暁美訳)を読み了わった。奇想に溢れ、テッド・チャンさんや安部公房さんを思わせる短編小説集で、最近読んだ小説では出色だった。所収の『アイスクリーム帝国』の以下の言葉からは、折り紙造形の勘所ということを思った。

表現の抑制は、表現の複雑さに劣らず、技術の熟達を示す重要な特色だ。

◆九角形
九角形のコップ
餃子の王将のお冷のコップが九角形だった。これはプラスチック製だが、ガラスの九角形のコップも前に見たことがある。

◆濡れない文字
石碑の「中」の文字は濡れにくい

雨から天気が回復していった日、墓参りに行った。共同埋葬施設の横の墓碑も濡れていたが、ふと見ると、「中」という字だけが乾いていることに気がついた。他にも乾きやすい字はあるようだったが、「中」は特別だった。このかたちに水が溜まりにくいのは間違いないが、単に中心が縦に長い直線であることだけではないようでもある。

数学本など2023/09/10 09:01

◆数学本2冊
『数学者の選ぶ「とっておきの数学」』他
最近出版された「数学本」2冊にインタビューとエッセイが掲載されています。

1冊目、『ロビンソン・クルーソー』の初版ほどではないにしても、最近のライトノベルみたいというか、題名が長い。

2冊目、こんな題名ですが、わたしは「数学者」ではなく、巻末の執筆者一覧でひとりだけ肩書きが「折り紙作家」と異色なのでした。

◆折り紙教室 
三色キューブ
9/24(日)13:00-15:00、府中郷土の森ふるさと体験館で、折り紙教室を担当します。府中郷土の森博物館は入場料が必要ですが、教室自体は無料です。
作品は、「三色キューブ」です。

気がつけば2ヶ月ぶり2021/08/22 19:05

◆小さく固く折りたたんでゆく
相原かろ氏の歌集『浜竹』に、折り紙を詠んだ歌があった。

折り紙でエリマキトカゲを大量に作りき我は作れずもはや 相原かろ

エリマケトカゲが車のCMで人気者になったのは1984年のことである。相原さんの折ったエリマキトカゲはどんなものだったのだろうか。

『おりがみ新世界』(笠原邦彦、1989)に、わたしのエリマキトカゲが載っている(図:笠原氏)。この作品は、笠原さんの造形を参照して、辺の三等分を用いて効率的な構造を目指したもので、笠原さんは次のように記している。
「笠原の作品は、かなり難しい折り方のものです。それが、前川作品ではかくもやさしいものになったという次第です」
しかし、頭部の立体化にすこしわかりにくいところもあり、そんなに簡単に折れる作品でもない。
エリマキトカゲ

相原さんのこの歌は、幼少年時代の喪失などというには力が抜けている。歌論の用語に、見たまま感じたままを技巧をつかわずに投げ出すように歌う「ただごと歌」というものがあって、そんな歌だと言える。折り畳むことに関した歌は次のものもあり、これも「ただごと」というか、「あるある」だ。

ポケットの中で紙片の手ざわりを小さく固く折りたたんでゆく 相原かろ

次のような歌も、「そうそう。言われてみればそうだよなあ」というものだ。

測量の人が見ている測量の世界の中を通ってしまう 相原かろ
満員の電車のなかに頭より上の空間まだ詰め込める

相原さんは、神奈川生まれで生活圏も首都圏のようだが、山梨名物の信玄餅を詠んだ連作も四首あった。そのなかから二首をひく。

容器からモモっと注ぐ黒蜜を信玄餅のきな粉がはじく 相原かろ
扇風機の首振りが来て黒蜜になじんでいないきな粉は飛んだ

これらの歌には「桔梗屋」という小題がついているが、二拠点生活のひとつを峡北(山梨県西北)地域とする半・山梨県民としては、信玄餅といえば、桔梗屋ではなく、北杜市白州町台ヶ原の金精軒である。じっさい、信玄餅という商標は金精軒のもので、桔梗屋のものは桔梗信玄餅が正しい呼称だ。ただ、餅と黒蜜ときな粉を小さな風呂敷に包んだパッケージを最初に販売したのは桔梗屋のほうが先だったようで、いまは商標争いも和解している。
きな粉が飛んだということでは、高浜虚子の次の俳句も連想した。

草餅の黄粉落せし胸のへん 虚子

これには次のような本句取りを考えたことがある。

ナポリタン赤い点々胸のへん
カレーうどん黄色く飛んだ胸のへん

相原さんの歌は、全般にとぼけたような味があるのだが、やや苦みのある歌もある。1978年生まれの相原さんが社会にでたのは、いわゆる「失われた30年」の只中ということになり、それを反映している歌と見ることもできる。

部屋を出たあとに聞こえる嗤い声いまに見ていろ歌にしてやる 相原かろ
履歴書の空白期間訊いてくるそのまっとうが支える御社

「いまに見ていろ」という意趣返しが「歌にしてやる」であるのはいかにも弱く、その歌はわらい声の主にはとどかない可能性のほうが高い。しかし、それは歌として、歌集としてのこり、読む者もいる。それはある意味、芸術の勝利かもしれない。ただ、相原さんの詠む忘れがたい光景の多くは、批評性とは違い、これといった象徴性もなく、それゆえに印象が強いということがある。

階段を松ぼっくりが落ちてきてあと一段の所で止まる 相原かろ

◆12^3+1^3=9^3+10^3=1729
ラマヌジャンの「タクシー数」を視覚化してみた。してみたが、とくに新しい発見があったわけではない。
1729

なお、「タクシー数」のエピーソードは以下である。(『ある数学者の生涯と弁明』(G. H. ハーディー、柳生孝昭訳)掲載の『ハーディーの思い出』(C. P. スノー)より)

彼(ラマヌジャン)がパトニーの病院で死の床に伏せっていたとき、ハーディーはよく見舞いに行った。例のタクシーのナンバーのことがあったのも、ある日の見舞いの時の出来事であった。(略)彼はラマヌジャンの寝ている部屋へ入って行った。ハーディーは、いつも会話を始めるのが下手だった。恐らく挨拶などはしなかったのだろう。最初は、確かこうだろう。「私の乗った車のナンバーは1729だったよ。まあつまらない数だが」ラマヌジャンはこれに対して「いや、面白いですよ。ハーディー。とても面白い数です。二数の立方数の和で表す表し方が二通りある最小の数ですよ」と答えた。
 これはハーディーの記録している二人のやりとりである。肝心の所は正確に違いない。彼は真に正直であったし、しかも、誰もこんな話を創作できなかっただろう。

◆中からは見えない
野辺山観測所の公開日(8月28日)は今年もオンラインである。そのコンテンツのひとつとして、「棒渦巻銀河」の折り紙のビデオを撮った。われわれの天の川銀河の形状も「棒渦巻銀河」なのだが、中にいるとその全体の構造はわかりにくい。

で、ふと思った。
戦争のただ中を生きたひとの話を聞いたり、『方丈記』の天災や飢饉の記述を読むと、今の世の平穏を感じてきた。基本その思いは変わらないが、将来1990年代-2020年代の日本を振り返ると、カルト宗教のテロがあり、大地震や気象災害が頻発し、経済は停滞し、感染症も蔓延して、たいへんな時代だったと思われるのではないかと。

最近のこの国は、堅牢だったものが傾いたというより、歴史を参照すれば聞いたことのある話で、地金がでたというか、もともとこんなものだったのだろうと、妙に納得している。しかしそれを、冷笑的態度で終わらせ、傍観者を気取ってすむ話でもない。自分もその共同体の一員であるからだ。

第30回折り紙の科学・数学・教育研究集会 ほか2021/06/15 21:44

◆第30回折り紙の科学・数学・教育研究集会
6/20(日)10:00-17:00に上記の会があります。参加費1000円のオンラインの会で、どなたでも聴講できます。詳細は下記のURLからどうぞ。

◆「折」の字
折りパケ
カルビー食品のスナックの袋に「折」の字が書いてあって、なんのことか思ったら、ゴミの体積減のために袋を折り畳もうというキャンペーンだった。
わたしは、以前から袋を畳んで結んで捨てることがほぼ習慣化している。

◆ヤマハタザオと軽量構造
ヤマハタザオ
1メートル近くの高さで亭々と立つこの草の名は、ハタザオ(ヤマハタザオ)といって、見たままの命名である。天辺にはちいさな白い花が咲いていて、旗竿の先端の「冠頭」の趣きがある。英名も、タワー・マスタード(マスタード=芥子菜)、タワー・ロックレス(ロック・クレス=岩・クレソン)と、タワーの名を持つ。この写真でも根元が画面から外れているぐらいひょろりと高い。茎の直径は2ミリぐらいの細さで、高さを約80センチとして、電信柱の直径30センチで計算すると100メートル超のスケールになる。むろん、構造力学的に比例計算にはならないが、写真のうしろに写っているアカマツに比べても高く見えて、大げさにいえば、軌道エレベーターかジャックの豆の木みたいな感じだ。

次号の『折紙探偵団マガジン』に、『Forms and Concepts for Lightweight Structures』(Koryo Miura and Sergio Pelegrino)(『軽量構造のための形状とコンセプト』三浦公亮、セルヒオ・ペルグリーノ著)の紹介記事を書いたあとに、このヤマハタザオを見て、まさに軽量構造で、バイオミメティクス(生物模倣工学)のタネになりそうだなあ、などとも考えた。

◆『三体III』の折り紙の舟
大作SFの完結編『三体III 死神永生』劉慈欣著、大森望他訳)に折り紙がでてきた。重要な展開への伏線にもなっている。

一枚の白い紙を振りながら程心に言った。「これで舟を折れる?」
「折り紙も忘れられた技術ってこと?」程心は紙を受けとって訊ねた。
「もちろん。いまどき、紙だってめったに見かけないんだから」
程心は腰を下ろして舟を折った。

西暦でいうと2300年ごろの設定だ。2200年ごろに全人類が難民化したさいの記述には、以下の比喩もあった。

正午の陽射しのもと、合板と薄い金属板でできた住宅は、真新しいと同時にいかにも壊れやすそうで、砂漠に散らばる折り紙の箱のようだった。

「折り紙」の原文は「摺紙」だと思うが、「折紙」かもしれない。わたしの『折る幾何学』の繁体版のタイトルは『摺紙幾何學』で、簡体版は、訳者の案では『折畳几何学』だったのだが、『折紙几何学』になった。「摺紙」と「折紙」なのである。「折」はbreakの意味が強いようだが、日本と同様にfoldingの意味もある。

『三体』は、大ボラ話としてのSFの王道。ディテイルをあれこれつつくのは野暮かな、と。

塙町ダリアの折り紙 など2021/01/11 10:01

◆塙町ダリアの折り紙
遅ればせながら、昨年末におこなわれた「塙町ダリアの折り紙募集」審査結果。よい作品がたくさんありました。

◆計算尺
古いものを整理をしていて、むかし、父から譲りうけた計算尺を見つけた。宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観たさい、「鯖の骨と計算尺と高原の風が主役」との感想を持ち、父から貰ったあの計算尺はどこにいったのだろうと思いながら確認できずにいたのだが、それがでてきた。

わたしが理学部に入学したときに買った関数電卓は、たしか1万円近くして、それもまた時代の流れを感じさせるが、計算尺の時代は疾うのむかしに終わっていて、実用で使ったことはない。父が学生時代の戦中のものではなく、戦後のものだとは思うが、いずれにせよ、かるく半世紀以上は前のものである。しかし、道具としての精度はまったく劣化していない。主要素材が竹なのもよい味で、狂いなくスムーズに動くさまは、物としての魅力にあふれている。

計算尺

黄金比(1.618...)の逆数が黄金比マイナス1(=0.618...)であることを確認してみた。対数を用いた演算なので結果は6.18..になっており、桁は換算しないといけない。

◆折鶴型飛行機械
ひさしぶりに『鉄腕アトム』を読んで、『青騎士』の敵役・ブルグ伯爵の乗る飛行機械が折鶴のかたちをしていることに気がついた。ちょっとしたことろにも見どころがあって、手塚さんはやはりすごいなあ、と。
『青騎士』


◆谷折り線の謎

谷折り線をながめ一日 髭面の男の胸にウッドストック 東直子

谷折り線という、折り紙創作家にとって無視し難い言葉がでてくるので、気になる歌なのだが、歌意はきわめてわかりにくい。上の句の中で大きく切れていることは、分かち書きがあることで明白だが、その切れは、空白一文字ぶんよりはるかに大きい断絶になっている。なぜ谷折り線をながめているのか、誰がそうしているのか、後半がその解明のヒントになっているのかと期待すると、そういうわけではないので肩透かしをくらう。ウッドストックは、伝説的なあの音楽フェスティバルのことではなく、スヌーピーのともだちの黄色い鳥のことだろうが、それも解読のヒントにならない。

この歌が収録されている歌集『春原さんのリコーダー』に付されている解説でも、高野公彦さんが、東さんの多くの歌は「分からない」と率直に書いている。氏はその説明にアンドレ・ブルトンのオートマティスム(自動記述)の概念を援用している。東さんの歌の多くは、俳諧でいう「取合わせ」に偶発性を持ち込んだもので、「解剖台の上のミシンと傘の偶然の出逢い」のようなものだと、わたしも思う。理路をもって内容を読み取ろうとしても読み取れないのだ。わからないままに受けとり、ほとんど意味を剥奪されながら無視できない言葉の残響を味わうのが筋なのだろう。しかし、谷折り線という言葉に思いいれが強いので、わたしのもやもやはおさまらない。山折り線はどこに行ったのだ。たぶん、このもやもやを発生させることこそが彼女の歌柄の重要な部分で、わたしがその状態になったこと自体、すでに彼女の術中なのだろう。

わたしの最近の趣味のひとつは、折り紙や数学や天文のでてくる歌や句のコレクションだ。以下の歌もそうしたものなのだが、これまた、上下の句のつながりが特異で不連続だ。
(蛇足ながら、「特異」と「不連続」は、数学用語の singular と discontinuous の含意)

折鶴のかたちを残し火は消える たったひとりをたったひとりに 東直子
数式のほどけるように雪が降るこんなさびしいうれしい島に

上の句だけ抜き出して五七五にすると、かなり素直に受けとれる。

折鶴のかたちを残し火は消える
数式のほどけるように雪が降る

前者、江戸時代の奇術書『仙術日待種』(センジュツヒマチグサ、一七八四、花山人)に「火中より鶴を出す術」というものがある。コンニャク粉を水で溶いたものをひいた紙で折鶴を折り、まるめた紙の中に隠しておくと、燃えたあともかたちが残りやすいというタネの奇術だ。以前、コンニャク粉を買ってきて実験に成功したが、粉が大量に余った。一握りの粉から大量にコンニャクができるので、その後、余った粉でしばらくコンニャクを食べることになった。

後者は、五七五だけ抜き出しても奇抜な比喩だが、次のように想像すると物理的な感触が濃密になる。

数千メートルの上空、マイナス15度前後の大気において、飽和状態にあった水蒸気の平衡状態が相転移して結晶が発生する。自己相似的で平坦な六回回転対称の構造に成長した水の結晶は、上昇気流と重力のバランスが崩れて落下し始める。そのとき、平坦な結晶がいくつか絡まりあった複雑な形状もあって乱流が発生し、単純な落下ではなく舞うような運動をする。雪という現象は、このように、解析的には解きにくい、しかし、膨大な演算にしたがった理に適った現象として生まれ、そして消えてゆく。それはまさに「数式のほどけるよう」な感じ、といえなくもない。なお、東さんには「雛のある部屋に足し算教えつつ雪降るように切なさが降る」という歌もあって、これも上掲歌につながる。

東さんの歌がみなこんなにわかりにくいかというと、そうでもなく、『折紙探偵団』171号に書いたエッセイ『折紙歌合(おりがみうたあわせ)- 折り紙が詠み込まれた短歌と俳句 -』で引いた歌は、謎がありながらわかりやい。

気持ち悪いから持って帰ってくれと父 色とりどりの折り鶴を見て 東直子

このとき持ち帰った折り鶴を家で燃やしたときの歌が、「折鶴のかたちを残し…」であるという解釈はどうだろうか、とあらためて思った。ただ、中途半端に燃え残ったのでなければ、(コンニャクびきをされていない紙なので)燃え崩れてしまったはずなので、折鶴のかたちは灰の中に思念として残ったものと見たほうがよい。なんにしても、言葉の意味自体はとることができる。いっぽう、次のふたつの「数学短歌」は、またまた難問である。

数字から数字が生まれしんみつな灯芯としてひんやり燃える 東直子
マイナスになれば輝く数値あり瞼で割れる夢のたのしさ

一首目、自然数からゼロや負の数が生まれ、有理数や無理数が生まれ、複素数や四元数が生まれ、といった数学の歴史や、リヒャルト・デデキントの『数とは何かそして何であるべきか』という、それ自体が短詩のようでもある書名を連想した。二首目は、シャボン玉のような夢を瞼で割っているイメージだ。眼を閉じることではなく開けることで割るので、符号が反転するのか、夢のシャボン玉は非ユークリッド的な負曲率の「擬球」で、それが球である眼球と対比されているのか、などと。

こんなふうに読んでいると、詩歌に使われた専門用語から生じる連想と、科学用語の濫用、いわゆる「ファッショナブル・ナンセンス」は同種なのかという問題も頭をかすめる。そして、暗示や喚起が詩の核心だとしても、詩においては言葉が明晰でなくても許されるのはなぜか、という身も蓋もないことも考える。

献本拝謝など2020/10/12 23:32

なんか、ひさしぶりの更新になった。

◆ハート鶴
北杜市地域振興券
山梨県北杜市の地域振興券に使われているマークが、折り紙のハートと折鶴である。デザイナーは三井宏美さんいうかただという。

◆柘榴石
11月末刊行の『折紙探偵団』184号のユニット折り紙の図は、凧形二十四面体の骨格とその関連作品にした。
柘榴石骨格、八目

凧形二十四面体の骨格は、柘榴石の結晶にこの形状があるので「柘榴石骨格」という題名にした。下の写真は、このモデルの記念(?)に、新宿紀伊国屋ビル1Fにある「東京サイエンス」で買った柘榴石の標本である。貴石なので値が張るのかというと、そんなことはなく数百円である。なお、同店のレジ横には、Tレックスの折り紙が飾ってあって、わたしのモデルだったので「おっ」と思った。
柘榴石

図を描くために「柘榴石骨格」の工程を整理しているうちに、その構造の応用(?)で、海亀とスカラベができた。ユニット折り紙から具象作品に発展するケースはあまり記憶がない。
カメ、スカラベ

◆だじゃれ
「柘榴石骨格」とその関連モデル「八目(やつめ)」は、6枚組の直交座標を基本構造としたモデルだが、似た構造で、だじゃれネタのモデルも思いついた。名づけて「新撰『組み』」。
新撰「組み」

◆献本拝謝その1
綾辻行人さんからご恵贈いただいた、大部800ページの一冊『Another 2001』を読み終わった。若いひとを生き生きと描く(…ひとがばたばた死ぬストーリーで「生き生きと」もないが)綾辻さん、感性が若いなあと感心することしきりだった。伏線の張りかたがたいへん大胆。

◆献本拝謝その2
『月間みすず』『空想の補助線』というエッセイを隔月連載している縁で、みすず書房さんから『「第二の不可能」を追え!』(ポール・J・スタインハート著、斉藤隆央訳)をいただいた。めっぽう面白いサイエンス・ノンフィクション。準結晶の話なので、ペンローズ・タイルが重要な役割を持つ。

ペンローズ御大といえば、今年のノーベル物理学賞のひとりが彼で、なんでいまなのだろうと思ったが、昨年のイベント・ホライズン・テレスコープによるM87中心の撮像が影響しているということなのだろうな、と。そして、ゲンツェルさんらの天の川銀河中心のブラックホール確認が受賞対象になるなら、同時期、野辺山45m鏡を用いた中井直正さんらによる、NGC4258の水メーザーによる確認も、評価対象なのになあ、と。