三角五輪塔2007/10/20 01:25

 墓石のことを考えたその日、新刊文庫として書店に並んでいた『世紀末画廊』(澁澤龍彦 著)を手に取ったら、ちいさな偶然の一致というべきか、三角五輪塔(さんかくごりんとう)の話が載っていた。
 五輪塔は、下から、地・水・火・風・空を表す、方形・球・屋根形・半球・宝珠(タマネギ型)が重ねられた石塔(正確には、石でないものもある)だが、鎌倉時代初期の僧・重源(ちょうげん)が多くつくったとされる三角五輪塔は、かたちがすこし違っている。三番目の屋根形の部分(火輪)が、三角錐、より正確に言えば正四面体になっているのだ。(一例:国宝・水晶三角五輪塔@奈良国立博物館ページ)
 五輪塔は、建築物的な宝篋印塔(ほんきょういんとう)に比べれば、そもそもが幾何学的な形状だが、三角五輪塔はそれがより純粋に表現されている、とも言える。この幾何学性をとらえて、澁澤氏は同書の中で、「プラトンかピタゴラスがデザインしたのであるかのごとく」と評している。これは、プラトンが「四大元素+エーテル」を、地(立方体)・水(正二十面体)・火(正四面体)・空気(正八面体)・エーテル(正十二面体)と、五種類の正多面体に対応させていることに呼応している。

 この不思議な符合、五輪塔とギリシアの幾何学の関連に気がついたのは澁澤氏だけではない。わたしがこの奇妙な一致と三角五輪塔というものの存在を知ったのは、滝沢真弓氏らによる正多面体の五輪塔を紹介する『プラトンと五重塔—かたちから見た日本文化史』(宮崎興二 著)においてである。
 じっさいに、密教の「元素論」が、巡り巡ってギリシアの元素論とつながっていることはありえなくもない。中国や朝鮮には五輪塔はないと言われているが(たぶんインドにもない)、密教を介してギリシアと日本の古代・中世が結びつけられていたというのは、月並みな言いかたをすれば、ロマンがある。シルクロードの西端としての地中海、東端としての日本みたいな話である。ただ、論の流れとしてはよく似ている説、法隆寺の丸柱のかたちがギリシア神殿のエンタシス(柱のふくらみ)の流れを汲んでいるという話が、実のところはトンデモ説なんですよ、ということもあるので、注意しなくてはいけない。(『法隆寺への精神史』(井上章一 著)参照)

 眉に唾をつけながらだが、「五輪塔の原形はより幾何学的なものだった」という捨てがたい説のためには、まず、三角五輪塔が重源オリジナルなのかそうでないのかを知りたい。五輪塔自体は、重源の活躍より前からあったことは確実なので、三角五輪塔がそれまでにあった五輪塔を再デザインした重源の仕事だったのか、それ以前からあったのかということは重要なのである。さらに言えば、原初の五輪塔がもっと幾何学的だったという発見があってほしいのだけれど。
 で、次の情報である。昨年の奈良国立博物館の『「大勧進・重源」展』(行っとけばよかった…)で紹介されていた、内藤榮氏の研究によると、三角五輪塔は重源の創案ではなく、それ以前からあったとして間違いがないのだそうだ。これに関しては、(これもつい最近でた本だが)『街角の科学誌』(金子務 著)にも若干触れられている。
 最初の五輪塔が幾何学的(プラトニックと言ったほうがいいかも)であったという説の命脈は絶たれていない。