卍と北斗七星2012/01/05 22:34

イタリアにいったさい、パルマ考古学博物館(MUSEO ARCHEOLOGICO NAZIONALE DI PARMA)で、卍模様のタイルを見た。ナチス登場前のマイナスイメージのない時代の卍である。本ブログの記事から交流ができた卍紋様の研究者・植村卍さんに写真を送ったところ、イタリアは詳細を調べていない地域で、氏もこれは未見ということだった。

パルマ考古学博物館の卍

パルマ考古学博物館は、エジプトやギリシアの資料もある博物館で、駆け足の見学でもあり、説明もイタリア語ばかりだったので、詳細不明なのだが、たぶん、地元(エトルリア)のものと思われる。

その後、メールのやり取りの中で、植村さんから質問を受けた。植村さんの著書にある、氏の説に関して、同書に載せた図に間違いがないか、ということであった。 その説というのは、日光東照宮などに見られる妙見信仰(北極星、北斗七星を神とする信仰)において、卍がシンボルとして使われることがあるのは、四季の北斗七星が、天に卍を描くからではないか、というものだ。 図に間違いはなく、この説も、ありそうだなと思う。

関連して、北斗七星の位置を、より正確に確認してみたところ、ちょっと面白いことがわかった。

◎地表座標
 日光近辺(北緯36度45分 東経139度30分)
◎年月日
 1630年(東照宮ができた頃)
 日付:春分、夏至、秋分、冬至
 時刻:北中(太陽が子午線上に来る時刻:真夜中)

以上で計算すると、北斗七星が低くなる秋分の日、破軍星(北斗七星の柄の先:大熊座η星)が、ちょうど地平線上ぴったりの位置にあったのだ。2012年でもほぼ同じ位置だが、歳差運動(地軸の首振り)などのため、地平線の下になる。また、土地が異なっても、地平線下になる。京都などではまったくだめで、江戸でもだめだ。実際は山があるので、見えないだろうけれど、これはみごとだ。日光という土地は、陰陽道などでいろいろ計算されて選ばれた土地ということを聞くが、これもそのひとつだろうか。

日光から見た北斗七星の四季

まあしかし、それも偶然かもしれない。偶然は珍しくない。じっさい、今回も、北斗七星に関して、シンクロニシティーじみた話があったのだ。イタリアで最後の夜に泊まったホテルが、かなりモダンなホテルだったのだが、天井の照明がLEDによる北斗七星になっていたのである。

Hotel Mediolanum

北斗七星つながりの話はまだある。近く、神宮前のワタリウム美術館で開催中の『重森三玲 北斗七星の庭_展』を観に行くつもりなのである。「北斗七星の庭」というのは、石で北斗を描く、東福寺の方丈の東庭のことである。

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