折り紙作品(固定記事:最新記事はこの下)2038/01/18 18:51

自分で折った作品の写真数点を、冒頭に載せておくことにしました。

Devil&Pyramid
Devil & Pyramid
悪魔(設計:1978 正方形)、ピラミッド(設計:1993 正方形)

Peacock
Peacock
孔雀(設計:1993 正方形)

Beetle
カブトムシ(設計:1994 正方形)

Turkey
七面鳥(設計:2005 正方形)

Sections of the Cubes
立方体の断面(設計:2000 特殊用紙形)

読書で折り紙に遭遇した話をふたつ2020/11/08 22:09

いつも本を読んでいる、そして、天文台の仕事をしているわたしには、次の言葉は、ちょっとした呪いの言葉だ。

探偵小説、詩、天文学は、すべて、いわゆる「現実」からの逃避の異なったかたちを表している。
(バートランド・ラッセル 『Flight from Reality』

わたしも「現実」から逃げているらしい。ただ、ラッセルは、escapeを、必ずしも否定的な意味で使っているわけではない。

以下、読書で折り紙に遭遇した話をふたつ。

◆その1
『時間旅行者のキャンディーボックス』(ケイト・マスカレナス著、茂木健訳)
1960年代にタイムマシンが実現した世界を舞台にした、タイムトラベルがひとの心理に与える影響を描くSFである。冒頭早々にこんな記述があった。

「こんなものが、玄関の前に置いてあった」 彼女は、祖母が座るピクニックテーブルの上に折り紙のウサギを立てた。

このウサギは、殺人事件の死因調査の通知書で折られたもので、物語は、ハウダニット(どうやって)と被害者と犯人にたいするフーダニット(誰が)のミステリとして進行する。イギリス人(父アイルランド系、母セーシェル系)の作者がオリガミに馴染みがあるのは間違いないようで、以下のような比喩もでてきた。

手や首は今にも折れそうだし、皮膚もひどく薄いため、まるで全身が折り紙でできているみたいだった。

タイムマシンの燃料となる物質「アトロポジウム」は柘榴石から採取するという設定だ。
というわけで、シンプルなウサギの折り紙と柘榴石の標本と一緒に記念写真を撮ってみた。
『時間旅行者のキャンディーボックス』

◆その2
銀紙で折ればいよいよ寂しくて何犬だらう目を持たぬ犬

石川美南さんの歌集『体内飛行』の一首だ。

現代折り紙では、紙の裏表の色の違いなどを用いて、目を表現する折り紙作品もすくなくはない。龍の図を描いたさいは、目を開く工程を最後にして「折龍点睛」を意識したこともある。しかし、多くの折り紙の動物に目がないのはたしかだ。講習会で小さい子供たちに簡単な動物の折り紙を教えたとき、かれらがそれに目を描きたがることもしばしば経験する。

石川さんにおける「銀紙の寂しさ」は、生き物らしさとかけ離れてしまうという感覚だろうか。折り紙者としては、これに近い感情として次のようなものもある。
フォイル紙は、折り目が安定しやすいので、粘土細工的な造形が可能で、それをうまく使うこともできる。しかし、厚みもあり弾性反発もある紙の特性をも含んだ造形のほうが、より「折り紙らしく」、かつ生き生きしていると感じる。

この歌からは、次の有名な歌も連想した。

海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の戀しかりけり
『路上』 若山牧水 より)

最近、夢野久作がこれに想をとった歌をつくっていることも知った。

深海の盲目の魚が
戀しいと歌つた牧水も
死んでしまつた
『猟奇歌』 夢野久作 より)

牧水の歌の「海底」は「かいてい」ではなく「うなそこ」であろうことから、久作の歌の上の句も、「わたつみのめしひのうおがこひしいと」と読よみたいところだが、久作の歌はあえて破調なのでそのまま読むのがよいのだろう。

これらの歌は、立原道造の『白紙』という掌編のつぎ文章も連想させる。少年が電車の中で会った少女に手紙を渡すという、初恋物語のプロトタイプのような話で、牧水の歌を意識した表現であるのは、たぶん間違いない。

やがて僕は、海の底にゐるメクラの魚のやうに苦しくなり出す。
これが、僕の愛情のきざしだつた。
『白紙』立原道造 より)

石川さんの歌から想をとった歌と折り紙作品もつくってみた。見ると、キース・ヘリング氏の描く犬にも似ていた。思えば、彼の犬のイラストレーションにも眼がない。

銀紙の盲(めしひ)の犬の愛(いと)ほしく彼のねぐらの屋根に空色
銀紙の盲の犬

「盲目」と「折り」ということでは、盲目の折り紙作家・加瀬三郎さんや葛原勾当も連想した。

葛原勾当といえば、最後に折り紙の歴史研究の第一人者・岡村昌夫さんと話をしたときも、彼が話題になった。そう、いまわたしは、岡村昌夫さんが亡くなったという喪失感の中にある。思えば、こういう(文芸がらみの)話は、どこかで、岡村さんに読まれること、岡村さんが面白がるだろうかという思いをもって、書いてきたような気がする。

献本拝謝など2020/10/12 23:32

なんか、ひさしぶりの更新になった。

◆ハート鶴
北杜市地域振興券
山梨県北杜市の地域振興券に使われているマークが、折り紙のハートと折鶴である。デザイナーは三井宏美さんいうかただという。

◆柘榴石
11月末刊行の『折紙探偵団』184号のユニット折り紙の図は、凧形二十四面体の骨格とその関連作品にした。
柘榴石骨格、八目

凧形二十四面体の骨格は、柘榴石の結晶にこの形状があるので「柘榴石骨格」という題名にした。下の写真は、このモデルの記念(?)に、新宿紀伊国屋ビル1Fにある「東京サイエンス」で買った柘榴石の標本である。貴石なので値が張るのかというと、そんなことはなく数百円である。なお、同店のレジ横には、Tレックスの折り紙が飾ってあって、わたしのモデルだったので「おっ」と思った。
柘榴石

図を描くために「柘榴石骨格」の工程を整理しているうちに、その構造の応用(?)で、海亀とスカラベができた。ユニット折り紙から具象作品に発展するケースはあまり記憶がない。
カメ、スカラベ

◆だじゃれ
「柘榴石骨格」とその関連モデル「八目(やつめ)」は、6枚組の直交座標を基本構造としたモデルだが、似た構造で、だじゃれネタのモデルも思いついた。名づけて「新撰『組み』」。
新撰「組み」

◆献本拝謝その1
綾辻行人さんからご恵贈いただいた、大部800ページの一冊『Another 2001』を読み終わった。若いひとを生き生きと描く(…ひとがばたばた死ぬストーリーで「生き生きと」もないが)綾辻さん、感性が若いなあと感心することしきりだった。伏線の張りかたがたいへん大胆。

◆献本拝謝その2
『月間みすず』『空想の補助線』というエッセイを隔月連載している縁で、みすず書房さんから『「第二の不可能」を追え!』(ポール・J・スタインハート著、斉藤隆央訳)をいただいた。めっぽう面白いサイエンス・ノンフィクション。準結晶の話なので、ペンローズ・タイルが重要な役割を持つ。

ペンローズ御大といえば、今年のノーベル物理学賞のひとりが彼で、なんでいまなのだろうと思ったが、昨年のイベント・ホライズン・テレスコープによるM87中心の撮像が影響しているということなのだろうな、と。そして、ゲンツェルさんらの天の川銀河中心のブラックホール確認が受賞対象になるなら、同時期、野辺山45m鏡を用いた中井直正さんらによる、NGC4258の水メーザーによる確認も、評価対象なのになあ、と。

国立天文台野辺山 特別公開2020『今年はおうちで特別公開』2020/08/28 17:51


折り紙のビデオも公開しています。(今日から先行公開中です
今年は「電波望遠鏡」と「日時計」のふたつです。

日時計は、プリントした紙でつくるもので、使ってみてください。

夏らしい雨が
ゆれうごく高い梢の中から
降りそそぐとき 日時計は暫く休む
なぜなら 日時計にはその時間をどう表していいか分からないからだ
(ライナー・マリア・リルケ『日時計』富士川英郎訳より)

紙袋2020/08/09 10:25

柴崎友香さんの『百年と一日』。もっとゆっくり読むべきだったが、読み終わってしまった。ジョイスの『ダブリン市民』をさらに断片化したような、褪色して消え去ってゆくような話を、すくい取るように、しかし淡々と描いた短編集だ。

ここ何冊か、ハリウッド映画の脚本みたいな小説ばかり読んでいたので(それはそれで面白いのだけれど)、小説を読むこと以外では得られない時間をくれる小説にひさしぶりに触れた気がした。

カバーの紙袋の絵もすばらしい。毛並みのみごとな茶虎猫の絵『猫』で有名な長谷川潾二郎氏の絵だ(装幀:名久井直子)。並んだ瓶ばかりを描くジョルジョ・モランディの静物画を連想した。

紙袋といえば、工芸家・小松誠さんデザインの、紙袋をモチーフにした陶器をひとつ持っている。
『百年と一日』

そしてさらに紙袋といえば、思い出すことがある。直方体型の紙袋の側面の畳みかたは、谷折り3本のY字+山折り1本が典型だが、これについて、D. J. BalkcomさんやE. D. Demaineさんらの論文『Folding Paper Shopping Bags』に示されている次の定理があるのだ。
ショッピングバッグは、伝統的な折り目による剛体折りはできない
Y字+1の折り目では、面を歪めることなく畳むことはできないということである。

福島県塙町:ダリアの折り紙作品募集2020/08/02 11:50

福島県塙町が、ダリアの折り紙作品を募集しています(日本折紙学会後援)。
わたしは、何年か前から、折り紙ファンの町の職員のかたと知り合って、いくつかのイベントに関わったこともあり、すこし協力しています。

今回は、ステイホームでもできる町興しへの貢献で、誰でも応募でき、賞金もけっこう大きい(!)ので、「折り紙者」のみなさん、ぜひ参加してください。

塙町:ダリアの折り紙作品募集

第28回折り紙の科学・数学・教育研究集会など2020/07/15 00:00

◆第28回折り紙の科学・数学・教育研究集会
7月18日(土) 10:00-17:00に、日本折紙学会主催、第28回折り紙の科学・数学・教育研究集会をオンラインで行います。チケット販売中です(コンビニ決済もあります)。

◆『紙幣鶴』その後
ひとつ前に書いた、斉藤茂吉の随筆『紙幣鶴』の鶴はどういうものだったのか、という話のつづきである。これを読んだ知人が、「1920年ごろのオーストリアの1000クローネを調べたら、いま一般的な紙幣とは長方形の比率がずいぶん違っていました」と教えてくれた。たしかに、かなり横が短い。古銭ショップの映像から計測すると、100対151であった。これなら、折り返して、鶴を折りやすそうだ。

100対151という値は、映像から計測したので、誤差もありそうで、ぴったり2対3かもしれない。となると、『秘伝千羽鶴折形』の「拾餌(ゑひろひ)」、「呉竹(くれたけ)」、「杜若(かきつばた)」、「瓜の蔓(うりのつる)」がその比率の長方形だ。それらは、切らないといけないが、第一次世界大戦後のドイツで1兆倍のハイパーインフレーションになったように、同盟国のオーストリー・ハンガリー帝国でも、それは紙切れ同然だったようだ。

なお、「オーストリアの王冠を飛ばす」と書いたが、王冠=Kronenは、貨幣の単位であった。コロナウィルスのコロナと同じ語源である。

◆豆大師の並び
アマビコ、アマビエなどの図像が、感染症避けの護符として注目を集めているが、よりメジャーなのは、鍾馗や元三大師(がんざんだいし)だ。元三大師こと、平安時代の高僧・良源の伝説を起源とする護符は、角大師(つのだいし)と豆大師の二種類がある。角大師は西洋の悪魔に似た図像で、豆大師は、観音信仰に基づく三十三体の小さな大師像を描いたものだ。
元三大師の護符

この護符は、東京・調布の深大寺の未使用シールが我が家にもあった。「悪魔の前川」として、瓶詰めの悪魔という呪物をつくるさいに封印として使おうと求めたものである。あらためて見ると、豆大師の並びも気になった。三十三の観音の化身に由来する三十三の大師像の並びが、2+3+4×7になっている。33という数字なら、3,4,5,6,7,8の台形、そして、2,3,4,5,6,7,6という3回回転対称の六角形もきれいだ。
33の並び

月刊『みすず』など2020/07/04 22:44

◆月刊『みすず』
みすず書房の月刊誌『みすず』で、『空想の補助線』というエッセイの隔月連載を始めた。一回目は、自己紹介ということもあり、折り紙について書いたが、編集者さんと、いろいろ話題を広げていきましょう、と話している。最近、文章を書いて披露する機会が増えていて、不思議な気分である。

◆黄金薔薇匣
先週、美術大学のリモート講義で、非常勤講師をした。講義のアウトラインは、折り紙造形における黄金比の話とした。講義の準備で「ゴールデン・ボックス」という黄金比を使った作品をあらためて検討しているうちに、山折りと谷折りを変えるだけで、薔薇のような模様ができることに気がついた。組むのはパズルだが、面白い。
黄金薔薇匣

◆ストレスは案外低い
タイガースファンは、プロ野球が始まってむしろストレスが増えたと言っているらしい。しかし、無観客ゲームで練習のような感覚もあり、まあこんなものかと、思いの外ストレスは低い。ただし、パ・リーグ最下位のバファローズの勝ち星の数は気になって、「今日のオリックスくんはどうかなあ」とチェックをしている。

◆『紙幣鶴』
斎藤茂吉が、『紙幣鶴』という短いエッセイ書いていたのを見つけた。1920年代、オーストリアのカフェで、彼の地の千円紙幣(この言いかたも面白い)で鶴を折って飛ばす女性が、「墺太利のお金は、こうやってどんどん飛ぶわ」とか 「 fliegende oesterreichische Kronen!」(オーストリアの王冠を飛ばすといった意味)と言っていたという話である。

飛ばしたといっても、たちまち床に落ちたとあるので、あまりよく飛ばなかったようで、それはそれで納得(ふつうの折鶴は紙飛行機のようには飛ばない)なのだが、気になるのは、長方形(約2:1)の紙幣で、どのように鶴を折ったのかということだ。まさか、正方形に切ったわけではあるまい。そもそも、それはほんとうに鶴だったのか。

折り畳んで正方形にしていたのであろうが、長方形をそのまま使ったとすれば面白い。長方形の頂点を、そのまま頂点とする四角形ではなく、長辺の中点ふたつと、長辺の延長が無限遠で「交わる」点ふたつ、その4点を頂点とする四角形を考えると、そのかたちからも、基本条件を満たす折鶴がきれいにできることを川崎敏和さんが指摘している。写真は、玩具のドル紙幣を用いて、その方法で折ったものだ。名付けてT$URU)。1920年代のオーストリアで、そんな鶴を折っていたひとがいたとは、まず考えられないけれど。
T$URU

◆『獨楽吟』
7月末に刊行される日本折紙学会の機関誌『折紙探偵団』に、『折り紙がでてくる小説から』という記事を書き、幕末の国学者・橘曙覧(たちばなあけみ)の『獨楽吟』から一首を引いて、題辞として使った。

たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中(うち)に我とひとしき人をみし時

『獨楽吟』は、「たのしみは」の初句で始まる五十二首で、ほかに次のような歌がある。

たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無かりし花の咲ける見る時
たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴きし時
たのしみは人も訪(と)ひこず事もなく心をいれて書(ふみ)を見る時

現在、基本的にリモートワークではなく、出勤して仕事をしているが、感染症による交流の自粛で、そうでなくても隠居じみていたわたしの生活は、よりその面が強化され、まさにこの歌みたいになっている。

家の周囲は、今年は草刈りが遅れたこともあって、螢袋(ヤマホタルブクロ)がよく育っている。花の上で羽化した蝉の抜け殻も見た。たぶん、蜩(ひぐらし)だ。一週間ほど前に今年初めてその声を聞いたばかりである。螢袋の花は、タコウィンナーにも似ていてるが、花弁は五裂で、桔梗の同類であることも主張している。
ヤマホタルブクロ

垂れて咲く螢袋は雨の花 澤村芳翠
かはるがはる蜂吐き出して釣鐘草 島村元

釣鐘草は螢袋の別名だ。この句のように、螢ならぬ蜂がその花の中に潜り込んでいるのはよく見る。暗闇で中に螢がはいっていたら雅趣があるが、家の近くには螢はいない。しかし、この季節になると螢を見たくなる。ということで、先日、より標高の低い螢の棲息地に行き、ふわふわと舞う螢火に、ああ今年も螢を見たなあと納得した。
螢

蜂と螢袋は共生しているようだが、ムシトリナデシコは戦っている。虫取撫子は、紅色の五弁の小さい花が、分岐する茎の先端に多数咲く野草だ。食虫植物ではないが、葉の下の茎に粘液を分泌する部分があり、虫が捕らえられる。写真は、じっさいに虫が脚をとられていたさまだ。受粉に利さない蟻のような虫を避けるということらしい。今年はじめてそれと知った花だが、父母の遺品である『日本大歳時記』にも載っていた。別名を小町草というのだそうだ。
虫取撫子

その歳時記によると、薊(あざみ)は春の季語だが、花期は初夏から夏なので、ひぐらしの季語が秋であることと同様に、納得しがたい。ただ、夏薊という季語もある。
薊の蕾
薊の蕾を初めてしみじみと見ると、向日葵の種のようなフィボナッチ螺旋状になっていてみごとだった。

というふうに、環境に恵まれていると、身の周りに広がる小世界でも、充分満足できる。しかし、こんな言葉もある。

草の庵を愛するも咎とす 閑寂に着するもさはりなるべし
(草庵を愛するのも罪である。静謐に執着するのも悟達の障害となる)(『方丈記』

隠遁者にも我執があることを述べているのだが、それとはまた別に、昨今は、小世界での充足の外の世界で苦しんでいるひとがいる情況を思わざるをえない。『橘曙覧全歌集』を通して読んださいも、曙覧が尊王攘夷思想に陶酔し、彼の自己肯定感が身辺と皇国日本だけを巡っているのには、もやもやした。

などと考えているからか、最近は、「ここは平和だなあ」が口癖になっている。夕刻にひぐらしの声を聞き、風に揺れる螢袋を見て、そう呟くこと自体、惧れであり、後ろめたさの表明なのだろう。ちなみに、「後ろめたい」の語源は「後ろ目痛し」すなわち、視線が痛いということであるという。

ブックデザインなど2020/06/21 10:18

◆ブックデザイン
『宇宙と素粒子』(千夜千冊エディション)(松岡正剛)の装幀に、作品を提供した。

宇宙と素粒子』(松岡正剛)

◆折り紙パズル
折り紙による幾何の問題を思いついた。自分で考えたいひとのために、解答は「シール」で隠しておく。

◇問題
・正方形の紙を折って、その中心に、面積1/25の正方形(辺が1/5の正方形)を作図せよ。
・工程は6回とする。
・1回の工程は、明確な目安で折り目をつけることのみとする。
(つまり、折って戻すことで直線を引くことのみとする)
(よって、6回の工程のうち4回は、正方形の辺を描く工程になる)

◇解答
1/25折り紙パズル

◆90度の1/4
ふと見た温度計が、22.5度という「折り紙好きのする数値」になっていたので、写真を撮った
22.5度

◆ひび割れ
先日、眼鏡が破損してつくりかえたが、今度は、スマートフォンの画面に盛大にひびがはいった。木製の床の上に1mぐらいの高さから落下し、それほど強い衝撃ではなかったと思うのだが、条件が重なったためか、みごとなひびになった。
ひび
ガラス面と床面が角度なしに両のてのひらを合わせるように衝突した。べゼル(枠)に接する部分にすでに小さな亀裂があったので、それが初期条件になって破壊が広がったようだ。それゆえか、端点(左下)から成長した、木の枝や稲妻に似た構造があるように見える。ある意味きれいで、寺田寅彦先生に見てもらいたい(!?)。

日食と角香箱2020/06/16 21:54

次の日曜日(6月21日)に、日食がある。日本では部分日食となるが、九州や沖縄など西南地方ではかなり大きく欠ける。『理科年表』を見ると、福岡での最大食分が0.618となっていた。おお、これは、黄金比の逆数ではないか。
21June2020日食

食分というのは、影の部分の幅/太陽の視直径という定義なので、下図のようになる(白い線については、後述)。なお、厳密には、月と太陽の視直径はぴったり同じではない。とくに今回は、中心食帯でも金環食なので、そのずれがある。影の部分の幅は、太陽の視半径+月の視半径-太陽と月の中心の角距離と定義される。ここではそれを単純化して描いた。

部分食の食分が黄金比であること自体にとくに意味はないが、ふたつの円が黄金比で交わるこの図を描いたのは、そこに面白い図形の性質はないだろうかと思ったからだ。そして、見ているうちに、「角香箱の近似黄金比」のことを思い出した。角香箱(つのこうばこ)というのは、伝承の折り紙作品のひとつである。それを思い出したのは、この図に、白い線で示したように、直角の1/4と1/8の近似値が見えるからだ。
食分黄金比の日食

折り紙になじみ深いそれらの角度から、黄金比のよい近似がでてくることがあることは、ほとんど知られていない。以前、永田紀子さんの折り紙作品を分析していて、この近似に気がついたのだが、わたしも、ほとんど忘れていた。「こんなところに黄金比の近似値があったなんて」ということを私信で伝えただけだったが、以下にそれを示す。
角香箱近似黄金比
この図に示したように、角香箱の底面の辺の長さと「口」の辺の長さの比は、ほぼ黄金比なのである。

日食に話を戻そう。『理科年表』の食の欠けかたを示す値は、食分だけであるが、面積比もわかりやすい指標だ。明るさが面積にほぼ比例するからだ。太陽も月も視直径が等しい円盤であるとして、食分(横軸)と面積比(縦軸)の関係は図のようになる。あまりきれいな式ではないが、グラフからもわかるように、この関係は、食分>0.4においてはほぼ直線で、面積比=1.2×食分-0.2と近似できる。
日食の食分と面積比

那覇の最大食分0.837から、面積比を上記の近似式で計算すると約0.8で、まだ20%の明るさがある。やや厚い曇りの日ぐらいだ。今回、中国やインドでは、金環食を見ることができるが、そのとき、太陽と月の視半径は、それぞれ、15分44.2秒と15分24.1秒(『理科年表』)で、これから計算される金環の面積は太陽の約100分の4となる。これはちいさな数字に思えるが、それでもかなり明るい。皆既日食のときは、コロナ(光冠)が見えるが、その明るさは太陽全体の100万分の1ぐらいなので、部分日食や金環日食ではそれを見ることはできない。100万分の1といっても、満月の明るさと同じ桁なのだが、いかに太陽本体が明るいかということだ。

なんてことを書いていると、半年前までは、コロナといえば太陽の光冠であり、太陽コロナに見た目が似ているコロナ放電であり、天文観測的には、かんむり座(Corona Borealis : CrB)と南のかんむり座(Corona Australis : CrA)であり、ストーブなどのメーカー(我が家にあるのもそうだ)で、そんな自動車の名前もあったよな、ということだったのになあ、と思う。