映画のセット2007/11/04 10:41

 我が家の近くに広大な空き地があり、最近では映画のオープンセット用の土地になっている。先日までは、映画の内容以外のことで話題になった『クロズード・ノート』、その前までは『西遊記』のセットがつくられていた。いまは、『252−生存者アリ』という、巨大台風パニック映画のセットができている。近隣住民に配付されたチラシによると「新橋交差点」ということだったが、現実の地理を忠実に反映したものというより、架空の街で、昨日双眼鏡で覗いたら、「銀座駅」の入り口が見えた。「東京サブウェイ」とあるが、もちろんそんな会社は現実には存在しない。建設をちらちらと見てきたが、ほとんど木の板でできているというのが面白い。当然だけれど、かたちの表面だけをつくるのである。もっとも、煉瓦造りでもないのに煉瓦様のタイルを貼っているマンションなども、構造と見かけの乖離ということでは同じかもしれない。今日は、クレーンが大きなスクリーンを揚げており、撮影のようだ。(写真は昨日のもの)

丸石神その52007/11/04 11:06

 『丸石神 庶民のなかに生きる神のかたち』(丸石神調査グループ編 )(1980)を図書館で借りて、やっと読むことができた。本文執筆者は中沢厚さんが中心だが、石子順造さんらが加わってアート方面からのアプローチもあるところがユニークな本である。残念ながら絶版で、古書市場では2万円ぐらいするみたいだ。写真(遠山孝之さん)は写真集といってよい充実振りで、それを見て、そして記事を読みながら、ざっとまとめた疑問等を以下に示す。
  • 単体丸石と集合丸石を同じに扱ってよいのだろうか。単体丸石はご神体に見えるが、集合丸石は、供物や積み石(賽の河原など)の一種に見える。(なお、単体丸石と集合丸石はいま便宜的につくった用語である。また、神体と供物を分けることの妥当性も棚上げにしている)
  • 「石数ふえると道祖神さんがボコを持たれたという」(山中共古『甲斐の落葉』1880頃 ボコ=赤ん坊)という記述は興味深い。これは、集合丸石のひとつの特徴を示している。出産のさいに河原から拾った石をお守りにする産石(うぶいし)という紀伊地方の習慣(『石の宗教』(五来重著)参照)などとの関係とともに、丸石を集めることの意味・心象を想像するヒントになる。
  • 古い信仰に起源があるのは道祖神信仰であって、その特殊な一形態である丸石は、必ずしも古形を継いでいるとは言えないのではないか。ご神体としての大きな丸石道祖神が甲斐国に広まったのは、中世以前の絵巻にそれらしいものがあることを勘案しても、そう古くない時代の可能性もある。直接は関係ないが、陽石(石棒:男根型の石)の多くが中世頃に地蔵に変わっていったという説(五来重氏)は示唆的である。
  • 丸いかたちは、単純に言って、ドンド焼きで扱いやすいという特徴がある。(石に喝を入れる(?)ため、それを焼く例がある)
  • 丸石の地質学的な形成理由だが、ほとんどは、やはり河川性の円礫ではないだろうか。河原などに真球に近い丸石が少ないのは、珍しいがゆえにご神体にもなり供物にもなっているので、不思議ではない。なぜ丸石神が甲斐地方特有なのかの答えとして、丸石が多いからだという説はなりたちそうもないというのは言えそうだ。
  • 五輪塔の水輪と関係している(ものもある)のでは、という説は捨て切れないが、思いつきの域をでないようだ。
  • わたしが好きなのは、シンプルな幾何オブジェとしての魅力を発散させる単体丸石であることを再認識した。自然石のほうがよいが、真球に近くないとだめだ。数の多い集合丸石も琴線に触れない。わたしは、丸石神を、井上武吉さんか堀内正和さん(ともに幾何学的な彫刻をつくる彫刻家)の彫刻作品のように見ている、ということである。
 なお、同書の写真には、このブログにわたしが載せたものはなかった。甲斐の国には数え切れないほど丸石神がおわすのである。
 この本には、若き中沢新一さんも文章を寄せている。リゾームなんて言葉がでてきて、数年後からの活躍を彷彿とさせる。ちなみに、『精霊の王』も、トポロジー云々の説明にはやっぱり閉口したが、氏ならではの芸を楽しんだ。続いて、中沢厚さんのエピソードも期待して、『僕の叔父さん 網野善彦』に手を出した。こちらは、中沢厚さんの逸話も満載で、かなり引き込まれて読んだ。