折鶴小説を二編2015/09/04 22:36

『連鶴』『地球の中心までトンネルを掘る』
折鶴がでてくる小説を二編読んだ。

まずは、『連鶴』(梶よう子著)。幕末の桑名藩士の兄弟を主人公にした長編時代小説である。

坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋事件が冒頭に描かれ、その場面にも折鶴が登場する。桑名藩は会津藩などとともに煮え湯を飲んだ藩で、わたしは幕軍びいきなので、感情移入して読んだ。ただ、千羽鶴に関する考証には疑問もあった。

物語中では詳説されていないが、桑名藩士の物語に折鶴が登場する背景には、以下のことがある。

一枚の紙に切り込みをいれ、複数の連結した折鶴を折る方法49種を示した、『秘伝千羽鶴折形』(寛政九年、1797年)の収録作品の作者である長圓寺住職・義道(魯縞庵)は、当時の桑名藩きっての文化人だった。彼の著書『桑府名勝誌』は、藩士の必携本だったともいわれ、文化七年(1810年)には、特別な折り鶴を桑名藩主に献上して、寺紋として鶴の紋を授かったという記録もある。したがって、藩士の中に、武士に似合わず、折鶴を折るのが得意な者がいるという設定にさほどの不思議はない。

ということなので、折鶴を物語にからめる着想に異議はない。というか、うれしい。

一番の問題は、「連鶴」という言葉だ。近江屋事件でつぶやかれた「連鶴」という言葉から、暗殺者が桑名の者ではないかと推測されるエピソードがあるのだが、わたしの知る限り、この言葉は最近広まったもので、歴史的文献では見つかっていないはずなのである。これは、岡村昌夫さんの『つなぎ折鶴の世界- 秘伝千羽鶴折形』に詳しいのだが、参考文献には同書はあがっていなかった。

また、表紙版画(原田維夫さん)も『千羽鶴折形』の連結した折鶴を参照せず、ふつうの折鶴になっていて、残念である。

さらに、揚げ足取りみたいで申し訳ないが、天文暦学的には、「おう、今夜は月がないな。新月か」という台詞もひっかかった。この台詞だと、日付もわかっていないということになる。太陰太陽暦なので、一日は新月に決まっている。「朔(ついたち)か。今夜は月がないのか」という台詞が自然だ。

そして、もうひとつの折鶴小説は、『地球の中心までトンネルを掘る』(ケヴィン・ウィルソン著、芹澤恵訳)所収の『ツルの舞う家』である。

アメリカ南部で苦労した日系の未亡人の遺言に基づいて、4人のむくつけき兄弟が、250羽づつ折った折鶴をテーブルに積み上げ、それを4台の扇風機で飛ばして、最後に残ったものの作者が遺産相続の権利を得るというゲームを競うことになる。そのドタバタを、孫の少年の眼から描いた話だ。奇妙な設定だが、折鶴が舞い踊る映像的な発想から生まれた小説なのだろうと感じた。じっさいの折鶴は、重心の問題でうまく舞い踊らないと思うけれど、CGアニメーションかなにかで映像にすると面白そうだ。翻訳が「ツル」「折りヅル」となっているのは、原文がtsuruだからなだろうか。

よく売れているらしい『紙の動物園』(ケン・リュウ著 古沢嘉通訳)(参照:2015/05/16)などもあり、折り紙を小説に登場させるのは、ちょっとしたブームの感もあるが、偶然だろうな。