折り紙作品(固定記事:最新記事はこの下)2038/01/18 18:51

自分で折った作品の写真数点を、冒頭に載せておくことにしました。

Devil&Pyramid
Devil & Pyramid
悪魔(設計:1978 正方形)、ピラミッド(設計:1993 正方形)

Peacock
Peacock
孔雀(設計:1993 正方形)

Beetle
カブトムシ(設計:1994 正方形)

Turkey
七面鳥(設計:2005 正方形)

Sections of the Cubes
立方体の断面(設計:2000 特殊用紙形)

喫茶店で幾何学(つづき)2018/11/18 17:35

2週間前に、「コーヒーフレッシュ」の容器のかたちについて書いたが、今日寄った店にあった、ガムシロップの形状が、それとは微妙に違っていた。容積もひとまわり大きいのだが、直線の辺の角度も微妙に異なる。

前に「きれいな図形」と書いた、3:4:5の三角形のあらわれる比率にきわめて近く、五個並べたときに、よりきっちりとした5弁花に近くなる。すばらしい。
ガムシロップ容器の形状

「まっすぐ歩け!」など2018/11/17 16:53

◆紙くずの状態変数
『Nature』『A state variable for crumpled thin sheets(くしゃくしゃにした薄いシートに対応するひとつの状態変数)』(Omer Gottesman, Jovana Andrejevic, Chris H. Rycroft & Shmuel M. Rubinstein)という、気になる論文が載っていた。

薄いシートの折り目のできかたは、ある時点でできている折り目の全長という量で記述でき、状態を表す変数はひとつだけでよいという話である。実験は、ヨシムラ・パータン的な円柱の押しつぶしで行ったようだ。これまでに同じような研究なかったのかな。

◆本の雑誌
『本の雑誌』12月号の特集『理系本は面白い!』に、円城塔さんと山本貴光さんがおすすめ本100冊をあげる対談があり、円城さんが、三谷純さんの『曲線折り紙デザイン』をとりあげていた。帯の推薦文を書いた本なので、なんかうれしい。

◆「まっすぐ歩け!」
「まっすぐ歩け!」
11/23、24の折紙探偵団静岡コンベンションでは、「カニ」を講習する予定。脚が三対なので、タラバガニなのかというと、別にそういうわけではなく、リアルをめざしたモデルではない。メッセージを掲げるポーズになっていて、じっさいにそうすると、キャラクター性が高くなる。ネタをいろいろ考えた。
「啄木さん 遊ぼ!」
「泡食った!」
「猿、許すまじ!」
「ヘラクレスさん 踏まないで!」
「床屋です」
なお、「まっすぐ歩け!」はイソップ寓話から。

◆2+2=4(つづきのつづき)
2+2=4

すこし前にこのブログに書いた、東京外国語大学キャンパスの「2+2=4」といういたずら書きからオーウェル『1984』を連想し、さらに小平邦彦さんのエッセイを思い出した、という話のつづきである。

ほかにもこの表現をどこかで読んだ記憶があると気にかかっていたが、グレッグ・イーガンさんの『ルミナス』『ひとりっ子』(山岸真編・訳)所収)に、「2+2=5」という記述があるのが確認できた。10年ぐらい前に読んだSFで、異なる数学(!)を持つ世界に対して、この世界の数学を守るために、ひいてはその数学を基礎にする物理世界を守るために、つば迫り合いをする、という奇想あふれる話である。

そして、『ルミナス』の続編の『暗黒整数』『プランク・ダイヴ』(山岸真編・訳)所収)というものがあると知り、入手して読んだ。世評も高い作品なので、近年のわたしがいかにSFのよい読者ではなかったか、ということでもある。暗黒整数という言葉が登場するシーンに、64ビット整数と「年代物のマシン」のくだりがあったのだが、ちょうどわたしは、64ビットマシンで動作する古いプログラムの32ビット境界を調整するという、さらに年代物の問題に対応したばかりなのであった。

数学と別の数学の戦いというアイデアは、とても面白く、『ルミナス』『暗黒整数』の前日譚として、アルキメデスやオイラーやガウスが、当人もそうとは知らずに、実は危ないところで世界の破滅を救ってきた、なんて話を書いてほしい。フェルマーの例の書き込みが、真偽不明ながらも世界を護る防波堤になっていたとか。ガロアが死んだのは平行世界からの暗殺によるものだったが、「僕にはもう時間がない」という文言と共に遺されたメモが一種の護符となっていた、とか。さらには、ある日ある少年が九九をきちんと覚えたことが、世界の崩壊を防ぐ鍵であった、なんて。

「手工材料 ちえのおりかみ」など2018/11/11 22:03

◆「手工材料 ちえのおりかみ」
妻が、骨董市で面白いものを見つけてきた。「手工材料 ちえのおりかみ」という、古い彩色折り紙用紙である。保存状態はきわめてよく、色褪せもない。表面にカラーの模様が印刷され、裏に図が描いてある。袋に書かれた「おりかた図入」の図の意味は、裏に描かれたこの図のことである。紙の裏では見ながら折れないのでは?と思うひともいるだろうが、一応同じものは2枚づつある。
「手工材料 ちえのおりがみ」

作品は、「つる」、「ふくすけ」、「いえ」、「おに」、「ゆうびんふ」、「(交差旗)」、「(おたふくの箕(み)」の7種である。なお、カッコで示したものは、図に題名がついていない。そして、このふたつの作品は、初めてみたものだ。

絵柄や表記(たとえば、「ちゑ」ではなく「ちえ」であること)などから、戦後のものであるのは確実で、パッケージの裏にはこれを裏づける情報もある。ゴム印のようなもので、「東京都文京区富坂XXXXXXXX 白井商店 電話(XXX)XXXXX番」とあるのだ。貼り合わせた継ぎ目の上に文字があるので、押印であるのは間違いない。

行政区画としての文京区富坂は、1940年から1964年に存在した地名である。いっぽう、東京の市内局番が3桁になったのは、1961年からだ。したがって、すくなくともこの印は、1961年から1964年の間のものである。押印自体が後年のものである可能性もあるが、商品も、1960年前後のものと見て間違いないだろう。

なお、文京区富坂というのは、現在の小石川二丁目で、日本折紙学会事務局のある白山も近い。周囲は、いまでも紙や印刷関係の業者が多い土地だが、残念ながら、現在白井商店が存続していることは確認できなかった。

「ちえのおりがみ」裏の図
紙の裏に描かれた図の形式も興味深い。折り目や矢印の記号はほとんどなく、紙にプリントされた模様の色をたよりに工程を追うというものなのだ。1960年ぐらいになると、吉澤章さんの『折り紙読本』(1957)なども出ており、「近代的な」図もあったはずだが、まったく別の形式の図なのである。

また、表記が濁音のある「おりがみ」ではなく、「おりかみ」であるという点でも貴重な資料である。

◆ノマブドウ(←修正:ヤマブドウ 11/12)
ヤマブドウ
ノブドウ(修正11/12)の色は、本当に深い。

山葡萄湖の光を秘めながら 阿波野青畝

まさに、「うみの光を秘めながら」という色だ。
(追記11/12:この句はヤマブドウだが、ノブドウに相応しい感じがする)

四百六十六億光年の孤独 あるいは、四十三京五千兆秒物語2018/11/10 01:25

谷川俊太郎さんの詩『二十億光年の孤独』を読んだ。と言っても、初めて読んだわけではなく、はっきりとは思い出せないが、たぶんどこかで読んでいた。そして、あらためて読んで、なぜ二十億光年なのかということが気になった。以下はそれについての話である。

『二十億光年の孤独』 谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

集英社文庫の『二十億光年の孤独』『自註』によると、この詩は、1950年5月1日、谷川さんが18才5ヶ月のときの作で、20億光年というのは、当時得た「知識の範囲内での、宇宙の直径」だという。その値はどこからきたものだろうか、というのがわたしの疑問である。

1949年にファーストライトがあったパロマー山天文台(ヘール天文台)の200インチ反射望遠鏡は、当時日本でも話題になったようだ。しかし、この望遠鏡が当時見た最遠の天体への距離は、たしか数億光年ぐらいだったはずである。詩の中の値はそれより大きい。まずは、科学史的に検討してみる。

参照するのは、『ハッブル定数の歴史的変遷』(ヴァージニア・ルイス・トリンブル、1996:『観測的宇宙論』(池内了、1997 )の引用より)というまとめである。ハッブルの法則(今年の国際天文連合で変更された名で言えば、ハッブル・ルメートルの法則)は、宇宙の膨張による天体の後退速度vと観測点からの距離dを、v=Hdという一次関数で表したものだ。Hはハッブル定数と呼ばれ、宇宙の年齢を見積もる値になる。この『歴史的変遷』を見ると、1929年、エドウィン・ハッブルによって約500(km/s)/Mpcと見積もられてから、1950年ぐらいまで、いくつか別の観測はあるものの、大きく値は変わっていない。ハッブルによる値が、長く代表的な値になっていたのは、どうやら間違いがない。そして、ウォルター・バーデとヘンリエッタ・スウォープによって、距離測定に用いたケフェイド偏光星に種族があることがわかり、測定精度があがり、大きくこの値が変わるのは、1952年のことである。
(注:Mpc=メガパーセク≒3*10^22m)

次は、この定数から、どのように宇宙の年齢が導かれるのかということを簡単に説明する。
定数と言っているが、Hの値は長い時間にしたがって変わる。一般相対性理論の解による宇宙モデルの草分けである、エドワード・アーサー・ミルンの、いわゆるミルン宇宙では、dの一様な変化に対してHが反比例して変化する。別の言いかたをすれば、それぞれの場所のvは一定である。したがって、等速度vで動く点がdという距離になるまでの時間が宇宙の年齢になる。それは単純に、d/v、すなわち、ハッブル定数の逆数として計算できる。最新のモデルでは、Hの変化はもっとダイナミックだが、最新値である約70(km/s)/Mpcの逆数から得られる値は、他の情報などを総合して得られる現在の宇宙の年齢の推定値138億年と、結果としてきわめて近い。

1929年の値である約500(km/s)/Mpc、つまり、1.6*10^-17(1/s)から、宇宙の年齢を計算すると、6*10^16秒、約20億年となる。面白いのは、1940年代に、地質学者アーサー・ホームズや物理学者アルフレッド・ニアーらによって、放射性元素の崩壊から詳しく見積もられた岩石の年代との比較である。ニアーの推定した値が20億年を超えたのだが、これにニアーが悩んだという話がある(『地質学者アーサー・ホームズ伝—地球の年齢を決めた男』(チェリー・ルイス著、高柳洋吉訳))。ニアーがハッブルの値を知っていて、その値に一種の権威があったということを示す話だ。その数年後である谷川さんの詩の「二十億」も、この値が伝わったものなのだろう。

ただし、『二十億光年の孤独』では、億年という時間の単位ではなく、億光年という距離の単位が使われている。これにより、この話はさらにめんどうになる。

まず、谷川さんは直径と言っているが、これは半径というべきである。これは、単純な勘違いであろうから、あまり気にしないでおく。問題はそこではない。それを説明する前に、この半径がなにを意味するかを示しておこう。それは、観測者を中心とした球、観測可能なところまでの距離ということだ。それより向こうは見えない宇宙の地平線、ホライズンまでの距離だ。それよりさきは、ないのと同じである。ただ、それには宇宙が十分大きくなければならない。空間の次元をひとつ減らして考えて、宇宙が球面のように閉じていたとする。その球の半径が大きければ、観測可能な範囲は、球面上の部分球面(じっさいには、次元がひとつ上なのでこれが球)であるが、もしそれが小さければ、異なる方向の観測範囲の先が重なり合うこともある。その場合、宇宙全体のサイズが、理論的な観測可能な範囲より小さくなる。しかしここでは、宇宙は十分大きいと考え、その中での観測可能な宇宙を考える。宇宙全体のサイズの見積もりはまた別の話である。

以上を前提として、宇宙の年齢が十分な長さに達し、現在、光速で遠ざかっている場所を考える。ハッブルの式で、vが光速度cになるd離れた場所である。c=Hdとなるので、dはc/H、すなわち、見積もられた宇宙の年齢である1/Hに光速度をかけた値になる。上の例でいえば20億光年だ。20億光年を半径とする球。これが観測の限界、われわれが認識可能な宇宙である...ように思える。しかし、そうとは言えないのだ。空間が膨張してることを忘れてはいけない。

空間が膨張しているので、光がとどいた時点で20億光年離れた場所は、光が出たときにはもっと近くにある。よって、そこから光がとどくのに20億年かからない。同様に、20億年あれば、いま現在20億光年より遠くにある場所の20億年前が見える。現在の知見では、宇宙の年齢は138億年で、光子がとどく限界である「粒子的ホライズン」までの距離を、現時点での「固有距離」で測ると、約466億光年となる。そしてじっさいに、300億光年より遠い銀河が観測されている。

と、ここで、谷川さんが参照したのではないかと思われる文献を見つけたという話になる。谷川さんは『自註』に「初歩的な天文学の本」と書いており、本人に訊けば記憶をたどれるのかもしれないが、科学解説書というよりも文学方面の本に、これに関する記述があったのだ。稲垣足穂氏の『宇宙論入門』(1947)である。これはあやしい。この本にずばり、「膨張が始まってから二十億光年」(これは二十億年の単純な誤植だろう)、「どちらを向いても、二十億光年の彼方に壁があります」とある。谷川少年が読んだのは、この本のような気がする。しかし、上述のように、当時の知見の範囲でも、「壁」までの距離を経過時間×光速度とする記述は正しいとは言えない。20億光年ではないのだ。

観測可能な宇宙のホライズンは、(距離の定義にもよるとも言えなくもないが、)宇宙の年齢×光速度より遠い。ただ、物理学に詳しいひとの中には、ここまでの話で、なんかおかしいぞと思ったひともいるはずだ。たぶん足穂さんも勘違いしたところ、あるいは彼が参照した解説も間違っていたのかということにも関わるので、付言しておく。

それは、n億年でn億光年以上に広がっているので、膨張する宇宙の遠方の速度は光速度を超えているじゃないか、これは、光速度を超えられない相対性理論の原理に矛盾するのではないか、議論の前提がおかしくなっていないか、という疑問である。しかし、結論を言えば、これは、一般相対性理論と矛盾していない。慣性座標系に関する理論である特殊相対性理論においては、いかなる場合も相対速度が光速度を超えることは許されないが、宇宙全体を扱うような一般相対性理論においても許されないのは、同じ場所での相対速度が光速度を超えることで、遠く離れた座標系どうしではその限りではない(という理解で正しいはずである)。

以上、そのむかし物理学を学び、天文台で仕事をするの者の、門前の小僧的な長口上であったが、結論として、二十億光年の数字のでどころは、ハッブルの観測した値に基づくものを稲垣足穂氏が紹介し、それを参照した値と推定される。しかし、宇宙の年齢ならともかく、それに光速度をかけて半径としたのは、当時の観測と理論においてもすこしおかしいよ、ということである。

...というふうに、詩を理詰めで読んでしまうのはきわめて野暮で、1950年以降の知識も使っているのでよけいに野暮だが、詩において科学的知見を扱うのも難しい。この詩には、火星人もでてくるが、火星に知的生命がいるかもしれないという説は、1950年には一般でもすでに下火になっていた。ただしこれは、谷川少年の確信犯的な空想による記述とも思われる。じっさい谷川さんも、『自註』で「まさか実在を信じていたわけでもない」と書いている。

とは言え、この詩には科学の風というか、理科少年の手触りがある。「宇宙はひずんでいる」「宇宙はどんどん膨らんでゆく」など、宇宙論の知識も援用し、それが詩情となっている。さらに、火星人を出すことで、とぼけた感じが生まれ、ポストモダンの謎論文にあるような、虚仮威しの「科学の濫用」からは遠く離れている。

そもそも、詩は自由なもので、わたしの疑問もなぜ20億光年なんだろうというそれだけで、難癖をつけたかったわけではない。理屈で考えれば、宇宙の膨張とひとの不安には関係はないが、それを結びつけてしまうのが詩である。関係ないと言うなら、白秋が、からまつ林をしみじみ見ると寂しくなった意味も、牧水が、海底の眼のない魚を恋しく思ってしまう意味も、理屈では説明がつかない。

そして、「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」という一節が、リルケの『秋』とも共鳴しているではないかと、好きな詩との結びつきも発見し、うれしくなったということも書き添えておく。

『秋』 ルネ・マリア・リルケ

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる

そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる

われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある

『リルケ詩集』富士川英郎訳)

最後が宗教的で、わたしはそこで、それこそ落ち着かなくなるが、これは、万有引力の詩である。木の葉は、いやいやと手を振るように落ちる。地球は、遠心力と釣り合って回転になっているが、いわば、太陽に落ち続けている。
そして、不信心者は、「その者のやさしい両手」からも、たぶんこぼれ落ちる。谷川さんの詩にも、支える者の影は見えず、ただ孤独だけが、ただし、どこか明るい孤独だけが、広い宇宙の中にぽつんとある。

『折り紙数理の広がり』など2018/11/10 00:52

2014年の第6回折り紙の科学・数学・教育国際会議の論文集の抄訳を恵贈いただいた。原著(英語)から、数学の論文をセレクトしたもので、これらが日本語で読めるのはうれしい。なお、原著にあるわたしの和算の論文は、これには載っていない。

◆メタファーとしての折り紙
杉江松恋さんの『インド倶楽部の謎』(有栖川有栖さん)の書評が、「最後の一折り」などの表現で、折り紙をメタファーとしていた。

ということもあって、『インド倶楽部の謎』を読んだ。氏の本を読むのひさしぶりで、あまりよい読者とは言えないな、読んでいるのは半分以下かなと思い、読み終わって書棚に持っていくと、国名シリーズのそれまで8冊がすべて並んでいて、あ、案外わるくない読者なのかも、わたしはやっぱりこういう探偵小説らしい探偵小説が好きなんだなと自分で納得したが、このシリーズは十何年ぶりということなので、そんなふうに思ったのだろう。

探偵とワトソン役の火村英生准教授と有栖川有栖文士は、サザエさん一家のように歳をとらないのかということを、十何年ぶりということもあって認識した。いっぽう、有栖川さんをはじめ、わたしと同世代の新本格ミステリの作家さんたちは、確実に歳をとっているはずなのだが、なんだかみんな、作中人物のように若いような気もする。

喫茶店で幾何学2018/11/04 21:57

昨日行った喫茶店のコップが、九回の回転対称で、「おおっ」となったが、どうやらこれは定番のグラスらしい。フランスのデュラレックス社のピカルディというものだ。九角形のグラスがそれほど普及しているのは気がついていなかった。
デュラレックス社のピカルディは九角形

これはこれでちょっとした発見だったが、この日喫茶店で、もうひとつ気になったのは、「コーヒーフレッシュ」の容器であった。見慣れているが、上部のシールの出っ張りの角度を見て、「ん?」となったのだ。目測で60度より大きく、もしかしてこれは360度/5の72度なのじゃないかと。詳しく見ると、72度ではなく約77度であった。すこし残念だったが、以前測った初心者マークとほぼ同じ値であったのは面白い。72度に近い値なので、5個並べると、梅の花のようになる。下は、今日行った別の喫茶店での写真である。
「コーヒーフレッシュ」を5個並べる

さらに、このかたちの調和を考えた。

このかたちは、大小ふたつの円が外接し、それを接線で結んだものと見ることができる。じっさいの容器である約77度のかたちでは、大小の円の直径の比率は4:0.92...となる。初心者マークでみた、2*atan(0.8)=77.31....度である(図の下)。

これが、区切りのよい4:1の場合、どうなるか。するとこれが、かなりきれいな図形なのであった(図の左上)。いろいろなところが整数比になり、出てくる三角形が、3:4:5のエジプト三角形になる。そのときの角度は、2*atan(0.75)=73.73...度である。これは72度により近いので、この比率で容器つくれば、5個並べたときに、よりきれいに梅の花になる。実はすこしずれているのだけれど(図の右上)。
「コーヒーフレッシュ」容器の幾何

鹿と猪2018/11/03 10:58

数日前の朝、八ヶ岳山麓。観測所に向かう途中、道路を横断するリスに危うくぶつかりそうになり、ああ危なかったと思った直後、災難にあった狸を見た。さいわい獣と事故を起こしたことはないが、車を運転中、こうした場面に遭遇することはたまにあり、片手で「安らかに」と略礼をしている。そしてそれを「早く行け」という感じでカラスが見ている。

リスや狸はそもそもひとの近くで生きているが、この季節は、より大きい獣たちも近くに来る。古歌のとおりに、夜、鹿の鳴く声も聞こえ、ときには、すぐ近くで枯葉を踏む音も聞こえる。庭の木の皮を齧っているのに遭遇し、つかの間こちらを見つめたあと、脚を高く振り上げて走り去るのを見たことも何回かある。

奥山にもみぢ踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
猿丸大夫

この歌に関して、紅葉を踏み分けているのは鹿なのか、歌を詠んでいるひとなのかという疑問があるらしいが、ふつうに考えて鹿である。映像より音の喚起力がある歌で、上のように、鹿の気配というのは、枯葉を踏む足音と鳴き声で感じる。

先日は、枯葉が掘り起こされた跡をみた。たぶん、猪が嗅ぎ回ったもので、キノコを探していたのだろう。山荘の周囲は、ハナイグチ(ジゴボウ)というひとが食べてもおいしいキノコが多い。ハナイグチの季節はすでに過ぎたが、今年はキノコは豊作だったという。どんぐりも豊作らしいが、それでも獣たちは近くまで来る。というより、山荘は、里ではなく、近世までは山だった領域にある。

なかなかに 鳥けだものは死なずして、 餌ばみ乏しき山に 聲する
釈迢空

『凶年』と題された一連の歌の一首だが、一読、忘れがたい。

猪といえば、先日、依頼というか打診があって、折り紙の猪の顔を試作した。仕事としてはなくなったが、試作品は悪くないできとなった。これを見た妻が「首だけだと、ほら、諏訪のジンチョウカンのあれを思い出す」と言った。長野県茅野市の神長官守矢史料館、御頭祭の展示である。その史料館に、古来よりの神事の展示があって、鹿や猪の首がデーンとあるのだ。縄文狩猟民というか、柳田國男のいう山人というか、『もののけ姫』のエミシ村というか、仏教文化と切れた古層を感じさせる信仰である。
シシガシラ(猪)

折紙歌合拾遺 紙雛篇2018/10/28 22:09

(写真は、以下の文章と直接の関係はない)
雛人形

あの言葉の真の意味に、耕助はそのときはじめて気がついたのである 。
『獄門島』横溝正史)

9月末に発行された『折紙探偵団』171号に、『折紙歌合(おりがみうたあわせ) - 折り紙が詠み込まれた短歌と俳句 -』と題したエッセイを寄せ、「折り紙」、「折鶴」、「紙ヒコーキ」などが詠み込まれた歌や句を紹介した。その冒頭にも書いたように、それらの歌や句の多くは、「渉猟したわけではなく、偶然出会ったものたち」で、「もっとあるに違いない」と考えている。むろん検索して見つけたものもあり、「もっとあるに違いない」のさっそくの実例として、忘れていた言葉があったことに気づいた。「紙雛」(かみひな、かみひいな)である。季語にもなっているので、多くの句がある。

以下、歌合(うたあわせ)と言いつつ、歌ではなく俳句ばかりであるが、それらを紹介する。いまの季節と大幅に季が違うのだがしかたない。なお、紙雛と呼ばれるものがすべて折り紙に関係するか否かも後述する。

ちなみに、冒頭に『獄門島』の一文を引いたのは、同作が俳句ミステリでもあるとの理由による。

まずは、以前読んだはずなのに忘れていた以下の句である。

紙雛や時にとりての余り順 井月(せいげつ)

この句は、一読での句意の解釈が難しかったのだが、岩波文庫『井月句集』の注釈(復本一郎さん)に、関連の句として、去来(向井去来)の「振舞や下座(しもざ)になをる去年(こぞ)の雛」があげられており、なるほどそういうことか、と納得した。つまり、年々雛人形が増えて余るということである。復本さんの注釈には「時につれての餝り順 とも」とも記される。たしかに、「餝」(「飾」の異字)は「餘(余)」と似ている。であれば、次となる。

紙雛や時につれての餝(かざ)り順 井月

雛人形で飾り順とくれば、男雛女雛の左右の順ということも連想するが、ここでは、上と同様の、複数対ある雛の飾り順と見るべきだろう。というのも、『日本人形玩具辞典』(斉藤良輔編)などによると、往時の雛人形は男女一対ではなく、複数対飾るかたちも多かったようだからだ。節句の前に雛の市が立ち、贈答用にも使われ、年々増えてゆくことは珍しくなかったらしい。芥川龍之介の『雛』という小説の冒頭に引かれている次の蕪村(与謝蕪村)の句も、このことの傍証と言えるかもしれない。

箱を出る貌(かほ)忘れめや雛二對 蕪村

「顔を忘れていないでしょうね」と箱から出される雛人形が、一対ではなく二対なのである。正岡子規が『蕪村句集講義 春之部』の中で、この句に関して、「二對といふのは調子の上からさういふた迄であつて、一對でも二對でも別に變りは無い」と述べていて、たしかに「二対」のほうが調べがよいのだが、当時の雛飾りの習俗のリアリズムとして、複数であることは案外重要だったのかもしれない。

なお、井月(井上井月)は、蕪村より百年、芭蕉より二百年後の、幕末から明治の漂泊の俳人で、つげ義春さんの漫画『無能の人』にも描かれるなど、興味深い人物である。好きな句もいくつかあるのだが、この話のテーマは雛なので、それを詠んだ句をもうひとつ引いておくだけにする。この句の季題も、紙雛ではなく単に雛だが、この句からも、毎年雛の市が立って雛人形を求めるという習慣があったことが示唆される。

遣(や)るあてもなき雛買ひぬ二日月 井月

妻子と別れ(死別とも言われる)故郷を捨て放浪生活を送る井月が、三月二日にあてもなく雛を買っているという寂しい句だ。これとは対照的に、子規の紙雛の句は明るい。そう、子規にも紙雛の句があるのだ。

紙雛や恋したさうな顔許り(ばかり) 子規

不遜にもこの句を子規自身の言で評すると、「陳腐に似て陳腐ならず、卑俗にして卑俗ならず」『俳諧大要』)である。かつ、上巳の節句の核心、つまり、恋や婚姻の寿ぎを表しているとも言える。この句も雛は複数でないと成り立たず、雛の市の店頭のさまを詠んだものかとも思う。また、上で、「一對でも二對でも」という子規の言葉を引いたが、同じく子規の『わが幼時の美感』という随想には、「全焼して僅かに門を残したるほど」になった「貧しき小侍」の家で、「こればかり焼け残りたりといふ内裏雛一対、紙雛一対、見にくく大きなる婢子様(ほうこさま)一つを赤き毛氈の上に飾りて三日を祝ふ」という、正岡家の雛祭りのさまが語られている。家にある人形をみな並べて飾った記憶である。上掲句は、こうした記憶とつながっている、と読むこともできる。

蕪村の雛の句はすでに引用したが、蕪村には、ずばり紙雛を詠んだ句もある。これは、その技巧に目をみはる。

衣手(ころもで)は露の光りや紙雛 蕪村

「衣手は露」とくれば、思い浮かぶのは、小倉百人一首の一番、天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」である。蕪村の句は、この本歌を踏まえ、句の始めで袖を濡らすさまを詠むと見せて、一転、水のしずくの意味ではない「露」、つまり、「露ほどもない」という用法での「露の光」、「微かな光」へと意味をずらすという技を見せる。そして、下五で、小さく愛らしい紙の雛の句であることを明かすのだ。

『枕草子』「ちひさきものはみなうつくし」を思いおこさせる「小さいのにきらりと光る袖がある紙雛よ」という、それ自体ちいさくささやかな句意が、読み進むと屈折する言葉の動きの中で表現されている。蕪村の句は、しばしば「絵画的」といわれ、この句も絵が浮かぶが、文芸ならではの技巧がまたみごとである。以上はひとつの解釈ではある。いっぽう、解釈が誤りようなく、素直にわかりやすいのは、一茶(小林一茶)の次の句だ。

紙雛やがらくた店の日向ぼこ 一茶

がらくた店にもかかわらず、というより、むしろそれゆえ、この雛人形はそんなに寂しそうではない。子規の句のように「恋したそう」でもなく、縁側の翁と嫗のような佇まいである。ただし、紙雛というものは、通常いわゆる立ち雛なので、共白髪(ともしらが)として立ち続けるのはたいへんそうだ。雛も、座りたくなるだろう。

このように、子規と一茶の句は、雛人形を、擬人化というか、生あるものとして扱っている、あるいは、そうしたことを喚起させるが、蕪村の句、すくなくとも紙雛の句では、その感覚はそれほど強くなく、井月の句も、視点は飾る側の人間にある。そして、以下の数句では、よりいっそう物としての雛の性格が強くなる。まず、次の句が面白い。

目鼻なき紙の雛の目鼻だち 富安風生

ひねりが過ぎると、それこそ、子規先生に「理屈の句にて些の趣味なし」『俳諧大要』)と言われそうだが、こうしたひねりは、句を読むたのしみのひとつでもある。

ここでやっと、「紙雛」とはなんだろうか、という話になる。ここまで読んだひとはもうわかっていると思うが、それは、姉さま人形のような、あるいは、さらに手の込んだ細工の工芸品を含むものである。上掲の近世や明治の句の紙雛は、基本の素材は紙だが、折り紙の技法、つまり、折って畳んで造形した人形とは言えない。流し雛のような祓えの形代(かたしろ)を起源とすることで、主に紙が使われるため、紙雛という呼称なのだろう。じっさいには竹や土も使われて、筆による色も添えられているのだろう。蕪村の句の紙雛も、細工は細かく、袖に金紙などが使われ、それゆえにきらりと袖が光るものと思われる。

いっぽう、富安氏の「目鼻なき紙の雛」は昭和の句で、これは、折り紙の技法による雛かもしれない。郷土玩具として残る山陰の簡素な流し雛にも顔は描かれているからだ。そして、以下に示す現代の句は、折り紙の技法による雛を詠んだものとして間違いがない。そうした折り紙の雛は、たとえば、日本画家・西沢笛畝(てきほ)氏の『雛百選』に描かれた「折雛」(岡村昌夫さんが復元したことがある)など、昭和の初めにはあったことが知られ、より以前の近世にも『折形手本忠臣蔵』などの折り紙の技法の人形はあり、立版古(たてばんこ)や玩具絵の人形もそれに通じるものだ。しかし、「紙雛」から、俳人の脳裏に折り紙の技法の雛が思い浮かぶようになったのは、実は、この何十年かのことと言えるのではないか。そのこと自体、なかなかに興味深いものがある。

茶の席に懐紙借りたる後の雛 岡井省二

この句の雛は、折って畳んでつくる雛と見て間違いない。折り紙好きが箸袋でなにかを折ってしまうように、ひとが立ち去ったあとにのこる紙の雛という情景が浮かぶ。

生真面目な折り目の残り紙雛 七種年男

紙ひひな角あいまいの祟るなり 中原道夫

七種さんの句はずばり「折り目」を詠み、中原さんの句は、折り紙講習会でのわたしの常套句「ここでぴったり折れてないと、あとですこし困ります。なんとかかたちにはなると思いますが」を思い出さずにいられない。

紙雛を開いてメモをしておりぬ 市川伊團次

市川さんの句は、物としての雛人形を詠んだ極みとも言える。なお、伊團次はそういう筆名で役者さんではないようだ。

最後に、また時代が明治に戻るが、漱石の次の句はやや謎である。

紙雛つるして枝垂桜哉 漱石

句意そのものにあまり疑問はない。とはいえ、紙雛をつるした枝のさまが枝垂れ桜に見えるのか、本物の枝垂れ桜の枝に紙雛をつるしたのかは不明である。まあ、たぶん前者だろう。だがそれ以上に、いわゆる「つるし雛」が、どのように普及していたのかが気になる。人形をつるす民俗では、菅江真澄(1754-1829)の、いわゆる『菅江真澄遊覧記』にのこる、軒下につるした七夕人形の絵が有名で、わたし自身も、近世に遡れそうな旧正月の飾りで、柳の枝の先に這子(ほうこ)人形をつけたものを見たこともある。それなどは、まさに「這子雛つるして枝垂桜哉」という絵であった。しかし、明治のこの時代、それがどれほど一般的だったのか、珍しいから詠んだのか、たとえば、娘の筆子さんのいたずらなのか、そうしたところがよくわからない。
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(以下、蛇足)

以上、こういう文章を書くと、『折紙歌合』でもそうだったが、わたしなりの読みの発見もあって、自分が目利きか読み巧者になったかのように勘違いしそうになる。そして、それとは別に、年古りての短歌や俳句への関心、とりわけ井月のような寂々とした句へにこころ寄せる感覚は、加齢の影響もあるのだろうか、などとも考える。

萩原朔太郎は、『芭蕉私見』『郷愁の詩人与謝蕪村』所収)に次のように記す。

僕は少し以前まで、芭蕉の俳句が嫌いであつた。芭蕉に限らず、一体に俳句というものが嫌いであった。(略)しかし僕も、最近漸く老年に近くなつてから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。(略)日本に生れて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としては何だか寂しいような、悲しいうような、やるせなく捨鉢になったやうな思いがする。

朔太郎このとき50才、翌年(1937)には、『日本への回帰』という文章も書く。その内容は、上記の「捨鉢になったような思い」に似て、単純な日本万歳ではないのだが、同年には、あの朔太郎がねえという、時局に乗った詩も書いて(書かされて)いる。そして、彼は、敗戦を知らずに、1942年に逝く。

平均寿命の延びからの比例計算で、50才は1.2倍以上だろうか。齢重ねての枯淡趣味というのは、「米の飯を五十年」などと言わなくてもよくある話で、若いころから隠居に憧れてきたわたし自身は、望むところなのだが、それと連動しての日本回帰ということについては、朔太郎の話は、他山の石としたい。

三鷹・星と宇宙の日20182018/10/26 18:20


三鷹・星と宇宙の日2018

明日は、10:00から19:00まで、国立天文台三鷹キャンパスの特別公開日

野辺山宇宙電波観測所コーナーでは、VRゴーグルで45m電波望遠鏡の鏡面にまで登ることもできます。わたしの折り紙作品の「折り図」もおいてあります。