松籟 ― 2009/10/15 21:25
最大風速(写真赤)は8時30分頃に26メートルで、それはまあそんなもんかなという感じなのだが、その直前を境に、風向(写真緑)ががらりと変わっているのだ。台風が近くを通り過ぎた時刻なのだろう。
こういう特殊な場合だけではなく、通常の風速の変動、すなわち「風の息」というのも面白い。風の強さの分布は、地震の強度のように、たぶん冪(べき)乗則(たとえば、強さが2倍のものの頻度は2の2乗分の1の1/4になるとか)に従っているのだろう。
そして、そういう分析的なものでなくても、ぼんやりと梢をわたる風を見ていても、小さな神秘を感じることがある。いちばん不思議だなと思うのは、ぴたりと止まっていた風がふと動き始めるときだ。きっかけのようなものはなにもないように思えるのだが、逆に、絶妙なタイミングにも感じられる。
いま、八ヶ岳山麓は、落葉松(からまつ)が、(まだやや早いが)落葉の季節である。凍ったように止まっていた枝に突然の風が過ぎると、黄金色の小さな針葉がざーっと舞う。それは、ほんとうに、なにかの呼吸のようだ。
松の葉を渡る風や、その音を指す、松籟(しょうらい)、松韻(しょういん)という言葉がある。なぜ、松だけに特別な言葉があるのか、落葉松の場合にもそう呼ぶのかはわからないが、この季節、落葉松を渡る風の音は、わたしの小さな詩心を呼び起こす。
野原と云つても多くは落葉松の林である。見る限りうす黄に染つたこの若木のうち続いてゐる様はすさまじくもあり、また美しくも見えた。方数里に亙つてこれであろう。『木枯紀行』(若山牧水)
牧水が、約100年前の野辺山原のことを書いたものだ。落葉松が「若木」なのは、植林したばかりだからだろう(八ヶ岳南麓の落葉松のほとんどは人工林である)
からまつの林を過ぎて、『落葉松』(北原白秋)より
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
(略)
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
これは、浅間山麓の詩だが、口ずさむことがある。暗唱しているわけではないので、細部は変わってしまっている。「からまつの林を過ぎて、わが行く道はつづけり。」とか。
コメント
_ 小役人 ― 2009/10/17 10:14
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