結晶の写真 ― 2012/01/22 22:48




水晶の錐面 ― 2012/01/18 23:09
角錐状の部分は、おおざっぱに言って四角錐になっているように見えた。つまり、六角柱の鉛筆を削って四角錐にしたようなかたち(図左)である。
しかし、三方晶系のα石英の界面は、錐面の部分も三回回転対称の格子にしたがうはずである。いろいろと考えて、これは、図中央のような典型的な水晶の三回回転対称構造の三つの三角形の面のうち、ひとつが大きくふたつが小さい(図右)ために、図左のようにも見えるのであろう、と納得した。結晶の六角柱部分が正六角形になっていないこともあって、かたちの見立てが狂ったのだ。
円城塔さんと「意外なところに折り紙が!」論文 ― 2012/01/18 23:02
(01/26追記:論文の著者名が間違っていたので訂正)
円城塔さんの芥川賞受賞作『道化師の蝶』は、飛行機の中で読むのに向いた本ということが作品のひとつのモチーフになっているらしいが、先月わたしは、円城さんの『これはペンです』を飛行機の中で読んだ。あれも、飛行機内に向いた小説だったような気がしないでもない。
天文学論文のオリガミ など ― 2012/01/17 21:34
六次元の相空間における平坦折りを用いて、宇宙の物質分布の大規模構造 - とくに、銀河周囲のハロー - を説明する、というような論文である。と書いてみても、なんのこっちゃという感じだけれど。
参考文献に、トム・ハルさんやロバート・ラングさんの論文、第三回折り紙の科学国際会議の議事録などがあがっていた。折り畳み対称性が、じっさいにどういう物理プロセスに対応しているのかは、わからない。
関係ないけれど、ついでに、最近見つけた、サイエンス出版物の中の折り紙っぽいヴィジュアルも、ふたつ紹介しておく。
『nature』12月22日号 の表紙が、テープを折り畳んで「10」という数字を表すものだった。Carl Detorresさんというデザイナーによるものだ。10という数字は、2011年に話題になった人物10人を示すもので、そのなかのひとりに、衆議院厚生労働委員会で、参考人として政府の除染対策の遅れを厳しく批判した医学・生物学者・児玉龍彦さんが登場していた。
『日経サイエンス』2月号の『数理モデル妄信は禁物 - 金融危機はなぜ予測できないのか』という記事(元の記事は『Scientific American』2011年11月号)のヴィジュアルが、ドルでできたロケットが墜落するというもので、折り紙的なデザインだった。こういう仕事をたくさんしているジェセフ・ウーさんによるものかと思ったのだが、カイル・ビーンさんというひとの仕事だった。ビーンさんのサイトにある、卵の殻でできたニワトリ、携帯電話のマトリョーシカ、マッチ棒でつくった昆虫など、どれも面白い。えーと、金融工学の記事の中身はまったく読んでません。
13日の金曜日 ― 2012/01/11 20:18
なお、アポロ13号の事故を、4月13日金曜日とする記述を見たことがあるが、1970年4月13日は月曜日である。
「石子順造的世界」と「重森三玲 北斗七星の庭_展」 ― 2012/01/09 23:43




Macの瞳 と 浮かぶ杯 ― 2012/01/09 00:54


『変格折り紙』 ― 2012/01/08 11:03
変格:本来の格式・規則からはずれていること。(大辞林)
変格:本格に対する語。戦前、「本格探偵小説論争」において、推理の要素が少ないが「探偵趣味を多分に含んでいる小説」を、甲賀三郎氏が、そう呼んだという。
最近、正方形でない用紙のモデルばかり考えている。年末にできた2011年最後のモデルも、それであった。「不切正方形一枚折り」的には、「変格」なのだが、幾何学的には「純粋(genuine)」なものを目指している。
まずは、正六角形を対称面にして、表裏同等の正十二面体をつくってみたものだ。なんでいままで試していなかったのか。六角形の面が見えるように透明素材でつくったが、こうした素材でつくると、影も面白い。
そして、内接する立方体を「見せる」正十二面体である。透明素材でなくても内接する様子が見えることをアイデアの中心にした。6枚組である。同じものを正方形用紙からも折りだすことも試みて、一応できたけれど、どうしても無理矢理な感じになってしまった。
卍と北斗七星 ― 2012/01/05 22:34



『麒麟の翼』の折鶴 など ― 2012/01/04 19:55
原作に血染めの折鶴はでてこなかったが、千羽鶴が重要な小道具として使われていた。また、作中に店名の記述はないが、三越から小伝馬町方面に行ったところにある和紙の店・小津和紙が描かれていた。検索してみると、小津和紙さんのブログでも、この件がとりあげられていた。(原作発売直後と、映画ロケ後)
この作品は、いわば、日本橋のご当地ミステリなので、高島屋の近くにある和紙の老舗「はいばら」(現在、地域再開発中で仮店舗での営業らしい)は、ちょっとくやしかったかもしれない、などと思った。
銀座・日本橋近辺に行ったさいは、小津和紙、はいばら、鳩居堂、伊東屋、丸善をハシゴする(すくなくともその数軒には行く)が定番だったのだが、思えば、小津和紙さんには(はいばらさんにも)何年も行っていない。(先日、妻に買い物を頼んだけれど) 今度また行ってみよう。
なお、『麒麟の翼』での折鶴の使われかたは自然だった。紙のサイズという折り紙者がニヤリのトリヴィアもある。映画にもでてくるだろう。
映像作品にでてくる折鶴と言えば、TVドラマの『南極大陸』での千羽鶴の描かれかたは、ちらちらと観ただけなのに、違和感がとても強いものだった。1950年代の千羽鶴なら、使う紙は、煙草の包み紙や包装紙等の再利用にすればよいのに、15cmの「いろがみ」で折っていた。また、仕上げが羽根を閉じたかたちになっていたが、わたしの記憶にある千羽鶴(1960年代)は、羽根を広げているもので、羽根を閉じて(さらには頭の中割りをせず)ぎっしりと詰めるのは、案外、最近の習慣である。折鶴の他にも折り紙モデルが映っていたが、1970年代以降の創作であるロバート・ハービンさんの「ふきごま」がでてきたのは、完全にバツだった。ドラマなので、それらしいリアリティーでよいのだが、このドラマは演出全般(といっても全体の10%ぐらいしか観ていないのだが)にどこかずれた感じがあり、それが折り紙という小道具にも顕れている印象を持った。







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