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白き鳥の嘴と脚と赤き しぎの大きさなる 水の上に遊びつつ魚を食ふ 京には見えぬ鳥なれば みな人見知らず 渡し守に問ひければ これなむ都鳥と言ふを聞きて
名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり
『伊勢物語』のこの段、都鳥の名で京を偲ぶ話は有名だけれど、あらためて考えると、「京には見えぬ鳥」(みやこにはいない鳥)が、なぜ都鳥という名前なのか、謎である。実は、渡し船の船頭さん、適当なこと言ったんじゃないの。
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先日、塚本邦雄さんの
『秀吟百趣』を読んでいて、この疑問がぶりかえした。同書に、富安風生さんの句「
昔男ありけりわれ等都鳥」が挙げられており、その「本歌」である
『伊勢物語』のこのくだりが「
簡潔で意を盡した文は絶品に近い」と絶賛されていたのだ。しかし、やはりわたしは、上の疑問が解消できないので、古典中の古典と言っても、すんなりと鑑賞できないのであった。
この問題に関して、平安時代の坂東では、鴎のたぐいを総じて「みやこどり」と言っていたのではないか、という説がひらめいた。なぜそう呼ぶのか。
「みゃーこ」と鳴くからである。あはは。ウミネコが、その名のごとく猫のような声でなくのはよく知られたことだが、調べてみると、都鳥の正体とされるユリカモメも、やや濁っているが、似たような声で鳴く
。『声が聞こえる野鳥図鑑』(上田 秀雄、 叶内 拓哉)で調べたので間違いない。他の鴎も同様で、みゃあみゃあ、ゐあゐあと鳴く。太宰治が
『鴎』や
『火の鳥』の中で、「
鴎は、あれは、唖の鳥です」と書いているが、じっさいの鴎はよく鳴く。
いざこと問はむみゃーこどり。岩手県の宮古という地名は、中世以前の記録にはないそうだが、同地の浄土ヶ浜は、いつからかは知らないが、ウミネコの繁殖地のひとつで、いまは市の鳥にもなっているので、地名の由来に関係があるかもしれない、などとも想像する。
これでわたしは納得だったのだが、調べてみると、とくに新説というわけではなく、鳴き声からみやこどりと呼ばれるという話は、すでにあった。たとえば、幸田露伴は、最晩年の一書
『音幻論』(1947)にこう記している。
あの伊勢物語の業平の歌の都鳥は、都の鳥の意味ではなく本来はミヤとなく小鳥の意味で、都の字を填したのは歌の上での作略で業平以前に萬葉集巻二十に、大伴宿禰家持、舟競ふ堀江の河の水際に来居つつ鳴くは都鳥かも、の一首が存する。
そして、耳にはさんだことがあったが、都鳥にはもうひとつややこしい話がある。ユリカモメとは別の都鳥がいるということだ。チドリ目チドリ亜目のミヤコドリである。これは、すくなくとも近世には都鳥と呼ばれていた鳥で、主にキュピッと鳴く。この鳥がなぜ都鳥なのかは、「みゃーこどり」説では説明がつかない。腹は白いが全体に黒く「白き鳥」とは言えないことなどから、
『伊勢物語』の都鳥ではないとする説が有力だが、これこそが、業平の都鳥とするひともあり、それもあって、その鳥の現在の和名がミヤコドリになっている。たとえば、幕末の
『都鳥考』(北野鞠塢、1814)は、「
飛ヲ下ヨリ見レバ白キ鳥ニ見ユ」とか、「
くの字を筆意によりて し とも違ひ」と記し、この鳥を業平の都鳥に比定しようとしている。しかし、
『都鳥考』を意識した、のちの
『都鳥新考』(熊谷三郎、1944)は、これらの説を「
雪を炭と言ふ譬」として退ける。じっさい、背中の黒いミヤコドリは、
『伊勢物語』の都鳥ではなく、逆に
『伊勢物語』や
『萬葉集』を元にした話が錯綜して、この鳥がそう呼ばれるようになった、と考えるほうが理が立つ。ちなみに、
『都鳥新考』の序文は露伴が書いていて、これは
『音幻論』の執筆時に重なるので、露伴の文章も
『都鳥新考』を参照してのことと思われる。戦争中、時流にそぐわない英文の引用もある
『都鳥新考』なる本を上梓した、熊谷三郎さん(1896-1954)というディレッタントじみた鳥類研究者のことは、とても気になる。
鳴き声も体色も違うが、ミヤコドリとユリカモメは、系統樹的にはチドリ目でまあまあ近縁だ。ひとことで水鳥といっても食性も異なるが、似たところはある。たとえば、水鳥は、雀の類や猛禽のような枝につかまる鳥と違って、垂直の細い足ですっと立つ印象が強い。鳥が飛ぶさまというのは、案外、画として思い浮かべにくいが、立っている姿は脳裏に浮かぶ。水鳥のそれは、姿勢よくまっすぐである。
などと考えているうちに、そのように、すっと立っている水鳥の折り紙を折ってみたくなったので、つくってみた。折鶴の基本形を丁寧に折るだけのモデルで、糊付け不要の構造とし、目安を明確にした以外に、アイデア、設計、技術のいずれもなんということはないものだが、姿勢よく立って、自然な立体感がでたので満足だ。鴎の脚には水かきがあり、鴫(しぎ)や千鳥にはなく、鴫や千鳥の脚のほうが長いので、どちらかというとその脚なのだが、いちおうユリカモメがモチーフである。水かきや爪をつくると、脚を細くできないのでやめた。
さらに、鴫のお仲間ということで、西行の有名な歌が思い浮かんだので、できた折り紙作品を見ながら、古歌をもじって「心なき身にもあはれは知られけり都鳥たつ秋の夕ぐれ」と洒落たのだが、呟いてみて、ふと思ったことがあった。元の歌「心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ」の「たつ」は、「経つ(発つ)」、つまり、飛びたってゆくさまとするのが通説で、わたしもそう思ってきたが、鳥がじっと佇立していることの描写としてもよいのではないか、と。
思えば、西行の「心なき」と並べられる「三夕(さんせき)の歌」(『新古今和歌集』の秋の夕暮れを詠んだ三名歌)のひとつ、寂蓮の「さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕ぐれ」の「まき立つ」も常緑樹が立っているということで、定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ」もボロ家が立(建)っているということだ。「三夕」は後世の言なので、この三首に「秋の夕ぐれ」以上の共通性があるとも思えないが、羽音をのこして飛びたってゆくのではなく、凍ったようにただ立っている鳥という風情からもまた、あはれは知られるだろう。
とは言え、鴫や千鳥は泥をつついて餌をあさるので、せわしない動きをする。桟橋や浅瀬で佇む鴎のように、じっとはしておらず、長い脚で歩きまわる印象が強い。寂と騒の対照などと考えると、飛んでいったほうが劇的でもある。また、鴫は英語でsnipeである。「狙撃」と同じで、鴫は獲物を「狙撃」するのか、されるのかというと、狙撃されるほうで、鴫を狩る猟から、狙撃の意味でのsnipeが使われるようになったという。西行の時代にはむろん銃はないわけだが、snipeの語源を知ると、物音に驚いて飛び立つさまのほうが、鴫らしい気もする。
話がずれてゆくが、動かない鳥といえば、最近ではハシビロコウが有名だ。そして、俳句には「凍鶴」(いてづる)という季語がある。この言葉を奇想として使ったと思われる「折り紙関連句」も最近見つけて、これもかなり謎なので、その話も記そう。
折鶴のごとくに葱の凍てたるよ 加倉井秋を
わたしは、下向きの矢印が折鶴に見えてしまうことすらある折鶴好きだが、葱が折鶴に見えたことはない。尖った葱の葉先が折れ曲がっていると、折鶴の頭を連想しなくもないが、どうもピンと来ない。ということで、これは、数段の連想を経ての比喩なのではないかと考えた。凍鶴、すなわち厳しい冬景色の中にいる鶴の、典型的な図像のひとつは、一本の脚で立ち、もう一本の脚と長い首を翼の間に隠し、身じろぎもしないさまである。それは、一本の棒の上に綿毛がついたようなかたちだ。これは、葱の花、葱坊主に相似している。つまり、加倉井さんの句案は、葱坊主∽凍鶴→葱と鶴→葱の葉∽折鶴の頭という連想からきたのではないか、と想像したのだ。
凍鶴と折鶴では、次の句もあり、これまた気になるのだが、さらにわかりにくい。
クロイツェル・ソナタ折り鶴凍る夜 浦川聡子
ベートーベンのピアノソナタは好きな曲が多いが、ヴァイオリンソナタにはそういう曲がなく、さらに加えてクロイツェルソナタは、トルストイの同名の小説があって、どろどろの愛憎のイメージが強く、苦手である。ヴァイオリンソナタの演奏者が男女だった場合、それが不倫関係に見えてしまう責任を、トルストイには取ってもらいたい。といったこともあり、いろいろイメージがまとわりついていて、なんで折り鶴なのか、なにが凍っているのか、よけいにわからない。ヴァイオリンとピアノの音が響く冬の夜。冷え切った部屋に、誰がなんのために折ったのか、折鶴がある。音楽も折鶴も、本来はひとの気配を感じさせるものなのに、寒々しい。生演奏ではなく、ラジオかレコードで、部屋には誰もいない、とか。いや、やはり、わからない。わたしには、「手術台の上のコーモリ傘とミシン」的というか、三題噺のような句である。しかし、見過ごすことができない不思議さもある。
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