不在の円2015/09/06 23:48

オリンピックのエンブレムが白紙に戻った。ニュースによると、新潟県立近代美術館も余波をうけたらしい。(佐野研二郎氏展:新潟県立近代美術館で延期:毎日新聞9/1記事)
昨年、「取材」でデューラーの『メレンコリアI』を見に行った施設だ。国立民族学博物館の大ニセモノ博覧会の疑惑版みたいにすれば、客は呼べそうな気もするけれど、さすがに洒落にならない。

わたしは、この2週間ほど、物好きにも、けっこうな時間を割いて、コスタリカ国立博物館のマークの作図の明確な目安や、3×3の格子点を通る円が描く図形の性質、その図形をもとにしたジョセフ・アルバース風の図像なんてことを考えていたりしていた。明確な作図法が気になるのは、折り紙でも「ぐらい折り」(目分量でちょうどよい具合に折る)を避けたいからで、幾何図形好きの血がさわぐのである。エンブレム自体は、取り下げるのは当然と考えていたが、3×3の格子点を通る円に関しては、幾何図形として面白いところもあるかもしれない(小円はやはり異物だけれど)、と思いはじめていた。

しかし、現実は意外性に満ちている。エンブレムの原案には、最も重要な図形要素であったはずの大きい円がなかったのである。拍子抜けにもほどがあり、広告屋さんのプレゼンテーションの中には適当なものがある、ということがあらためてよくわかった。梯子をはずされたかたちになった擁護していたひとが可哀想になったが、わたしとしては、ひとつ腑に落ちたこともあった。「展開」の英数字のできが悪い(たとえば「4」など)ことの理由の一端が推定できたのだ。直角二等辺三角形は、回転してもグリッドシステムに馴染みやすいが、円弧は、こうしたシステムの中では向きを変えにくい。中心を指し示す方向性が強いためである。しかも、この図の場合、円弧の中心が格子点にないのでさらに難しい。原案の直角二等辺三角形が、円弧を含む図形に置換されたことで、「展開」の英数字では、より図形としてのバランスが崩れたのだろう、という推測である。

以上のように、好奇心としては満足した面もあったが、今回の件でわたしの頭に浮かんできたのは、太宰治が日本の戦争指導者を評した、次の言葉であった。
何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似ている。
(『苦悩の年鑑』太宰治)

太宰とデザイナーと言えば、『皮膚と心』という小説も忘れがたい。
世間のひと皆、新聞の美しい広告を見ても、その図案工を思い尋ねることなど無いでしょう。図案工なんて、ほんとうに縁の下の力持ちみたいなものですのね。私だって、あの人のお嫁さんになって、しばらく経って、それからはじめて気がついたほどでございますもの。それを知ったときには、私は、うれしく、
「あたし、女学校のころからこの模様だいすきだったわ。あなたがお画きになっていたのねえ。うれしいわ。あたし、幸福ね。十年もまえから、あなたと遠くむすばれていたのよ。こちらへ来ることに、きまっていたのね。」と少しはしゃいで見せましたら、あの人は顔を赤くして、
「ふざけちゃいけねえ。職人仕事じゃねえか、よ。」と、しんから恥ずかしそうに、眼をパチパチさせて、それから、フンと力なく笑って、悲しそうな顔をなさいました。
(『皮膚と心』太宰治)

こうした職人気質をデザイナーの理想とするのも一面的だが、いまでもそうした側面はあるはずだ。わたしも、地に足のついたというか、紙や鉛筆が手についた(?)デザイナーさんがいることを知っているし、その専門的職能に敬意を持っている。そして、折り紙の考案もまた、デザインである。というわけで、ややナイーブだけれど、以下の二点が重要であるとの思いを新たにしたのであった。

・オリジナル(広義には「自然」や「幾何学」も含む)に敬意を持っていないものはダメである
・(広義の)手仕事の感覚を忘れたものはダメである。

などと、まじめに考えてみたのは、単発の特別講師とは言え、3ヶ月前に美術大学(ムサビ)で講義をしたからでもある。それにしても、美大では、知的財産権の講義はしないのだろうか。クリエーターはむろん、ディレクターならなおさら基本だろうに。機会があったら訊いてみよう。

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