「♥&♣ @ ☆」の話 ― 2010/02/09 21:33
じつは、これに似たものが、観測所の制御室にもある。フロアの傷だ。お星さまを見守っている天文台のハートであります。これにより…、観測者の椅子がガタつくという現象が日々発生している。
なんてことを書いていて、グラバー邸のGloverにloverが含まれているということに気がついた。一昨年長崎に行ったときにグラバー邸を訪れたが、このLoverというネタは、観光宣伝には使われていなかったようだ。使えそうなのに。そして、cloverもGloverと一字違いでloverを含むということにも、気がついた。クローバーの葉のかたちは、カタバミほど典型的なハート型ではないが、ハートらしいものもある。また、言うまでもなく、クローバーというのは、四葉のクローバーとして、象徴性の高い図像となる。それがラッキーアイテムとして広まった理由の一端には、loverを隠し持っていることも関係しているのかもしれない。C lover = She (is a) lover. てなわけで。
以上、なんというか、非常に似合わない話をしているような気がしてきたので、ちょっと違う話も。
象徴図形としてのクローバーは、クローバー型インターチェンジとか、クローバーリーフ・クエーサーなどとして、四回回転対称図形として使われることが多い。後者は、うしかい座にある110億光年彼方のクエーサー(銀河の核と考えられている天体)が、手前にある銀河の重力レンズ効果で四つに分かれたように観測されたものである。
カタバミの葉はなぜ閉じる ― 2010/02/08 20:33
ちなみに、オリヅルランは、言うまでもなく、その名前ゆえに育てているもので、写真ではわかりにくいけれど、鉢には折鶴の飾りもついている。
で、まず、この、我が折鶴蘭子さんの鉢を浸食している植物の名前が、ぱっと思い出せなかったのである。ものやひとの名前が思い出せないことが多くなった、という思いを押さえつつ、「クローバーとよく間違えるハート型の葉」などと、検索した。
カタバミであった。家紋としてもよく使われるモチーフなのに、忘れていたのは、家紋好きとしても情けない。漢字で書けば、酢漿草、または、片喰である。前者は蓚酸を含み、酸味があるためとのことである。
細かい分類では、アカカタバミであることも判明した。「アカカタバミ、アオカタバミ、キカタバミ」などとつぶやく。
ネット上の説明にもあったように、カタバミは、じつにたくましい生命力を持った植物である。黄色い五弁の小さい花も咲き、実も結んでいたが、実ができていたことは次のように知った。
鉢のそばにあるデスクで作業をしていると、かさりと音がすることがあったのだ。虫でもいるのかと思っていたら、実がはじけて、種子を飛ばす音なのであった。粘着性のある1mm足らずの種子が、1mぐらい離れた壁にも付着しているのには驚いた。最盛期は、周辺が種だらけになっていた。種子は、オクラを垂直に立てたようなさやに格納されている。それがはじけるメカニズムも気になる。
そして、つい先日、日が暮れると葉が閉じていることに気がついた(写真下)。
葉のかたちはハート型だし、閉じたかたちは三角錐で、前の前の記事などで、ここ数日考えていたかたちに関係しているのであった。日々のあれこれを三題噺のように結びつけてしまうのは、悪い癖かもしれないが、どうにもそんな日常である。
なお、片喰という名の由来も、夜になると葉が閉じて、葉が欠落したように見えるためとする説があるようだ。葉を開いたり閉じたり、勢いよく種を飛ばしたり、活動的なヤツである。
なぜ夜に葉を閉じるのかということでは、閉じた状態でも表面積は変わっていないが、三角錐状になることで、空気を抱え込み、葉裏の外気への接触を回避し、熱や水分の放散を防いだり調節する効果があるのだろう、と考えた。こうした植物の「就眠運動」に関しては、あのチャールズ・ダーウィンが研究をしていたそうで、彼もその旨を述べているとのことだ。現代の研究もそれを補強しているらしい。
以上が、昨晩まで考えていたことである。そして、たったいま、ほんとうにただの思いつきだが、葉が閉じることの別の説が浮かんだ。今日、仕事の打ち合わせで、降雪時の電波望遠鏡のスタンバイポジションが話題になったのだが、そのことが、例によって、わたしの「三題噺的脳」において、カタバミと結びついたのだ。葉が角錐状になるのことには、スタンバイボジションという意味「も」ないのだろうかと。
カタバミの葉は、光に垂直となるような向日性運動がある。三枚の葉が三角錐状になって閉じているかたちは、光の方向を判定する待機態勢として最適なのではないか。三枚の葉が違う方向に向いているのことで、光があたったときに、どちらから光がきたかすぐに判定できるぞ、と。
『JIN-仁-』の紙ヒコーキ ― 2010/02/07 00:10
幕末にタイムスリップした南方仁の助手にして、本編のヒロイン、旗本の娘・橘咲が、川越の宿の小さな娘に、いくつか折り紙を折ってみせる。
「わたしは、何も作れませんよ」と感心する仁が、思いつく。
仁「あ! わたしにも作れるもの ありました」
「長方形の紙… 半紙がいいでしょう」
「これをほいほいっと」
「イカヒコーキ!」
咲「ヒコーキってなんですか?」
仁「いや… その… 空飛ぶイカです」
と言い、それを飛ばす仁。長く滑空する紙ヒコーキに驚く咲たち。
ということで、未来人の仁が紙ヒコーキをつくるのはうまい演出である。拙著『本格折り紙√2』でもイカヒコーキはいつからあるのだろうという話題をちょっと書いたので、おっと思うものがあった。
しかし、物語中の折り紙に関する細かい考証には、以下のように気になる点がいくつかあった。
・遊戯用の紙細工を「折り紙」と言っているが、当時の言葉では、折形、折すえ、折りものとすべきだろう。幕末の女児,若い女性の言葉なら「折りもの」がよいかな。
・裏表の色の異なる正方形の「折り紙用紙」は、当時ふつうにはない。無色の長方形の紙の束のそばに、さりげなく和鋏を描いておくと、リアリティーが高くなった。
・「奴さん」は、同種の造形が薦僧(こもそう)として徳川時代にもあり『欄間図式』(1734)には「奴さん」そのものと思われる図もある。しかし、それも上半身のもので、袴(ズボン)は、明治以降にフレーベル系の「折り紙」が輸入された後のものと推定できる。また、その折りに関して「奴さん」という名称が定着するのは、明治末年頃と考えられる。
・「帆かけ船」も、すくなくとも資料として確認できるのは、フレーベル系の造形の輸入以降で、じっさいにそうだった可能性が高い。
・いわゆる「くるくる蝶々」も近代以降のものである可能性が高い。(これに関しては、何の考証もないけれど) 紙の蝶を扇子で舞わせる手妻(手品)師の芸は徳川時代にある。しかし、手妻師の蝶と「くるくる蝶々」は手筋が異なる。「くるくる…」が作者不詳の伝承作品であり、徳川時代に流行した「投扇興」に似ている、とは言えるけれど。
と、いろいろ書いたが、『JIN-仁』が、江戸の空気を感じさせる優れた物語であることは変わらないし、「折りもの」をとりあげてくれてうれしい。
正三角形の小口-つづき ― 2010/02/06 12:30
そして、気がついた「面白いこと」のひとつが、図である。
小口が正三角形になるためには、側面の二面角は、60度<θ<180度となるが、その展開図を重ね合わせるとハート型になる。
冬の大三角→切頂→あやめ ― 2010/02/04 23:28
まずは、星空を見上げて正三角形のことを考えた。日没時、東の地平線近くに見え、夜9時頃、南・仰角45度ぐらいに輝く「冬の大三角」(シリウス、プロキオン、ベテルギウス)。ほぼ正三角形に明るい星が並んでいる。
いっぽう、「夏の大三角」(ベガ、アルタイル、デネブ)は、正三角形からはほど遠い。
人工物でも自然でも、正三角形というのは、案外見かけないかたちである。ぱっと思いつくのは、窓に貼られた非常進入口のマークやウロコ紋といったところだ。
ときどき見るものには、頂点を切り落とした「小口」の正三角形がある。これは、我が家の駐車場にもあり、2ヶ月ぐらい前、散歩していたさいにも、妙にきれいな細工を見つけて写真を撮った(写真左上)。直方体の頂点ではなく、側面の二面角が鈍角になっている角柱の頂点を切り落としたものだったが、その場合も切り口を正三角形にするのが、職人魂というものかもしれない。
以上のような連想で、この、切り取った三角錐のことを考えていたのである。側面のなす角度と稜線の長さの関係など、いくつか面白いことに気がついたのだが、いまさっき、思いもかけない収穫に結びついた。
伝承作品「あやめ」の花弁は四弁であるが、以前、正方形に内接させた特殊な六角形(写真左下の右)を使うことでこれを三弁にしたモデルをつくった。(『おりがみ新世紀』(1989 笠原邦彦著)絶版 所収) 笠原さんに『エレガントなあやめの花3弁化法』と名付けてもらった作品で、技巧よりもアイデアが好きなわたしとしては、密かなお気に入り作品のひとつである。
そう。直方体の頂点から切り取った三角錐の展開図は、この変則六角形にほかならないのだ。で、けっこう面白い工程だったはずと、この六角形を思い出して折ってみた。すると、同様の変則六角形が、違った方法できれいに正方形に内接可能なことに、思いいたったのである。大きさは若干小さくなる(写真左下の左)が、花弁の白い筋を出しやすいという利点がある。いままでなんで気がつかなかったんだー。
というわけで、20年ぶりに、自分でも隠れた名作と思っていた作品を改良できたのだった。星空と、タイル職人さんに感謝である。
[追記] 入浴中に「待てよ」と気がついた。あらためて見たら、これ(写真左下の左)は近似だった。縦横で誤差約1%。記憶がないけれど、以前、右を採用したのは、誤差を嫌ったためかもしれない。でも、現在のわたしの感覚では、折り紙作品的に、左がやっぱりよいかな。
ハッカ豆のかたち ― 2010/02/03 21:08
妻が先日、北海道物産展で『北見ハッカ豆』を買ってきた。煎った大豆をハッカ味の砂糖でコーティングしたものだが、そのかたちが金平糖に似た凸凹になっている。
金平糖がなぜあのかたちになるのかは、寺田寅彦-中谷宇吉郎-戸田盛和先生と、錚々たる大物理学者が関心を示してきた問題だが、その最新の研究として、最近、『日本物理学会誌』(2009.10)に、東北大学の早川美徳さんの『金平糖の形成のダイナミクス』というエッセイが載っていた。あのかたちは、霜の華のような拡散律速凝集(DLA)だけで解ける問題とは言いがたく、表面の薄膜流体層のふるまいがそれを解く鍵である、という話だった。
で、このハッカ豆がどうかというと、金平糖との一番の違いは、核の大きさの違いだが、製造工程もわからないし、ツノが成長するように結晶化していく金平糖と似ているようでもあり、そうでないようでもある。写真をじっと見ていたら、その凸凹が、膜が固化する場合のたるみを起源にするものにも見えてきた。塗膜や梅干の皮のしわのようなものである。まあ、ぜんぜんわからないけれど。
金平糖と言えば、それがポルトガル語起源であるというのはなんとなく聞いていたが、90年代以降か、洋菓子店のことをコンフェクショナリーなどとも言うようになって、ははあ、同じ語源なんだと納得したことがある。しかし、なんで「ケーキ屋さん」じゃいけないのだろうとも思う。いわゆるケーキのことも、最近は、スイーツとか、ドルチェとか、てやんでぇという気分がなくもない。わたしの父は、「洋なま」と言うが、洋なま、味のある言葉だ。
爪楊枝にみる見立ての連鎖 ― 2010/02/02 21:01
つつましいものから、けれんたっぷりのものまで、見立ての演出がさまざまに垣間見られるのが日本の観光地だ。(『見立て心は遊び心』から(下中美都))というのは、『現代見立て百景』というブックレットにあった言葉だが、これは、その典型例とも言える。
そして、爪楊枝と言えば、いまやそれしか思い浮かばない、末端が茶色く溝のある爪楊枝は、「こけし楊枝」という。戦後、他の爪楊枝との差別化のためつくられたものが広まったのである、との話を以前どこか聞いたか読んだかした。つまり、あのデザイン自体が「こけし」への見立てなのである。そして、思えば、その「こけし」もひとのかたちへの見立てなのだ。ここにあるのは、見立ての連鎖なのであった。なんだか実に日本的な気がする。
季節外れの七夕の話など ― 2010/02/01 22:06
広重『名所江戸百景』の『市中繁栄七夕祭』を見ることができたのはちょっとうれしかった。いままさに窓の外では、しんしんと雪が降っており、思い切り季節外れの画題だが、これは、(折り)紙文化に関係なくもない、『江戸百景』の中でも好きな絵なのである。
やや鳥瞰気味の視点からの甍(いらか)の連なりの中、飾りをつけた笹竹が林立している。遠景には富士。江戸の街の広がりと、そこを吹き抜ける風を感じさせる。「レンズ」は望遠だ。
笹竹の飾りには、短冊や、紙を切ってつくる「投網」、瓢箪、鯛、大福帳、吹き流しなどのほかに、前から気になっている、西瓜がある。つくりものの西瓜だろうが、七夕と西瓜は関係が深いらしいということが興味深い。たとえば、北斎の肉筆画『西瓜図』が七夕の見立てになっていると言われていたり、七夕の飾り台で西瓜が使われたりすることなどである。(写真は松本市の馬場家のもの) 季節の果実ということなのだろうけれど、球体が天体の見立てであるなんてことも想像してみたい。
また、鈴木春信の『蹴鞠』の女性の着物の図柄が、折り紙の船らしきものであることも発見した。真ん中に三角形のでっぱりのある船のようなかたちなのだが、さっと描いたものを版木にしたためか、詳細はよくわからないところもある。
春信となると、幕末の広重から時代を100年はさかのぼるし、もともと刷り数も少ないのだろう、『江戸百』よりさらに何倍も値がはっていた。こういうのをポンと買うひともいるんだろうねえ。
白山と神保町の休日 ― 2010/01/31 12:30
また、会の機関誌で西川誠司さんの記事にもなっていたが、最近、会に寄贈された、内山光弘さんの『光弘式 趣味のオリガミ』という、70年前(たぶん)の「折り線付き折り紙」を見て、感激した。「ヲリガミ」ではなく、「オリガミ」とあるが、表記は右から左だし、値段が十銭なので、戦前のものだ。大丸百貨店のものと思われる値札もついたままになっていて、「¥0.10」とあるのが面白い。中には、折り線のついた紙と、折り方の図、作例がはいっている。作品には鋏も使うし、シンプルなつくりだが、印刷もきれいだ。
そして、日本折紙学会の事務局に行った場合のわたしの定番、神保町の書店・古書店巡りをして、帰宅した。またまた本を買い込んでしまったが、掘り出しものかなというのは、寿岳文章・しづさんの『紙漉村旅日記』と『数学名言集』(H.A.ヴィルチェンコ著 松野武、山崎昇訳) 。どちらも、まだ版のきれてない本だが、古書店で美本を見つけるとうれしい。『数学名言集』は、原著がソヴィエト時代のウクライナでの出版なので、エンゲルスの言が多かったりするが、西側のひとたちの名言もちゃんととりあげられている。帰路の電車内でぱらぱらと読んだ中では、以下の言がツボだった。
私は数学の専門家ではなく一人の崇拝者にすぎない。学問のなかでの最たるこの美女にほれこんだ失意の男だ。 ヴァレリなにも、自らをあのポール・ヴァレリーに比そうというのではないが、実感あふれるなあ。
数学者になることはできない。数学者として生まれるのでなければならない。 ポアンカレなんてのも。数学者の定義のハードル高すぎだが、わたしもそう思う。
外界の謎をなんとか理解しようとつとめ、自分自身の観察を熟慮検討するうちに、私がとうとう行きついた先は数学の王国であった。私は精密科学の研究とか知識の点ではまったく無知なのだが、多くの点で私には仲間の絵かきたちよりも、数学者と共通するところがある。これは、わたしのヒーローのひとり、モーリッツ・コーネリス・エッシャー。
幾何学は世界の美しさの見本である。 ケプラー「見本」はドイツ語ではProbeだろうかMusterだろうか。Musterがいいな。パターンとか鏡という意味もあるみたいなので。
「幾何学は世界の美しさの鏡である」
O'REILLY動物本 ― 2010/01/30 00:51
プログラミングを業務にしているひとなら、O'REILLYの本は、必ず何冊か持っていると思う。このノートのように、線描の動物の絵が表紙になっている本である。初期(オライリージャパンがなくて、アスキーやソフトバンクなどが翻訳本を出していた20年ぐらい前)は、ライオンや牛など、動物も「普通」のものだったが、シリーズが増えるにつれ、昆虫や腔腸動物など、バラエティーが豊富になってきた。豊富すぎて、蛇が表紙の『Python チュートリアル』『Pythonクィックリファレンス』なんてのもあって、世に多い蛇嫌いは、どうするんだとも思う。ただ、Python(コンピュータ言語のひとつ)を表すキャラクターが蛇なのは無理もない。一般名詞のpythonはニシキヘビのことなのだ。蛇嫌いプログラマは、そのように命名した開発者(『空飛ぶモンティパイソン』からとったらしい)を恨むべきかもしれない。他にも、『Web master』がWeb(蜘蛛の巣)にふさわしく、蜘蛛の表紙になっていたので、蜘蛛嫌いエンジニアは困っただろう。
なお、Perlという言語が真珠貝でなくてラクダであるなど、直接的な関係がないもののほうが多い。『Ant』(Java言語のためのツール)が蟻じゃないのもよくわからない。
しかし、後付けもあるのだろうが、表紙と内容が妙に合っている気もしてくるのである。プログラマは、ラクダを見れば、Perlを思い、つがいのノロマザル(ロリス)を見れば、sed&awkを思い浮かべるだろう。『lint』(C言語チェッカー:今やあんまり使わないと思うけれど。なお、一般単語lintは綿くず、綿ぼこりである)がキウイだったのも、なんだかぴったりだった。またJava言語関係はトラが多いようだ。たしかにJava島にはトラがいる。ただ、糞からコーヒー豆を採取するというジャコウネコのほうが、Javaに相応しいようにも思う。Javaというのは、コーヒー好きの開発スタッフによって命名されたらしいから。
まあ、そもそもコンピュータ関係の用語というのが、モンティパイソンだったり、コーヒーの産地だったりと、変なのである。そしてその変さ、御しにくさに、ちょっと時代がかった感じの動物の線描画は、妙に合っているのだ。
と思っていたら、このデザインを担当しているEdie Freedmanさんというひとが、まさにそうした話を打ち明けているのを見つけた。曰く、
「わたしは、vi、sed&awk、uucp、lex、yacc、cursesなど、UNIXオペレーションシステムの用語が、『ダンジョン&ドラゴン』(ロールプレイングゲーム)から飛び出た言葉のような気がしました。そして、古い木版画のすこし奇妙な動物の絵が、変な響きのこれらの用語にぴったりだと思ったのです」






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