イヌクシュクと旧大岡村の道祖神2007/11/01 01:06

 共時性(シンクロニシティー:意味あり気な偶然の一致)は、ただの偶然と心理的な錯誤が相まって発生する感覚だと思っているが、いま、そうしたものを感じている。
 以前から気になっていたとは言え、近頃、丸石神に熱をあげている。そんななか、最近読んだ岡本太郎さんの『美の呪力』の冒頭にあった「イヌクシュク」が、わたしの興味の中に大きく浮上してきた。イヌクシュクというのは北米先住民の石積みの人形で、ある種のランドマークである。つまり、道祖神である。The Canadian Encyclopediaなどでは、イヌク(ひと)のスク(代用)ということだが、イヌクはアイヌ語のアイヌ(ひと)に重なる。そして、スク(シュク)という響きが、道祖神と関係が深い古い神・ミシュグチ神を連想させる。
 まあ、シュグとスクの類似は、「道路とロード」の類いだろうが、妙な符合というか偶然は、個人的なものとなってさらに続く。わたしは、来週末カナダのバンクーバーに行くのである。そしてそこにもイヌクシュクがあるらしいのである。これは見てくるしかないではないか。しかも、2010年のバンクーバーオリンピックのマスコットがイヌクシュクだそうで、どうやら街にその図像があふれていそうな気配なのである。

 というわけで、ここはもうすっかり道祖神のブログである。折り紙の話題を期待しているひとごめん。
 こうなったら(?)、何年か前、布施知子さんに案内されて、彼女の家(旧八坂村)の近くで撮った道祖神も紹介しておこう。旧大岡村(現長野市)にある有名なもので、長野オリンピックの開会式にも登場したことでも知られるでかい顔である。(上掲写真) そう、これもオリンピックなのだ。道祖神はその場所からは離れないはずなので、オリンピックに出るのは変なのだけれど、どうやら、オリンピック関係者はエスニックな神さまが好きらしい。
 これはたしかに印象的な造形である。岡本太郎さんが見たら喜びそうだ。ただし、藁の顔は道祖神本体ではなく、石碑の飾り付けである。一年間維持するので飾り付けとは言えないかもしれないが、これは信仰の原形態ではないような気もする。山梨の道祖神も小正月に藁や紙などで飾り付けられるが、こちらは1週間程度と短期間である。

映画のセット2007/11/04 10:41

 我が家の近くに広大な空き地があり、最近では映画のオープンセット用の土地になっている。先日までは、映画の内容以外のことで話題になった『クロズード・ノート』、その前までは『西遊記』のセットがつくられていた。いまは、『252−生存者アリ』という、巨大台風パニック映画のセットができている。近隣住民に配付されたチラシによると「新橋交差点」ということだったが、現実の地理を忠実に反映したものというより、架空の街で、昨日双眼鏡で覗いたら、「銀座駅」の入り口が見えた。「東京サブウェイ」とあるが、もちろんそんな会社は現実には存在しない。建設をちらちらと見てきたが、ほとんど木の板でできているというのが面白い。当然だけれど、かたちの表面だけをつくるのである。もっとも、煉瓦造りでもないのに煉瓦様のタイルを貼っているマンションなども、構造と見かけの乖離ということでは同じかもしれない。今日は、クレーンが大きなスクリーンを揚げており、撮影のようだ。(写真は昨日のもの)

丸石神その52007/11/04 11:06

 『丸石神 庶民のなかに生きる神のかたち』(丸石神調査グループ編 )(1980)を図書館で借りて、やっと読むことができた。本文執筆者は中沢厚さんが中心だが、石子順造さんらが加わってアート方面からのアプローチもあるところがユニークな本である。残念ながら絶版で、古書市場では2万円ぐらいするみたいだ。写真(遠山孝之さん)は写真集といってよい充実振りで、それを見て、そして記事を読みながら、ざっとまとめた疑問等を以下に示す。
  • 単体丸石と集合丸石を同じに扱ってよいのだろうか。単体丸石はご神体に見えるが、集合丸石は、供物や積み石(賽の河原など)の一種に見える。(なお、単体丸石と集合丸石はいま便宜的につくった用語である。また、神体と供物を分けることの妥当性も棚上げにしている)
  • 「石数ふえると道祖神さんがボコを持たれたという」(山中共古『甲斐の落葉』1880頃 ボコ=赤ん坊)という記述は興味深い。これは、集合丸石のひとつの特徴を示している。出産のさいに河原から拾った石をお守りにする産石(うぶいし)という紀伊地方の習慣(『石の宗教』(五来重著)参照)などとの関係とともに、丸石を集めることの意味・心象を想像するヒントになる。
  • 古い信仰に起源があるのは道祖神信仰であって、その特殊な一形態である丸石は、必ずしも古形を継いでいるとは言えないのではないか。ご神体としての大きな丸石道祖神が甲斐国に広まったのは、中世以前の絵巻にそれらしいものがあることを勘案しても、そう古くない時代の可能性もある。直接は関係ないが、陽石(石棒:男根型の石)の多くが中世頃に地蔵に変わっていったという説(五来重氏)は示唆的である。
  • 丸いかたちは、単純に言って、ドンド焼きで扱いやすいという特徴がある。(石に喝を入れる(?)ため、それを焼く例がある)
  • 丸石の地質学的な形成理由だが、ほとんどは、やはり河川性の円礫ではないだろうか。河原などに真球に近い丸石が少ないのは、珍しいがゆえにご神体にもなり供物にもなっているので、不思議ではない。なぜ丸石神が甲斐地方特有なのかの答えとして、丸石が多いからだという説はなりたちそうもないというのは言えそうだ。
  • 五輪塔の水輪と関係している(ものもある)のでは、という説は捨て切れないが、思いつきの域をでないようだ。
  • わたしが好きなのは、シンプルな幾何オブジェとしての魅力を発散させる単体丸石であることを再認識した。自然石のほうがよいが、真球に近くないとだめだ。数の多い集合丸石も琴線に触れない。わたしは、丸石神を、井上武吉さんか堀内正和さん(ともに幾何学的な彫刻をつくる彫刻家)の彫刻作品のように見ている、ということである。
 なお、同書の写真には、このブログにわたしが載せたものはなかった。甲斐の国には数え切れないほど丸石神がおわすのである。
 この本には、若き中沢新一さんも文章を寄せている。リゾームなんて言葉がでてきて、数年後からの活躍を彷彿とさせる。ちなみに、『精霊の王』も、トポロジー云々の説明にはやっぱり閉口したが、氏ならではの芸を楽しんだ。続いて、中沢厚さんのエピソードも期待して、『僕の叔父さん 網野善彦』に手を出した。こちらは、中沢厚さんの逸話も満載で、かなり引き込まれて読んだ。

丸石神その62007/11/06 00:15

 ネット上の丸石神としては、その名も丸石神というサイトが充実している。ほかにも検索をするとけっこうな数のページがヒットし、思いの外、丸石神の信者(?)は多い。ただ、峡北地方(県北部)の調査は手薄のようなので、使命感を感じている。半・山梨県民として、これからも、ちょっくらずつだけんど、調べるずら。(甲州弁はテキトーです)
 なお、資料としては、山梨県立博物館の企画展『やまなしの道祖神祭り』の図録も充実している。(残念ながら現在は品切れのようだ。道祖神、人気あるぞ) 

 半分は山梨県民だが、わたしは東京都多摩地区の住民である。何年か前、三鷹市の野川大沢グラウンドに玉石垣(たまいしがき)を見つけて、その写真も撮っていたことを思い出した。玉石垣は八丈島のものが歴史的建造物として有名なようだが、このグランドのものも見事で、よくここまで大きさの揃った石が集められるものだと感心し、そのときも丸石神を連想した。しかし、よく見ると、石にモールド痕のようなものがあり、それはどうやら、成型された石のようだった。コンクリートべったりよりははるかによいけれど、ありがたみは落ちる。玉石・丸石の世界も玉石混淆だったというオチである。(こっちはタマイシではなくてギョクセキ。念のため)

丸石神その72007/11/07 23:25

 このブログにも書いたように、過日、丸石神からつげ義春さんの『無能のひと』を連想し、多摩川まで散歩の脚を伸ばした。一方、わたしの丸石神熱のルーツは石子順造さんにある。(丸石神について触れている石子さんの『キッチュ論 石子順造著作集1』(1986)という本は、折り紙の限界芸術(マージナルアート:周縁芸術)性を考えるということもあって読んだと記憶している。当時、笠原邦彦さんから「折り紙限界芸術説」を聞いた影響だろう)
 そして、世のことどもには味なつながりがあるもので、つげさんと石子さん、このふたりに関するエッセイをネット上で見つけた。『石子順造とつげ義春 椹木野衣著『戦争と万博』にふれて』(高野慎三氏)である。高野さんはいわば当事者として、石子さんからつげさんへの直接的な影響を否定、すくなくとも疑問に思っているのだが、詳細な事実関係をあえて横におくと、わたしの関心をつなぐ「補助線」がまた現れた思いがある。『戦争と万博』は、まだ読んでいないのだが、丸石神がひとつの梃子の支点になっているというか、この線は岡本太郎さんにまでつながっている、という内容だと推測する。
 なお、『石子順造とつげ義春…』中の以下の文が、石子さんとわたしの丸石神への視線の類似を思わせた。
石子は、山梨の丸石神にこだわりながらも、長野や群馬の道祖神や石像物にはいっさいの関心を示さなかった。どうも、民俗学的な興味よりも、いわば造形的な興味が強大だったように見えた。
 わたしの「造形的な興味」の内実は、石子さんとは違うところも多く、民俗学的な関心も強いが、こころの裡でうなずいた。

 さて。写真は、北杜市大泉町下井出の丸石神である。いまのところ、うちの山荘から一番近い丸石神だ。以前村役場で入手した『おおいずみむら文化財地図』(大泉村教育委員会)の記載から見つけたものである。加工した石で、近世末のものと思われ、汚れ(苔?)が地球儀の大陸のように見える。そして、こうした方形の石の上に乗った整った丸石神は、火輪から上を欠いた「二輪塔」とも言えるかたちであることをあらためて思う。前に五輪塔の水輪の再利用としての丸石神という推測も書いたが、再利用でなくても、このような加工された丸石神は、五輪塔をつくっている石工と同じ手による可能性が高いはずだ。期せずしてなのか、天円地方(天は円く、地は方形)という風水の象徴性に合致しているのも面白い。

 上記の丸石神は今朝確認してきたものだが、今日は別の収穫もあった。昼休み、仕事先である野辺山宇宙電波観測所の図書室に『南牧村の石造文化財』(南牧村教育委員会)なる本を見つけ(前に見たような気がしていた)、一覧した。南牧(みなみまき)村は、山梨県に接するが、長野県である。かなり徹底して石造物を調査した写真満載の資料集なのだが、ざっと見た限り、丸石神と言えるものはひとつもなかった。丸石神のある北杜市高根町に接し、分水嶺でみれば太平洋側、すなわち甲州側にある平沢地区にもないのだ。道祖神において、信濃と甲斐の違いは大きいということを再認識した。

イヌクシュク2007/11/10 23:40

 カナダ・バンクーバー市・イングリッシュベイビーチにあるイヌクシュクである。もともとここにあったものではなく、そもそもが1986年の万博用に造られたもののようだが、海に向かって建つそれは、じつにそれらしい雰囲気を出している。写真右は、バンクーバー市街にあるオリンピックのカウントダウンモニュメントで、イヌクシュクのマークが見える。

 わたしは、長時間飛行機や列車に乗るさいの読書というのをひじょうに楽しみにして、どの本を持っていくか悩むのもまた楽しみにする質だが、今回の往路は『柳田國男全集15』(文庫版)にした。『石神問答』が載っている巻で、内容は漏れ読んで、ここのところのわたしの関心を思えば必読書なのだが、読みたいのを2週間ほどおあずけにしていたのである。柳田翁(当時は翁という歳じゃないけれど)や山中翁らによる、シャグジという音を持つ路傍の神に関する書簡集で、これがじつに面白い。すべて候文なのだが、それもまた味がある。一番最後の柳田翁から弟宛の書簡にあった、塞の神(道祖神)信仰が国防に通じるみたいな時局(日清日露戦争の時代)への配慮を思わせる内容(と読めた)を除けば、逸脱をしない謙虚な学問的態度で、しかし隠れた熱気は強く、新しいアイデア、というよりも、民俗学という学問そのものが萌芽する記録のようなエキサイティングな内容である。
 なお、わたしの今の関心としては、「現代アイヌ語にてもサクは隔絶の義之れ有るかと存じ候」というのが一番驚いた。たしかめないといけないが、イヌク(ひと)≒アイヌというのはともかく、スクとサクも、冗談じゃなく対応しているのだろうか。ほんとうだとすれば、駄洒落と偶然の一致の域をでないだろうと思っていたイヌクシュク=人型の道祖神という解釈がど真ん中になる。これ、自分の発見のように思っていたけれど、わたしが知らないだけで、よく知られた話なのか。