『本格折り紙√2』誤植32012/02/01 22:02

19ページ 左図キャプション

1850年 グスタフ・フェヒナーの調査による
どのような長方形が好ましいかのアンケート結果


1860年代 グスタフ・フェヒナーの調査による
どのような長方形が好ましいかのアンケート結果


補足:フェヒナーの調査に関しては、『本格折り紙√2』に「出来過ぎなくらい黄金比にピーク」と書いたが、調査方法などにバイアスがあるとの疑問は、心理学や美学の研究者にも強く、「捨て去るべき」や「そこそこ証拠はある」など、さまざまな評価があるという。(参考:『黄金比はすべてを美しくするか?』( マリオ ・リヴィオ著 斉藤隆央訳)

折り紙につながった(?)結晶の話をふたつ2012/02/01 22:06

御幣状結晶(『雪の結晶図鑑』)と御幣
◇その1
黄鉄鉱は、立方体、正八面体、五角十二面体等の結晶で知られる。ただし、五角十二面体といっても、面が正五角形の正十二面体ではない。黄鉄鉱は立方晶系で、立方体に屋根をつけたような対称性により十二面体になりうるのだが、面角一定の法則で「屋根」の傾きが決まっていて、正五角形にはなりえないのである。しかし、黄鉄鉱で検索すると、鉱物販売サイトに完全な正十二面体のものがあった。これは、間違いなく削り出している。そういうことしちゃだめだなあ。

黄鉄鉱の十二面体に関しては、Pyritohedron(黄鉄鉱体)という言葉もあるようだ。
関連して、Wolfram MathWorldのPyritohedronDodecahedronを見ると、Dodecahedronのページに「an origami dodecahedron constructed using six dodecahedron units, each consisting of a single sheet of paper (Kasahara and Takahama 1987, pp. 86-87)」という折り紙モデルの写真が載っていた。笠原さんと高濱さんの編著『Origami for the Connoisseur』(『トップおりがみ』(絶版)の英訳版)に載ったわたしの作品だが、「six dodecahedron units」という説明は変である。

◇その2
先日、図書館で、『雪の結晶図鑑』(菊地勝弘、梶川正弘著)という本を借りた。写真集のようにも味わえる本で、中谷宇吉郎没後50年記念出版でもある。

この本で初めて知った雪の結晶に、1968年の南極越冬観測のさい(著者の菊地勝弘さんが当事者)に発見された「御幣状結晶」なるものがあった(写真左)。じっさい、御幣(写真右:愛知県東栄町月地区・花祭のカマドの幣束)によく似ている。偏光顕微鏡写真による「色合い」と、カクカクした連続構造から、ビスマスの結晶も彷彿とさせる。御幣状結晶という名は、英語でもGohei Twin(Twinは双晶-平面を対称面とした結合した結晶-のこと)だそうで、茶目っ気を感じる。

鉱物や結晶の近辺には、パワーストーンがどうした、水からのナントカなど、怪しげなひとたちもいるので、御幣状結晶も、「これは神慮だ!」なんて言われてしまうかも。

東京文化会館小ホールの蛇腹2012/02/02 21:59

東京文化会館小ホール
上野の東京文化会館(前川國男設計…親戚じゃないよ)の小ホールに巨大な蛇腹があることを、切手のデザインで知った。このホール、いままで訪れたことがなかった。

なぜ蛇腹なのかを考えた。音の反射を図化(テキトーだけれど)してみると、図の蛇腹の赤い部分だけが反響に使われているようであった。青い部分は使われていないのである。つまり、このかたち自体に音響効果の意味はあまりないらしいのである。なぜ蛇腹なのかというと、要するに、大きな反響板を力学的に支えるため(と、収納のため:2/3追記)だろう。

音楽ホールと蛇腹といえば、前川國男氏の師匠筋にあたるアントニン・レーモンド氏設計の群馬音楽センターが、蛇腹のかたまりのような建築で、折り紙者の琴線を強く鳴らす。

『本格折り紙√2』誤植42012/02/07 00:07

28ページ ヴィエトの式に関して。

無限という概念を組み込んだ史上初めての式とも言われます。

無限積という概念を組み込んだ史上初めての式とも言われます。

日々の言葉2012/02/07 00:10

「『おめでとうございました』って言うひとが多いけれど、『おめでとう』に過去形は変よね」
「まあね。えーと、『ありがとうございました』はOKだね」

感謝は過去と現在に、祝福は現在と未来に与えられるもの、ということかな…。

「おはようございました」
「あはは」

日々の挨拶言葉というのは、考えるとわからなくなるものがある。
昼は「今日は」で、夜が「今晩は」なら、朝は「今朝は」であってこそ対称性が生まれるのに、どうしてそうならないのか、とか。だいたい省略しすぎだよなあ。

「今日は」
「今日がどうしたの? いいの? 悪いの?」

「さようなら」は「美しいあきらめの表現」だ。と、アン・リンドバーグが記している。と、須賀敦子さんのエッセイで読んだ。

そうでなければならないのなら…。言葉にならない言葉。そう考えるとたしかに美しいけれど、意地悪く考えれば、これも、省略、言い澱み、ほのめかしととれなくもない。同じ系統の別れの言葉には、「んじゃ」や「そんなわけで」がある。

「そんなわけで」
「どんなわけ?」

赤い正方形星雲2012/02/11 15:48

Red Square Nebula
かたちが正方形に見える星雲があるということを、最近知った。2007年に観測されたもので、通称Red Square Nebula(赤い正方形星雲)という。詳しいことはわかっていないそうだが、中心部から二方向に対称的な円錐状のガスの放出があり、円錐の母線のなす角度がたまたま直角に近く、それを真横から見ることでこのかたちになる、ということらしい。じっさいはやや長方形であるが、みごとだ。

どこにあるのかを確認してみると、かなりわかりやすい位置にあった。肉眼や小口径の望遠鏡ではまったく見えないけれど、折り紙(不切正方形一枚折り)の上達を星に願うときは、その方角に向かうのはどうだろう、なんてことを思った。まあ、「折り紙(不切正方形一枚折り)の上達を星に願うとき」という設定自体がわけがわからないけれど。

わかりやすい位置というのは、天空の座標である赤経が約18時(赤経18時21分15.9秒、赤緯マイナス13度1分27秒 へび座(尾部)領域内)にあることからくる。これにより、夏至の真夜中頃、冬至の正午頃、春分の日の出頃(6時頃)、秋分の日没頃(18時頃)に、南中する(真南にくる)のである。なお、南中時の高度(仰角)は、東京で40度ぐらいだ。南九州だと、だいたい45度と、折り紙好きのする角度になる。これも、だからどうしたってなもんだが。

写真:パロマー天文台ヘール望遠鏡およびケックII望遠鏡による赤外画像 (Wikipedia:Red Square Nebulaから)

LH2O2012/02/11 15:56

LH2Oと十八面体
ポルトガルのデザイナーユニット・Pedritaによる「LH2O」という水のボトルが面白い。(写真もこのサイトから) Água de Lusoというメーカーと協力しての「実験」と書いてあるので、商品にはなっていないようだ。

空間を完全に埋め尽くせる菱形十二面体を基本にして、6個ある四価頂点を切り落とすと、六角形(正ではない)12面と正方形6面からなる立体になる。これを積むと、立方体のすきまができる。ここにキャップ部分がはいって、無駄なく空間を充填できるようになる、という理屈だ。

この立体の正方形部分を穴にしたモデルを、折り紙(√2長方形の12枚組)でもつくってみた。四価頂点の切り落としかたは任意だが、ボトルでも使っていると思われる目安のわかりやすい比率にした。

「則した」と「即した」 - 『本格折り紙√2』と『日本文化のかたち百科』の誤植2012/02/17 12:40

以下は、いずれも「則した」という文字を使っているが、これは「即した」に修正したい。
図形に則した考えかたをする、ギリシアの数学の面目躍如の「名品」と言えるでしょう。
→即した
『本格折り紙√2』の26ページ、ユークリッドの互除法に関して。

もっと造形に則した折り紙と数学の関係もある。
→即した
『日本文化のかたち百科』「折り紙をひろげる」

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これに気がついた経緯は次のようなことである。
ある日、かなりくだけた表現なのにもかかわらず、「則って」という表記を目にした。「のっとって」である。訓読み漢字を仮名でひらくことが多いわたしは、文体との対応に微妙な違和感を持ったのだが、音読みの単語は漢字も使うので、「則す」という言葉はわたしも使うな、とも思った。ここで、待てよ、となったのである。「そくす」には「即す」と「則す」がある。似たような意味だが、使い分けがあるのではないか? 過去にどう書いたのかが気になって、活字になった自分の文章をチェックした。すると、上のふたつがでてきたのである。

『大辞林 第三版』によると、「即する」と「則する」は、次のように説明される。
即する。:離れないで、ぴったりとつく。ぴったりあてはまる。「事実に即して考える」
則する。:あることを基準として、それに従う。手本にする。「前例に則する」
『大辞林 第三版』

「事実」には「即して」、「前例」には「則する」。これはややこしい。
『新明解国語辞典』では、以下のように記述される。
即する:[理論やたてまえにとらわれることなく]その時どきによって変わる現実の事態に合う対処をする。[表記]この意味で「則する」と書くのは、誤り。「現実(変化)に即して/実際に即して考える」
則する:何かをする際に、理論・規則・方針など、基準(規範)となるものをより所とする。「建築基準法に則して/平等思想に則した政策」
『新明解国語辞典 第六版』

いつものように、「新解さん」は自信満々である。表記の誤りも指摘しているが、事実や現実と理論との峻別はそう簡単でもない。たとえば、「前例」は、現実なのか規範なのか。あるいは、自然科学において、事実の中に論理性を見るような場合は、どう考えればよいのか、などである。

漢字の意味に立ち返ると、「即」は「つく、近く、ただちに」、「則」は、「規範」といったことである。これに基づいた言い換えを考えると、「即した」は「寄り添った」で、「則した」は「規範にした」などとなる。これを、「照らしあわせた」とすると、どちらにも通用する言い換えに「なってしまう」。

「則した」は、比較的新しい用法である可能性も高い。『広辞苑 初版』(1955)には、「即する」のみが項目としてあり、「則する」はない。登場するのは第二版(1979)からだ。また、やや古い文献においては「則した」の実例はすくない。青空文庫の検索で見つかったのは、以下の二例だけであった。
天地の大道に則した善き人間となりたいという願い
倉田百三 『学生と生活 --恋愛--』 1953

そこの風土に則した工業を興すという点
三澤勝衛 『自力更生より自然力更生へ』 1979

倉田氏のものは、「理念にのっとった」ということで、「天地の大道を規範にした」という言い換えに適合するが、三澤氏のものは「風土を規範にした工業を興す」となって、やや解釈が難しい。「風土に寄り添った工業を興す」ならばより意味が通じやすいだろう。したがって、「即」がふさわしいと言える。単純な誤記の可能性も高い。しかし、「を規範にした」と似た意味の「に適合した」を使って、「風土に適合した工業を興す」とすれば、意味が通じる。誤用かどうかの見極めは、やはり難しい。さきに挙げた『大辞林』の「前例に則した」にも、この難しさがあるが、『日本国語大辞典 第二版 第八巻』の「則する」の用例もその例である。
その時作られる百科辞典は概ね、当該思想に則して編まれるのを常とする
渡辺一夫『フランスの百科辞典について』 1950

唯物史観の定式に則して社会の発展をとらえるとき
伊東光晴「現代経済を考える』1973

後者は、「定式」という言葉があり「規範にして」と解釈しやすいが、前者の「当該思想」は、「規範」を広義に考えて、「当該思想というパラダイム(範型)によって」というふうに解釈することになる。(1950年には、「パラダイム」のそういう用法はないけれど)

規範にも広義と狭義があることで、判断が難しくなるのだ。しかし、それだけでもない。法や方針など狭義の規範の用例をみるために、法律の条文も見たところ、そこにも混用があったのだ。まず、以下のようなものがあった。「則した」を使っても問題がないと広く認められた例だろうが、どちらも、新しい例である。
同法第二条の基本理念に則した東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進
『東日本大震災復興特別区域法』(平成二十三年十二月十六日法律第百二十五号 (未施行))

前項の服務の本旨に則して職務を遂行する旨
『日本年金機構法』(平成二一年五月一日法律第三六号)

いっぽうで、30年以上前のものになると、法令の場合も、方針や規程に対して「即した」を使うものが多い。

基本構想並びに都市計画区域の整備、開発及び保全の方針に即し、
『都市計画法』(昭和四十三年六月十五日法律第百号)

その内容は、卸売市場整備基本方針に即するものでなければならない。
『卸売市場法』(昭和四十六年四月三日法律第三十五号)

当該協定が共同施業規程に即していると認められるときは、
『森林組合法』(昭和五十三年五月一日法律第三十六号)

ほかにも多々あるので、これらは誤記とは言えない。「則した」という用法が、比較的新しいことを示しているのだろう。ただ、混用が古いか新しいかということでは、次のようなこともある。

漢文においては、則と即がほとんど同じように扱われる、ということである。訓み下しは「すなわち」だ。典型的な例が、『史記』の有名な一節である。
先即制人 後則為人所制 (先んずれば即ち人を制す、後るれば則ち人に制せらる)
『史記』

前者が即で、後者が則なのである。即も則も、「A→B」という同じ順接の副詞で、たぶん、単に同じ語の繰り返しに芸がないということだけで、即と則となっている。
細かくみれば、違いはあるらしい。「レバ則」(「であれば」のレバのこと)ともいわれるように、論理関係で説明がつくものは「則」、類似的、直感的、時系列的に直後に起きるといった関連づけには「即」のようだ。しかし、上の『史記』の例のように、明確に使い分けられているわけではない。ちなみに、「すなわち」という日本語は、もともとは「そのとき」という意味だそうで、則より即に近いと言える。
漢字ということでは、「則」を旁を持つ「側」が、「即」の意味にも通じる「近い」という意味であるのも、ややこしい。ただ、これは、意味を表す「意符」ではなく、発音を表す「音符(声符)」として使われたもののようである。

◎まとめ
とまあ、いろいろ考えたが、わたしの結論は次である。
・「則した」は、比較的新しい用法と考えられる。つまり、「即した」が基本で、せいぜい、ある場合は「則」を使ってもよい、使うようになってきた、といったものである。
・「則した」は、「狭義の規範(法、理念、理論)にのっとった」という意味の場合のみに使うほうがよい。
・紛らわしい場合は、「照らしあわせた」など、別の表現に置き換えたほうがよい。
・わたしの例は、どちらも「即」にするべきである。

わたしの例の前者は、「ギリシアの数学は、代数的な概念よりも図形(幾何)的な概念が基本にある」という文脈なので、「図形(的実在)という規範にのっとった」ということで、「則した」を使っても通じる例であると言える。しかし、「図形に寄り添った考えかた」、つまり「図形に即した考えかた」でも、言いたいことは伝わる。

後者は、「造形という現実に寄り添った」ということであり「造形の思想を規範とした折り紙と数学の関わり」とすると、きわめてわかりにくくなる。「則した」でよいと考えるのは難しい。

ジッポー体2012/02/19 02:08

ジッポー体
立方体のオイルライター、その名もジッポー体。
という、ダジャレを思いついた。

ロッポー体2012/02/19 18:11

ロッポー体
立方体の六法全書、その名もロッポー体。