危の中の螺旋2008/10/22 20:50

危の中の螺旋
 岡田前監督と阪神タイガースのことを考えると、頭の回路が浪花節になる。というようなことや、喫緊の締め切り作業がないことを言い訳にして、仕事にもその他の活動にもいまひとつ身がはいらず、ここ数日、ぐだぐだと読書などをしている時間が多い。

 今年のノーベル文学賞はル・クレジオ氏だったが、20年以上前、たしか『数』という題名の小説を読んだぞと思い、探してみた。『数』の著者は、フィリップ・ソレルス氏(岩崎力訳)だった。いま手元にないが、たしか、漢字を使ったタイポグラフィー的な実験をしている小説で、それが翻訳されているので、さらにややこしいことになっていたはずだ。
 タイポグラフィーから、文字に関するジャメビュ感覚に連想が飛んだ。見なれた文字が奇妙なものに見える心理現象である。この連想には、ちょうどいま、『プルーストとイカ-読書は脳をどのように変えるのか? 』(メアリアン・ウルフ著、小松淳子訳)という、読字障害のことを中心にして、文字を読むことに関する脳科学の知見を書いた本を読んでいるのも関係している。同書には、こんな引用もあった。
Yの字のなんと絵のように美しいことか。なんと無限の意味を秘めていることか、あなたは気付いているだろうか? その木もY、二本の道がぶつかる所もY、注ぎあう二本の川、ロバの頭と雄牛の頭、脚付のグラス、茎の上に咲き誇るユリの花、両腕を差し伸べる物乞い、どれもYだ。人間が考えだした文字の要素を成している万物に、同じことが言える。
(ヴィクトル・ユーゴー)
 まだ読みかけだが、面白い本である。英語、中国語、日本語の読字において、脳の活性する場所が明らかに違う話とか、ソクラテスは自らはなにも書き残さなかったが、じっさいに彼が書字を嫌悪していたことなど、知らなかった話が多い。文字によって失ったものと得たものということから、『喪失と獲得-進化心理学から見た心と体』(ニコラス・ハンフリー著  垂水雄二訳)も再読したくなった。
 文字が図形に見えたり、音節の区切りが狂って変なものに感じられることは、ときどきある。車を運転中、タンクローリーなどに書いてある「危」というマークに遭遇する機会は多い。あるとき、この漢字の「中身」は螺旋なんだと気づいた。そのときに頭に浮かんだのは、危険というのは台風に巻き込まれるようなものだ、しかし、向きが逆だ、南半球の低気圧か、といったことである。
 次のようなこともあった。ある日、「ちょうふ」という駅名表記の「うふ」が気になってしかたがなくなったのだ。駅のホームのあっちでもこっちでも微笑んでいる。うふ。うふ。後日、この笑い声は甲府でも発生した。