折り紙作品(固定記事:最新記事はこの下)2038/01/18 18:51

自分で折った作品の写真数点を、冒頭に載せておくことにしました。

Devil&Pyramid
Devil & Pyramid
悪魔(設計:1978 正方形)、ピラミッド(設計:1993 正方形)

Peacock
Peacock
孔雀(設計:1993 正方形)

Beetle
カブトムシ(設計:1994 正方形)

Turkey
七面鳥(設計:2005 正方形)

Sections of the Cubes
立方体の断面(設計:2000 特殊用紙形)

へウレーカ!など2019/05/21 19:57

「紙1枚で何が折れますか?」
5/22日(水)22:00-22:45 NHK Eテレ
三谷純さん、フラクタル日除けの酒井敏さんが出演。
わたしに関連する話もちらりと出ると聞いた。

追記(5/22 22:45):酒井さんのフラクタル日除けは、東京近郊では、町田市鶴間5-3-30で見ることができます(はずです。すくなくとも5年前

TVといえば、5/17の『美の壺 進化する折り紙』に、三浦公亮さん、岡村昌夫さん、三谷純さん、有澤悠河さんが出演した。再放送は、5/25(土)6:30-7:00 NHK BSプレミアム。

エッシャー生誕121年記念 テセレーション講演会
6/15(土)13:30-16:00(13:00より受付)
講 師:荒木義明、谷岡一郎、藤田伸、他、日本テセレーションデザイン協会メンバー
場所:東京都美術館(上野) 2F スタジオ
定員:40(先着)

たぶん(?!)わたしも日本テセレーションデザイン協会のメンバーにはいっている。
121周年というのは11の平方だからかなあ?

◆折紙探偵団九州コンベンション
先週末は、佐賀大学での、折紙探偵団九州コンベンションに参加した。
わたしの講習作品は、ぱくぱくと口を動かして遊ぶ「大口のサカナ」。
大口のサカナ

1年ぶりの九州。何人かのかたから、おみやげをいただいた。ありがとうございます。
写真は、Yさんからの、カプセルトイ・「折リアル鶴」。なんじゃこりゃと。
折リアル鶴

トークイベント「数学的オリガミ入門」など2019/05/20 19:40

 - 最新刊『折る幾何学 約60のちょっと変わった折り紙』の話を中心に-
日時:2019/6/30(日)14:00-16:00
場所:双子のライオン堂書店(港区赤坂)
講師:前川淳
詳細は上のリンクから。

トークイベントですが、いろいろと盛りだくさんの内容にする予定です。
申し込みがはじまっています。

##
イベントには直接関係ありませんが、会場の書店さんの名前に合わせて、かわいい双子のライオンをつくってみました。耳とたてがみの造形を一体化したシンプルな多面体感が特徴で、「円錐のペンギン」や、「デルタ多面体のヒヨコ」などを考えたのと同時期のデザインです。
双子のライオン

6月は、ほかにも関わっているイベントがいくつかあります。

日時:6/22(土) 10:00-17:00
場所:JOASホール(東京都文京区)
主催:日本折紙学会
発表者募集中!

日時:6/23(日)13:00-15:00
場所:府中郷土の森博物館・ふるさと体験館
作品:星つき短冊(簡単版)(予定)
講師:前川淳
星つき短冊

歌の話あれこれ2019/05/17 00:45

今回も、話が長い。

◆天命反転住宅、シェレルプ・マリスタニー彗星、謎のマンドロンダン
三鷹天命反転住宅

なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まわす 前川佐美雄
四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ
丸き家三角の家などの入りまじるむちやくちやの世が今に来るべし

『植物祭』(前川佐美雄、1930)に収録されたこれらの歌から75年後、球や円筒状の部屋がある三鷹天命反転住宅(荒川修作、マドリン・ギンズ設計:写真)が建築された。この建物は、国立天文台三鷹キャンパスの近くにあるので、同キャンパスでの仕事のさい、昼休みの散歩で横を通ることが多い。何度見ても、不思議な建物である。隣には、オオサワベーカリーというパン屋さんがあって「天命反転パン」という商品もあるのだが、いつもあるわけではないので買いそびれている。

『植物祭』では、次の歌も印象深かった。

千年のつきひはやがてすぎ行かむされども星は地にかへり来ぬ

一読して、ただ雰囲気のある言葉を並べたのではなく、具体的な天体現象を描写した歌に思えた。写生を嫌ったことで知られる佐美雄だが、なぜかこの歌には、事実に即した手応えがあった。歌聖・定家の『明月記』の記述が貴重な古天文記録となっていたり、牧水の火星やハレー彗星を詠んだ歌が時日をほぼ特定できるのも連想した。

これは、1927年12月に近日点を通過した、シェレルプ・マリスタニー(Skjellerup-Martistany)彗星を詠んだ歌として、まず間違いないと思う。『短歌の道』というエッセイに「『植物祭』は大正十五年(引用者注:1926年)九月以降の作」とあるので、時期も合っている。

1927年12月、近日点を通過したシェレルプ・マリスタニー彗星は、日中でも観測できるほどに輝いた。等級はマイナス6、尾は視角40度あったという(『Comet of Century』 Frewd Schaaf、1997による)。離心率は0.9998、遠日点が海王星軌道の約70倍(13光日)もある長周期彗星で、その周期は36532年にもなる。千年経っても、「かへり来る」どころか、遠ざかる道のりの20分の1ほどを往ったにすぎない。しかし、離心率がぎりぎり1未満なので(1だと放物線軌道、1より大きいと双曲線軌道で、非周期彗星になり、戻ってこない)、軌道が撹乱されない限り、戻ってくる。前々回の接近時には、絶滅したネアンデルタール人もこの星を見上げていたはずで、3万6千年後には、人類が絶滅しているかもしれない。

シェレルプ・マリスタニー彗星
海王星の軌道(小さい丸)とシェレルプ・マリスタニー彗星の軌道(赤い長楕円)の比較図(じっさいは、S-M彗星の軌道傾斜角が90度に近いので、両者の軌道はほぼ直交している。この図はあくまで大きさの比較の図である)

『植物祭』にある次の一連の三首も、やはり星を歌った歌だが、上の歌ほどには、これだという解釈はできていない。

てんかいに遅遅とほろびて行く星の北斗もあればわれのねむりぬ
あたらしく北斗となれるペルセウスの星をながめて夜夜さびしめり
つひに北斗もマンドロンダンの星に狙はれて蒼き光を夜夜に嘆けり

恒星の固有運動を詠んだ歌とも思ったのだが、ひとが眠りにつく晩秋の深夜の空(下図)を詠んだ歌としたほうが妥当だろう。しかし、「あたらしく北斗となれる」は不思議な表現で、「マンドロンダン」という謎の言葉をアンドロメダとする解釈にも自信はない。

晩秋深夜の北天
11月末深夜零時、東京近辺の北の空(北斗星が地平近く、ペルセウス座とアンドロメダ座が天頂近くにある)

◆短歌について考えている
とまあ、『数学セミナー』の投稿短歌コーナーが終わってから半年、歌はつくっていないが、歌集を読み、短歌について考えている。

個々の歌ではなく、短歌や俳句全般についても考えている。型というものの機能、そのオルタナティヴ(もうひとつの)アート性、旧い権威に担保されたフラットさ、箴言としての機能、引用の構造などである。そして、それらの関心の中心にあるのは、折り紙とのアナロジーだ。

漢詩の短歌訳を試行してみたり、定型詩を称しての「ピタゴラス的」というボードレールの記述や、「短歌的叙情」を糾弾する小野十三郎さんの評論を図書館で探して読んだりもした。どうやらわたしは、齢重ねて、かつてそうだった文学青年的なナイーヴさに遡行している。

最近読んだ歌集で印象的だったのは、昨年末にでた藪内亮輔さんの歌集『海蛇と珊瑚』だった。藪内さんがこれらの歌をつくったのは、数学専攻の大学生-院生のときだそうだ。さきごろわたしも歌想にした(?)、数学者・カラテオドリの名を詠んだ歌もあった。

フロマンタンとカラテオドリの名前おもしろさ選手権カラテオドリの勝利 藪内亮輔

ちなみに、カラテオドリは数学者だがフロマンタンは違う。そして、こういう歌ばかり読むひとではない。そもそも、数学に想をとった歌はあまりない。歌も、数学にたいしての立ち位置も、真剣で切実なので、簡単には混ぜられないのかもしれない。露悪的な表現も多いのだが、そこに騒(ぞめ)いたものはなく、静謐で、しかし、ひりひりした若さを感じさせる歌が並ぶ。ときに、「わしには強すぎる」と、飛行石を見たポムじいさん(『天空の城ラピュタ』)の気持ちになる歌たちだ。

われのいかりは本を投げ捨て鉛筆を投げ捨てつひにわれを投げ捨つ

わたしの最近の趣味である「折々の歌探索」(折り紙に関係する歌や俳句の探索)のコレクションに加わった歌もあった。

感情を折り合ひながら君とゐるそれはときどき飛行機になる

「折り合う」という言葉に、なぜ「折る」が使われるのかというのをふと疑問に思ったが、「我を折る」(我を曲げる)など、主張を変えることの「折る」からきているのだろうと得心した。この「折る」は、どちらかというと、面よりも線を曲げる感じ、ベクトルを変化させるイメージだ。ただ、そのベクトルを法線ベクトルとみれば、平面が対応しているので、「折り合い」は折り紙になりうる。…考えすぎである。

ほかにも「夕空を折り畳む」という表現の歌もあって、そのうちのひとつが以下だ。

夕空は折り畳まれてきみの目に入つて涙にも火にもなる

これは、より数学的というか、コンボリューション(たたみこみ:重畳積分)であろう。これは考えすぎではない…と思う。

衆目の一致する秀歌は、数学とは関係がないもので、事実上のデビュー作らしい連作の中の一首である。平易な表現で、ありふれた日常の中の特別な一瞬が、鮮やかに切り取られている。うますぎるぐらいうまい。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく

最近見つけた、「数学短歌」では、杉崎恒夫さんの次の歌が好きだ。

カウンターにぽつんと腰をかけている数直線の√2の位置

ルート記号と数直線を、スツールとカウンターテーブルに見立てている。この歌を10年前に知っていれば、『本格折り紙√2』の題辞につかったのになあ。

杉崎さんの歌は、どこか宮沢賢治的だ。理科趣味で、透明で、しかし切ない。ただ、賢治の詩にはときに切羽詰まった感じがあるが、杉崎さんの歌では、そうしたものは意図的になのか避けられ、その調べは穏やかだ。

毒のないぼくの短歌とよくなじむ信仰心のうすいマシュマロ

上の薮内さんは若い歌人だが、杉崎さんは、2009年に90才で亡くなった歌人だ。歌集も晩年、そして亡くなったあとに出ており、多くは老境にはいっての作歌である。しかし、その穏やかさは老巧とは違うものだ。歌柄はおどろくほど瑞々しい。

灯台の白い破片が飛びちっているのではない風のかもめら

氏は、国立天文台の三鷹キャンパス(当時東京大学東京天文台)で、経理の仕事をされていたらしい。何度か歌に詠まれているアインシュタイン塔(一般相対性理論検証用の太陽分光写真儀)や、セミの声に満たされる夏の林は、わたしにも親しい。上にも書いたが、月に数回仕事で行く三鷹キャンパスの構内や周辺を、昼休みにひとりで散歩するのを、わたしは習慣にしている。同僚と一緒に食事をすることはなく、独りで散歩する。社交性に問題があるわけではない…たぶん。

語尾ひきてトラツグミ鳴けり朝暗きアインシュタイン塔のかたより
ひとかけらの空抱きしめて死んでいる蝉は六本の足をそろえて
落ち蝉の翅の網目に刻まれし夏つかのまの光の記憶

退官されたときと、わたしが天文台の仕事を始めたのがほぼ同じころなので、接点はまったくないが、もし時代が重なっていたなら、「杉崎さんですか。事務の用事ではありません。あなたの歌のファンなのです」と事務室を訪ねたのではないか、などとも考えた。というように、わたしは社交性がないわけではない…たぶん。

『食卓の音楽』の解説(前田雪子さん)を読むと、杉崎さんは、1980年代初頭、開所したばかりの野辺山観測所で、歌の師の前田透さんを案内したことがあるという。そのさいに詠まれた前田さんの歌が次だ。野辺山45m電波望遠鏡(ヨンゴー)を詠んだ、珍しい歌である。

宇宙電波に白き影おくアンテナはさみどりの野に日をかえしおり 前田透

野辺山45m電波望遠鏡

さみどりとあるので、季節もちょうどいまごろだろう。まあ、野辺山の気温は、5月にはいってから、マイナス5度を下回った日もあったのだけれど。

杉崎さんの歌で、わたしの「折々の歌アンテナ」にかかったのは次である。

音荒く雨ふる夜明け胸という一まいの野を展げていたり

胸は、枯野か沃野か、いずれにせよ広い草原で、ふだんのそれは折り畳まれている。しかし、夜明けには、そこに風が吹き、雨が降り注ぐ。事実、肺胞はフラクタル的な構造になっていて、その面積は100平方メートルに近いという。現実の肺胞は展げることはできないが、想像の中にある胸は、展開可能な「ミウラ折り」構造になっているのかもしれない。ちなみに、杉崎さんは若いころの結核で、肺は片方だけになっていたという。

◆フナムシとムカデ
船虫の無数の足が一斉に動きて船虫のからだを運ぶ 奥村晃作

奥村さんのこの歌がすばらしいので、類想の歌や句はないかと、フナムシのでてくる句を探していたら、次の二句が対になっていて面白かった。

舟虫のとまれば脚のみなそろふ  阿部夕礁
船虫の動けば足のみな動く 谷口三居

フナムシの句には、ほかにも面白いものが多かったのだが、合わせてムカデの句も調べたら、これは、すこし気が滅入った。たたきつぶす句ばかりなのだ。とりわけ、山口誓子さんのムカデ嫌いはきわ立っていた。

身をくねる百足虫を見れば必殺す 山口誓子

どうやら、家にたくさん出て閉口していたらしい。生息域の違いで、家にはあまりあがってこないフナムシとは違って、ほかの俳人もみなムカデと闘っていた。

勝つ事は勝てり蜈蚣(むかで)と闘ひて 相生垣瓜人
蜈蚣死す数多の足も次いで死す (同)

これらは攻防の必死さがあってまだよいほうかもしれない。全般にひどい扱いなのだ。現代の句や歌では、ゴキブリもこの扱いであることが多い。「ミミズだって オケラだっけ アメンボだって みんなみんな生きている」(やなせたかし)のに。

わたしだって、ムカデの脚を見ればぞわぞわするが、波のような動きのある脚は美しいとも思う。先日も、家の中にちいさいムカデがいたので、紙でつまんで外に逃した。わたしは殺しませんよ、ということを強調したいわけではない。殺生戒の強いジャイナ教徒のような信仰心は持っておらず、家の周りに大量発生したら薬剤を撒くかもと思うので、欺瞞でもある。来世も信じていないので、カンダタのような救いを期待しているわけでもない。それでも、千年前の『蟲愛づる姫君』が「毛虫は毛などが面白いのに、話にもでてこず、残念で物足りない(かは虫は毛などはをかしげなれどおぼえねばさうざうし)」と嘆いた頃からあまり変わっていないなあ、と思う。ただこれは、虫は文芸の視野にもはいっていないという嘆きなので、現代短歌や俳句では詠まれているだけでもましと言えるかもしれない。

ムカデといえば、1年半前の折紙探偵団名古屋コンベンションのとき、アメリカの折り紙創作家・ブライアン・チャンさんと、以下の会話があった。

わたし:「今日の講演で、あなたは、ネコバスはムカデの一種と話していたけれど、ケンタウロスは昆虫ですね」
チャンさん:「カマキリの一種ですね」
ブライアン・チャンさんの作品

むろん、折り紙の造形を構造的に見た上での、同類であるとの認識だ。なお、ケンタウロスが昆虫的であるという話は、星新一さんが『救世主』という話にも書いている。

ムカデは英語でcentipedeである。センチメートルのcentiすなわち百と、pedestrian(歩行者)などの語幹のpede(足)からなる言葉で、漢字の百足と同じ命名法だ。いっぽう、和語のムカデは、百手(ももがで)だという。足ではなく「手」なのだ。いずれにせよ百である。しかし、じっさいのムカデ綱に属する動物の脚の数は百ではない。15、21、23、37、41対など奇数対だという。フナムシとダンゴムシも7対で奇数、昆虫も3対で奇数だ。なぜかは、ざっと調べてもわからない。『The On-Line Encyclopedia of Integer Sequences』で、この「15、21、23、37、41」という数字の並びを検索してもヒットしない。

正三角形×2モジュールなど2019/05/03 13:43

『流れよわが涙、と孔明は言った』(三方行成)
三方行成さんのSF短編集『流れよわが涙、と孔明は言った』の表紙に、折鶴が描かれていた。よく見ると、ピョンピョンガエルやユニット折り紙なども散りばめられている。本編中にも折り紙がでてくるのだろうと、ぱらぱらと見ると、『折り紙食堂』という連作が掲載されていた。『エッシャーのフランベ』『千羽鶴の焼き鳥』『箸袋のうどん』の三編である。

路地裏に、あるいは、文明が崩壊した廃ビルに看板を掲げる、謎の「折り紙食堂」。そこで供される、秘技としての折り紙。こう書いても、なんのことかわからない要約だが、そういう話なのである。いわゆるマジックリアリズム的な作品なのだが、こうした作品では、却ってというか、ディテイルのリアリティーは重要になる。で、この小説の折り紙のディテイルがどうかというと、なかなかのものだった。三方さんはじっさいに折り紙をたのしんでいるのかもしれない。三方という名前も折り紙ぽいしね(伝承作品に「三方」(サンボウ)がある)。

coco氏による表紙のイラストの折り紙もよく描かれている。30枚組みの薗部ユニットと、笠原邦彦さんのリボン模様ユニット(小説中で「エッシャー」と題されているモデルか)、折鶴、風船、ピョンピョンガエル、パクパク(フォーチュン・テラー)のほかに、ユニコーンが描かれていて、これは、事情通に「ははあ」と思わせる遊びになっている。
『流れよわが涙、と孔明は言った』『流れよわが涙、と警官は言った』(P. K. ディック)→『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』→映画『ブレドランナー』という連想だ。『ブレドランナー』には、折り紙のユニコーンがでてくるのだ。(ちなみに、なんどか触れたけれど、『ブレドランナー2049』には、わたしのモデルの折り変えである折り紙の羊がでてくるのであった。残念ながら「無断使用」だけれど)

◆WARIGAMI
『WARIGAMI』という、折り紙をネタにした、TVシリーズがあるらしい。「紙から殺人武器をつくる特殊能力を持った日本人の女戦士のアクション物語」などとある。トレイラーを見るとよくできているが、情報が少ない。

◆『零の発見』
先日このブログで、『零の発見』(吉田洋一)に触れた。しかし、よく考えると、名著の誉れ高いこの本を読んでいないということに気づいた。岩波新書の13番目、初版1939年、2019年144刷の超ロングセラーである。入手し、まず扉をひらいて驚いた。のちにPCCPシェル(擬似円筒凹型多面体シェル、by三浦公亮)といわれる立体のモデルの写真が載っていたのだ。円筒の表面積の計算において、分割方法が適切でないと、値が発散してしまう例としてあげられている。とても興味深い例で、川崎敏和さんが言及していた記憶もあるが、この面積の発散は、直感的にはわかりにくい。似たわかりやすい例では、斜面を階段で表すと、その極限をとっても長さが斜面の√2倍になってしまうというものがある。ただその例では、発散はしないので、意外性は落ちる。
『零の発見』(吉田洋一)

献辞が「武見太郎にささぐ」となっているのも、どういう話があるのだろうと思った。日本医師会会長だった、あの武見太郎氏だろうが、吉田氏とのつながりがよくわからない。

◆正三角形×2モジュール
寺田徳重さんの「60°ユニット」のバリエーションをつくった(近日中に、図をどこかで公開予定、追記:前例ありと判明したので断念)。正三角形×2となるモジュールで、長所は、さまざまな多面体が組めることだ。

デルタ多面体
上段:星型多面体(正四面体からの星型、ステラ・オクタンギュラ(ダ・ヴィンチの星))
中段:凸デルタ多面体(6、10、12、14、16)
下段:正四面体、正八面体、正二十面体

正多面体を含む凸デルタ多面体は、中段下段の8個ですべてとなる。ひさびさにこのパターンのモジュールをさまざまに組んでみて、正二十面体とデルタ十六面体の構造がよく似ているということを、あらためて思った。

どちらも、ふたつの「緯線」上に5価頂点(辺が5個集まる頂点)が並ぶ。そして、「北極」と「南極」も5価頂点になるものが正二十面体、それが4価頂点になるものがデルタ十六面体である。となると、デルタ十二面体は「極」が3価頂点のもののように思える。しかし、そうではないのが面白い。同系列の考えでデルタ十二面体をつくろうとすると、正三角形がふたつづつ同一平面となって、平行六面体になってしまうのだ。

また、別のところでも書いたことがあるが、デルタ十八面体が存在しないことも面白い。
正三角形の面による(20, (18), 16, 14, 12, 10, 8, 6, 4)面体は、
5価頂点が(12, (10), 8, 6, 4, 2, 0, 0, 0)
4価頂点が(0, (1), 2, 3, 4, 5, 6, 3, 0),
3価頂点が(0, (0), 0, 0, 0, 0, 0, 2, 4)
というならび、全頂点の数でいえば、以下のきれいなならびで可能に思える。
(12, (11), 10, 9, 8, 7, 6, 5, 4)
しかし、5価頂点10、4価頂点1は不可能なのである。

網代モジュール
上のストライプ模様とは異なる、網代(あじろ)模様のものもつくってみた。

『街角の数学』、そして、ノートルダム大聖堂の話など2019/04/20 10:11

◆51
51
イチロー選手の背番号の51というのは、もしかしてSuzkuki 1-roの「頭文字」の「S 1」、もしくは、Suzkuki Ichiroの「S I」を「51」に見立てたものなのか、と思ったのだが、すくなくとも最初につけたときにはそんな話はなくて、空き番号だったということだけらしい。

51=3×17であり、17といえば、ガウス御大による正十七角形の作図があり、3と17は互いに素である。つまり、正五十一角形は、正十七角形の作図と正三角形の作図の組み合わせで、定規とコンパスで作図できる。
正51角形
それを示す図を描いて見た。すると、正五十一角形がほとんど円に見えて、なんの図なのか、いまひとつわからなくなってしまった。この図の青い線は円ではなく、正五十一角形で、赤と緑の丸は、その頂点ふたつを示すものなのだが、この解像度ではそうは見えない。

ところがである。数値計算をしてみると、円の直径を1としたとき、内接する正五十一角形の周の長さは3.1396...、外接する正五十一角形の周の長さは3.1455...で、そんなによい近似という気もしないのであった。これはつまり、よほどのことがない限り、実用的な円周率は3桁の近似3.14で充分だということを示している。

◆『街角の数学』
五輪教一さん、山崎憲久さんから、新著『街角の数学』をご恵贈いただいた。身の回りにあるものを和算的な視点、つまり図形を愛でる視点でたのしむ本だ。ぱらぱらとめくっていると、「丸窓」と題されたコラムに、さきごろ火災にあったノートルダム大聖堂の薔薇窓の写真があった。

ちょうどわたしは、火災のニュースを聞いて、この薔薇窓に関して、まさに街角で数学したことを思い出しているところだった。11年前、パリに行ったさい、わたしはこの窓を見て、その意匠をあれこれ考えたのだ。どこにも記録していなかったものだが、以下、その話を思い出してまとめてみた。

ノートルダム大聖堂
ノートルダム大聖堂の南面(11年前)

写真は、火災前のノートルダム大聖堂の南側である。真上から見て十字架になっている屋根(4月15日の火災で燃え落ちたものである)の、横木の先端にあたる。この写真にも写る上部の小さい丸窓は、激しく損傷したというが、不幸中の幸いというか、大きく美しい薔薇窓は、反対側の北の窓とともに損壊を免れたという。

ノートルダム大聖堂・南の薔薇窓
南の薔薇窓

この薔薇窓は、大きい正方形に円を内接させ、その円を十二の花弁(十二使徒と関係するらしい)で分割したかたちが基本になっている。これを見たときに面白いと思ったのは、そこに、ルーローの三角形が使われていたことだった。

ルーローの三角形というのは、辺を円弧にすることで、どこをとっても等幅になっているかたちで、ロータリーエンジンのローターや、パナソニックの掃除ロボットに用いられているものである。この図形に名をのこす工学者・フランツ・ルーローがプロイセン(ドイツ)に生まれたのは、ノートルダム大聖堂ができてから約六百年後のことだが、このかたち自体はより古くから使われていたのであろう。

教会建築の意匠の歴史や、ノートルダム大聖堂の建築史などに関しての知識はなく、この窓の意匠が特別なのかそうでないのかも知らないのであるが、後述するように、北側の窓とも異なっていて、かなり珍しいものに思えた。

まず、なぜルーローの三角形かというとことである。円周上に並ぶものは、厳密にはルーローの三角形ではないので、全体の四隅で見てみる。大きい円と正方形のすきまに、中に六つの花弁のある小さい円が接し、さらにそのすきまに、ルーローの三角形が接し、その中に三つの花弁がある(図1)。

枠の中にあるそれぞれの花弁は、見た限り、互いに外接する円からできている。六つの花弁の枠が円であるのにたいし、三つの花弁の枠はルーローの三角形なのだ。それはなぜか。それは、三弁のときに花弁を大きくするためとみてまず間違いがない。三弁の枠を円にすると、図2のようになるが、それだと花弁が小さすぎるのだ。
薔薇窓の作図の検討

つぎに、ルーローの三角形の向きである。それらは、図1の赤い線のように、正方形の辺に円弧の二分点が接する向きになっている。しかし、それは、このすきまに接する最大のルーローの三角形ではない。最大のものは、これよりやや傾いたものになる。図3の青い線である。この向きを決める計算はかなり難しくなり、直角にしたほうがわかりやすいのだが、内接する三弁を大きくするということに限って言えば、図1は合理的ではない。

しかし、よく見ると、この向きには、別の意味があることがわかる。ふたつのルーローの三角形の向きに沿った線の交点が、内側の大きい花弁(これらは大きい円の円周にとどいていない)の先端に一致しているのだ(図4)。補助線をひく(図4の緑の線)と、図がとても「きれい」なのである。

まとめると、この意匠を考えた建築家や職人は、十二弁、六弁や四弁はともかく、三弁の花という、正方形とはやや相性が悪い意匠を用いながら、それがうまく馴染み、正方形と喧嘩しないように、デザインを進めたのではないか、ということである。そもそもなぜ三弁が多用されたのかというと、たぶん三位一体の象徴といった意味があるのだろう。なお、パーツの中に見える四弁のものは、円の枠を使っておらず、三弁にも、花弁の円が重なるかたちでより円に近くして枠を使っていないものもある。

ここで、北側の薔薇窓にも簡単に触れよう。残念ながら写真を撮り損ねたのだが、そこに、ルーローの三角形はなく、三弁の花弁の枠も円になっていた。そのままでは、上述の南窓で説明した理由で花弁が小さくなってしまうので、円が重なるようにしていた。三弁の向きも、南窓とは異なり、中央の十二弁の花弁の先端も、大きい円の周に接したかたちだった。北窓は、南窓に比べて単純なのだ。

上に「四隅」と書いたように、薔薇窓の上部の隅も同じ意匠になっている。ただし、そこにはガラスは嵌め込まれていない。これは、内側から見たときにアーチ状に見えるようにしたためだろう。

内側からといえば、11年前のわたしは、参拝者が列をなしていたので、中からこのステンドグラスを見るのを諦めた。ステンドグラスというのは、暗い室内から光を通して見ることを考えてつくられるものである。わたしは、この薔薇窓の一番美しいところを見ていない。世界で最も美しいステンドグラスとも言われるその様、火災にも耐えたその麗姿を、機会があったら見たいと思っている。しかし、ふらんすへ行きたしと思えどもふらんすはあまりに遠い。

もやもやの解決など2019/04/15 21:28

以下、またまた長々と書いてしまった。

◆時代だと思わない
海部宣男さんの訃報があった。闘病中と聞いていたけれど、薬石効なく。この1年すこしの間に、間接直接にわたしの人生に関係したひとが、相ついで亡くなった。時代の区切りのように思えてしまうが、これは、わたしがそういう年齢になったということなのだろう。改元とシンクロナイズしているかに思えるのも、次の天皇とわたしの年齢が近いからにすぎないのだろう。

芥川龍之介が、『侏儒の言葉』の遺稿部分に、「昭和改元の第X日」などと書いているのは、どういう心境だったのだろう。なんで年号を気にしていたのだろう。たとえば、以下。

眠りは死よりも愉快である。少なくとも容易には違ひあるまい。(昭和改元の第二日)
『侏儒の言葉』遺稿 芥川龍之介)

わたしは、時代がどうだとか思わないように過ごしていきたい。ただ、さきに逝ったひとは、これからのひどい光景を見ないですんだのかもしれない、と思うことはなくもない。しかし、これは、若いひとにたいして申しわけない考えである。

(話は、まったく変わって)
◆ブラックホール
EHT(イベント・ホライズン・テレスコープ:事象の地平線望遠鏡)による、M87銀河の中心核(おとめ座A : Vir A)のブラックホールシャドウの画像が大きな話題になった。新聞の一面に載るほどに話題になった理由は正直よくわからないところもあるが、天文観測の一端にいる者として、こうした成果が大きくとりあげられるのはうれしく、文字通り「絵になる」成果であるのは間違いない。

すこし前、『数学セミナー』『数学短歌の時間』(題:原点)に、天の川銀河の中心(いて座A* : Sgr A*)を詠んだ歌を投稿した。選歌されなかったが、野辺山観測所の技術スタッフとしての実感を素直にこめた歌である。

仰ぎ見る銀河座標の原点(オリジン)の彼方にひそむブラックホールよ

銀河座標というのは、天の川銀河の中心を原点に、銀河面を銀緯0度にするようにして決めた天球座標だ。その原点、すなわち天の川銀河の中心にも、超大質量ブラックホールがある。

超大質量ブラックホールとして一番近くにあるのは、われわれの銀河の中心Sgr A*なのだ。それはM87の中心核よりずっと小さいが、近くにあるので、事象の地平線(面)の見た目の大きさ(視直径)は、M87の中心核と同じオーダーになるらしい。いずれにせよ、事象の地平線を見ようと思った場合、恒星質量ブラックホールは、近くにあっても小さすぎるので、銀河中心核の超大質量ブラックホールでないと、そもそも難しい。Sgr A*は、EHTの観測対象天体のひとつでもある。では、なんで今回の観測がSgr A*ではなかったのか。これは、ミリ波帯で観測したSgr A*の時間変動が大きいので、撮像が難しいからだという。

EHTで使われたVLBI(超長基線電波干渉計)は、遠く離れた複数のアンテナの同時観測のデータの相関をとり、それらから画像を合成し、空間の分解能を上げる観測である。M87の中心核も、Sgr A*も、地球大の規模のベースラインによる解像度がないと目的の構造は見えないのだが、その観測は、地球の動きも使って仮想的な望遠鏡の鏡面を埋めようとするので、基本的に長時間の観測を必要とする。よって、短時間のスナップショットには向いていないのである。ただし、Sgr A*のVLBI観測も、平均化や、逆に時間変動を含めた疎性モデリング(少ない情報量からのモデリング)で、興味深い成果が得られる可能性もあるという。

(またまた、話は、まったく変わって)
◆もやもやの解決その1
3年前、『数学セミナー』の別冊『数学ガイダンス2016』に、『折って楽しむ数学セミナー・番外編・円環七色地図』という記事(折り紙的工作+エッセイ)を書いた。そこで、作家・堀辰雄が少年時代に数学者を志望していたという話題に触れ、ポール・ヴァレリーが数学に憧れていたこともからめて、「数立ちぬ。いざ生きめやも」という地口でしめくくった。ただ、このエッセイを書いたさい、いろいろ調べたのだが、辰雄が数学者になりたかったという話のしっかりした典拠を確認できず、エッセイも、「数学者を志望していたそうです」と、推定文にした。

関連の話は、上記記事を書いたさい、このブログに「折り紙が苦手な堀辰雄 」としても書いた。(そこに、辰雄 の『羽ばたき』にジジとキキという少年が登場するということも書いたが、これに関しては、『魔女の宅急便』の原作者の角野栄子さんが、名前をそこからとったということを、あとから知った)

先日、辰雄が数学者になりたかったというこの話の証拠を見つけた。『文藝 1957年2月臨時増刊号・堀辰雄読本』掲載の『堀君と数学』(吉田洋一)というエッセイである。吉田洋一さん(1898 - 1989)は、岩波新書の古典『零の発見』や、第1回日本エッセイスト・クラブ賞の『数学の影絵』など、一般向けの文章の筆も立つ数学者だが、辰雄が一高の生徒だったときの数学教師で、その後の交流もあったというひとなのであった。その記述は以下である。

 この最後の会見(引用者注:辰雄が逝く前年1952年に会ったさい)のとき、何かの話のついでに、堀君が高等学校へはいるとき、どうして理科を志望したのかをたずねたことをおぼえている。そのときの答えによると「数学を専攻するつもりでした。中学時代には数学が学校中で一番よくできたんです。それが四年生から高等学校にはいったので三角や立体幾何をよく知らなかったため、だんだんわからなくなってしまったんです」というようなことであった。このとき、わたしは「数学のどういうところに興味をもったか」を詳しくきいてみたかったのだが、病人にあまりこみいった話をさせるのもどうかと思ってさしひかえてしまった。
 (略)
 こんなことをいったからといって、何も堀君の作品と数学の間に糸をむすべるだろう、などといっているのではないことを最後にことわっておきたい。ちかごろ、俳句を論ずるのにカントルの集合論をふりかざしたりする人などがいるが、わたしはこういう傾向を苦々しいことと思っている一人なのである。
『堀君と数学』1957:『堀辰雄全集別巻二』1980)

最後の苦言も、ほんものの数学者の面目躍如たるものがある。

◆もやもやの解決その2
ブルーノ・ムナーリさんの『正方形』(阿部雅世訳)に、「中国のことわざ」として載っていた「無限は正方形をしている。ただし角はない。」の出典が(たぶん)わかった。これも、出典はどこだろう、どこかで見た記憶もあるのだけれどと、気になっていたのである。

この「解明」は、先日このブログにも書いた話、「吾唯知足」が説教くさいので「足」を「呆」にするということを思いついたこと、それが始まりだった。これはこれで面白いと思ったのだが、まじめに「知足」ってなんだろう、とも考えた。「知足」は『老子』を典拠とする、という記述を見かけて気になったのだ。そこで、本棚から、二十歳のころに読んでいた『老子』を引っ張り出した。

全八十一章の『老子』で、「知足」がでてくるのは、ざっと見た限り、三十三、四十四、四十八章だった。このうち、四十四、四十八章は、「足るを知る」の一般的な印象に近いこと、すなわち、物欲が泥深い沼であることを述べていたが、三十三章はすこし違うニュアンスであった。意訳気味に訳すと、以下である。

ひとを知る者は聡いが、自分を知る者こそが賢い。ひとに勝つ者には力があるが、自分に勝つ者が強い。充ち足りたと思えば豊かな気持ちになるが、努力する者もあり、それは志があるからだ。いるべき場所を失わない者は長生きするが、死しても亡びない者を長寿という。

知人者智 自知明 勝人者有力 自勝者強 知足者富 強行者有志 不失其所者久 死而不亡者
寿

ふたつづつの文言を逆接で結ぶようにしたのは、だいぶ恣意的な訳だと思うが、それぞれの後者のほうが、より言いたいことではないか、ともとれる書きかたなのだ。「よいこと言ったでしょ。でも、さらにね」という修辞技法である。つまり、「知足者富」は、「強行者有志」の前振りのようにも読める。そのように読めば、これは、分相応のすすめなどではない。

そもそも『老子』『老子道徳経』)は、思想や倫理を大系的に示した書というより、気の利いた箴言集のたぐいと考えたほうがよいものだ。老子そのひと自体、実在も定かでなく、前後矛盾することも書いてあり、一種の皮肉なのではないか、と思う言葉も多い。たとえば、三章の「常に民を無知無欲にして 知恵者にはあえてなにもさせない。何もしなければ、(世は)治まらなくもない(常使民無知無欲 使夫知者不敢為也 為無為 則無不治)」などは、すくなくとも現代人の感覚からは、皮肉にしか思えない。

『老子』が気の利いた言葉を集めた箴言集であるという話は、寺田寅彦も書いていたという記憶があった。探してみると、『変わった話 一電車で老子に会った話』の中にそんな記述があった。なお、『電車で..』という奇妙な題名は、電車の中で『老子』を読みふけってしまったという意味である。寅彦が熱中して読んだのは、アレクサンダー・ウラールというドイツ人の訳した『老子』である。

哲学の講義のようでもあり、また最も実用的な処世訓のようでもあり、どうかするとまた相対性理論や非ユークリッド幾何学の話のようでもある。そうかと思うと、また今の時節には少しどうかと心配されるような非戦論を滔々と述べ聞かすのであった。
(略)
このドイツ訳がどれくらい原著に忠実であるかということは自分には分かりかねるが、(略)このドイツ訳の方がともかくも話の筋がよく通っていて読んで分かりやすいことだけはたしかである。例えば「大方無隅。大器晩成。大音希声。大象無形。」というのを「無限に大きな四角には角がない。無限に大きい容器は何物をも包蔵しない。無限に大きい音は声がない。無限に大きな像には形態がない」と訳してある。「大器晩成」の訳は明らかにちがっているようではあるが、他の三句に対してはこの訳の方がぴったりよく適合するから妙である。

これを読んで、あっ!と思ったのだ。大方無隅! これこそが、「無限は正方形をしている。ただし角はない。」の出典なのではないか。まず間違いがない。そして、「吾唯知足」を真ん中を正方形にして配置するのも、一種の「天円地方」の「地方」、すなわち、世界を正方形としてみる思想と関係しているのかもしれない、とも思った。

もやもやが解決したという話はここまでなのだが、連想はまだ広がった。まず、ドイツ語訳された『老子』ということで、あれもそうか!と思ったのである。ブレヒトの詩『老子の亡命の途上で道徳経が成立するという伝説』である。彼が老子に接したのも、このウラールというひとの翻訳によってではないだろうか。

連想は、さらにひろがった。ブレヒトの詩は老子の亡命、いわゆる「老子出関」の伝説をもとにしているが、同じ伝説をもとにした別の話がある。魯迅の『出関』である。自宅の書架で、それを探した。これは見つからず、かわりにというか、カバーをかけたままの魯迅の『野草』を発見した。書店のカバーは外すことにしている(最近はつけてもらうこともない)ので、なんで、カバーがついているのかと思ったら、そこにレシートと硬貨の絵が書いてあり、それで捨てられなかったようであった。当時の自分の暇さというか、意味のない時間の使いかたに、妙に感心した。岩波文庫が星の数で価格が表示されていた時代のもので、白星ひとつ100円だが、生協の割引で90円である。
『野草』(魯迅)

というわけで、そのころの気分がさらによみがえった。そのころのわたしは、魯迅によるサンドールの詩の一節「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」(絶望なんてないよ。希望がないようにね)という言葉に惹かれていた。また、『老子』二十章の言葉にも、身をつまされていた。『老子』の二十章は、ある種の若者にかなり「くる」言葉なのだ。

(意訳)
学ぶことをやめてしまえば憂いはない。(略)世のひとは、楽しそうにしてご馳走を食べているようで、春の日に高台にいるようだ。わたしは独り怖気づいて何の兆しもなく、まだ笑わない嬰児のようだ。(略)世の中のひとはなにをするかを知っているのに、わたしだけは真っ暗だ。世の中のひとは何をするかわかっているのに、わたしだけは悶々としている。(略)だれもが自分を持っているのに、わたしだけは頑なに引きこもっている。わたしは独りひとと違っていて、乳母に生かされていることに甘えている。

絶学無憂 (略) 衆人煕煕 如享太牢 如春登台 我独怕兮其未兆 如嬰児之未孩(略)俗人昭昭 我独昏昏 俗人察察 我独悶悶 (略)衆人皆有以 而我独頑似鄙 我独異於人 而貴食母

このモラトリアム感! 最後の「我独異於人 而貴食母」は、「だが、わたしはひとと違い、母なる「道」に生かされていることに感謝しているのだ」などと、哲学的な言葉に解釈されるのが通常で、そういうものなのかとも思うが、「嬰児のようだ」という比喩に対応して「乳母(や家族)の世話になっている」と、そのままにとってしまったほうがよい気がするし、そのほうがぐさりときた。

さて。「老子出関」に題をとった魯迅の『出関』であるが、これは、読んだつもりでいたが、未読だった。花田清輝さんの『魯迅』という題のエッセイに、戦中にこの『出関』を愛読していたということが書かれていて、わたしは、それを読んで、魯迅のものも読んだ気になっていたのようだ。花田さんはそこに、「黄塵の渦まくなかを、のろのろと、砂漠にむかって消えていく老子のすがたを、私は愛した」と書いていてる。

あらためて『出関』を読んでみると、ブレヒトより皮肉や戯画化の面が強く、魯迅自身の自嘲のようにもとれる話だった。魯迅は、自嘲ということは否定しているようだが、自身を含めた知識人というものに対する皮肉が含まれているのはまず間違いない。しかし、そうであっても、そこに描かれる老子そのひとは、情けないがゆえに魅力的なのであった。だいたい、伝説などから読み取れる老子の人物像も、まったく聖人などではない。なにせ、我独悶悶である。魯迅の筆は、そうしたニュアンスをきちんとすくい取っている。『老子道徳経』を「道徳」の元祖として持ち上げるのもずれているが、魯迅の『出関』を、空理空論の非実践者への批判とのみ読む見かたもつまらないものだ。

◆『老子図』と『百福図』
というわけで、老子がにわかにマイブームとなったこともあって、昨日、府中市美術館で開催中の『へそまがり日本美術』展に行ってきた。入れ替えの多い展示の前期最終日であった。同展は、徳川家光の脱力する絵が大きな話題になっているが、仙厓と蘆雪の『老子図』も展示されているという情報があったのだ。残念ながら仙厓のそれは展示がなかった(詳細な事情は不明で、後期も展示がないらしい)が、蘆雪のそれはよかった。これらの絵にも、老子の情けない感じが描かれている。(図録には仙厓も載っている)

『へそまがり日本美術』展@府中市美術館 図録より、長沢蘆雪(左)と仙厓義梵(右)の『老子図』
『へそまがり日本美術』展@府中市美術館 図録より、長沢蘆雪(左)と仙厓義梵(右)の『老子図』

同展は、キュレーションの勝利というべき展示で、ほかにも面白い絵がたくさんあった。きわめて個人的な興味での収穫のひとつは、岸礼(1816-1883)というひとの『百福図』である。百福と言いながら、じっさいには145人のお多福さんが描かれ、彼女らが思い思いのことをしている絵だ。その中に、折鶴を発見したのである。いせ辰の江戸千代紙『大吉百福』の中にも折鶴があったので、ここにもあるかと思って探して見つけた。

『へそまがり日本美術』展@府中市美術館 図録より、岸礼『百福図』の部分。
『へそまがり日本美術』展@府中市美術館 図録より、岸礼『百福図』の部分。

『○△□ How many』など2019/04/08 21:01

かっこいいかぶと
4/28(日)13:00-15:00、府中市郷土の森博物館で、「かっこいいかぶと」を講習します。
「折るのはむずかしくないけれど、ちょっとかっこいい」をテーマにした作品です。

先週末、竹芝のギャラリーで開催されていた戸村浩さんの展覧会『○△□ How many』を見てきた。ほんとうにひさしぶりに、戸村さんにも会えた。平面キャンバス作品。以前、堀内正和さんの版画について書いたのと同様に、絵から受ける印象は「抽象」ではない。「抽象」には「一般化」の意味があるが、「この図形」を愛でるという「具体的」な感覚があるのだ。

竹芝客船ターミナル・鼈甲鮨
ギャラリー近くの竹芝客船ターミナルにあった「鼈甲鮨」の暖簾の絵が、ちょっと折り紙っぽかったが、帆の部分はなぜか尖らせていない。

◆春のキャンパス
土曜日に散歩していて、東京外国語大学の入学式後のにぎわいに遭遇した。大学名を表すTUFSモニュメントの前には、記念写真を撮るために、新入生と家族が行列をつくっていた。話には聞いていたが、新入生の黒いスーツ率が高くて驚いた。何年も入卒業式の類に参列する機会がなかったので、不思議な風景に見えた。ただ、新入生のスーツは黒かったが、春先のキャンパスには浮き浮きしたものがあった。各地の大学でも、折り紙サークルの勧誘が行われているのだろうなあと想像した。その昔、折り紙サークルなんてカケラも想像がつかなかったけれど。

モリアーティのリアリティ2019/04/03 23:13

以下は、すこし前に書いたものだったのだが、多事に忙殺される日々に埋もれてしまっていた。あらためて読み返したのだが、マニアック過ぎ、かつ無駄に長く、ここを読むのは主に折り紙に関心のあるひとだろうに、それに関係するのは前振りだけで、誰に向かって書いているのかわからないのであった。しかし、せっかく書き、埋もれるのは惜しい気もしたので、ここに載せることにした。

#####################
◆紙の投げ矢と紙のパーティー帽
シャーロック・ホームズの宿敵ジェームズ・モリアーティ教授を中心に据え、腹心モラン大佐を語り手とした『モリアーティ秘録』(キム・ニューマン著、北原尚彦訳)の第三章『赤い惑星連盟』に、折り紙研究、紙の民俗研究の観点から、たいへん興味深い記述があった。「プログラムを折って作った紙の投げ矢」と「紙のパーティー帽」である。作中に詳しい説明がなかったので、すこしウンチクを述べよう。

まず、「紙の投げ矢」。これはいったい何か。これは、紙飛行機が普及する以前(本物の飛行機が飛ぶ以前でもある)、滑空するのではなく投げるものとしてあった紙の矢のことである。紙飛行機のように固定翼で揚力を得る航空機の原理を使っていたのではなく、投げる矢だったのだ。19世紀初頭には、カツラにこれを突き刺した、花魁の簪のようなファッションがあったという記述も残る。

そして、「紙のパーティー帽」。これは、かぶると間抜けな感じになるものとして描写されている。現代で紙のパーティー帽というと、クリスマスなどでかぶる円錐状のものが思い浮かぶ。あの帽子は、学校で出来の悪い生徒にかぶせた「dunce cap(バカ帽子)」が起源と思われるものだ。しかし、本書の第五章『六つの呪い』には、「低脳帽をかぶる運命となった生徒」と、まさにこのdunce capが、別に描写されている。となると、この「紙のパーティー帽」は、また違ったものである可能性もある。『鏡を抜けて(鏡の国のアリス)』(ルイス・キャロル)の挿絵などでも知られるように、新聞紙を折ってつくる帽子があったことも知られるので、そうしたものかもしれない。

モリアーティに言及のあるホームズの正典『恐怖の谷』には、「フールズキャップ」なるものも出てきて、これもすこし面白いので触れておこう。フールズキャップ、すなわち、道化師の帽子のことだ。これまた帽子の話のようだが、これは、道化師のすかし絵のはいった紙のことである。ミステリつながりでいえば、元祖・エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』にも、「とても汚れたフールズキャップのようなものの切れ端」という記述がある。

単にフールズキャップと言った場合、フールズキャップ・フォリオ、つまり、フールズキャップ規格の紙の半切りを意味することが多い。その縦横比は、現代の国際規格A4のような1:√2の近似値ではない。いくつかのバリエーションはあるが、インペリアル・サイズといわれるものは、8.5インチ:13.5インチで、1:1.58...である。短辺が、今日の北米の規格であるレターサイズ(8.5インチ:11インチ)、リーガルサイズ(8.5インチ:14インチ)に等しいことから、北米のこの規格もインペリアル・サイズの流れにあるものと、わたしは推測している。ただ、これに関してはまだ詳しいことは調べ切れていない。(なお、レターサイズの8.5:11という長方形についての話は、拙著『折る幾何学』の「デューラーの多面体」の項のエッセイでも触れたので、興味あるひとはどうぞ)

#####################
◆小惑星の話
さて。わたしは、シャーロキアンと名乗るには及ばない(とくに映像作品はほとんど観ていない)のだが、ロンドン観光でベーカー街にあるシャーロック・ホームズ博物館は外せないと思うぐらいには、ホームズものが好きなのである。写真は、20年近く前のものである。
ベーカー街221B

ホームズもののパスティーシュ(模倣作)『モリアーティ』(駒月雅子訳)と『絹の家』(同訳)の作者であるアンソニー・ホロヴィッツ氏は、『絹の家』を書くにあたって10ヶ条を決め、その10番目に「宣伝のために、鹿撃ち帽をかぶったり、パイプをくわえている姿を撮影させることは断じてしない」としたらしいが、こちらはただのファンなので、こういう格好をしてしまうのである。ちなみに、ホロヴィッツ氏は、昨年一番話題になった翻訳ミステリ『カササギ殺人事件』(山田蘭訳)の著者で、わたしも、『モリアーティ』『絹の家』は、『カササギ』の書きっぷりに感心してから読んだ。かくして、『モリアーティ』『モリアーティ秘録』をほぼ連続して読んだことで、関連のことを考えたのであった。

天文台のエンジニアとしては、モリアーティ教授が書いたとされる書籍『小惑星の力学』が、以前から気になっていた。

小惑星とモリアーティ教授という話では、小惑星番号5048モリアーティ、同5049シャーロック、5050ドクターワトスンと名づけられている天体があるのも、知るひとぞ知るところだ。つけ加えれば、小惑星にはイレーネ(同14)もある。英語読みをすればアイリーンで、「あの女性」(『ボヘミアの醜聞』)のことだ。みんな星になったのだ。

『Dictionary of Minor Planet Names』
『Dictionary of Minor Planet Names』(小惑星の名前の事典:L. D. Schmadel)より。:Moriartyの説明が妙に詳しい。

ついでに話題を広げると、上記の『Dictionary of Minor Planet Names』という事典は、雑学事典としても面白い本で、「いまホットな」張衡(ジァン・ホン)の名も載っている。元号「令和」の典拠である『萬葉集』の、さらなる元ネタと考えられる「於是仲春令月 時和氣清」という記述を含む『帰田賦』を書いた古代中国の知識人である張衡(A.D,78-139)だ。彼は、主に天文学者として認知されているひとで、1964年、南京の紫金山天文台で発見された小惑星に、その名がつけられているのだ(小惑星番号1802)。この事典には、以下のように記されている。
「後漢の卓越した科学者で、渾天儀や地震計を考案し製作した。また、水力で動作する天球を発明したが、これは、多くの点で、近代プラネタリウムの先駆けである。張衡はまた、月のクレーターにもその名がある。」

張衡はとても興味深い人物で、平凡社の『天文の事典』の「張衡」の項には、「円周率を3.16<π<3.18と算出したことでも知られる」ともある。ただし、この不等式がなにを典拠とするかは不明である。『πの神秘』(デビッド・ブラットナー著、浅尾敦則訳)によると、死の直前に、「円周の自乗とそれに外接する正方形の周の自乗の比が5:8である」と書き残したとされる。つまり、(π^2)/(4^2) =5/8で、π=√10=3.162....ということだ。下図は、以前もこのブログに載せたが、この近似を直感的に見せる図だ(彼がこの図を遺したということではない)。
π≒√10

折り紙関係では、小惑星番号7616サダコというものもある。手元にあった、上記事典の3版には掲載されていなかったが、広島の佐々木禎子さんに因んだ名である。

...と、読みなおしたさいにさらに書き加えて、話がまたまた長くなっている。困ったものだ。仕切り直して、「本論」(?)にはいろう。

というわけで、以下、『小惑星の力学』に関して、精一杯シャーロキアンぶって考察してみた解説である。

#####################
◆『小惑星の力学』に関する考察
小惑星の本

犯罪界のナポレオンこと、ジェームズ・モリアーティ教授が、「純粋数学の最高峰」(『恐怖の谷』)とも称される著作『小惑星の力学』を発表したのは、1875年ごろと推定される[10]。彼の生誕は1840年ごろと思われ、裏社会の表舞台(!?)から消えたのは1891年である。これらの年を、小惑星研究に関する近代までの歴史と対応させるため、まず、簡単な研究の年表を示す。それは、きらめく才能の競演でもある。

**小惑星に関する近代までの歴史**[1][2][3][4][5]
*1760-1772年 レオンハルト・オイラーとジョゼフ=ルイ・ラグランジュが、天体力学の三体問題の特殊条件での平衡解として、今日でいうラグランジュ点を見出した。
*1772年 ヨハン・ボーデが、当時知られていた6つの惑星の軌道半径が単純な数式で表せるというヨハン・ダニエル・ティティウスの法則(1766)を紹介して広めた。これは、のちにティティウス=ボーデの法則の法則と呼ばれる。なお、この法則に、物理学的な根拠は見出されていない。
*1779-1825年 ピエール=シモン・ラプラスが、『天体力学概論』を著した。惑星の公転周期が整数比になる軌道共鳴は、この中で示された。
*1781年 ウィリアム・ハーシェルにより、天王星が発見された。その軌道半径は、ティティウス=ボーデの法則によく合致していたため、同法則が注目されることになった。1846年に発見された海王星も、この法則から大きく外れてはいない。
*1801年 ジュゼッペ・ピアッツィが、ティティウス=ボーデの法則を参照すれば、火星と木星の軌道間にも惑星があるはずということから、ケレス(セレス)を発見した。この天体は、同年、カール・フリードリッヒ・ガウスの軌道計算に基づき、ハインリヒ・オルバースによって、まちがいなく存在するものとして確認された。以後、1802年のオルバースによるパラス(小惑星番号2)の発見に始まり、小惑星は次々と発見され、小惑星帯(いまでいうメインベルト)をなしていることがわかった。なお、小惑星番号1のケレスは、直径が地球の1/10以下とは言え、それなりの大きさがあり、自重力によりほぼ球形であることが判明しているため、2006年の国際天文学連合による惑星の定義の合意以降、準惑星(dwarf planet)と呼ばれるようになった。
*1850年ごろ 火星と金星の軌道の間にある小さな惑星にたいする呼称として、ハーシェルが用いていた小惑星(asteroid)という言葉が定着した。
*1867年 ダニエル・カークウッドが、小惑星帯上の軌道に空隙があることを指摘し、木星の軌道の共鳴によるものと説明した。
*1889年 アンリ・ポアンカレが、ニュートン力学の三体問題に厳密解がないことを示し、かつ、そこから、決定論的な系における非周期性、すなわち、今日でいうカオス理論の端緒となる概念を示した。
*1898年 カール・グスタフ・ヴィットが、小惑星帯の天体とは異なる軌道の天体を発見し、エロス(小惑星番号433)と名づけた。地球軌道に接近する軌道を持つ地球近傍小惑星の最初の発見である。ちなみに、探査船「はやぶさ」や「はやぶさ2」が探査した(している)イトカワ(小惑星番号25143)やリュウグウ(同162173)は、このタイプの小惑星である。(先日もTVで、リュウグウがメインベルトの天体のように、誤って説明されていたので、注意が必要である)
*1906年 マックス・ヴォルフが、木星軌道上に天体を発見し、アキレス(小惑星番号588)と名づけた。これは、木星と太陽の重力均衡点のひとつ(ラグランジェ点L4)の近傍にあり、のちにトロヤ群と名づけられる小惑星群のひとつである。
*1918年 平山清次が、『共通起源と推定される小惑星の群』で、小惑星帯の小惑星を族として分類した。
**

上記のように、前世紀初頭の小惑星の研究には日本の天文学者も貢献しているのであるが、日本由来の名前のついた小惑星は、それをさかのぼる1900年、平山信によるトキオ(小惑星番号498)を第一号とする[4]。なお、平山信は平山清次と同姓だが、親戚ではない。トキオの軌道を確定したのは、フランスのオーギュスト・シャルロワで、公的な発見者は彼に譲っている。Tokyoでなく、Tokioなのもそのためであろう。シャルロワは、小惑星ハンターとして著名だが、恐ろしいことに、殺人事件(1910年)の被害者である。犯人は前妻の兄弟とされている[6]。また、彼が発見(1887年-1904年)した99個の小惑星には女性名が多いが、由来不明のものも多い[7]。

さて。上に、1891年にモリアーティが「消えた」と書いたが、同年、彼がスイスでの災難を生き延びたという噂には充分信憑性がある。教授と犯罪王は別人だったのではないかという説[8]や、「改心」して、物理学やロケット工学の発展を影で支えたという説[9]もあるが、やはり犯罪界からは抜けられなかったのではないかと思われる。かくして、1910年のシャルロワの殺人事件も、他人を操ることに長けたモリアーティのこと、彼がなんらかのかたち関与していたのではないのかという疑念が消えず、動機もいくつか推定できる。しかし、シャルロワ氏の名誉にも関わることなので、ここでそれを詮索するのはひかえておこう。

小惑星の科学とモリアーティの暗躍のつながりを示唆することは他にもある。東京帝国大学理科大学星学科の一期生であった、前出の平山信は、1890年にロンドンのグリニッジ天文台に留学したが、すぐにドイツのポツダムに移っている[4]。なぜすぐにイギリスからドイツへ移ったのか。イギリスでないことはもとより、当時ポアンカレもいて、平山の師である東京天文台(現・国立天文台)初代台長・寺尾寿とも縁の深かったフランスでもないのは、やや不思議である。

これに関しては、1890年から91年、ホームズがフランスの国家的問題に対応していた(『最後の事件』)ということとの関係が気になる。想像をたくましくすると、モリアーティを監視していたホームズが、東洋からの若い留学生・平山の無垢な好奇心が犯罪王につけ込まれることを恐れて、イギリスでもフランスでもなく、ドイツのほうが研究環境がよいというアドバイスを送ったとも考えられる。かの犯罪王が、天文学と数学を餌にして世界中から優れた頭脳を集めようとしていたのを、探偵が阻止したのではないかという推測である。

なお、ホームズが天文に関してまったく無知(『緋色の研究』)とされているのは、ワトスンの手記にありがちな勢い余っての弄筆か、ホームズがワトスンをからかったためと考えられるが、それにしては描写が真に迫っているので、探偵が天文学を毛嫌いしており、そのことが、よりモリアーティへの敵愾心をかき立てた可能性もある。これに関しては、若き日に、数学と天文学の才能にあふれた家庭教師と対立したトラウマであることを示唆する説もある[10][11]。とは言え、ホームズの数学的な能力が高かったのは間違いがない。ただし、文献[3]の執筆者のひとりもHolmes姓であるが、力学系の権威であるこの教授が、かの探偵の血縁であることは確認されていない。

ちなみに、ホームズと日本の関係では、彼がロンドンで夏目金之助に会って強い印象を持ったのは、この約10年後、1901年前後のことになる[12][13]。

モリアーティの『小惑星の力学』は、所在も内容も不明だが、その内容の推定は、黒後家蜘蛛の会という集まりで示された推理がひとつの定説となっている[14]。上記年表のカークウッドの空隙、地球近傍小惑星、トロヤ群にも触れ、一般相対性理論に基づく水星の近日点移動にも言及するなど、筋の通った推理である。しかし、それが、ポアンカレの三体問題の重要性に深く触れていないのは、残念と言わざるをえない。三体問題のカオス的振る舞いに関して、モリアーティがポアンカレに先んじて研究していたのではないかという推測は、きわめて魅力的だ。

黒後家蜘蛛の会における推理では、小惑星のトロヤ群の軌道を、「それは一世紀も前に、すでにラグランジェによって解明されている」としている。それ自体は間違いではない。しかし、ラグランジェによる正三角形解は特殊な条件下のものであり、三体問題は、きわめて複雑で手強い。これらの問題は、たしかに古典力学を扱うが、だからといって、会のあるメンバーが言うように「二流の上」の業績と見るのは皮層な見解だ。カオスという概念が注目を浴び、その文脈でポアンカレの業績に光が当たるのは、会の推理が発表された時期より数年後になるので、黒後家蜘蛛の会のメンバーもそこまで目配りできていなかったのだろう。

黒後家蜘蛛の会の立論は、著作のタイトルのAsteroidが "Dynamics of an Asteroid"と単数であることも重要なポイントだが、三体問題であれば、タイトルの小惑星が単数であっても、太陽、木星、小惑星の力学の問題として矛盾はない。数々の小惑星は、ある意味、三体問題の実験場であり、簡単に軌道が決まらない天体が発見された場合、それが理論の実例となる。モリアーティの著作は、「ある小惑星」の軌道に即しての考察だったのではないか。いっぽうで、単に個別の問題ではなく、こうした力学系の問題が、「純粋数学」(物理学ではなく)の問題と呼ぶのに相応しい側面があることも強調しておきたい。それはまさにポアンカレが示したことである。不安定性と秩序の関係という意味で、犯罪王に相応しいともテーマとも言える。モリアーティ自身は、この研究に、純粋に学問的な誇りを持っていたのではないか。

ただ、以上の推定には同様の見解がすでにあるようだ[15]。独自の見解をつけ加えるとすれば、モリアーティの研究が、上の年表でやや強調したティティウス=ボーデの法則、つまり、惑星の位置を決める奇妙な数式の解釈とも結びついていたのではないかということだ。ヨハネス・ケプラーの『宇宙の調和』にあるような数秘術的な思想に似たこの法則は、偶然の一致の要素が大きいと考えられ、数学的物理学的な根拠は与えられていない。疑似科学に近い経験則が、科学的発見の指針になった、科学史的に見てもたいへん興味深いエピソードである[16]。しかし、モリアーティが真の天才であれば、これに解釈を与えていても不思議はない。さらにそれが、今日でいう複雑系の理論と結びついて、たとえば、リミットサイクルなどによる自己組織化現象のようなかたちで説明されていたとすれば、仮にそれが誤りであったとしても、まさに画期的で、時代を超越した天才の業績である。

最近発見された、セバスチャン・モランの手記[17]は、『小惑星の力学』を侮辱されたモリアーティの復讐劇を記すが、そのきっかけとなった、王室天文官(グリニッジ天文台長)ステントの侮辱の言葉が「この小惑星は、軌道を外れているのです。天体というのはそのままの状態を保つものですから、これは容認されません。(略)小惑星は、我々の同僚が主張しているような動き方はしないのです」というものであったのは見落とせない。この記述を読む限り、ステントは、別文献に記されたステント[18]にも増して、到底優れた学者とは思えないが、モリアーティの研究の内容が、天体のカオス的挙動を述べたものであることを示唆しており、重要な記録である。

カオス理論や複雑系の理論の萌芽的研究が、夏目金之助(漱石)の教え子である寺田寅彦によってもなされているのは興味深い。比喩的に言えば、ホームズとモリアーティと夏目は、三体問題の様相を呈している。ちなみに、漱石(Souseki)と寅彦(Torahiko)、平山(Hirayama)も小惑星の名(小惑星番号4039、同6514、同1999 )になっている。寺田は奇妙な論文も読むひとで、たとえば、夏目による文献 [19]に示された「首縊りの力学」の発想は、ヴィクトリア朝の数理学者・サミュエル・ホートンの論文を参考にしたことが知られている [20]。なかなかに物騒な論文であるが、ホートンとモリアーティの関係は不明だ。このこと一事をもって推測するのはいささか早計だが、夏目がロンドンで『小惑星の力学』を入手し、それが寺田の手に渡った可能性を想像してみたい。

『小惑星の力学』が画期的な著作であった可能性はある。いずれにせよ、それは私家版のようなものだったのだろう。評判は聞こえるのにかかわらず、今日、著作そのものは見つからない。残念ながら、現状では、多くの研究者が著作の実在自体を信じておらず、発見の望みも薄い。ただ、ワトスン博士の未発表の文書が見つかることは、なぜかきわめて多く、最近はモラン大佐の手記まで発見されたので、関連情報が得られる可能性はある。今後の調査に期待したい。ただし、モリアーティの理論が、博物学者・ジョージ・エドワード・チャレンジャー[21]と異星の文明によってさらに発展したという記録[22]は、さすがに信じるに足らないであろう。

[1]『シリーズ現代の天文学9 太陽系と惑星』、渡部潤一他編、2008
[2]『現代天文学講座2 月と小惑星』、古在由秀編、1979
[3]『天体力学のパイオニアたち(Celestial Encounters - The Origins of Chaos and Stability)』、Florin Diacu、Philip Holmes著、吉田春夫訳、原著1999
[4]『日本の天文学の百年』、日本天文学会、2008
[5]『The Asteroids: History, Surveys, Techniques and Future Work』、T. Gehrels(『Asteroids』edited by T. Gehrels、1979所収)
[6] https://jfconsigli.wordpress.com/accueil/dans-lhistoire/charlois/
[7] 『Dictionary of Minor Planet Names』、L. D. Schmadel、 Third Edition、1996
[8]『犯罪王モリアーティの生還』、ジョン・ガードナー 、宮祐二訳、原著1974 (未読)
[9]『小惑星の力学』ロバート・ブロック(『シャーロック・ホームズの栄冠』北原尚彦編訳、2017所収)、原著1953
[10]『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』、W・S・ベアリング=グールド、小林司・東あかね訳、原著1962
[11]『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険(7パーセントのソリューション)』、ニコラス・メイヤー、 田中融二訳、原著1974
[12]『黄色い下宿人』山田風太郎、1953
[13]『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』島田荘司、1984
[14]『終局的犯罪』『黒後家蜘蛛の会2』所収)アイザック・アシモフ、池央耿訳、原著初出1975
[15]『ポアンカレ、モリアーティと『小惑星の力学』』清水健、2013 (未読)
[16]『小惑星』平山清次、1935
[17]『赤い惑星連盟』『モリアーティ秘録』所収)キム・ニューマン、北原尚彦訳、原著2011
[18]『宇宙戦争(ふたつの世界の戦争)』ハーバート・ジョージ・ウェルズ、原著1898
[19]『我輩は猫である』夏目漱石、1905-1906
[20]『寒月の「首縊りの力学」その他』中谷宇吉郎、1936
[21]『失われた世界』アーサー・コナン・ドイル、原著1912
[22]『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』マンリー・W・ウェルマン、ウェイド・ウェルマン、深町眞理子訳、原著1975

『おもしろサイエンス 折り紙の科学』など2019/03/31 10:03

『おもしろサイエンス 折り紙の科学』
奈良知惠さんから、『おもしろサイエンス 折り紙の科学』(萩原一郎・奈良知惠著)をご恵贈いただいた。折り紙設計の歴史の記述もあるので、「悪魔」の展開図なども載っているが、折り紙の工学的応用などを概観するのにとてもよい本だ。まだ、きちんと読んでいないけれど。

◆『ペレの住民』
折り紙の工学的応用といえば、『紙の動物園』でおなじみのSF作家・ケン・リュウさんの最新短編集『生まれ変わり』(古沢嘉通・他訳)所収の『ペレの住民』に、以下の記述があった。

上陸チームは広がって、ペレの最初の視察に向かった。(略)形状記憶合金の壁と構造部材は、太陽の光を浴びて折り紙のようにひらき、あわさって、居室や集会室、ドーム、塔、ソーラー・パネルを形作った。(古沢嘉通訳)

太陽光による(?)セルフ・フォールディング構造である。近未来にいかにもありそうな、オリガミ工学だ。

なお、『ペレの住民』は、おとめ座61番星の惑星へ移住するため、150人を乗せた準光速宇宙船の旅を描いた短編だ。原著は2012年だが、残念ながら最新の知見では、最も可能性の高い「おとめ座61番星b」にも生物圏がある可能性は低い。しかし、(タネ明かしをしてしまうと、)この話にでてくるのは、レムの『ソラリス』的、フォワードの『竜の卵』的なものなので、つじつまは合って(?)いるのである。

◆吾唯アホを知る
「吾唯知足」(吾唯足るを知る)というのは、図案的に面白いのだが、龍安寺のつくばいにあるそれは、水戸光圀の寄進だそうで、それを思うと、権力者の押しつけ感もあって、やや説教くさい。要するに、贅沢すんな、身の程わきまえろ、ってことですかと。

で、考えてみた。「口」を偏や旁にする漢字は他にもある。ならば、「呆」の字はどうだ。「吾唯ボケを知る」「吾唯アホを知る」  こちらのほうが、無知の知という意味で、深いような気がしてこなくもないぞ。
吾唯呆知

(なお、検索すると、「吾唯知呆」を思いついているひとはすでにあった)