香川ヒサさんの歌2019/02/06 20:38

短歌集『香川ヒサ作品集』を読んでいたら、こんな歌があった。

一本の線と見えつつ平面をおほひ尽くせり雪片曲線
これは誤解を招く。『フラクタル幾何学』(ブノワ・マンデルブロ著、広中平祐監訳)に、「雪片掃過」(the snowflake sweeps)という、ペアノ曲線の雪片曲線化とでもいうべき、平面を充填する図形があるので、間違っていると言いきってしまうのは早計ではある。その図は、カバーをとると、同書(原書のほう)の表紙にも描かれている。しかし、いわゆる雪片曲線(コッホ曲線)は、平面を埋めるものではない。
『自然のフラクタル幾何学』にある「雪片掃過」
『自然のフラクタル幾何学』にある「雪片掃過」

テープでつくったコッホ曲線
テープでつくったコッホ曲線(雪片曲線)(ステップ2)

輪郭がコッホ曲線になる折り紙には池上牛雄さんのものがあるが、折り畳みに関連している自己相似図形には、だれにでも簡単にできるドラゴン曲線というものもある。これは、案外知らないひとも多いようなので紹介しよう。
ドラゴン曲線
ドラゴン曲線

テープを同じ方向に何度か畳んで(写真左上)、できた折り目を直角に開く。これを小口から見ると、うねった龍になる(写真左下)。このかたちは、タイルのように平面を埋めていくことができる(写真右)。

なお、この歌集の紹介として、上の粗探しみたいな感想だけではもったいないので、好きな歌をいくつか引用させてもらう。

角砂糖ガラスの壜に詰めゆくにいかに詰めても隙間が残る 香川ヒサ
二つとも旨いそれとも一つだけまたは二つともまづい桃二個 同
神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき 同
人はしも神を創りき人をしも創りしといふ神を創りき 同
一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり 同
中空を流れゐる雲鯨にも鰐にも見えず何にも見えず 同
聖堂の丸天井を支へをり一挙に崩れるための力が 同

角砂糖を壜に詰めるのがうまくいかないというのは、わたしも、子供の頃、どうやったら一番多くきれいにはいるかと苦闘した記憶が鮮明にある。

月球儀とアポロ11号2019/02/11 16:15

今年は、アポロ11号の月面着陸から50年で、それを描いた『ファーストマン』という映画も公開されている。
月球儀
写真は、姫路科学館の安田岳志さんが作成した、アポロ11、12、14 - 17号の着陸地点を示した月球儀である。同館のイベントなどで使われる予定と聞いている。ベースになった2枚組みの立方八面体が、わたしの『折る幾何学』に掲載されている「地球儀」を元にしたものなのだ。アポロ計画といえば、先日読んでいた香川ヒサさんの歌集に、こんな歌があった。

飛行士の足形つけてかがやける月へはろばろ尾花をささぐ

萬葉の昔から歌に詠まれてきた月に、消えることのない足跡がついてるというのは、かえって一種の風流だ。古人は想像していなかったことだが、古人といわずとも、1932年、『月と人』という随筆(柴田宵曲、『団扇の画』岩波文庫収録)にも、こう書かれている。

近代人と月の関係について、もう一つ考慮すべきことはいわゆる科学思想の普及である。死灰の如き一衛星として見る月は、自(おのず)ずから古人眼中の月と異らなければならない。或る人がいったように、菜圃(さいほ)に翩々(へんぺん)たる蝶も、その卵を産みつけに来るのだと思えば、むしろこれを追払う必要があるかも知れないが、世の中はそれほど行詰らずとものことである。いくら月の正体を究明したところで、南極や北極のように探検するわけには行かないから、「人(ひと)明月の攀(よ)ずること得べからず」ことに変わりない。柳は緑、花は紅と見るのが禅家の面目であるならば、月はただ月として見たらどんなものであろう。

ひと明月の攀ずること得べからず」というのは、李白の『把酒問月』(酒を把つて月に問ふ)の一節である。一千年以上前の詩人が月を見上げたとき、それはたしかに遥か手の届かない天空にあった。しかし、この詩句を引用した随筆からわずか37年後、人は月に「攀じ登り」、実地で死灰の如き衛星を探検した。

1930年代は、のちにアポロ計画の重要人物となるフォン・ブラウンが、ロケットの飛行を成功させた年代であり、ツィオルコフスキーが宇宙旅行の科学的な夢を描いたのはそのさらに30年前である。人類は、宇宙に手を伸ばしつつあった。とは言え、宵曲居士の想像力が足りなかったということを強調しようとして、上の文章を引用したかったわけではない。20世紀初頭の技術の発展の速さに驚くのである。

飛行機の発明がそのわずか30年ぐらい前だというのに、第二次世界大戦では、V2ミサイルが迎撃不可能な超音速で街を襲い、そこから25年後に月に人を送った。これは、なかなか想像ができるものではない。先見の明のあった科学者でもそうだったと思われる。たとえば、寺田寅彦の『天災と国防』(1934)という随筆がある。これは、いま読んでもきわめて示唆に富む内容だが、そこに、「太平洋上」の「浮き観測所」が「五十年百年の後にはおそらく常識的になるべき種類のこと」との記述があり、別の意味で考えさせられる。洋上の観測はいまでも海洋気象ブイなどで重要だが、一面でこの記述は、さすがの寅彦も気象衛星による観測を想像していなかった、とも読めるのだ。

1969年、わたしは、理科少年だったので、月着陸船のプラモデルをつくり、少年少女向けのフォン・ブラウンの伝記を読んだ。伝記は、宇宙旅行に憧れたフォン・ブラウンが、それを一心に追い求めたことを強調していたが、V2開発への関わりの記述もあった。それを読んだわたしは、ロケット開発のきっかけのひとつは兵器開発にあったのかと、日本軍の兵器として生まれた『鉄人28号』に重ねあわせて、複雑な気持ちになった。同じころ、石森章太郎さんの『サイボーグ009』を読んで、そこで語られる宇宙開発が戦争と深く関係しているという話にも、少年ながら蒙を啓かれた。

映画の『ファーストマン』では、星条旗を立てるシーンがないことに、愛国者たちが文句を言っているそうだ。アポロ11号が立てた星条旗では、必ず思い浮かべる言葉がある。わたしがそれを読んだのは、月着陸からさらに10年以上たってからであったが、花田清輝さんの書いた『月のいろいろ』というエッセイの結びの言葉である。

べつだん、わたしは、月ロケットを打ち上げることに反対ではない。ただ、わたしは、わざわざ、月まで出かけていって、国旗をたててくる習慣だけはやめたほうがいいような気がしてならない。それでは、せっかくの月が、お子様ランチに似てくるではないか。

『数学短歌の時間』2019/02/17 19:31

『数学セミナー』の投稿短歌の連載、『数学短歌の時間』(横山明日希さん、永田紅さん)が3月号で終了した。ほぼ生まれて初めて真剣に作歌し、紙鶴(最初の数回は紙鶴翁)の筆名で毎回数首を投稿した。毎号とってもらったのだから、上出来である。

作歌にあたっては、ものの見かたに数学らしさのある歌、明晰な歌ということを念頭におき、数学が好きであるという真情を込めた。

が横山明日希さん(数学のお兄さん)、が永田紅さん(歌人、生物学者)の選歌である。選にかからなかったものも当然あり、読み返すと、なんでこれを送ったのかというものもあったが、お気にいりのものもあるので、わがままに、それらも記録しておく。とはいえ、選者の判断に容喙したい気持ちはない。投稿してみて腑に落ちたのは、投稿という場では、送って読まれて選ばれるか否かもコミュニケーションであるということだった。読んでもらえるので、それ自体がたのしみであり、評がうれしかった。

◆2018.6 「題:ベクトル」
◇壁にある時計の針のベクトルはゼロにはならず我を追い立つ

のどかなる春の陽のさす小庭にも数多に満ちる力のベクトル

掃き清むブラシによりてベクトルのたくみに変わるカーリング石

◆2018.7「題:ピタゴラス」
◇万物は数と言うのかピタゴラス風も夜空も我も彼女も


五と十二 十三並べピタゴラス 足して三十ひとつ足らず か
(すこし修正)

ピアニズム高き音(ね)低き音轟たる音籟(らい)たる音にも数式ひそめる

◆2019.8「題:帰納法」
◎◇「一つ落ちて二つ落たる椿哉」子規のこの句は帰納法かな

◇帰納法証(あか)すところをひと問わば塵が積もれば塵の山とな

◆2018.9「題:写像」
◇「筆舌に尽くし難し」も言葉ゆえ世界のすべては言葉に写像す

◆2018.9「題:素数」
◎五五五五五七七七七七七七五五五五五七七七七七七七七七七七七七七

◆2018.9「自由題」
ピタゴラスエラトステネスアルキメデスエウクレイデスオソレイリマス

◆2018.10「題:集合」
◎英文で「neither A nor B」書くときはいつも頭にベン図浮かん


(投稿しなかったもの)
アウディのマークベン図じゃありませんベンツもベン図じゃありません

◆2018.10「題:無限」
「この歌」は果てなく続く歌である全文カッコに代入せよ

石川の浜の真砂は有限ですアルキメデスと五右衛門の説

◆2018.10「自由題」
わずかこの数百ビットの情報で恒河沙とおり歌の不可思議

◆2018.11「題:平均」
◎絶対の音感などと言うけれど平均律は近似計算


時が降り平均されて薄れゆく誰も知らない特別な日々

◆2018.11「題:複素数・虚数」
◇窮屈なリアルがとても苦しくてイマジナリーよ世界広げて

共役で結ばれている数ふたつ実数軸は越せない銀河

◆2019.12「題:位相」
◎ひねくれて穴を抱えた君だけど裏を持たないメビウスの帯

数学(きみ)の言う位相の意味はトポロジー物理(ぼく)はフェイズで位相が違う

◆2018.12「題:関数」
あめつちのみそひともぢの多変数関数としてうたのうまれる

次々と波動関数収縮し未来が過去になって退屈

◆2018.12「自由題」
◇連続で微分可能な日常にたまに小さな特異点あれ

◆2019.1「題:対称」
(鏡映対称)
◇数学や物理の理屈蜜の園罪作りの理呟くガウス
(すうがくやぶつりのりくつみつのそのつみつくりのりつぶやくがうす)

(回転対称)
ふたつのユ組んで互(たがい)を支えるが己(おのれ)はひとり己(おのれ)をめぐる

(並進対称)
煉瓦積みカベ煉瓦積み煉瓦積みカベ煉瓦積み煉瓦積みカベ

(鏡映対称)
早苗並山谷畳畳西東一里小景普天泰平
(さなえなぶさんやじょうじょうにしひがしいちりしょうけいふてんたいへい)

◆2019.1「題:最大値、最小値」
◎最小の表面積は冷えにくい猫の界面ほぼ球となる

比較などできないことが多いのにみんな言います「最高です」と

◆2019.2「題:証明」
反省ができないことの反省は証明不能の証明に似て

Q.E.D.示す墓石の記号には打ち捨てられた思索も眠る■

◆2019.2「題:微分、積分」
◇ゆらゆらとゆれるあなたの黒髪は微分可能な曲線である

(宇宙電波観測所にて)
観測の積分時間長くして微かに響く星の産声

◆2019.2「自由題」
◎大嫌い数学なんてときみは言うわたしは数学(それ)に救われました

◆2019.3「公理・定理」
定理なら「カラテオドリの定理」でしょ「驚異の定理」も捨てがたいけど

◆2019.3「原点」
◎◇だれもみな自分の位置が原点で観測座標もつれ絡まる

仰ぎ見る銀河座標の原点(オリジン)の彼方にひそむブラックホールよ

◆2019.3「自由題」
永遠の女神の笑顔を幻視して片恋なれど数学が好き

##
短歌という制約の上に特殊な題詠という制約もあって書けたものである。パズルの解答としての三十一文字だ。これは、ことさらに卑下しているのではなく、短歌の形式性ゆえのハッキングの面白さに惹かれ、それがモチベーションのひとつになった、ということである。

作歌することで、短歌への親しみはいや増したのだが、最終投稿から2ヶ月あまり、ひきつづき詠みたいという気持ちは淡いもので、自分でつくるよりも、ひとの歌を読んで、その中に好きなものを探すことのほうがたのしそうに思える。

##
最近「これは!」と思った「数学短歌」は、『しびれる短歌』(東直子、穂村弘)で知った以下の歌である。

(7×7+4÷2)÷3=17 杉田抱僕
(かっこなな かけるななたす よんわるに かっことじわる さんはじゅうなな)

あははは。なんだ、これ。いわゆる「偶然短歌」ともすこし違う。こういうのも詠みたかった。真似てみた。

n(n+1)/2=自然数の和
(えぬかっこ えぬぷらすいち かっことじ わるにいこーる しぜんすうのわ)

少年時代のガウスの神童的解答を讃頌する歌のつもりだが、衒学的で、杉田さんの歌の面白さには及ばない。『しびれる短歌』に穂村さんも書いていたが、杉田さんの歌は、「かっことじわる」のリズムがすばらしい。

こうした「数式」そのままの短歌は、和算書にもある。『因帰算歌』(今村知商、1640)や『算法勿憚改』(村瀬義益、1673)に見られるものだ。たとえば次である。

圓径に三一四一六かけ廻廻をわりて圓径と成
(ゑんけいに 三一四一六 かけまはり まはりをわりて ゑんけいとなる)
『算法勿憚改』国文学研究資料館)より)

小数点5桁が四捨五入され、そして得られた5桁、三一四一六をどう七音で読むのかよくわからないが、それはおく。短歌としてどうかというと、これはつまり、「歌って覚える、よく出る公式」である。どこにも詩はない...ように思える。しかし、見ていると、これはこれで味があるような気もしてくる。現代語にすると、その妙な味がわかりやすくなる。

直径に3.14掛け円周それで円周割れば直径
 (超訳『算法勿憚改』)

円周率の値よりも、上の句と下の句がただの「式の変形」になっている同義反復がなんとも言えない。奥村晃作さんの歌、たとえば「 次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」にあるような、「ただごと」感が醸されている。あまりに意味が明確だとむしろ意味が剥ぎ取られる感じがする、あれだ。それは、数学というものの手触りにも近い、かもしれない。

イスタ・ビエンナーレなど2019/02/18 21:18

2/24(日)13:00-15:00、府中市郷土の森博物館で、「椿」を講習します。
椿

いりや画廊(東京都台東区北上野)で開催される、イスタ・ビエンナーレ「サイエンス・アートの饗宴」に出品します。
2/25(月)-3/2(土)11:30-19:30(最終日16:00)
イスタ・ビエンナーレ「サイエンス・アートの饗宴」3

『折紙歌合 拾遺 其の二』など2019/02/21 20:23

新作が、2/23(土)22:45-23:00に放映される。 NHK Eテレ。
今回は、布施知子さんの「うさぎ」のようだ。

◆『折紙歌合 拾遺 其の二』
『折紙探偵団 171』『折紙歌合- 折り紙が詠み込まれた短歌と俳句 -』を書いてからも、名づけて「折々の歌探索」を続けている。このブログや『折紙探偵団 173』のエッセイでもすこし触れたが、いくつか紹介しよう。

をさな子に鶴の折り方示しをりあはれ飛べざるものばかり生む 安田百合絵

『折紙歌合』で紹介した、赤尾兜子さんの句「帰り花鶴折るうちに折り殺す」も連想するが、優しい視線も感じることができる歌である。

折鶴の天より降(くだ)るこゑは地にあふれて白き木蓮となる 春野りりん

こちらは、服部真理子さんの「白木蓮(はくれん)に紙飛行機のたましいがゆっくり帰ってくる夕まぐれ」と類想だが、どちらもとてもよい。

折ればより青くなるからセロファンで青い鶴折る無言のふたり 兵庫ユカ

セロファンの折鶴といえば、広島の佐々木禎子さんが千羽鶴を折るきっかけになった、愛知淑徳高等学校の少女たちによる見舞いの千羽鶴(五千羽、あるいは、四千羽)がそうで、禎子さんもセロファンで折っていたことが知られる。折鶴は、紙の重畳が秩序だっているので、半透明の素材で折っても美しい。青い折鶴ということでは、次の歌もそうだ。

わたくしをすべてひろげて丁寧に折りなほす青い鶴となるまで 荻原裕幸

自分自身を広げて折りなおすという発想は、ありそうでなかった。そう、ひろげられるように、折り紙作品は、なるべく糊付けしないほうがよいのである。