楕円 ― 2010/04/06 23:17

これから連想したのは、キュウリを輪切りにするときに、まっすぐにではなく、やや斜めに切ると楕円になるので、まな板から転がっていきにくい、という話である。これを初めて聞いたときは、「なるほど」だった。
ずっと以前、『絵の描き方』のような本で、斜めに描かれた円が楕円になるという解説を見たときも目からウロコだった。斜めから見た円が楕円になる。あたりまえでしょというひとがいるかもしれない。しかし、単純に平行投影した円が楕円になる(図下中)のはともかく、それを遠近法で描いたものも楕円になる(図下右)ということは、そんなに単純な話でもない。
幾何学の巨人・コクセターも『なにゆえに円が楕円に見えるのか』という講演をしているが、たぶん、これに関する話だろう。
月夜の絵 ― 2010/04/05 01:02

どれも面白い絵なのだが、一番気になったのは、展示物の中では地味なものとも言える『百人一首之内 大江千里』(写真右:図録から)だった。 大江千里(おおえのちさと)の歌「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」に想をとった絵なのだが、月の周りに同心円が描いてあるのだ。
この同心円はなにかというのが、ここでの問題である。
月の視半径というのは、直感的な認識よりも小さく、一度の約4分の1の約15分である。天空にぐるりと並べると、700個は並ぶという大きさに過ぎない。手を伸ばした五円玉の穴にはいる大きさだ。この同心円は、その3倍から5倍ぐらいの大きさである。すなわち、月の視半径から計算すると、これは、視半径数度の同心円になる。氷の結晶の屈折で生じる暈(かさ:ハロ)は、半径22度と46度の位置に出るので、これにはあたらないことになる。
いっぽう、水滴・氷滴・塵などによる光の回折・散乱による光冠(光環)は、視野角数度に現れる。よって、この絵はそれであるとも言えなくもない。
ただ、直感よりも小さくと書いたように、月や太陽は心理的には大きく見える。つまり、月の大きさによるこの計算は図式的に過ぎる。ひとの視野角から推測したほうがよいとも言えるのだ。ひとが普段集中している視野角は45度ぐらいである。カメラのいわゆる標準レンズの画角である。とすると、それでもやや狭いが、この同心円は22度ハロを描いたものとも言えなくもないのである。
展示されていなかった(会期中に展示替えがある)が、図録には、月の周りに同心円を描いた絵がもう一枚あった。『東都名所 新吉原』で、こちらの同心円は、横長の画面の半分弱をしめる大きさである。これはハロだろうと思ったのだが、『百人一首之内 大江千里』よりも不思議な感じがするのは、ハロや光冠の条件である薄い雲もなさそうな夜空だからである。写実ではなく、目の生理的機能や、月光に対する心理に即した表現ということなのかもしれない。
なお、月の絵画で思い浮かぶのは、ドイツロマン派の画家・フリードリヒである。また、月の周りの同心円は、最後の浮世絵師・小林清親も描いている。ファン・ゴッホの『星月夜』やシャガールなど、写実から離れるとわたしの好みには合わなくなるが(わたしは、完全に抽象か写実風景の絵画が好きだ)、月夜を描いた絵というのは、なにか惹かれるものがある。
DIGITS IN A BOX ― 2010/04/04 10:10

完全に充填されるのではなく、隙間が空くところがあるのが、幾何学的な読みをはずすところがあって、逆に難しさを生んでいるが、ある組み合わせが絶対に必要であることが解答のキーになった。
ウェブサイトはここ。
(なお、写真はすこし色を変えた)
重い本のことなど ― 2010/03/30 19:48

というわけで、いま、米国を出国しているのに米国内にいるという奇妙な状況なのである。
なお、荷物は預けっぱなしで、着替えもない。
この荷物を預けるときにも、ちょっとしたお話があった。会議の交換ギフトで一杯になったバッグが重量オーバーになってしまったので、ウルフラムさんの本『A NEW KIND OF SCIENCE』(写真)を手荷物にしてOKにしたのである。この本を見た係員さんが、「一冊で5lbs(約2kg)もあるわ」と笑っていたので、「これを持ち歩くのはフィジカル・トレーニングだよ」と、さらに「アメリカンな」ジョークをかました。しょうもない冗談でもうけてくれるのは、アメリカの美徳(?)のひとつである。
G4G9 ― 2010/03/29 13:30

トリキューブブロックその2 ― 2010/03/26 19:49

今回できたのは、R6個、L6個にして、菱形と真ん中に穴の空いた六角形を組むという問題。この手のものに慣れないひとには、そこそこ難しいと思う。なにより、できあがりが美しい。
会議も刺激的で、「娯楽数学」三昧という感じだ。
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