BrillさんVelyさん来訪 ― 2007/12/05 23:41

AssiaさんのCuricue(うずまき)という作品は面白い。見ただけではわからない作品で、いろいろと動かしてみると、真価が明らかになる。模様が変化したり、変化するさいにバネのような動きがあったり、特定の位置で立体的に安定したりするのだ。
丸石神その10 ― 2007/12/06 22:15

左上:北杜市須玉町若神子。屋根に破風まである立派な石祠の前の丸石。
右上:北杜市須玉町下津金御所。これまた立派な石祠わきの、珍しいダルマ状の丸石。1996年に道路拡張工事にともなって現在地に移転したということで、それ以前からこういうかたちだったのかは不明。
左下:北杜市須玉町小倉。かなり大きな丸石。手前にあるのは破損した灯籠のようだが、丸石が上に乗っていたことを想像すると、造形的にはかなり「くる」。
右下:北杜市明野町上手。素朴な石祠の脇に並ぶ丸石。石祠は、柱が欠損しているため、よけいにシンプルになっているが、それもまたよい。
旧須玉町は、丸石神が続々と見つかる道祖神散歩の桃源郷である。いずれ、ゆっくり見てまわりたい。そもそもにしてスタマという町名がそれらしい。60年前の4村合併時に須玉川からとられたものだそうだが、合併した村のひとつは多麻村である。ちなみに、チミモーリョーの「魑魅」は、スダマとも読み、「山林・木石の精気から生じるという怪物」(新辞林)の意である。
ホシボックリ・カフェ ― 2007/12/10 12:35

ホシボックリ・カフェというのは、黄金比の原理で螺旋状に組み上げられた竹の構造体を基本にした茶室である。どこまで行っても上の部材がそれまでの部材と平行にならない二重螺旋になっている。中から見上げたかたちは、ヒマワリの種のようにもマツボックリのようにも見え、じっさい、同種の原理に拠っている。翌日、上に登ってもみたが、きわめて頑丈で、かつ、下部の壁自体をスピーカーとした(合わせて竹も振動する)音響機器でもある。
訪問のさい「なにか気に入った音源あれば持ってきて」ということだったので、「らしいやつ」ということで、Glenn Gouldの『J.S. Bach 平均律クラヴィーア曲集1』を持っていったら、日詰さんもそれをかけていた(しばらく聴いていなかったし、それそのものかは確認し忘れたけれど、Gouldさんの演奏)。ちょうど伊坂幸太郎さんの小説『ゴールデンスランバー』を読み終わったところなので、作中にでてくるThe Beatlesの『Abbey Road』も持っていったけれど、こちらはかけなかった。テンポのゆるいクラシック(サティとか)やニューエイジ風(イーノとか)などの、ヴォーカルのない曲がぴったりだと思ったのだが、あとで、John Lennonの命日だったことに気づいて、かければよかったと、ちょっと後悔した。とくにGolden Slumbersからのメドレーは、たしか武満徹さんが編曲したものもあるぐらいで、ニューエイジの元祖みたいな気もする。
ちなみに、ニューエイジ風が似合うからと言って、雑駁な議論で「宇宙は螺旋だ!」なんて託宣してしまう神秘主義みたいなものとは違うので、誤解なきよう。もっとも、日詰さんが「怪しげに思われているんだよなあ」と述懐すると、「じゅうぶん怪しいです」と言いたくなるけれど。
最初に書いたように、中央から下げられた自在鉤−これは構造体の一部でもある−で鍋も楽しめる。コーヒーも何度も淹れてもらったが、燃料はマツボックリだった。中で鍋がつつけ、コーヒーが喫めるアート作品というのは、めったにない。日詰さんの同居人・二宮知子さん(漫画家さんとは別人)もまじえて、深夜まで話し込んだが(話題は、ホッキョクグマが狩りのときに黒い鼻を隠す話など、ってなんじゃそれ)、円形のにじり口を閉じていれば、まったく寒くはなかった。
建てたいひとがいれば、相談にのりますとのこと。タワーだけでも、クリスマスツリーにぴったりだ。
フィボナッチタワー ― 2007/12/16 00:41

借地のため、たぶん今年いっぱいという日詰さんのホシボックリ・カフェと、最近関心を持っている自分の生活圏にある歴史的遺物のことなどから、土地の所有について様々考えた。所有とは、環境とは、みたいなことも含めた、ぐねぐねと思弁的な話なので、このブログの話題にはそぐわないが、妙に笑える「事実」だけメモしておく。
日本の法規では、鉱業法、温泉法、大深度地下法、建築基準法、航空法などの利用制限はあるが、土地の所有に関して、深さと上空の高さに規定はないという。つまり、土地を所有するということは、地殻の中心まで錐体に切り取った地球と、限りなく広がる上空の宇宙(刻一刻と変わる)を所有したということになるのである。法律というのは往々にしてそうしたものだが、これはある種の冗談としか思えない。
第3回折り紙の科学・数学・教育 研究集会 ― 2007/12/16 22:26

写真左は、折りたたんだときにかたちが長方形になる「四角いミウラ折り」を説明する三浦公亮先生。右は、この日の第一講演者だった上原隆平さんと、コンピュータサイエンス関連の学会に参加することもあって来日中だったErik DemaineさんとStefan Langermanさん。 彼らの前にあるのは、舘知宏さんの「Stanford Bunny」(CG業界では有名なうさぎのかたち)。今回発表のあった舘さん開発の三次元折紙設計ツール・"Origamizer"を使って製作した、3Dの多面体である。切り込みなしで襞をよせるだけでできている。
発表はどれも内容が濃く、バラエティーもあって、進行していても楽しかった。
150年前の白山 ― 2007/12/17 23:12

ギャラリーおりがみはうすと隣りのJOASホールのある朝日マンションの建つ土地は、屋敷のない町家だが、折紙探偵団東京友の会の例会後に、若い創作家たちが集まる某ハンバーガーショップにあたるとおぼしき場所に、「神谷玄雄」というお屋敷があったのである。そう、「神谷」なのだ。ギャラリーおりがみはうすの従業員にして、折り紙の申し子、折り紙作家・神谷哲史さんと同姓である。土地の因縁というべきであろう 。なんて、因縁とかなんとか、まったく信じておらず、だからどうしたってなもんだが、ちょっと面白い。
白山神社(白山権現)の富士塚が立派に描かれているのも目をひく。この富士塚には、わたしも紫陽花祭りのときに「登頂」したことがある。(普段は登れない)
<追記>
ネットを検索して、東京人形倶楽部あかさたな漫筆の『「ぞ」はZOOLOGISTのゾ4 リュウグウノツカイと人魚(3)』(釜野啓 著) によって、神谷玄雄(たぶん、カミヤゲンユウ)の素性が明らかになった。玄雄は医師である。そして、なんと、人魚に関することで記録にのこっていた。 概略すると、「辻川氏(不明)の所蔵する人魚のミイラを、医師の神谷玄雄が借り出して、博物学者の毛利梅園が写生した」ということである。詳細は、上のリンクを参照のこと。人魚という展開は意外だった。当時の学者や好事家の、好奇心のみで結びついたネットワークも垣間見える。16日の研究集会もそういう感じがなくもない。(人魚ほど怪しくはない?)(12/18 13:00)
上円下方墳 ― 2007/12/20 22:59

今日の午後、仕事で天文台の三鷹キャンパスに行ったので、ついでにそれを見てきた。第一赤道儀室の隣りの丘がそれである。(ちなみに、この第一赤道儀室も、関東大震災前の1921年建造という建築物で、国の有形文化財に指定されている) 研究者の調査で明らかになったぐらいなので、見ただけで上円下方というかたちがわかるというものではなく、大きさも、古墳ということで思い浮かべるものからすると小さかった。じっさい、いままで何度も横を通っているのに、丘があったことに気がついていない。ただ、数ヶ月前に天文台の小久保英一郎さんから話は聞いていた。小久保さんの専門はシミュレーション天文学だが、子供の頃は考古学者になりたかったとのことで、『国立天文台ニュース』2007/06のインタビュー記事(『天文台Watching 第24回』 インタビュアー:高田裕行さん)でも、この話題に触れている。
そして、である。上円下方というのは、見かたによっては、いまわたしがハマっている山梨の丸石道祖神と同じ図形構成、すなわち「天円地方」の象徴性を持っているとも言えるのだ。
新聞記事にあった「都内や多摩丘陵に点在する円墳も、調べれば上円下方墳である可能性がある」という考古学者の池上悟さんの推測も興味深い。なお、この古墳は、前方後円墳などの巨大古墳の全盛期よりは時代が下って、7〜8世紀のものであるという。この時代は西日本と東日本の違いは大きいのかもしれないが、高松塚(二段式円墳)と同時期で、遣唐使の最盛期でもある。大陸からの思想輸入という面においても面白い時代である。
また、古墳は、上記の新聞記事も触れているが、富士塚(白山の記事参照)とも関係がある。富士塚は江戸時代の流行だが、古墳を利用したものもあり、三鷹のそれもそうだったとの資料もあるらしい。近所にある武蔵境の杵築(きづき)神社や府中の浅間山の富士塚には、前から行こうと思っていたのだが、ぐっとその気が増した。こんどの休日にでも行ってみよう。
それにしても、というか、まあ、いつものことだが、わたしの関心は、発散しているんだか、収束しているんだかわからない状態である。広い意味での「幾何学」への興味という、自分なりの核はあるのだけれど。
上記の小久保さんも、考古学を語る言葉があまりに熱いので、「休みをとって(発掘を)手伝った方が、世の中のためになるから、行けば?」と冗談を言われたそうだが、わたしも、なにに集中すれば世の中のためになるのだろうか、と考えた。なんて、じっさいにはなにも考えていない。
クリスマスグラス ― 2007/12/21 23:43

螺旋と六角のタイリング ― 2007/12/30 16:19

左は、蚊取り線香のようなタイリングパターンの(地下)防火水槽(南池袋二丁目)。マンホールの配置と敷地のかたちがこのデザインのきっかけなのだろう。
右は、雑司ヶ谷の工事現場に敷き詰めてあったプラスチックの板で、工事車両などの足場確保のためのものらしい。鉄板などが置かれていることが多いが、これならば、どんな面積でも不定形の土地でも対応ができる。末端の結合部分の写真を撮り忘れたが、がっちり組み合うことで、うねったり簡単にはずれないようになっており、パチンパチンと嵌め込んでいくのにパズル的な心地よさがありそうだった。
丸石神その11−信濃の丸石 ― 2007/12/31 11:28

場所は、双体道祖神の本場、長野県北部の大町市八坂(旧八坂村)と生坂村である。まずは、旧八坂村在住の布施知子さんの家の近く、塩の貝集落のはずれの聞神社(神社と言っても石塔だけである)の前にひとつゴロンとしていた(写真上)。そして、これも布施さんの家の近く、その名も石畳集落の双体道祖神の前にひとつである(写真左下)。さらに、八坂の隣りの生坂村日岐の双体道祖神の前(写真右下)。これは、丸石ゴロゴロで、甲斐の「お供え系」の丸石道祖神をほうふつとさせる風景だった。
前者ふたつは布施さんの情報、最後のものは、Kokoton Wonder Family 安曇野でのんびりというページの情報によるものである。探せばもっとあるだろう。
これらは、なにより甲斐地方以外の丸石という点で興味深く、丸石神の歴史解明(?)についてもヒントになるものだが、石自体も特徴的だった。
まず、石畳集落の丸石は加工されたもののようで、墓地も近いので、五輪塔の水輪の可能性も高い。一方、聞神社と生坂村日岐の道祖神の丸石は自然石で、地質学的にも面白い。右上の写真のようにタマネギ状の節理がみられるのだ。八坂は、砂岩の褶曲地層が露頭する犀川擾乱帯なる地域にあり、こうした石が多いらしい。たしかに、丸い石が「生み出される」ような地層も観察できる。そのこととも関係するのだろう、犀川の支流・金熊川に沿った石原(!)という集落には、子を生む岩の民話も伝承されている。
なお、生坂村日岐の道祖神は、藁細工も凝っている。写真ではわかりにくいが、中央の筒は酒樽を模したもので、房総や近江の「道切り」(一種の結界。これも面白いものが多いんだよなあ)の藁細工を連想させる。
以上、暮れの押し詰まったこの時期に、丸石を求めて歩いているわたしなのであった。
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