ガードパイプ(目玉タイプ) ― 2009/01/02 14:16

写真1:基本タイプ
写真2:ドングリ眼タイプ、色ブラウン
写真3:切れ長タイプ
写真4:色分けタイプ
写真5:半欠けタイプ 案外珍しくはない。
写真6:「逆柵」
東京都調布市調布が丘。全国で一例しか発見されていない。
「ものは完成と同時に崩壊が始まる」ということから、あえて上下を逆にすることで完成を拒み、国道の工事を絶え間なく続けるという、建設業者と国土交通省の意思を込めた呪物であると推測される。(類例:日光東照宮の逆柱)
写真7:世田谷区上北沢。都立松沢病院北部に接する道は、区道であるにもかかわらず、目玉ガードパイプが並んでいる謎の道である。
しかも、上北沢公園では、世田谷でよく見る「青海波タイプ」と「国道目玉タイプ」が混在している(写真7-2)。ガードパイプ研究者に対する挑戦であろうか。
都内でGPS等がない場合に、場所を確認するふたつの技がある。
(1)ガードパイプの種別によって、国道(目玉タイプ)、都道(イチョウタイプ)、その他であることを知る。
(2)TVのアンテナの向きによって東京タワーの方向を知る。
この技のうち、(1)が使えない場所なのである。
五角形コレクション ― 2009/01/11 12:03

・長野県佐久市(旧臼田町)にある龍岡城。知るひとぞ知る「もうひとつの五稜郭」である。函館のものよりずっと小さく、訪問したのは随分と前だが、資料室も整備されたようなので、また行ってみたい。
・鉄道用の信号。これを造っている工場に、正五角形の部品が山積みされている光景を想像して、なんだかわくわくした。
・長崎市の水道栓の蓋。長崎の市章は、「草書の「長」をデザインし」た五芒星の中に「鶴の港を象徴して折り鶴の形を星状に配し」たものなので、長崎市内を散歩していると、マンホールなどで五芒星をよく見る。なお、紋章の図形は折り鶴には見えず、ほんとうに折り鶴なのだろうかという疑問もある。諸説はあるが、長崎港がそのかたちなどから「鶴の港」と呼ばれている(た)のはたしからしい。
・ヒトデ:西山豊氏は、『人とヒトデとサッカーボール』という本の中で、植物や腔腸動物に5回の回転対称性が多い理由として、胚分割初期の32分割(2の5乗)の32という数が、五角形と六角形からなるサッカーボール多面体の面の数に一致していることに関係しているのではないかとの大胆な仮説をたてていた。面白い話ではある。
・近所に残っていた以前の東京ガスのマーク。3×3の升目を塗り分けてTとGを示す、いまのマークも嫌いではないが、旧マークはよいマークだったなあ。
シェルピンスキーのギャスケットもどき ― 2009/01/12 22:02

イモガイの模様 ― 2009/01/15 00:15

小田急デパートの扉に関して、模様の細部がさらに小さい「ウロコ」になっているという発見にばかりとらわれていたが、大きい三角形の構成も面白いのである。デザイナーが「気持ちのよいかたち」ということで配置したのだろうけれど、これは、たしかに、セル・オートマトンでできるかたち、たとえば、イモガイの模様の空白部分の現れかたに、じつに似ているのだ。
で、引き出しの中を探したら、あった、あった。数すくない「面白いかたち、実物コレクション」に、三個だけ貝殻があったが、そのひとつがこのイモガイ(左下)なのであった。うーん、似ている。
ひび割れ模様 ― 2009/01/15 01:32

近藤氏は数年前に再刊された『キリンのまだら―自然界の統計現象をめぐるエッセイ』(平田森三著)にも解説を寄せていたが、そこで、キリンの模様がひび割れ現象の結果であるという説は直接は否定されたが、チューリングの理論に、いわば止揚されたのである、という旨のことを書いていた。
なお、手元にこの本がないので、細部は確認していないが、マスクメロンの模様というのは、じっさいに「ひび割れ」だということも書いてあったはずである。
写真は、7・8年前に撮って、わたしのPCの中にあったマスクメロンのアップと、うちにあった貫入模様(ひび模様)の茶碗(茶渋もついているねえ)、そして、東京目黒区某所の道路(Google Mapから)のパターンである。これらのパターンに共通する特徴は、線がほぼ直角になっているということである。
謎のペンタグラム ― 2009/01/18 22:38
近くにある渋谷区立幡代小学校には、屋上に同心円とアルキメデス螺旋。これを見た妻が、「Sケンかなにかに使うのでしょう」と言ったのだが、わたしはSケンなる遊びを知らなかった。
『未見坂』 ― 2009/01/18 22:46
話の展開が見えてこないのか、彦さんは煙草をまたもみ消し、ううむと唸って、しばらく腕を組んでいた。それからハイライトのパッケージを手に取り、折り紙でもするように四隅にきれいな角を付けていく。こうしてきちんと箱のすがたを保っていると中身が出しやすいのだそうだ。『未見坂』
おにぎりはひとつひとつが大きくて、重くて、丸々している。ぴたりと巻き付けられた海苔に米粒の水分がしみてしっとりしているのも、色紙の細工みたいなパリパリした糊のおにぎりばかり食べている身にはめずらしい。『トンネルのおじさん』
連作短編小説集『未見坂』(堀江敏幸著)に出てきた、「折り紙」と「色紙」。「比喩としての折り紙」の研究家(?!)として、あえて突っ込んで考えると、ここでの「折り紙」と「色紙」は、微かに過剰な(「微かに過剰」って変な表現だけれど)几帳面さと、味気なさにも通じる形式性を象徴している、とも言える。折り紙の本質が、自由な手遊びよりも、もっと秩序立ったものであることを透かし見せている、と言えなくもない。まあ、考えすぎだけれど。
本自体は、手練(てだれ)の文章家による、よい小説を読んだなあ、と思わせてくれる一冊。登場人物は、誰もがなにか大切なものを喪失しているか、そうした予感の中にあるのだが、感傷というところまで行かずに寸止めされているので、エモーショナルなものとは違った透明な感覚が呼び覚まされる。
『アップルの人』 ― 2009/01/20 21:30
「ストレス発散にボクシングジムに通って汗を流す」という話はよく耳にする。おそらく、サンドバッグを相手に殴るという行為がストレス発散になる。やはり、力は外に向かう。『ストレスの発散』(『アップルの人』(宮沢章夫著))
「ストレス発散に、折り紙教室に通って、千羽鶴を折る」
そんな話は聞いたことがない。鶴を折るのだ。しかも千羽だ。折るのがそもそも外に力が向かっていない。そして、七百羽ぐらいでやめておけばいいものを、千羽と目標を定めてしまった。なぜ「千羽」なんだ。「五百羽鶴」では許されないのか。しかも、千羽に目標をおいていたにもかかわらず、うっかり二千羽折ってしまうおそれもある。よけいストレスがたまる。
どこかずれた例として「千羽鶴を折る」があげられている。唐突なもの、違和感を呼ぶものとしての千羽鶴なのだろうが、折り紙に親しい者にとって「ストレス発散に折り紙を折る」ことには、なんの不思議もない。
『牛への道』や『わからなくなってきました』など、宮沢さんのエッセイは面白いし、この本も、『アップルの人』というタイトルのとおり、雑誌『MACPOWER』等に連載されていたものを集めたものなので、Macユーザのかゆいところにとどく、というか、くすぐったくなるような文章が楽しめる。業界の移り変わりの速さで、古さを感じさせる話題もあるが、それもまた味だ。
ただ、何年か前の読書メモ(たまにつけている)に以下のようなことが書いてあった。
「著者のことを、漠然と天然のひとだと思っていたが、そうではないらしい。当たり前と言えば、当たり前だ。論理性のない演出家なんて、いるはずもない。しかし、読者は欲深いもので、うまくだまされるか、本当に変なひとがそのまんまを書いている文章を読みたいと思ってしまう」(『よくわからないねじ』読後 2002/10:宮沢さんの本職は演出家である)
「宮沢論法」は、天然などではなく、シュールレアリズムの「手術台の上のコーモリ傘とミシンの出逢い」という骨法の応用などを中心とした、かなり技巧的なものなのである。そのネタが折り紙だとひっかかってしまうのだろう。
宮沢さんのIT業界ネタと言えば、『茫然とする技術』の中で、C++(コンピュータ言語のひとつ)について、なにゆえ業界のひとは、これを、正式名称であるシープラスプラスではなく、シープラプラと発音するのかという問題が考察されていたが、あれには笑った。じっさい、ほとんどみなそうである。プラプラである。シープラとも言うが、シーまで略して、単にプラプラと言うことさえある。
「プラプラ?」「そう、プラプラ」
(訳「そのプログラムはC++で書いてあるのですか」「そうです。C++で書きました」)
思えば、コンピュータ業界には、傍から見れば、というか、一歩退いてみると、変な表現が多い。数ヶ月前、某プロジェクトの打ち上げ会でもこのことが話題になったのだが、みなでよく考えると変だと納得しあったのは「ケツからナメル」であった。データをさかのぼって網羅的に調べることをこう表現するのである。けっこう広く使われているはずである。会議でしかつめらしい顔をしながら、「これはケツからナメてみなけりゃだめですね」なんて言っているのだ。なんとまあ、お下品なんでしょう。
専門用語やジャーゴン(隠語・符牒)を使うところには、この手の話題は必ずある。折り紙も例外ではない。たとえば、「ザブトン鶴」なんてのものがある。鶴が座布団に座っているさまを思い描き、そうかそうか、北の空に旅立ったおつうさんも帰ってきて与兵(だったっけ)と再び暮らし始めたんだ、よかったよかった、とほっとするひともいるだろうが(いねえよ)、これは、正方形の四隅を中央に集めた「座布団折り」から折った折鶴の基本形のことで、『鶴の恩返し』とはまったく関係がない。
ヤマカマス ― 2009/01/22 22:08

さて、問題。この繭のかたちを、幾何学的な言葉で表すとどうなるか? 天蚕(ヤママユガ)の繭は回転楕円体、さらに細かく言えば、回転軸のほうが長い回転楕円体と言える。長球ともいう。ラグビーボールである。ではウスタビガは?
「長球の長軸の一端が錐状面となった立体」だろう。
錐状面(すいじょうめん)というのは、英語ではconoid、つまり、cone=錐(すい)の「もどき」である。
この繭は、ツリカマス、ヤマカマスなどとも呼ばれる。カマスというのは、
かます(叺) 1. わらむしろを二つ折りにし、ふちを縫い閉じた袋。穀類・塩・石炭・肥料などの貯蔵・運搬に用いる。かまけ。2. 刻みタバコなどを入れる1のかたちの袋。「叺」は国字。(『大辞泉』)
のことである。それはつまり、「円柱の両端を直線でつぶして閉じたかたち」である。素材の伸縮がなければ、そこに現れるのは錐面であるが、特異点が対になって現れるこの曲面は、「稲荷寿司曲面」とでも言ったほうがぴったりくる。ウスタビガの繭の上部は、長球や切り取った長球ではなく、円柱をつぶしたかたちで近似してもそう無理はない。この繭は、両端がこの曲面ではないが、ヤマカマスというのはぴったりの名前なのだ。
二例目の「逆柵」 ― 2009/01/26 22:44

この他に、映像記録がないが、国道52号線南アルプス市付近で、「多重パラボラタイプ」(写真下:これは正しい向きの「多重パラボラ・横二本川複合・上」および、「多重パラボラ・横二本川複合・下」である)の逆柵が複数確認され、「逆柵」の例は思いのほか多いのではないか、との説が有力となっている。
なお、前回の記事を読みなおしたところ、国道のガードパイプが全国的に目玉タイプであるという誤解を与えかねないところもあったが、「目玉タイプ=国道」の法則が(ほぼ)一般化可能であるという説は、東京都内という条件を持つことを、念のために付記しておく。
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