月球儀とアポロ11号2019/02/11 16:15

今年は、アポロ11号の月面着陸から50年で、それを描いた『ファーストマン』という映画も公開されている。
月球儀
写真は、姫路科学館の安田岳志さんが作成した、アポロ11、12、14 - 17号の着陸地点を示した月球儀である。同館のイベントなどで使われる予定と聞いている。ベースになった2枚組みの立方八面体が、わたしの『折る幾何学』に掲載されている「地球儀」を元にしたものなのだ。アポロ計画といえば、先日読んでいた香川ヒサさんの歌集に、こんな歌があった。

飛行士の足形つけてかがやける月へはろばろ尾花をささぐ

萬葉の昔から歌に詠まれてきた月に、消えることのない足跡がついてるというのは、かえって一種の風流だ。古人は想像していなかったことだが、古人といわずとも、1932年、『月と人』という随筆(柴田宵曲、『団扇の画』岩波文庫収録)にも、こう書かれている。

近代人と月の関係について、もう一つ考慮すべきことはいわゆる科学思想の普及である。死灰の如き一衛星として見る月は、自(おのず)ずから古人眼中の月と異らなければならない。或る人がいったように、菜圃(さいほ)に翩々(へんぺん)たる蝶も、その卵を産みつけに来るのだと思えば、むしろこれを追払う必要があるかも知れないが、世の中はそれほど行詰らずとものことである。いくら月の正体を究明したところで、南極や北極のように探検するわけには行かないから、「人(ひと)明月の攀(よ)ずること得べからず」ことに変わりない。柳は緑、花は紅と見るのが禅家の面目であるならば、月はただ月として見たらどんなものであろう。

ひと明月の攀ずること得べからず」というのは、李白の『把酒問月』(酒を把つて月に問ふ)の一節である。一千年以上前の詩人が月を見上げたとき、それはたしかに遥か手の届かない天空にあった。しかし、この詩句を引用した随筆からわずか37年後、人は月に「攀じ登り」、実地で死灰の如き衛星を探検した。

1930年代は、のちにアポロ計画の重要人物となるフォン・ブラウンが、ロケットの飛行を成功させた年代であり、ツィオルコフスキーが宇宙旅行の科学的な夢を描いたのはそのさらに30年前である。人類は、宇宙に手を伸ばしつつあった。とは言え、宵曲居士の想像力が足りなかったということを強調しようとして、上の文章を引用したかったわけではない。20世紀初頭の技術の発展の速さに驚くのである。

飛行機の発明がそのわずか30年ぐらい前だというのに、第二次世界大戦では、V2ミサイルが迎撃不可能な超音速で街を襲い、そこから25年後に月に人を送った。これは、なかなか想像ができるものではない。先見の明のあった科学者でもそうだったと思われる。たとえば、寺田寅彦の『天災と国防』(1934)という随筆がある。これは、いま読んでもきわめて示唆に富む内容だが、そこに、「太平洋上」の「浮き観測所」が「五十年百年の後にはおそらく常識的になるべき種類のこと」との記述があり、別の意味で考えさせられる。洋上の観測はいまでも海洋気象ブイなどで重要だが、一面でこの記述は、さすがの寅彦も気象衛星による観測を想像していなかった、とも読めるのだ。

1969年、わたしは、理科少年だったので、月着陸船のプラモデルをつくり、少年少女向けのフォン・ブラウンの伝記を読んだ。伝記は、宇宙旅行に憧れたフォン・ブラウンが、それを一心に追い求めたことを強調していたが、V2開発への関わりの記述もあった。それを読んだわたしは、ロケット開発のきっかけのひとつは兵器開発にあったのかと、日本軍の兵器として生まれた『鉄人28号』に重ねあわせて、複雑な気持ちになった。同じころ、石森章太郎さんの『サイボーグ009』を読んで、そこで語られる宇宙開発が戦争と深く関係しているという話にも、少年ながら蒙を啓かれた。

映画の『ファーストマン』では、星条旗を立てるシーンがないことに、愛国者たちが文句を言っているそうだ。アポロ11号が立てた星条旗では、必ず思い浮かべる言葉がある。わたしがそれを読んだのは、月着陸からさらに10年以上たってからであったが、花田清輝さんの書いた『月のいろいろ』というエッセイの結びの言葉である。

べつだん、わたしは、月ロケットを打ち上げることに反対ではない。ただ、わたしは、わざわざ、月まで出かけていって、国旗をたててくる習慣だけはやめたほうがいいような気がしてならない。それでは、せっかくの月が、お子様ランチに似てくるではないか。

朝ドラの話など2018/04/27 21:03

第十二話が、明日4月28日、22:45-23:00に放送される。
博士役の滝藤賢一さんは、朝ドラ『半分、青い。』にも出演中で、その宣伝もあってか、今朝のインタビュー番組にもでていた。その中に、自宅で折り紙を折るシーンがあったが、画面にちらっと映った図はわたしのものだった。滝藤さんは、作中で折るモデルをきちんとマスターする勉強家なのである。

◆朝ドラの話
その朝ドラの高校生の部屋に、大十二面体と小星型十二面体が置いてある。このモデル、色が同一面で同じになっている。よくできている。

大十二面体は12個の正五角形、小星型十二面体は12個の五芒星が、対称的に交差してできた多面体である。しかし、できあがったかたちは、60個の三角形の面が見え、交差した面はわかりにくい。面の交差という構造を示すためには、色分けを使うとよいのだ。
大十二面体と小星型十二面体

大十二面体のモデルは、拙著『折る幾何学』にも載っている。ただし、「大十二面体外殻」として、名前には「外殻」をつけた。これは、やはり、面の交差にはなっていないからである。内部の面はないのだ。ただ、やや変わった対称性を用いたので、面白いモデルになったと自負している。「『折る幾何学』型紙選集」にもはいっているので、パズルとしてどうぞ。

また、この朝ドラの主人公の少女は、片耳が聞こえない。じつは、親戚にも同じ障碍のひとがいる。視力低下によって幻覚が見えるシャルル・ボネ症候群というものがあるが、それの聴覚版の、聴覚性シャルル・ボネ症候群なるものもあって、幻聴として、音楽が聞こえたりもするらしい。親戚の女性も、小さいころ、いわゆる霊感が強いと言われていたという。なお、彼女は、長じて耳鼻科の医師になった。

姫路科学館の「火星儀」工作の詳細2018/04/24 12:35

ひとつ前の記事に書いた姫路科学館のイベントの詳細です。
・場所:姫路科学館
・内容:折り紙技法による火星儀製作
・日程:4月28日、5月6日、それぞれ13:10と14:30の2回
・各回先着10名、開館時から先着順、参加費無料
・図版製作:安田岳志@姫路科学館、図版協力:前川淳
(なお、わたしは、残念ながら現地にはいません)

ひとつ前の記事の写真の火星儀は、NASAのバイキングのデータによるものだが、惑星気象科学の先駆者・宮本正太郎さん(1912-1992)による「宮本火星儀」を元にしたバージョンもある(写真下)。1964年のマリナー4号に始まる飛翔体観測より前の、地上という井戸の底からしか観測ができなかった時代のものだが、なんというか、とても「火星らしい」。極冠(北極と南極にある氷結した二酸化炭素と水)は地上からも白く見えるのにそう描いていないが、これは、季節変化があるためだろう。
火星儀(宮本正太郎版)

上の写真で、火星儀の下にあるのは、『宮本正太郎論文集』の『The Great Yellow Cloud and The Atmosphere of Mars』(1957)という論文である。1956年に発生した大黄雲(大規模な砂嵐)の観測を記したものだ。大黄雲は、地球から観測される火星全体がぼんやりとなってしまうほどの巨大な大気現象で、10-20年に1度ぐらいに起きている。前兆現象は捕えられるが、カオス的な現象なので、予測は困難だという。

イベント紹介2018/04/22 08:18

◆姫路科学館の火星儀
火星儀(姫路科学館)
姫路科学館のスタッフが『折る幾何学』掲載の「地球儀」をもとに火星儀を製作しました。
GW中の4/28と5/6に来館者にむけてワークショップをするということです(詳細は未確認)。
今年は、夏から秋にかけて火星が大接近(最接近は7/31)します。

◆オープンアトリエ
オープン・アトリエ
5/1(火)から5/6(日)まで、山梨県北杜市大泉町にあるアトリエ(プライベート・ギャラリー)を公開します。
日程:5/1(火)- 5/6(日)
時刻:10:00 - 16:00
場所:山梨県北杜市大泉町西井出 ペンション・レキオの近く
お気軽にお立ち寄りください。

『数学セミナー』のツイッターアイコンなど2018/03/28 21:32

第11話が3月31日22:45-23:00に放映。なんと、4月以降も継続である。

繁体漢字版の『折る幾何学』である『摺紙幾何學』が出版間近だ。簡体漢字版も出る予定である。ふつうの折り紙の本ほど売れないと思われるのは、著者としてやや心苦しいが、類書は少ないので出版する意味はある(はずだ)。台湾や中国のひとで、ここを読んでいるひとはいないと思うけれど、よろしく。

台湾のネット書店にある著者紹介などの記述は、漢字文化圏の者として意味がわかるのだが、「白髪三千丈」的な誇張した表現のように見えてしまう。「ソフトウェア技術者」を「軟體工程師」と書くのも面白い。ウェルズの火星人やヨガの先生を思い浮かべてしまった。

『数学セミナー』のツイッターのツイッターのアイコンに、日本評論社のマークのパロディーとしてつくった「折紙評論社」のマーク(『折る幾何学』に掲載)を使わせてくださいという話がきたので、快諾した。『数学セミナー』では「数学短歌の時間」という連載が始まっていて、わたしも何首か投稿した。

◆世相からフィクションを連想する癖
ニュースで見る役人のあれこれから、例によって、太宰の『家庭の幸福』を連想したが、松本清張氏の小説世界のようでもある。

かわいそうなのは、その下で忠勤を励んで踏台にされた下僚どもです。上役に目をかけられていると思うと、どんなに利用されても感奮しますからね。(『点と線』)

ステロタイプな描写だとも思うのだが、どうやら現実もこんな感じらしいのでおそろしい。

ちなみに、いま手元にある古い『点と線』には、青函連絡船の乗船カードがはさまっている(若干のネタバレ)。これを読んだとき、北海道旅行に行くという兄に頼んで入手したもので、いまやこれ自体が貴重なものかもしれない。
『点と線』

あらためて読むと、「下僚ども」という表現もなかなか強烈で、ゴーゴリの『外套』を思い出した。『外套』の主人公である、風采の上がらない下級官吏アカーキイ・アカーキエウィッチは、凡中の凡たる人物として造形されているが、文書清書係のアカーキイがふとしたことから秘密を知ってしまう、巻き込まれ型サスペンス『清張風 外套』なんてどうだろう。

凡中の凡と書いたが、学生時代にこれを読んだとき、徹底的に冴えないアカーキイ・アカーキエウィッチには、身につまされ共感したのみならず、見習うべきなのではないかとも思った。彼は、定職を持っているし、それが心から好きで、なにより正直なのだ。彼が正直たりうるのは、孤独で、守るべきものが彼自身だけだったからでもあるが、その正直さには曇りがない。物語の冒頭近くで若い同僚を変えるのも、この美点によるものだ。

◆善管注意義務
『外套』のアカーキイ・アカーキエウィッチの正直さは「善良」と言い換えることもできる。この「善良」なる言葉が、法律用語にも出てくることを知って、へぇと思ったことがある。「善良な管理者の注意義務」、略して「善管注意義務」である。民法400条などに出てくるもので、一般的なモラルを意味する概念らしい。民法400条を巡って「善とは何か」を争う、西田哲学みたいな裁判があったりしたら面白い。

府中市で折り紙教室など2017/04/16 09:16

◆府中市で折り紙教室
4/23(日)13:00-15:00、府中郷土の森ふるさと体験館で、折り紙教室を担当します。府中郷土の森博物館は入場料が必要ですが、教室自体は無料です。

◆春まだ浅き
4/14NRO
(4/14の写真)
み山には松の雪だにきえなくに宮こはのべのわかなつみけり
(深山には松の雪だに消えなくに都は野辺の若菜摘みけり)
『古今和歌集』よみびと知らず

◆『数学セミナー』
『数学セミナー』5月号に、三谷純さんが、拙著『折る幾何学』の書評を寄せている。「近代折り紙の、新しく自由な世界が本書の中に凝縮されている」などと書いてあって、恐縮した。

『数学セミナー』5月号では、数学オリンピック金メダリストの中島さち子さんが、数学オリンピックを舞台にした青春映画『僕と世界の方程式』について、円城塔さんが『僧正殺人事件』などについて書いていた。今期からの『数セミ』は、こういう数学周辺情報を積極的に載せるようになっている。

『僕と世界の方程式』は、わたしも観た。主人公のネイサンより、脇役ルークの「僕には数学しかないのに」と思いつめた姿が胸につまされた。人間ドラマ中心で、数学の魅力や数学をからめたジョークなどはそんなに描かれていないけれど、以下の会話などはにやにやした。(うろ覚えで書いている)

マーティン(教師)「14の特徴は?」
ネイサン(少年)「自然数。ポジティブ・インテジャー(正の整数)」
マーティン「そう、ポジティブに、自然にってことさ」

ほぼどんな数字でも使えるけれどね。

いっぽう、『僧正殺人事件』である。少年の頃に読んで最も面白かったミステリは、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』と『僧正殺人事件』だった。評判の高い◯◯◯◯・◯◯◯◯の『◯の◯◯』を、『グリーン家殺人事件』の直後に読んで、「なんだ。グリーン家のまねじゃん」と思ったことを鮮明に覚えている。その後、大学2年のとき、「(化学科、物理科の)新入生にひとこと」といった企画で、次のように書いた記憶もある。
「入学おめでとう。君もこれで、青酸カリウムや放射性物質で遊べるぞ。僧正」
科学者が主要人物として登場する『僧正殺人事件』をネタに、ブラック・ジョークを気取ったもので、わかるひとにはわかるだろうという、お年頃らしい「ひけらかし」である。しかし、数十人の新入生の中に、ミステリ好きがいた可能性はきわめて低いので、ひとり相撲である。ちなみに、大学での危険物の管理は厳格であり、明確にジョークとして通用していた。念のため。それにしても、わたしはなんで大学で、ミステリ研(的なもの)にもSF研にもはいらなかったのだろう。心情が思い出せない。

『僧正殺人事件』をネタにということでは、10年ぐらい前に、山田正紀さんの『僧正の積み木唄』というミステリがあった。面白い趣向で、一気に読んだが、いくら疑似科学と断っても本職の物理学者があの数式はないだろう、あのミスディレクションは『僧正』の肝なのに...などとも思った。ただ、本作は『僧正殺人事件』へのオマージュというより、金田一探偵オマージュで、金田一ものを改めて読んでみたくなり、何冊か読んだ記憶もある。読者にそう思わせるのは、作者にとって「金田一もの」がただのネタではないということだ。

円城さんがほかに紹介していた、ジョルジュ・ペレックと、ジャック・ルーボーは読んでいない。面白そうなので、昨日、ジャック・ルーボーの邦訳を3冊買ってきた。
読みたい本がたまって困る。

◆「その官僚は、はじめから終わりまで一言も何も言っていないのと同じであった」
前にも書いたけれど、国会の「官僚的」な答弁を聞くと、太宰治の『家庭の幸福』を思い出す。この小説は、ちょっとした『教育勅語』のパロディー的な文章もあって、妙に同時代的である。70年も前の小説なのに。

◆4価のゴールドバーグ多面体
ニュースを見落としていたけれど、昨年の『Nature』12月22日号に載った論文で、フラーレンとは違うタイプの多面体構造の分子の発見が報じられていた。プレス発表はここにある。この多面体は、四角形と三角形から構成され、頂点に集まる辺の数が4である。なお、それらの多くは、四角形が平面図形ではなく、「ねじれ四角形」になる。