バナッハ=タルスキーの逆説2009/09/26 09:18

 「バナッハ=タルスキーの逆説」というものがある。 「球を分割し、その断片を組み合わせると、元とまったく同じ大きさの二つの完全な球に再構成できる」ということである。しかも、この球の中身は詰まっている。どう考えても「おかしい」この内容は、まさに逆説だが、これがなんと、きっちり証明される立派な定理なのである。「選択公理」(複数の集合からひとつづメンバを選択することで新しい集合をつくることがきるといったことで、それ自体は当たり前のことに思える)を仮定すると、これが証明されてしまうのである。
 無限が関係すると、話がややこしくなることの典型である。わたしは、これを、『ホワイト・ライト』(ルディ・ラッカー著 黒丸尚訳)というぶっとんだSF(MF(Mathematical Fiction)?)で知ったのだが、最近読んだ『世界でもっとも奇妙な数学パズル』(ジュリアン・ハヴィル著 松浦俊輔訳)にも説明があった。そこの部分は流し読みだったのだが、なんとなく頭にのこっていたので、どことなく似たところがなくもない『紙の単体』により惹かれたのかもしれない。

アイコンとしての折り紙2009/09/26 09:20

 先日、書店の店頭で、『シンプルな英語で日本を紹介する』(曽根田憲三、ブルース・パーキンス著)というCD-ROMつきの本が、折鶴のアイコンを表紙にしていることに気がついた。よく見ると、風車、手裏剣、兜なども使われていた。「娯楽」という項目には、「折り紙」「千羽鶴」などの例文もあった。日本のアイコンとして折り紙が使われていたり、折り紙が取り上げられているのはうれしい。ただ、(立ち読みしただけなので申し訳ないけれど、)例文中に、「遊びのための折り紙は室町時代から」といった文意があったのはちょっと残念だった。室町時代の遊戯折り紙は確認されておらず、その根拠はほぼ否定されている。まあ、この説は流布されてきたので、無理がないところもある。(後記:2014/09:室町時代を広義に天正元年より前までとすると、たしかな証拠はないが、可能性はなくもない)なお、折り紙の風車も、明治以降に西洋から輸入されたものであることが確実である。
 伝統と思われるものがそう古くなく、伝統を必要とする場合などに「生み出される」ということは多い。ニーチェのいう「結果と原因の遠近法的倒錯」というものだ。歴史を知る面白さのひとつは、単なる事実で、そうした物語がひっくり返るところにある。