『JIN-仁-』の紙ヒコーキ ― 2010/02/07 00:10
幕末にタイムスリップした南方仁の助手にして、本編のヒロイン、旗本の娘・橘咲が、川越の宿の小さな娘に、いくつか折り紙を折ってみせる。
「わたしは、何も作れませんよ」と感心する仁が、思いつく。
仁「あ! わたしにも作れるもの ありました」
「長方形の紙… 半紙がいいでしょう」
「これをほいほいっと」
「イカヒコーキ!」
咲「ヒコーキってなんですか?」
仁「いや… その… 空飛ぶイカです」
と言い、それを飛ばす仁。長く滑空する紙ヒコーキに驚く咲たち。
ということで、未来人の仁が紙ヒコーキをつくるのはうまい演出である。拙著『本格折り紙√2』でもイカヒコーキはいつからあるのだろうという話題をちょっと書いたので、おっと思うものがあった。
しかし、物語中の折り紙に関する細かい考証には、以下のように気になる点がいくつかあった。
・遊戯用の紙細工を「折り紙」と言っているが、当時の言葉では、折形、折すえ、折りものとすべきだろう。幕末の女児,若い女性の言葉なら「折りもの」がよいかな。
・裏表の色の異なる正方形の「折り紙用紙」は、当時ふつうにはない。無色の長方形の紙の束のそばに、さりげなく和鋏を描いておくと、リアリティーが高くなった。
・「奴さん」は、同種の造形が薦僧(こもそう)として徳川時代にもあり『欄間図式』(1734)には「奴さん」そのものと思われる図もある。しかし、それも上半身のもので、袴(ズボン)は、明治以降にフレーベル系の「折り紙」が輸入された後のものと推定できる。また、その折りに関して「奴さん」という名称が定着するのは、明治末年頃と考えられる。
・「帆かけ船」も、すくなくとも資料として確認できるのは、フレーベル系の造形の輸入以降で、じっさいにそうだった可能性が高い。
・いわゆる「くるくる蝶々」も近代以降のものである可能性が高い。(これに関しては、何の考証もないけれど) 紙の蝶を扇子で舞わせる手妻(手品)師の芸は徳川時代にある。しかし、手妻師の蝶と「くるくる蝶々」は手筋が異なる。「くるくる…」が作者不詳の伝承作品であり、徳川時代に流行した「投扇興」に似ている、とは言えるけれど。
と、いろいろ書いたが、『JIN-仁』が、江戸の空気を感じさせる優れた物語であることは変わらないし、「折りもの」をとりあげてくれてうれしい。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://origami.asablo.jp/blog/2010/02/07/4862911/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。