『折る幾何学』型紙選集(最新記事はふたつ下)2038/01/18 18:51

『折る幾何学』の変則型紙モデルのうち5点が、「型紙選集」として、販売されています。(価格:税込1080円)(こちらを参照

最適の素材と精度の高い加工技術によるもので、独立したパズルとして楽しめて、できあがったものは、オシャレな(!)オブジェとなります。

これはとてもよい。(作者なので、当然ひいき目はある)

折り紙作品(固定記事:最新記事はこの下)2038/01/18 18:51

自分で折った作品の写真数点を、冒頭に載せておくことにしました。

Devil&Pyramid
Devil & Pyramid
悪魔(設計:1978 正方形)、ピラミッド(設計:1993 正方形)

Peacock
Peacock
孔雀(設計:1993 正方形)

Beetle
カブトムシ(設計:1994 正方形)

Turkey
七面鳥(設計:2005 正方形)

Sections of the Cubes
立方体の断面(設計:2000 特殊用紙形)

『この青い空で君をつつもう』2016/12/08 00:45

瀬名秀明さんの『この青い空で君をつつもう』を読んだ。
全編これ折り紙の青春小説で、先日、静岡に行ったさいに、西川誠司さんと山口都さんから聞いて知った。

全編これ折り紙というのはなんなのだ、ということだが、じっさいにそういう小説なのである。

主人公の少女は静岡市の和紙店のひとり娘の高校生である。そして、この和紙店のモデルは、静岡市で山口都さんが切盛りする店「ますたけ」である。立地などが適合するだけでではなく、瀬名さんが取材に来たということなので間違いない。そして、もうひとりの主人公が、折り紙を生き甲斐にする少年である。

その少年の言葉として、「細長いテープのような紙も、ティーバッグの包み紙も、折ればすべて折り紙になる」なんてせりふが、ふつうにでてくる。作品や書籍に関して、あれがモデルだなと思いあたる記述が満載で、作者の折り紙愛(と藤子・F・不二雄愛)に感嘆することしきりであった。折り紙愛に関しては、当方は客観的評価ができず、ふつうの読者はついてこれるのかと心配になるほどだった。

静岡のご当地小説でもある。「静岡高校あるある」もたっぷりだ(たぶん)。東海大学海洋科学博物館も重要な役割で登場するが、同館がつい先日の折紙探偵団静岡コンベンションの懇親会の会場であったのも、シンクロニシティーじみていた。

もちろん、瀬名さんらしいセンス・オブ・ワンダーもある。

いずれにせよ、ここまで折り紙を本格的に扱った話はこれまでなかった。正方形に正六角形の部分をはめ込んで5弁の花をつくるアイデアはわたしのアレだとか、メインアイデアはやはりアレかと、と読んでいた。...などと書きたくなるのは専門家の矜持である。

専門家の矜持というか、以下は、自慢話である。
瀬名さんが、たぶんこの小説を執筆中の2月、週刊ダイヤモンドの書評で、『ドクター・ハルの折り紙数学教室』(トム・ハル著、羽鳥公士郎訳)、『本格折り紙』(前川淳)、『端正な折り紙』(山口真)の3冊をとりあげていた。ハルさんの本の編集さんから聞いて読んだのだが、その中で『本格折り紙』が「歴史的名著」とされていた。なんだかんだ言って、にやけた。

『折る幾何学』91ページの図2016/12/04 20:29

『折る幾何学』91ページの図
『折る幾何学』91ページの図に誤りがありました。 工程番号13からできあがりまでが、12までの図と鏡像反転しています。

『五年目のひとり』他2016/11/05 17:31

◆『五年目のひとり』
11月19日(土)21:00-23:06の放映が決まった山田太一ドラマスペシャル『五年目のひとり』(TV朝日系)(山田太一脚本、堀川とんこう監督、渡辺謙主演)で、小道具としての折り紙を担当した。折り紙作品は、ある程度見栄えもするように、しかし、凝りすぎないようにと考えた。

6月、撮影に立ち会い、待ち時間に渡辺謙さんと「タイガースは調子出ませんねえ」という話をするなど、非日常的な経験をした。要するに、ぽかんとスタジオを見学しているおじさんであった。

◆ICMMA 2016
8日から、ICMMA 2016 'Origami-Based Modeling and Analysis' という国際会議に参加する。

高野文子さんの色紙と『もののかたち』2016/10/27 21:09

『折る幾何学』の表紙や扉の絵を描いていただいた高野文子さんによる色紙である。透明樹脂でつくった「ねじれ立方体」(『折る幾何学』収録)の中に悪魔を封じ込めたものを贈ったお返しだ。海老で鯛を釣った。
高野文子さんの色紙

悪魔inねじれ立方体

ほんとうにうまいなあという絵で、たとえば、「折り紙人形」の空洞部分の輪郭にも躍動感がある。「表紙の少年の顔は前川さんにちょっとだけ似せました」というのが高野さんの言だったが、この色紙の人物は、「お腹がちょっとでているところがあなたに似ている」というのが妻の感想である。

擬人化された正八面体が描かれているのは、『折る幾何学』内の、「正八面体が好きだ」「正八面体は健気だ」という、誰に通じるのかわからない話(一応、理論化してあるけれど)に基づいている。

この八面体くん、書中の扉絵にも登場しているが、正八面体好きとしてうれしい以上に、一種のなつかしさを感じて、なんだったかなあ、とひっかかっていた。それに関して、昨日、あっ!と、思い出した。

レイ・ブラッドベリの『もののかたち』(The Shape of Things 1948)という小説の印象と重なっていたのだ。

『もののかたち』は、分娩機なる機械の不具合により「次元」の混乱がおき、我々の世界では青いピラミッドとして生まれた赤ちゃんと夫婦を描いた話である。『クレージー・ユーモア 海外SF傑作選』(福島正実編  1976)というアンソロジーに収録されていて(斎藤伯好訳)、高校生のころに読んだ。

あらためて読むと、「クレージー・ユーモア」というよりは、もっと批評性のある小説だった。『明日の子供』(Tomorrow's Child)という別タイトルもあるようで、昨年出た『歌おう、感電するほどの喜びを![新版]』にも収録されていた。

正八面体は、単視点ではピラミッド(四角錐)としてしか認識できない。そして、『もののかたち』のなかで、青いピラミッドの子供は「ピイ」と呼ばれている。ということで、最近できた6枚組みの正八面体モデルも、通称ピイちゃんとなった。
ピイちゃん

『奇蹟がくれた数式』(The Man Who Knew Infinity)2016/10/25 20:42

一昨日、映画『奇蹟がくれた数式』(The Man Who Knew Infinity)を観た。これまで、フィクション中のラマヌジャン(1887- 1920 インドの数学者)は、えーっというものもあったのだけれど、これは、しみじみとよい映画だった。

ラマヌジャンが妻に「数学以外に興味はないんだ。ただし、君を除いて」みたいなことを言うのは、愛おしいし、宗教的な食事の禁忌の問題は、現代日本でも同じようなことがあるなと、はっとするところだった。

数学ミーハーとして気になっていた、タクシー数1729の使いかたは、史実とされている話とは違っていたが、小ネタ以上の扱いだった。ハーディーが1年内に2度、1729のタクシーに遭遇したことになっていたが、今よりはるかにタクシーの数は少ないだろうし、ケンブリッジはそんなに大きい街ではないので、その確率も一応計算されているとみた。

ちなみに、我が家から半径200m以内の駐車場には、ナンバー1729の車が2台確認できている。駐車場密度の見積もりをもとに、まったくのランダムなものとして計算してみると、範囲内に1729がふたつある確率は1000分の1ぐらいである。高くはないが、そんなに低くもない。

リトルウッドの法則なるものもある。映画で好感度抜群に描かれていたリトルウッド(彼も数学の殿堂入りの天才)による、以下の「法則」である。
「100万回に1回起こることを奇跡、その分母になる事象を1秒に1回起きる事と定義すれば、ひとは1ヶ月に1回ほど奇跡的な事象に遭遇する」
これはかなり高い。

排キューブ、そして、有心六角数2016/10/23 11:11

「排キューブ」(バレーボールのような立方体)の、すっきりしたバリエーションができた。
排キューブ
最近のバレーボールは革のかたちが異なるものもあるが、最も一般的なものは、3枚の長方形によって正方形をつくり、それを6個組み合わせた立方体、さらにそれを球に投影したかたちである。

その立方体を、規格用紙(実質的には、5:7の長方形)6枚を使って組んでみたものが、上の写真だ。見た目、かなり地味なモデルだが、全部組むまでの不安定さに面白さがある。
 
このモデルは、内部が9個の空間に分かれている。1辺を3とした場合、体積1の小空間8個と、それらを除いた体積19の空間である。

「19かあ」ということで、すこし考えた。19という数は、囲碁盤の線(路)の数であり、素数でもある。
 
3^3に分割された立方体と19ということでは、同時に見ることができる分割された立方体の最大数も19個だ。これを一般化をして、n^3に分割した立方体で、一度に見ることができる立方体の数を考える。これは、連続する立方数の差 n^3-(n-1)^3、すなわち、3n(n-1)+1となる。この数は、n=15までで、以下が素数となり、このあとも素数が多い。

(1), 7, 19, 37, 61, 127,  217, 271, 331, 397,  547, 631

ここまでで合成数となるのは、以下の3つである。
91(=7*13), 169(=13*13),  469(=7*67)

でてくる約数が7か13であるのが、ちょっと面白いが、この数は、2や3、そして、5や11の倍数にならないので、合成数である場合、小さい約数は、7や13になる。式のかたちから、2や3の倍数にならないのはすぐわかり、5や11の倍数にならないことは、剰余演算(mod)のありがたさがわかる練習問題である。(剰余演算に関しては、I氏から示唆)

この数列を眺めているうち、この数が、円をならべて六角形にするときの円の個数(有心六角数)に等しいということにも気づいた。これは、以下のように、直感的にも理解しやすい。

3面が見える方向から立方体を見た場合、六角形となる。そして、立方体を分割したとき、その小立方体の配置は、円をならべて六角形にしたものと同じになる。
有心六角数19

偶然の面白さでは、(いくつか前の記事・「十三・七つの意味」にも、関連する話が出てきたけれど)これらの数が、7曜日、メトン周期(月齢と、太陽年での通算日がほぼ一致するようになる周期)の19年、(37は飛んで、)連続する2ヶ月が必ずはいる数の61、1クール(1/4年=91日=7日×13週)と、暦と相性のよい数になっているということがある。19と暦と言えば、囲碁盤も一説には、19^2=361が一年を象徴するとも言われる。以前、有心六角数をカレンダーのデザインに利用できないだろうかということを考えたこともあった。

100年前の台風、そして、ポオの詩2016/10/23 10:38

英語のtyphoonの語源には、アラビア語、ギリシア語などいろいろ説がある。当然、漢語起源の説もあり、そのひとつは、台湾の方からの風ということらしい。なるほど。

いずれにせよ、日本でタイフウという言葉が使われはじめたのは明治の終わり頃からのようで、漢語も意識したのだろうが、typhoonの当て字だったようだ。tsunamiのように日本語→英語ではない。これに関連して、最近読んだ與謝野晶子の随筆『颱風』(1914年)が興味深かった。

晶子はこんなことを書いている。

颱風といふ新語が面白い。(略)從来の慣用語で云へば此吹降(このふきぶり)は野分(のわき)である。野分には徘徊や歌の味はあるが科學の味がない。(略)氣象台から電報で警戒せられる暴風雨は、どうしても「颱風」と云ふ新しい學語で表はさなければ自分達に滿足が出来ないのである。

野分は、風の吹くさまを表した言葉であり、南方海上で発達した低気圧という概念とは異なる。直接そう述べているわけではないが、晶子が言いたかったのは、そうした意味であろう。そして、この話を敷衍させて、「新しい用語や新しい形式」(による)「新しい詩人」を期待するといったことを書いている。

晶子が「新しい詩人」と書いたのには、キーツの『レイミア』や、ポオの『科学に』など、科学を批判する詩に対する反論が頭にあったのかもしれない。まったくの推測にすぎないが、それは、晶子に相応しい姿勢のように思える。わたしは前だけを見るぞ、という態度である。「新しい」がキイワードである。しかしわたしは、そこに虚ろなものも感じた。それは、この随筆にある、以下の文章の印象も大きかった。

自分は平生戰争を忌はしく思つて居る一人であるけれど、今度の戰争は之が最後の戰争となる程敵も味方も手疵を負つて、世界を震慄させ、目を覺させて、野蛮な武力の競争を永遠に廃絶する土台となる為に、一時出来るだけ大戰争の開かれることを望んで居る。

「君死にたまふことなかれ」で有名な晶子だが、この他人事の書きぶりは、なんだろう。第一次世界大戦に対する日本からの距離ということもあるのだろうが、それにも増して、これもまた、彼女の思う「科学的」な考えなのかもしれない、と解釈して、憂鬱になった。すくなくともこの文章からは、自然や歴史の過酷さにぶつかったときの、地面を這い廻るひとの感覚は見えない。ちなみにではあるが、ここに描かれた1914年8月13日のこの台風でも、100人超の死者行方不明者が出ている。

ここで、ポオの詩である。上で連想した詩のひとつだ、その詩は、科学は別に新しくないと述べている(と、わたしは解釈した)。彼は、その「新しさ」ということ自体に疑問を投げかけている。

キーツの『レイミア』はドーキンスの『虹の解体』での引用ぐらいでしか読んでないのでよくわからないし、わたしもどちらかと言えばドーキンスの書くことに「そうだそうだ」と頷く人間だが、ポオのソネット(14行詩)『科学に』は、昔読んで、強く印象に残った。晩年のポオの『ユリイカ』は、大上段に神と科学の統合みたいな話となって、ついてゆけなくなるが、このソネットは、一見「科学は無粋である」というテンプレートに見えて、それとは違う言葉だと感じた。懐かしくなって、ソネット風に訳してみたものが、以下である。

 ソネット - 科学に
科学よ! おまえは古き時の真実の娘だ
 その視線をもて総ての物を変える者よ
何故おまえは詩人の心を食い荒らすのだ
 退屈きわまる現実の翼を持った禿鷹よ
おまえを愛して賢いと思う詩人はいない
 気儘な歩みを邪魔するばかりだからだ
輝く石を散りばめた空に宝物を探したい
 怯まず翼を広げ天翔けて行きたいのだ
月の女神を銀の馬車から降ろしたおまえ
 木の精霊たる者を彼の森から追いたて
どこか別の幸福な星へと追放したおまえ
 清き川の流れから水の精霊を狩りたて
緑なす草地から妖精を そして私からも
奪うのか タマリンドの樹下の夏の夢も

彼はこの詩の中で、科学を新しいものではなく、true daughter of Old Timeとしている。最初に読んだのは福永武彦さんの訳で、「まこと『老いたる時間の娘』」という言葉だった。これがずっと不思議だった。いま見ると、これが、「真実は時の娘(Truth is the daughter of time.)」という、世に知られたフレーズを下敷きにした表現であるのは明らかだ。アイロニーもあるだろうが、ポオは、経験の積み重ね、集約である科学の力を認めていたはずである。なにせ、推理小説とSFの生みの親なのだ。科学は、新しいからではなく、野暮で着実だから手強い、というのが、たぶん、ポオの思いである。若きポオは科学を知って、科学に喧嘩を売っている。

彼は、たぶん、負けるとわかって、というか、負けること自体を歌うために、この詩で科学に噛みついたのだ。中野重治の『歌』における「『あかままの花やとんぼの羽根を歌うな』という表現で逆にそれらを歌う」(花田清輝の評)式のレトリックとも言える。花田氏の『歌』の評は皮肉だが、まさに、『歌』はその技法で成功しているとも言える。

19世紀でも、まして今日、月の輝きにディアナの姿を見る者などいないだろう。しかし、タマリンドの木の下でまどろみながら見る夢は、いまでも奪うことはできない。この詩は、きわめて個人的なちいさい声なのであり、それゆえ、魅力的なのだ。

プミポン国王の正方形紙幣2016/10/18 22:25

プミポン国王の正方形紙幣
わたしのコレクションのひとつ、世界的にも珍しい(唯一の?)正方形の紙幣である。13日に88歳で亡くなられた、タイ王国のプミポン国王の生誕60年記念紙幣である。
タイによく行く知り合いから、10年ほど前に入手した。