ぼんやりしていても、いろいろある2017/06/07 23:04

「やるべきことがたまっているが、なんだか、ぼんやりしている」
と、ずっと言っているような気がする。

◆忘れていた
日本折紙学会の会員の継続を忘れていたことに気がついて、すぐに申し込んだ。会のスタッフなのに忘れていたのだ。困ったものである。

◆西川誠司著『折り紙学』
『折り紙学』(西川誠司)
学校図書館向けの『○○学』シリーズの一冊として企画された本。折り紙文化のアウトラインの説明として、さすが西川さんというバランス感覚だ。類書もない。わたしも、いろいろと協力した。

◆『切り紙に潜む物理』
『日本物理学会誌』に磯部翠さんと奥村剛さんの『切り紙に潜む物理』という論文が載っていた。きちんとは読んでいないけれど、面白そう。この研究は、数か月前にニュースにもなっていた。

◆パルマーさんの多面体
パルマーさんの多面体
10日ほど前、折紙探偵団九州コンベンションに参加したさいに、クリス・パルマーさんから多面体模型をいただいだ。スクリュー構造になって、内部にスペースがある。パルマーさんは、会うたびに、新しいアイデアを見せてくれる。

◆『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)
私的なベストSFと言ってもよい、『あなたの人生の物語』(テッド・チャン著)の映画化作品。チャン氏の小説を映像化するなら、『地獄とは神の不在なり』がよいのではないかと思っていたが、『メッセージ』(原題:Arrival)は、すばらしいできだった。原作で印象的だった、光学の「フェルマーの原理」の話がなかったのは、ちょっと残念だけれど。

たとえば、こんな言葉を思い出す。
 人は、時間の中で生きるのではなく、永遠の中で生きることは可能であろうか。
(ウィトゲンシュタイン『草稿1914-1916』:『ウィトゲンシュタインの生涯と哲学』(黒崎宏)内の部分訳から引用)

◆[P]athematics
先日読んだ小説・『私自身の見えない徴』(エイミー・ベンダー著 管啓次郎訳)に、こんな言葉があった。
Matehematics(数学)の中にはatheist(無神論者)の文字がそっくり含まれている。でも私にいわせれば、それは正反対。

なるほどなあ、と。ただし、すっぽりはまっているのではなく、アナグラムになっている。無神論者(atheist)ではなく、無神論(atheism)もある。そして、atheを含む単語には、以下のようなものもある。

bathetic:竜頭蛇尾、わざとらしい
pathetic:悲しい、無力な

ということで、内容の薄い数学を表現する言葉を思いついた。

bathematics : 内容のない数学
pathematics : 弱々しい数学

完全一致で検索すると、そこそこヒットした。意図的ではなさそうなものもあって、中にはamazonで書名がbathematicsになっているものもあった。ひどい。数学界でいう「ジェネラル・ナンセンス」(一般化しているだけ)や「トリビアル」(自明)を揶揄する表現にぴったりかもしれない。まあ、かくいうわたしも、pathematianというか、なんというか。

◆窪東公園のジャングルジム
窪東公園のジャングルジム
国分寺市・窪東公園の多面体トラス状のジャングルジムが面白い。内側のロープによる構造もよい。

◆武蔵野美術大学のピラミッド
武蔵野美術大学のピラミッド
先日行った武蔵野美術大学のピラミッドは、ルーブルのそれよりずっと小さいのであった。

「生きている折り紙」など2017/05/19 22:16

◆「生きている折り紙」
以下のイベントの案内が届いていた。
第94回サイエンス・カフェ札幌「生きている折り紙」 by 繁富(栗林)香織さん
@ 紀伊國屋書店札幌本店、5/27(土)。事前申し込み不要。
詳細:costep.open-ed.hokudai.ac.jp
細胞膜を使った、文字通り「生きている」折り紙の話。栗林さんは、先日も折り紙応用技術的なニュースの解説でTVに出ていたらしい。
この日、わたしは九州。主催のCoSTEP(北海道大学の科学技術コミュニケーションに関する社会人大学的なもの)では、わたしも来年の1月に講師をする予定。

最近、折り紙周辺のニュースがちょこちょこと。

◆テントウムシ
数日前、東京大学の斉藤一哉さんのテントウムシの後ろ翅の折り畳みの研究がニュースになっていて、なんで今なのだろうと思ったら、論文が公けになったということだった。ニュースでは、バイオミミクリ(生物をまねた応用)が強調されがちだが、研究自体に、誰にも伝わる面白さがある。テントウムシは、メタルの巻尺みたいな構造があって、後ろ翅を広げるのが得意で、しまうのは「手繰り寄せ」なのでやや時間がかかる(よって「シミチョロ」をよく見かける)とか、カブトムシは収納するのが得意だけれど、広げるには大きく羽ばたいて遠心力を使うとか。

◆『正解するカド』
『誤解するカド 』というSFアンソロジーがでていて、折り紙的、幾何学的な響きがある題名だなあと思っていたら、この題名の元になった『正解するカド』というアニメーションの中に、球体折り紙が出てきて、筑波大学の三谷純さんが監修していた。

謎の星空2017/05/09 22:49

原故郷のスラヴ民族
先日、国立新美術館のミュシャ展で観た、『スラヴ叙事詩・原故郷のスラヴ民族』。これに描かれた星空がぴんとこなくて、もやもやした。

まず、注目したのは、画面左上のU字をひっくり返した星の並びである。これは、かたちとしては、かんむり座(北のかんむり座)が近い。その右に四角があり、これをヘルクレス座とすれば、位置関係は合う。しかし、かんむり座は、北極星をはさんでカシオペア座と反対側にある星座で、U字の開いたほうを地平に向ける位置は、北半球では考えられない。南のかんむり座と見ると、その右にある星の並びがさそり座に見えてこなくもないが、そもそも、南のかんむり座は、中部ヨーロッパからは見えないだろう。

しし座の頭とするのが一番それらしいかもしれない。その右下のY字ぽいのは、明るい星が多すぎるけれど、かに座、下の地平線近くの円弧は、うみへび座と、こいぬ座。その右の縦長の五角形は、ぎょしゃ座に見えなくもない。1月から5月、中部ヨーロッパの西の空では、これに近いかたちで見えるかも。しかし、ぎょしゃ座の左にあるはずの、ふたご座はどこに行った。その右上にあるV字はなんだ。画面の右のほうもよくわからない。うーん、やはり、かなり苦しい。

というわけで、ミュシャは、基本は写実描写のひとだが、この星空は写実ではなく装飾的なものである、というのが、とりあえずの結論だ。...あ、なんかいろいろ書いたけれど、よい絵です。

『Pasta by Design』など2017/04/28 23:50

◎『Pasta by Design』
まず、前の書き込みの補足である。パスタの幾何学的形状については、いずれ本格的に考えたいと思っていた。フッジリについて考えたのもそれゆえである。

ただし、これには先行研究がある。最近、数学雑誌の編集者さんから教えてもらったもので、『Pasta by Design』(George L. Legendre)という本である。まだ入手していないのだけれど。

著者のルジャンドルさんという名前もインパクトがある。建築が専門のイギリス人のようだけれど、ルジャンドル変換などで有名な18世紀フランスの大数学者の子孫だったりするのだろうか。

さらに、『The Geometry of Pasta』(Caz Hildebrand、Jacob Kenedy)という本もある。ただし、こちらは、書名ほど幾何学ではないみたいだ。

『Pasta by Design』の表紙になっているファルファレ(蝶)は、可展面からの変形としてたしかに面白いが、コンキリ(貝)や、フッジリ(銃身)、カヴァタッピ(栓抜き、図)などのほうが、わたしは好きだ。食感ではなく、かたち自体がである。ジリというのもあって、百合の花ということらしいが、キクラゲみたいな「The・負曲率曲面」に見える。これらは、たぶん、型抜きでできているのではなく、製造工程によって「自然に」かたちづくられている。それらに比べると、ルオーテ(車輪)などは、すこし面白みが減る。
カヴァタッピ

フッジリは、旋盤の削り屑や、ネコザメの卵(あまりよい写真ではないけれど、10数年前に下田海中水族館で撮影。検索するともっと鮮明な写真がいろいろある)にも似ている。ネコザメの卵も、あらためて見ると、常螺旋面というより、類似螺旋面に近い。ただし中央部は円柱ではなく紡錘形である。
ネコザメの卵

紡錘形と言えば、そのかたちのパスタもあって、長粒種のコメみたいなかたちで、リゾーニという。これは、まさにコメの意味だ。小麦粉で米をつくるというのは、倒錯的だ。

◎「おりがみパヅル」と「入れ子風車」
折紙探偵団九州コンベンションが近づいてきた。まだ申し込んでいないが、今年も参加の予定である。

昨年の九州コンベンションで、面白いパズルの話を聞いたことを思い出した。名づけて、「おりがみパヅル」。折鶴のパズルなので、パヅルなのである。探したところ、問題を書いたコピーはとってあったのだが、出題者の名前をメモし忘れていた。

問題:1枚の正方形の紙に切り込みを入れて連鶴をつくる。11羽のものはいかに?
ただし、以下の条件とする。
(1)紙を余らせない。
(2)鶴の翼は、左右どちらも別の鶴の翼に接続する。

解くのに1時間以上かかった。
ネットを検索したら、出題者のブログに記述があったが、わたしが偉いひとみたいに書いてあって、汗顔である。

解答はどうだったかなと思い出す過程から、「千羽鶴」のバリエーションを思いついた。『千羽鶴折形』の「風車」を無限化(写真では3段階まで)したものである。上の問題の解答とはまったく違うもので、羽での連結もやめているが、繰り返しパターンがわかりやすくてよい。1か所ではなく、向かい合う部分を分岐させるなどのバリエーションも考えられる。シンプルな発想なので、だれかがやっていそうではある。
入れ子風車

◎蔵書
桑原武夫さんの遺族から京都市に寄贈された桑原さんの蔵書が、古紙回収に出されて処分されてしまったというニュースを聞いた。詳細を把握していないので、この件そのものへのコメントはひかえるが、ひとつ連想したことがある。

神保町の古書店の店頭で、趣味嗜好が明確な一群の本が並んでいるのを見ることがある。買い取って整理される以前のものだ。ある日見たのは、パズルと和算と数学の啓蒙書の取り合わせであった。「わたしに関心の近いひとが亡くなったのか」と思った。うちの蔵書の行く末を考えると、すこししんみりした。

東京ミッドタウンの螺旋面2017/04/26 21:08

防衛庁の跡地にできた「東京ミッドタウン」は、再開発から10年経つそうだが、行ったのは、先々週の週末が初めてだった。隣接する国立新美術館のミュシャ展を観に行ったのである。妻がミュシャを好きなのだ。


DESIGN SIGHT@東京ミッドタウン

「DESIGN SIGHT」という建物が、すこし折り紙的だった。設計は安藤忠男氏。安藤さんは、国立競技場のコンペティションの審査や、動線のはっきりしない渋谷駅などでいろいろ言われていて、わたしも渋谷駅は行くたびにイライラしているが、これは、とてもクールである。

 

ベンチ@東京ミッドタウン

誰のデザインかわからないが、街路樹を囲むベンチも面白かった。この写真では、壊れているようにも見えなくもないが、高さが変化しているのだ。様々な座高のひとが利用可能ということかとも思ったが、低いところが低すぎるので、機能的な発想ではないのだろう。

 

孔の空いた円に切り込みをいれて、切った部分を持ち上げると、ほぼこのかたちになるが、素材に伸び縮みがないとすると、そうはならない。このベンチの理想的な幾何モデルとなる「常螺旋面(right helicoid)」は、可展面(平面から変形可能な面)ではない。切り込みをいれた孔の空いた円を、なるべく面を水平に近く保つようにして、この方法で曲面にしようとすると、途中で大きく曲率が変わる曲面になってしまう。面を伸び縮みさせずに、よりなめらかな曲面とする方法は、面を円錐状に変形させ、末端をやや重ね合わせるようにして、縁をなめらかな弦巻線にすることだ。それは、弦巻線の接線の軌跡である「類似螺旋面(helical convolute)」という曲面となる(はず)。

helical convolute


と、考えていて、ふと思った。マカロニ、というかパスタに螺旋面状のものがある。フッジリと言われるものだ。漠然と、螺旋面だと思っていたが、はたして、それはたしかだろうかと。で、気になって、スーパーで買ってきた。中心に孔(基本の弦巻線が巻きつく円柱)はないものの、面は円錐状になっていて、常螺旋面より類似螺旋面に近いのであった。(下図:左:類似螺旋面、右:常螺旋面)

らせんマカロニ(フッジリ)


まいまいず井戸2017/04/24 21:48

日曜日、府中市郷土の森博物館の学芸員の佐藤智敬さんの誘いで、府中市郷土の森で折り紙教室の講師を担当した。以前、同博物館の「お稲荷さんの世界」展を観に行ったさいにできたちょっとしたつながりである。学芸員というのは、研究者でもあるわけだが、いろいろとアンテナを張って、幅広く頑張っているなあと感心する(某大臣の難癖とは違って)。

府中市郷土の森は、博物館の建物内だけではなく、野外の展示もある。私的な見どころとしては、「まいまいず井戸」の復元がある。らせん好き(ってなんだかよくわからない属性だが)なら見逃せない物件である。「まいまい(ず)」はカタツムリのことで、井戸に向かう道が、らせん状になっているのだ。
まいまいず井戸

郷土の森のこの井戸は、府中市内の別の場所で見つかったものを復元したものだが、本物としては、羽村市の駅前に、昭和30年代まで現役だったものがあり、これも、以前見にいったことがある。そこにある案内板には、「鑿井技術の未発達の時代に筒状井戸の掘りにくい砂礫層の井戸を設ける必要から、このような形態をとるにいたった」とあった。

この形態の井戸を指すとものとして、「ほりかねの井」という言葉もある。歌枕として、埼玉県入間市の堀兼神社の境内にある井戸のことだが、そもそもは「掘り難い」の意味で、武蔵の国周辺に多いこの井戸のかたちを指す言葉であるともされる。三十六歌仙のひとりである伊勢の読んだ以下の歌が、一番古いらしい。

いかてかと思ふ心は堀かねの井よりも猶そ深さまされる

上に「らせん好き」と書いた。別のところにも書いたことがあるが、らせんということばはけっこうややこしい。螺と螺で、DNA的な「弦巻線」と、蚊取り線香的な「渦巻線」を区別することもあるのだが、かならずしも一般的ではない。そして、この井戸の道のかたちは、弦巻線とも渦巻線ともすこし違ったconical helix(円錐弦巻線)である。弦巻線が、円柱にそったものであるのに対して、これは円錐にそっている。弦巻線と渦巻線の双方の特徴を持ったかたちとも言えなくもない。
conical helix

まいまいず井戸的なものといえば、野辺山宇宙電波観測所の展示室にあるブラックホールの玩具の、ボールの軌道もそうだ。この曲面は円錐ではなく、Flamm's Paraboloidと呼ばれる曲面だが、ボールのたどる軌道は、まいまいず井戸的である。
ブラックホール玩具

というわけで思いついた、伊勢の歌の現代物理学版が以下である。

いかでかと思う心は重力の井よりもなおぞ深さ勝れる

どうしてだろうと思う心は、重力井戸より深い。
なんか、かっこよいではないか。ちなみに「重力井戸」という用語は、物理学や天文学の用語というよりは、SF用語的なものだが、じっさいにある言葉だ。

そう言えば、先日読んだ『麗しのオルタンス』や、読み始めた『誘拐されたオルタンス』(ジャック・ルーボー著、高橋啓訳)に登場する、架空の国「ポルデヴィア」には、らせん崇拝があり、カタツムリが重要な動物とされているのであった。この国の井戸は、まいまいず井戸が相応しいだろう。

府中市で折り紙教室など2017/04/16 09:16

◆府中市で折り紙教室
4/23(日)13:00-15:00、府中郷土の森ふるさと体験館で、折り紙教室を担当します。府中郷土の森博物館は入場料が必要ですが、教室自体は無料です。

◆春まだ浅き
4/14NRO
(4/14の写真)
み山には松の雪だにきえなくに宮こはのべのわかなつみけり
(深山には松の雪だに消えなくに都は野辺の若菜摘みけり)
『古今和歌集』よみびと知らず

◆『数学セミナー』
『数学セミナー』5月号に、三谷純さんが、拙著『折る幾何学』の書評を寄せている。「近代折り紙の、新しく自由な世界が本書の中に凝縮されている」などと書いてあって、恐縮した。

『数学セミナー』5月号では、数学オリンピック金メダリストの中島さち子さんが、数学オリンピックを舞台にした青春映画『僕と世界の方程式』について、円城塔さんが『僧正殺人事件』などについて書いていた。今期からの『数セミ』は、こういう数学周辺情報を積極的に載せるようになっている。

『僕と世界の方程式』は、わたしも観た。主人公のネイサンより、脇役ルークの「僕には数学しかないのに」と思いつめた姿が胸につまされた。人間ドラマ中心で、数学の魅力や数学をからめたジョークなどはそんなに描かれていないけれど、以下の会話などはにやにやした。(うろ覚えで書いている)

マーティン(教師)「14の特徴は?」
ネイサン(少年)「自然数。ポジティブ・インテジャー(正の整数)」
マーティン「そう、ポジティブに、自然にってことさ」

ほぼどんな数字でも使えるけれどね。

いっぽう、『僧正殺人事件』である。少年の頃に読んで最も面白かったミステリは、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』と『僧正殺人事件』だった。評判の高い◯◯◯◯・◯◯◯◯の『◯の◯◯』を、『グリーン家殺人事件』の直後に読んで、「なんだ。グリーン家のまねじゃん」と思ったことを鮮明に覚えている。その後、大学2年のとき、「(化学科、物理科の)新入生にひとこと」といった企画で、次のように書いた記憶もある。
「入学おめでとう。君もこれで、青酸カリウムや放射性物質で遊べるぞ。僧正」
科学者が主要人物として登場する『僧正殺人事件』をネタに、ブラック・ジョークを気取ったもので、わかるひとにはわかるだろうという、お年頃らしい「ひけらかし」である。しかし、数十人の新入生の中に、ミステリ好きがいた可能性はきわめて低いので、ひとり相撲である。ちなみに、大学での危険物の管理は厳格であり、明確にジョークとして通用していた。念のため。それにしても、わたしはなんで大学で、ミステリ研(的なもの)にもSF研にもはいらなかったのだろう。心情が思い出せない。

『僧正殺人事件』をネタにということでは、10年ぐらい前に、山田正紀さんの『僧正の積み木唄』というミステリがあった。面白い趣向で、一気に読んだが、いくら疑似科学と断っても本職の物理学者があの数式はないだろう、あのミスディレクションは『僧正』の肝なのに...などとも思った。ただ、本作は『僧正殺人事件』へのオマージュというより、金田一探偵オマージュで、金田一ものを改めて読んでみたくなり、何冊か読んだ記憶もある。読者にそう思わせるのは、作者にとって「金田一もの」がただのネタではないということだ。

円城さんがほかに紹介していた、ジョルジュ・ペレックと、ジャック・ルーボーは読んでいない。面白そうなので、昨日、ジャック・ルーボーの邦訳を3冊買ってきた。
読みたい本がたまって困る。

◆「その官僚は、はじめから終わりまで一言も何も言っていないのと同じであった」
前にも書いたけれど、国会の「官僚的」な答弁を聞くと、太宰治の『家庭の幸福』を思い出す。この小説は、ちょっとした『教育勅語』のパロディー的な文章もあって、妙に同時代的である。70年も前の小説なのに。

◆4価のゴールドバーグ多面体
ニュースを見落としていたけれど、昨年の『Nature』12月22日号に載った論文で、フラーレンとは違うタイプの多面体構造の分子の発見が報じられていた。プレス発表はここにある。この多面体は、四角形と三角形から構成され、頂点に集まる辺の数が4である。なお、それらの多くは、四角形が平面図形ではなく、「ねじれ四角形」になる。

笠原邦彦さんのブログなど2017/04/09 20:36

◆笠原邦彦さんのブログ
笠原邦彦さんがブログを始められた。まだ一週間ぐらいなのに、充実した内容で、更新も早いので、感嘆しながら読んでいる。「クニ オリガミ プラス」

◆『オリガミの魔女と博士の四角い時間』再放送
4/29に、『オリガミの魔女と博士の四角い時間』第1回の再放送がある。夏ごろまで、あと2回ずつくらい再放送する予定とのことである。

◆双苞水芭蕉(ソウホウミズバショウ)
双苞水芭蕉
先週の日曜日、山梨県笛吹市の藤垈(ふじぬた)に寄って、水芭蕉を見てきた。水芭蕉の苞(ほう:花びらみたいに見えるもの)は、通常ひとつなのだが、これがふたつになっている変異体があった。おっと思ったが、そんなに珍しい変異ではないらしい。長野県の白馬村落倉に多いので、オチクラミズバショウともいうのだそうだ。変異の確率は四つ葉のクローバーと同じぐらいのような気がするので、見つけたひとは幸運になるという話を広めてはどうだろうか。ちなみに、四つ葉のクローバーは1万分の1ぐらいの確率という。いっぽう、藤垈のこれは、約3000株の一例(しかも、つぶさに見たわけではない)なので、確率はなんとも言えないのだが。

◆新潟旅行
先週の土曜日、新潟に行って、いくつか建築などを見てきた。

・新発田カトリック教会(新潟県新発田市、アントニン・レイモンド設計)
新発田カトリック教会
折板構造建築の傑作・群馬音楽センターなどで知られる、アントニン・レイモンド(1888-1976)設計の教会である。木と煉瓦による構造もさることながら、切り紙の和紙を貼った「ステンドグラス」がなんともチャーミングだ。これは、アントニンの妻ノエミ・ペルネッサンのデザインらしい。

・蕗谷虹児記念館(新潟県新発田市、内井昭蔵設計)
蕗谷虹児記念館
同じく新発田市にある蕗谷虹児記念館のタイルもすばらしかった。縮小しながら中心に向かう正方形の列! 同館では「乙女たちの夢とあこがれ 蕗谷虹児・中原淳一・松本かつぢ展」が開催中(6/15まで)で、折り紙の絵もあるかも、とちょっと期待したのだが、蕗谷虹児の「てるてるぼうず」の画面の片隅に折り紙とハサミがあったぐらいだった。なお、松本かつぢの絵は、高野文子さんの『おともだち』など画風の元祖だった。

・新潟ふるさと村(新潟市西区)
新潟ふるさと村
多面体のドームとか、オクテットトラスとか、1970年の万国博覧会を思い出した。万国博覧会、行ってないけれど。

・信濃川大橋近くの電波塔(新潟市西区)
信濃川大橋近くの電波塔
アンテナ塔から変なものがたくさん突き出していた。鳥除けだろうなと思いながらも確信は持てなかったのだが、その後、アンテナの専門家に写真を見せて、鳥除けで間違いないね、という見解を得た。

◆恵贈にあずかった本
穂高明さんから『むすびや』、綾辻行人さんから『人間じゃない 綾辻行人未収録作品集 』をいただいた。読む前からわかっていたけれど、作風が違いすぎて、これをほぼ続けて読んでいるひとはわたしぐらいなんじゃないか、などと。

◆詰将棋
文庫で再刊された、詰将棋が題材の竹本健治さんの『将棋殺人事件』を読んでいて、以前、詰将棋の話を書いたことを思いだした。1994年、『折紙探偵団新聞』に書いたエッセイで、以下は、その冒頭部分の引用である。

 「手順の構成美」「配置の簡潔美・自然美・象形美」「パズル性を含んだ難解巧妙な作品」「趣向の持つ叙情や浪曼性」「数学的才能と芸術的才能」「誰もが手を出してみたくなる」「クラシック作品」「無駄を省く、不純を省く、簡素化する」「好ましい意外性と驚き」「すでに完成された作品に関する知識」… 
 以上は、コンピュータ雑誌「bit 」92年10月号に載った「詰将棋・詰チェスにみる知的作品の美」(井尻雄士氏)からの引用である。コンピュータ雑誌に載った以上、システム設計やプログラム作成に関連づけた話なのだが、ご覧のように「我々」にもけっして無縁の話ではない。本格ミステリ作家、ゲームデザイナー等々、この文章に首肯する向きは多々あろうが、「我々」以上にピッタリくるのは「詰将棋・詰チェス」を除けば、たぶん「詰碁」ぐらいなものだろう、と詰まらない冗談が言いたくなるほど、ここで述べられているのは「我々」のことだ。
(『折紙博物誌』(第一部)より)

◆伝統と言うけれど
折り紙や和算が、日本の伝統と文化のなんとかというネタにされても、うれしくないというか、警戒するというか、煩わしく感じる。なんてことを考えたのは、最近、「伝統」の記号として引っ張り出された和菓子屋さんの心中を忖度したためである。(「忖度」の正しい用例) 

知性の自律的な活動なしには、新しい伝統となるべき文化の創造はもとより、旧い伝統が文化として存在するということも考えられないであろう。
(『哲学ノート』1941、三木清)
三木清は、1945年6月、政治犯を匿ったとして治安維持法で拘留され、終戦後の9月26日、劣悪な衛生環境の刑務所で46歳で獄死したひとである。

オリヅルランの花など2017/03/26 21:51

◆オリヅルランの花
オリヅルラン
自宅のオリヅルランが花をつけている。「折鶴蘭」の命名の由来は、ランナーの先の子株を、糸に下げた折鶴に見立てた、ということらしいが、命名に関する一次文献は見つけることができていない。明治時代に園芸種として渡来したようなので、園芸商の命名ではないかと思っている。なお、糸でつなぐタイプの「千羽鶴」や、折鶴を糸で下げて飾ることもそんなに古いことではないと考えられる。『智恵子の紙絵』(高村光太郎)の記述や、祖母から昔聞いた話などから、大正-昭和初めにはあったことは間違いないが、明治初期にあったどうかはわからない。木綿糸が安価に手にはいるようになってからのことではないだろうか。

◆ドット絵
ドット絵
近くで見ると何だコレ(写真左)だが、遠くからはちゃんと見える(写真右)。ただ、これをそのまま看板に使ったのはあんまりだと思う。

突然五七五七七2017/03/22 22:25

頂法寺(六角堂)

わが思う心のうちは六の角ただ円かれと祈るなりけり
頂法寺(六角堂)詠歌

先週末、折紙探偵団関西コンベンションに参加したさい、京都の六角堂を初めて参詣した。献灯台とロウソク入れも六角形だった(写真下)が、消防水栓のカバーは八角形だった。写真右上は、京都の中心と言われる境内の「へそ石」である。

観測所の雪(3/22)

うつつにしもののおもいを遂ぐるごと春の彼岸に降れる白雪
斎藤茂吉
(この世界で、なにかの願いをかなえるかのように、春の彼岸に降る雪だ)