『容疑者Xの献身』 ― 2008/10/21 00:49
さて。原作は、シリーズともども、出版されてすぐに読んだ。わたしは、ミステリを「気持ちよく騙されよう」ではなく「解こう」として読んでしまう癖(へき)があるので、仕掛けは早い段階でわかった。ストーリーテリングに感情をゆだねながらも、伏線を確認する読みかたである。よくできたミステリはネタが割れても面白い。そんな読みかたであっても、読み手は、作者の手のうちから大きくは外れていないし、外れようもない。そうした「作者と読み手」の相似形でもある「暗号と複号」「犯罪と捜査」に関連して、小説では、P≠NP予想が引き合いに出されていた。こうした数学ネタの衒学趣味が、この小説のひとつの味である。映画でも、それを示唆する台詞はあったが、P≠NP予想そのものへの言及はなかった。
一方、「探偵」が旧友の力を試す「パズル」として、いきなり、リーマン予想の反証なるものが登場する。原作もそうだったと記憶するが、あまりにネタがでかい。まあ、ちらりと台詞にでる、ホッジ予想とか、ヤン-ミルズ方程式と質量ギャップなど、有名なミレニアム問題は、呪文めいた名前ともあいまって、登場人物の天才性を強調する小説的・映画的ケレンになるので、演出の王道とは言える。
原作ではたしか、「数学はどこでもできる」という思想(あるいは幻想)を語るさいに、その象徴のひとつといえる、放浪の数学者・エルデシュの名があがっていたが、映画にこれがなかったのもちょっと残念だった。このほかに、「幾何とみせかけて関数」の台詞に、「位相幾何ではなく微分幾何」(ポアンカレ予想あらためポアンカレ定理の話:ミレニアム懸賞問題のひとつ)なんてのをかぶせれば、マニア(数学ファン)のウケはばっちりだったろう。
いずれにせよ、ミステリに登場する数学や物理、たとえば、モリアティー教授の二項定理(!)とか、『僧正殺人事件』の相対論などよりは、ずっとそれらしい。わたしも「それらしい」しかわからないけれど。そもそも「マニア(数学ファン)のウケ」ってなんだかわからないぞ…。小説と違って「地の文」のない映画は、ごちゃごちゃ説明できないので、難しい注文である。
作中で重要な定理(問題)は、四色定理である。これは、「なんだか難しそう」ということだけでは終わっておらず、「隣りと同じ色になってはいけない」という登場人物の孤独を象徴する演出の小道具になっていて、なかなかのアイデアだった。
未解決問題ということなら、ゴールドバッハ予想なんかはどうだろう。
「2より大きい偶数は2つの素数の和で表すことができる」
四色定理と同じく、問題の意味がわかりやすいぶん、詩や隠喩を感じることができる。雰囲気が『博士の愛した数式』になってしまうところがあり、映像的でもないが、これを使ったシーンを、想像してしてみた。
内海刑事「あの式は何ですか」
湯川「ゴールドバッハ予想を扱っていたのだろう。素数に関する未解決問題だ」
…(素数の説明)
内海刑事「つまり、素数って孤独な数ということですね」
湯川「面白いことを言うね。2より大きい偶数は2つの素数の和で表せるんだ。それが、ゴールドバッハ予想だ。予想ということは、証明はされていないということだよ」
内海刑事「素数と素数が結ばれるという話ですか」
ベタである。
なお、ゴールドバッハの予想をネタにしたものに、『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』(アポストロス-ドキアディス著 酒井武志訳)という素晴らしい小説がすでにある。
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