百器徒然散歩 ― 2009/02/04 21:36

石燕の妖怪の画業を通覧して、別の発見もあった、という話である。『百器徒然袋』(器物の妖怪なので鬼ではなく器)に「瀬戸大将」なるものが載っていたのだが、不覚にもこれを知らず、その図にうなったのである。全身が陶器(瀬戸物)から構成された妖怪(写真左上)、これはまさに、一昨年、かねてよりの念願かなって見てきた平田一式飾の妖怪版ではないか! Webで検索したところ、瀬戸大将は、京極夏彦さんが脚本を書いた『ゲゲゲの鬼太郎 - 言霊使いの罠!』でも活躍したという。なるほどと思ったのは、京極さんが、水木しげるさんが取り上げていないものをあえて選んだということだった。これは、中世の絵巻や民俗的な怪異→鳥山石燕→水木しげるという太い妖怪の歴史にあって、その流れを蘇らせ、あるいは新たにつくった功労者として京極さんがいるということを示す一例でもある。わたしが知らなかったのも、ほとんどの妖怪を水木さんの画業で知るがゆえなのであった。
ところで、見立ての見せ物が流行った時代、すなわち平田一式飾の始まった時代と、石燕の生きた時代がぴたりと重なっているのは面白い。ついでに言えば、そして、以前別のところで書いたこともあるが、この時代は、江戸の見立て文化の一翼でもある「折り紙」が隆盛した時期にも重なっている。絵草紙屋の店先に『百器徒然袋』(1784)と『千羽鶴折形』(1797)が並んでいるさまを想像すると、なんだかうれしくなる。
石燕や、『百鬼夜行絵巻の謎』で紹介されている絵巻を見て、折紙者・紙の造形の研究家として気になることがもうひとつあった。御幣を持っている妖怪がけっこう多いということである。そこに描かれた御幣のかたちは、土佐のいざなぎ流や東北の修験道系のもの、奥三河の花祭りのように凝ったものではないので、変な紙の造形を見たいという願望からは惜しい面もあるのだが、『百器徒然袋』の「幣六」という妖怪(写真左下)、大徳寺真珠庵の『百鬼夜行絵巻』(室町時代)の「幣六」のモデルとなったかのような妖怪の存在は、水木さんのマンガで「折り畳み入道」(これは、水木さんの創作である。御幣を持っているわけではなく、折り畳みということで折紙者の琴線に触れたのである)に出会ったときの喜びに近いものがあった。さらに、『百鬼ノ図』には鬼のごときものと獣の骸骨が幣束を掲げて飛び歩いており、疫病神を描いた『融通念仏絵巻』(室町時代)にも同種の図像があった。これらについては、とりあえず次のように考えた。
そもそもの絵巻の形式が夜行(やぎょう)、すなわち夜中に列をなして歩くことなどにあるので、これらの化物が、祭礼や御成りの行列などに登場する露払いや従者の戯画として描かれている、ということである。そしてさらに、そこには、ある含みがあることも想像できる。いつごろからそうなのかは知らないが、「御幣担ぎ」という言葉が、迷信深いひとを揶揄する言葉なっているので、絵描きたちは、化物を描きながら、抜け抜けと「化物なんてみんな冗談ですよ」と主張しているのではないだろうか、ということだ。なお、「幣六」の六は謎である。ヘイロクという響きがふつうの名前を思わせるので、知り合いや有名人の風刺なのかもしれない。
写真は、上が、「瀬戸大将」と、平田一式飾りの陶器一式の武将(2007年夏撮影)、下が、「幣六」と、長野県高森町の瑠璃寺・日吉神社の露払いの猿(2008初夏撮影)である。(石燕の画の引用は、いずれも、『画図百鬼夜行全画集』(角川文庫版))
御幣を持った猿は、日吉神社の山王信仰によるもので、郷土玩具や彫刻にも多数見られ、以前から調べてみたいと思っていることのひとつでもある。これは、猿→サルタヒコ・庚申信仰ということで、道祖神にも繋がって、わたしの脳内ワールドでは深く関係するのである。かたち好事家的には、独特な山王鳥居も面白いし、興味のタネは尽きない。
というわけで、頭の中には「♪昼はのんびりお散歩だ 楽しいな 楽しいな お化けにゃ会社も仕事もなんにもない(『ゲゲゲの鬼太郎』二番、作詞:水木しげる)」なんて歌が流れているのだが、われに返ると、会社も仕事もその他の公事私事もたいへん、という現実が広がっているのであった。フハッ(水木サン的ため息)
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