月夜の絵2010/04/05 01:02

歌川国芳展
 昨日、お花見がてら、府中市美術館で、歌川国芳展を観てきた。奇想の浮世絵師として知られるひとである。

 どれも面白い絵なのだが、一番気になったのは、展示物の中では地味なものとも言える『百人一首之内 大江千里』(写真右:図録から)だった。 大江千里(おおえのちさと)の歌「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」に想をとった絵なのだが、月の周りに同心円が描いてあるのだ。
 この同心円はなにかというのが、ここでの問題である。
 月の視半径というのは、直感的な認識よりも小さく、一度の約4分の1の約15分である。天空にぐるりと並べると、700個は並ぶという大きさに過ぎない。手を伸ばした五円玉の穴にはいる大きさだ。この同心円は、その3倍から5倍ぐらいの大きさである。すなわち、月の視半径から計算すると、これは、視半径数度の同心円になる。氷の結晶の屈折で生じる暈(かさ:ハロ)は、半径22度と46度の位置に出るので、これにはあたらないことになる。
 いっぽう、水滴・氷滴・塵などによる光の回折・散乱による光冠(光環)は、視野角数度に現れる。よって、この絵はそれであるとも言えなくもない。
 ただ、直感よりも小さくと書いたように、月や太陽は心理的には大きく見える。つまり、月の大きさによるこの計算は図式的に過ぎる。ひとの視野角から推測したほうがよいとも言えるのだ。ひとが普段集中している視野角は45度ぐらいである。カメラのいわゆる標準レンズの画角である。とすると、それでもやや狭いが、この同心円は22度ハロを描いたものとも言えなくもないのである。

 展示されていなかった(会期中に展示替えがある)が、図録には、月の周りに同心円を描いた絵がもう一枚あった。『東都名所 新吉原』で、こちらの同心円は、横長の画面の半分弱をしめる大きさである。これはハロだろうと思ったのだが、『百人一首之内 大江千里』よりも不思議な感じがするのは、ハロや光冠の条件である薄い雲もなさそうな夜空だからである。写実ではなく、目の生理的機能や、月光に対する心理に即した表現ということなのかもしれない。

 なお、月の絵画で思い浮かぶのは、ドイツロマン派の画家・フリードリヒである。また、月の周りの同心円は、最後の浮世絵師・小林清親も描いている。ファン・ゴッホの『星月夜』やシャガールなど、写実から離れるとわたしの好みには合わなくなるが(わたしは、完全に抽象か写実風景の絵画が好きだ)、月夜を描いた絵というのは、なにか惹かれるものがある。

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