丸石神その22007/10/26 02:01

 写真左は、一昨日、仕事先に行く途中に寄り道して撮ってきた、山梨県北杜市高根町箕輪海道の丸石神である。バイパスができたため、ずいぶん前から通らなくなっていた道なのだが、以前、車で横を通過したさいに瞥見した記憶があり、どうしても確認したくなり、早起きをし、遠回りして探してきた。みごとなタマに再会できて、とてもうれしい。(完全に丸石ブームである) なお、この丸石は自然石ではなく、あきらかに加工したもので、製作年代が幕末であることもはっきりしているが、じつに丸石らしい丸石である。

 この集落には別の丸石神もあった。写真右である。これは雰囲気がすこし違っていて、自然石と思われる丸石が石祠の中に嵌まっているかたちだ。祠の周囲にも丸い石が配置されているが、そのなかに、写真ではわかりにくいが(というか、一目瞭然に撮ったものはちょっと遠慮したのだけれど)、男根状の石棒があった。石棒は縄文の遺物としても知られる。そして、周辺には縄文遺跡も多い。まさにこの海道地区にも縄文遺跡がある。この石棒が縄文遺物の再利用だったら面白い。じっさい、この地方に多いミシャグチ神という古い神を祀る神社には、縄文の石棒を神体にする例もある。たとえば、中央道の釈迦堂パーキングエリアは、縄文遺物の展示施設・釈迦堂歴史博物館が隣接していることで知られるが、この釈迦堂という地名の「シャカ」もミシャグチのシャグと語源を同じにすると言われる。柳田國男翁によれば、境界を意味する語である。そして、近くには石棒を祀った社がある。(以前、博物館で写真を見ただけで、じっさいには行っていない)
 以上、じつにタイムスケールの長い壮大な話である。ただ、これらの古い信仰と丸石が一直線につながっているかというと、わたしにはどうもぴんとこないところもある。ある種の断層も感じる。丸石は、その形状が抽象的に過ぎるのだ。
 昨日は、ミシャグチ神を扱った本として、前から読もうかどうしようか迷っていた、中沢新一氏の『精霊の王』も読みはじめた。迷っていたのは、氏の類推に満ちた論の展開、とくに幾何学を使った比喩が、わたしの幾何感覚と違うからだが、研究書というより文学として読みはじめた。そして、まずあとがきを読んでちょっと驚いた。丸石神研究の第一人者として名前をよく見る故中沢厚氏が、中沢新一氏の父上であるということを初めて知ったのである。
 さて。石祠の丸石のあった海道の敷地には「蠶影大神」という新しい碑も立っていた。字が読めず、なんのことだろうと思ったのだが、蠶影はコカゲと読むようで、蠶は蚕、カイコであることがわかった。すると、丸石が繭にも見えてきた。中沢氏ならずとも、イメージの連鎖が広がる民俗であるのは間違いがない。隣接する箕輪新町にも丸石を発見し、こちらでもいくつか発見をし、さまざまなことを考えたのだが、長くなったので。

日の丸自動車教習所2007/10/26 02:04

 あくまでも「かたち」で行くのが、このブログのスタンスなので、球形の造形物関連ということで、わけのわからない建築として名高い、東京目黒の日の丸自動車教習所を紹介しておこう。この写真は4年前に撮ったものである。普通の路地のむこうに見える巨大な球は、格別に変な風景で、フジテレビ社屋の球形建築物よりもインパクトは上である。