南畝と共古と道祖神祭りの菱餅 ― 2009/03/08 00:21

WBC(野球)を気にしつつ、帰路の電車内で読むと、なんと、ついせんだって思いをめぐらした菱餅と、かねてより気になっている道祖神をつなげる記述に遭遇して、おおっとなった。
駿州沼津道祖神祭りおんべ竹、(中略)、其の時(引用者注:おんべ焼き(どんど焼き)のとき)戸毎の若者手に手に青竹の先を割りてひし餅をはさみ、橙を先につらぬき餅の落ぬ様にしたるを、皆々鎗の如く荷ふて浜辺へゆく。この竹に書初の紙を結び付て来るもあり。これはおんべ焼の時に火中に入れ、火勢により、高く上るを見て手が上るとて喜ぶ。(『共古随筆』内『土俗談語』山中共古著)
絵も書いてある(写真)。道祖神祭りでは、「ループアンテナ」状の飾りのように、象徴図形として菱形が使われることはあるが、この菱餅は、飾りの菱形が「女性」を象徴するとされるのとは異なり、山中翁も書いているように「鎗」を思わせるものである。道祖神祭りを見たさいなどに、丸い餅花を見たことは何度かあるが、ひし餅が使われたこともあるわけだ。上巳の節句(雛祭り)の菱餅とは関係がないようでもあり、あるかもしれず、いずれにせよ、興味深い。
ほかにも、まだ読み始めたばかりだが、狂人塚と称する、妻が不義をはたらいたことで狂気に走った男が40年間かけてつくった高さ二間半(約4.5m)の石のピラミッド(駿河国富士郡沼窪村)など、わたし好みの(?)話題が多い。共古先生、明治の南畝である。
なお、例会と会議に出る前には、日本折紙学会事務局からほど近い本念寺に、南畝の墓を掃苔した。周囲の塔婆・墓石を圧するうすらでかい墓石だったが、南畝大田先生之墓とのみ刻まれただけののっぺりした直方体が、奇妙な雰囲気をただよわせていた。
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