チェス盤と禅寺 ― 2010/01/11 13:04
彼は普段ぼんやり歩道を歩いている時でも、正方形の敷石に出会った途端、立ち止まって足元を凝視しないではいられないという癖を持っていた。チェスに出会って以降、チェス盤を構成する正方形に偏愛を抱いていたのだった。(『猫を抱いて象と泳ぐ』」(小川洋子著))
正方形の敷石を見つめるこのひとは、作中、チェス好き老人のための専用住宅をつくったチェス連盟の会長である。
「彼は普段ぼんやり歩道を歩いている時でも、対称性の面白い敷石に出会った途端、立ち止まって足元を凝視しないではいられないという癖を持っていた。また、折り紙に出会って以降、折り紙の基本となる正方形に偏愛を抱いていたのだった」と書き換えれば、わたしのことにほかならない。
小説は、寓話的な道具立てと登場人物で構成された、まさに小川さんの世界。文学少女がそのまま大人になったひとという小川さんのイメージどおりだった。
瑣末なことなのだが、同書中にでてくる「正立方体」という言葉が気になった。正六面体、立方体という言葉にはなじみがあるが、正立方体はなじみがなかったのだ。しかし、ネットを検索すると、けっこう使われている言葉のようだった。立方体という言葉だけで、正方形六面からなるプラトン立体のひとつを表しているが、それに「正」がつくのは、まん真ん中の「まん」のようなものなのかと思った。
そして、写真は、京都・東福寺の方丈の北庭(裏庭)。わたしが、これまでで最もグッときた庭である。(といっても、そんなにたくさんの庭を見てのことではない) 日本庭園の研究家にして作庭家の重森三玲(しげもりみれい)の1939年の作で、同じ東福寺の芬陀院のような時代を経た寂びはないとも言えるが、初めてみたときは釘付けになった。幾何学的秩序とランダムネスの配合が絶妙である。普段使っているコンピュータの壁紙にもしている。(普段それを使っていても、悟りの境地はまったくない)
丸石神その26 ― 2010/01/11 22:56
「オコヤ」の形状は、きれいな四角錐。こどもたちの書いた書き初めがいくつもつけられていたが、どんど焼きで書き初めを燃やすと字が上達するという伝統の風習どおりである。
てっぺんの藁細工は、船のようにも二本の角のようにも見える。幣束の色が赤いのは、今年の吉方なるものが二十四方位の庚(西やや南)なので、南を意味する赤とか? でもどっちかというと庚は西だよな。毎年赤なのかもしれないし…。
なお、今日見た丸石さんでは、北杜市大泉町城南は、石に飾りはないけれど、立派な幟があり、高根町長沢、大泉町宮地はとくになにもなしだった。
もっと各地の道祖神まつりの造形を調べたいのだけれど、時間がないなあ。残念。
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