菱持ち知恵の板その22009/03/06 00:23

菱持ち知恵の板その2
 今日も、野球を観ながら、「菱持ち知恵の板」で、いくつかかたちをつくってみた。「水滴」と「菜切包丁」がお気に入りだ。
 なお、昨日の図の「L」を「曲尺」に、「Apple Computer」を「Apple Inc.」に、名前を変更した。「曲尺」は、つい先だってこのブログで話題にしたので、当然この名であった。「Apple Computer」は、会社名からずいぶん前に「Computer」がなくなっていたのを忘れていた。

稲荷神社2009/03/06 00:24

稲荷神社
 内容を確認していないが、『折紙探偵団』の掲示板によると、つい最近出版された『京都「お守り&数珠」手帖』(PHP研究所編著)に、京都山科の折上稲荷神社の折り紙キツネのお守りが載っているらしい。
 このお守りは、オリガミという名に惹かれて同神社を参拝した(写真右下)さい、宮司のかたと知り合い、その後、わたしの創作作品の折り方を伝えた、という「由来」を持つものである。工程としては40〜50と、そんなにすらすら折れるモデルではなく、心を込めて折っている宮司さんの思いが伝わるお守りだ。宮司さんからは、日本折紙学会の吉野一生基金にも寄付をいただいている。

 それで、というわけでもなく、わたしは、以前から、稲荷神社が好きである。最近は、武蔵国都筑郡(神奈川県北部、東京都南部近辺)の杉山神社や、道祖神に関係の深い椿神社や猿田彦神社にも興味があるのだが、それは、言ってみれば、民俗学的な興味である。稲荷神社に関しても、江戸期の流行神(はやりがみ)の世俗的な雰囲気を残しつつ、かつ、ある種の自然崇拝であることなど、民俗学的な興味はあるのだが、単純に、赤いヴィジュアルや狐の造形が好きなのである。ちなみに、わたしは油揚げが大好物でもある。

 1年ぐらい前に読んだ『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節著)という本は、面白かった。高度経済成長期の1965年頃を境にして、狐に騙されたという話が聞かれなくなった、ということについて書かれた本である。この国に住むひとびとの世界観が最も大きく変わったのは、明治の近代化でも、第二次世界大戦でもなく、高度経済成長期であったということは、ほかでも聞かれる論旨で、たしかにそんなことがあるのではないかと思う。

 などと、お稲荷さんや狐の話を書いているのは、『京都「お守り&数珠」手帖』のほかに、先日の日曜日、初めて王子稲荷神社に行ってきたからでもある。紙細工の玩具・「暫狐」(歌舞伎の暫の恰好をした狐)を買うという目的もあったのだが、これは売り切れで残念だった。狐穴や、持ち上げたときの重さで神意をはかる「願掛け石」、拝殿の天井絵など、見所も多く、思っていたとおり、雰囲気のある神社だった。中でも惹かれたのは、垂れ目のお狐さんだ(写真右上)。狐はふつう「狐目」なのに、みごとまでに垂れ目なのだ。

 いま住んでいる多摩の近場では、小金井市東町の笠森稲荷神社(写真左下)もよい。京都の伏見稲荷や東伏見稲荷神社も立派でよいのだが、稲荷神社は小祠も似合う。その、小金井の笠守稲荷は、大阪にある笠森(守)稲荷神社が江戸にいくつか勧請された社のひとつであると思われる。笠森稲荷は、「かさ」の音が「瘡」に通じることから疱瘡や皮膚病除けの流行神として知られている。いまでも奉納鳥居や陶製の狐、絵馬などが多くて信仰が厚そうなのは、アトピー性皮膚炎などの快癒を願うひとが多いからかもしれない。伏見の千本鳥居とまではいかないが、奉納鳥居のトンネルもある。
 町を歩くと、屋敷神など、稲荷の小祠もよく見かける。稲荷神社は、狐の巣穴があった場所にある場合も多い。路地裏に隠れるようにしてある祠を見ると、ほんのすこし前には、ここにも狐がいたのだろうかなどとも思う。

岡太神社の形代2009/03/06 22:56

形代
 先日の日曜日に王子に行ったのは、紙の博物館で開催中の「紙と神展」(3/8まで)を見るためでもあった。展示資料のなかでまったく初見だったのは、越前(福井県)今立町にある岡太(おかもと)神社の、大祓の形代(かたしろ:人形(ひとかた):写真右)だった。記録に遺る日本への紙の伝播は、推古天皇十八年(610年)であるが、岡太神社はそれより100年前に製紙法を伝えたとされる川上御前という女性を祀る古社である。いわば、紙の神様なので、何年か前に参拝したこともある。しかし、大祓の神事は、六月と十二月の晦日に行われるものなので、このような形代があることは知らなかった。
 この形代がいつごろからあるものなのかは不明で、また、形代のタイプを詳しく調べているわけでもないのだが、珍しいもののように思う。よく見るのは、上(左)にイラストとして描いたものなのだが、岡太神社のものは、「正方形に切り込みを入れて折ること」でつくられているのである。伏見神宝神社の叶雛(かなえびな)や、陰陽道系の人形幣などとも異なる造形である。似たものはあるが、正方形は珍しい。なお、博物館内は撮影禁止だったので、写真はメモしてきたものからつくったレプリカである。色もこんな感じだった。