季節外れの七夕の話など2010/02/01 22:06

松本市の馬場家七夕飾り
 昨日、ふと寄った某百貨店で浮世絵の展示即売会をやっていたので、のぞいてきた。保存状態がよすぎるので、最初は復刻かと思ったが、値段を見て本物かあ、と。相場を知らないが、150年前、錦絵一枚蕎麦一杯ぐらいの値だったことを考えると、ン千倍になっているのは、うひゃあとも思うし、これだけのものが蕎麦一杯というのは、西洋人が驚くのも無理もないとも思う。
 広重『名所江戸百景』の『市中繁栄七夕祭』を見ることができたのはちょっとうれしかった。いままさに窓の外では、しんしんと雪が降っており、思い切り季節外れの画題だが、これは、(折り)紙文化に関係なくもない、『江戸百景』の中でも好きな絵なのである。

 やや鳥瞰気味の視点からの甍(いらか)の連なりの中、飾りをつけた笹竹が林立している。遠景には富士。江戸の街の広がりと、そこを吹き抜ける風を感じさせる。「レンズ」は望遠だ。
 笹竹の飾りには、短冊や、紙を切ってつくる「投網」、瓢箪、鯛、大福帳、吹き流しなどのほかに、前から気になっている、西瓜がある。つくりものの西瓜だろうが、七夕と西瓜は関係が深いらしいということが興味深い。たとえば、北斎の肉筆画『西瓜図』が七夕の見立てになっていると言われていたり、七夕の飾り台で西瓜が使われたりすることなどである。(写真は松本市の馬場家のもの) 季節の果実ということなのだろうけれど、球体が天体の見立てであるなんてことも想像してみたい。

 また、鈴木春信の『蹴鞠』の女性の着物の図柄が、折り紙の船らしきものであることも発見した。真ん中に三角形のでっぱりのある船のようなかたちなのだが、さっと描いたものを版木にしたためか、詳細はよくわからないところもある。
 春信となると、幕末の広重から時代を100年はさかのぼるし、もともと刷り数も少ないのだろう、『江戸百』よりさらに何倍も値がはっていた。こういうのをポンと買うひともいるんだろうねえ。

爪楊枝にみる見立ての連鎖2010/02/02 21:01

見立て・椿の楊枝立て
 束になった楊枝を花蕊に見立てた、椿の楊枝立てである。日常的に愛用しているもので、何年か前、伊豆大島で買ってきた。特撮映画にでてきそうな南洋の謎の花にも見えなくもないが、爪(妻)楊枝をなにかに見立てるということでは、花蕊は、すばらしい着眼であると言える。ちょっとキッチュな感じもよい。ただ、楊枝を使ってしまって、ぱらぱらとなっていると、見立て度が下がるので、楊枝はいつも補給しておいたほうがよい。なお、この楊枝立ては、伊豆大島でしか見たことはない。
つつましいものから、けれんたっぷりのものまで、見立ての演出がさまざまに垣間見られるのが日本の観光地だ。(『見立て心は遊び心』から(下中美都))
というのは、『現代見立て百景』というブックレットにあった言葉だが、これは、その典型例とも言える。

 そして、爪楊枝と言えば、いまやそれしか思い浮かばない、末端が茶色く溝のある爪楊枝は、「こけし楊枝」という。戦後、他の爪楊枝との差別化のためつくられたものが広まったのである、との話を以前どこか聞いたか読んだかした。つまり、あのデザイン自体が「こけし」への見立てなのである。そして、思えば、その「こけし」もひとのかたちへの見立てなのだ。ここにあるのは、見立ての連鎖なのであった。なんだか実に日本的な気がする。

ハッカ豆のかたち2010/02/03 21:08

ハッカ豆のかたち
 最近、ほんとうに更新が頻繁だなあ。と思いつつ、今日は、節分にちなんで豆の話題を。
 妻が先日、北海道物産展で『北見ハッカ豆』を買ってきた。煎った大豆をハッカ味の砂糖でコーティングしたものだが、そのかたちが金平糖に似た凸凹になっている。
 金平糖がなぜあのかたちになるのかは、寺田寅彦-中谷宇吉郎-戸田盛和先生と、錚々たる大物理学者が関心を示してきた問題だが、その最新の研究として、最近、『日本物理学会誌』(2009.10)に、東北大学の早川美徳さんの『金平糖の形成のダイナミクス』というエッセイが載っていた。あのかたちは、霜の華のような拡散律速凝集(DLA)だけで解ける問題とは言いがたく、表面の薄膜流体層のふるまいがそれを解く鍵である、という話だった。

 で、このハッカ豆がどうかというと、金平糖との一番の違いは、核の大きさの違いだが、製造工程もわからないし、ツノが成長するように結晶化していく金平糖と似ているようでもあり、そうでないようでもある。写真をじっと見ていたら、その凸凹が、膜が固化する場合のたるみを起源にするものにも見えてきた。塗膜や梅干の皮のしわのようなものである。まあ、ぜんぜんわからないけれど。

 金平糖と言えば、それがポルトガル語起源であるというのはなんとなく聞いていたが、90年代以降か、洋菓子店のことをコンフェクショナリーなどとも言うようになって、ははあ、同じ語源なんだと納得したことがある。しかし、なんで「ケーキ屋さん」じゃいけないのだろうとも思う。いわゆるケーキのことも、最近は、スイーツとか、ドルチェとか、てやんでぇという気分がなくもない。わたしの父は、「洋なま」と言うが、洋なま、味のある言葉だ。

冬の大三角→切頂→あやめ2010/02/04 23:28

カドの切り落としと三弁のあやめ
 連想ゲームのような話である。(いつものことだけれど)

 まずは、星空を見上げて正三角形のことを考えた。日没時、東の地平線近くに見え、夜9時頃、南・仰角45度ぐらいに輝く「冬の大三角」(シリウス、プロキオン、ベテルギウス)。ほぼ正三角形に明るい星が並んでいる。
 いっぽう、「夏の大三角」(ベガ、アルタイル、デネブ)は、正三角形からはほど遠い。
 人工物でも自然でも、正三角形というのは、案外見かけないかたちである。ぱっと思いつくのは、窓に貼られた非常進入口のマークやウロコ紋といったところだ。
 ときどき見るものには、頂点を切り落とした「小口」の正三角形がある。これは、我が家の駐車場にもあり、2ヶ月ぐらい前、散歩していたさいにも、妙にきれいな細工を見つけて写真を撮った(写真左上)。直方体の頂点ではなく、側面の二面角が鈍角になっている角柱の頂点を切り落としたものだったが、その場合も切り口を正三角形にするのが、職人魂というものかもしれない。

 以上のような連想で、この、切り取った三角錐のことを考えていたのである。側面のなす角度と稜線の長さの関係など、いくつか面白いことに気がついたのだが、いまさっき、思いもかけない収穫に結びついた。

 伝承作品「あやめ」の花弁は四弁であるが、以前、正方形に内接させた特殊な六角形(写真左下の右)を使うことでこれを三弁にしたモデルをつくった。(『おりがみ新世紀』(1989 笠原邦彦著)絶版 所収) 笠原さんに『エレガントなあやめの花3弁化法』と名付けてもらった作品で、技巧よりもアイデアが好きなわたしとしては、密かなお気に入り作品のひとつである。

 そう。直方体の頂点から切り取った三角錐の展開図は、この変則六角形にほかならないのだ。で、けっこう面白い工程だったはずと、この六角形を思い出して折ってみた。すると、同様の変則六角形が、違った方法できれいに正方形に内接可能なことに、思いいたったのである。大きさは若干小さくなる(写真左下の左)が、花弁の白い筋を出しやすいという利点がある。いままでなんで気がつかなかったんだー。

 というわけで、20年ぶりに、自分でも隠れた名作と思っていた作品を改良できたのだった。星空と、タイル職人さんに感謝である。

[追記] 入浴中に「待てよ」と気がついた。あらためて見たら、これ(写真左下の左)は近似だった。縦横で誤差約1%。記憶がないけれど、以前、右を採用したのは、誤差を嫌ったためかもしれない。でも、現在のわたしの感覚では、折り紙作品的に、左がやっぱりよいかな。
[追記の追記] やっぱり、近似ではなく、きちんと取れる。

正三角形の小口-つづき2010/02/06 12:30

正三角形の小口
 一昨日に書いた、駐車場の小口の正三角形というのは、写真に示したものである。
 そして、気がついた「面白いこと」のひとつが、図である。
 小口が正三角形になるためには、側面の二面角は、60度<θ<180度となるが、その切り取った三角錐の展開図を重ね合わせるとハート型になる。

『JIN-仁-』の紙ヒコーキ2010/02/07 00:10

『JIN-仁-第11巻』
 マンガ 『JIN-仁-第11巻』(村上もとか著)に、紙ヒコーキがけっこう重要な小道具として登場していた。写真のように、表紙にも描かれている。TVドラマが面白かったので、続きをぽつぽつと買って読んでいるのである。

 幕末にタイムスリップした南方仁の助手にして、本編のヒロイン、旗本の娘・橘咲が、川越の宿の小さな娘に、いくつか折り紙を折ってみせる。
「わたしは、何も作れませんよ」と感心する仁が、思いつく。
仁「あ! わたしにも作れるもの ありました」
 「長方形の紙… 半紙がいいでしょう」
 「これをほいほいっと」
 「イカヒコーキ!」
咲「ヒコーキってなんですか?」
仁「いや… その… 空飛ぶイカです」
と言い、それを飛ばす仁。長く滑空する紙ヒコーキに驚く咲たち。

 ということで、未来人の仁が紙ヒコーキをつくるのはうまい演出である。拙著『本格折り紙√2』でもイカヒコーキはいつからあるのだろうという話題をちょっと書いたので、おっと思うものがあった。

 しかし、物語中の折り紙に関する細かい考証には、以下のように気になる点がいくつかあった。

・遊戯用の紙細工を「折り紙」と言っているが、当時の言葉では、折形、折すえ、折りものとすべきだろう。幕末の女児,若い女性の言葉なら「折りもの」がよいかな。

・裏表の色の異なる正方形の「折り紙用紙」は、当時ふつうにはない。無色の長方形の紙の束のそばに、さりげなく和鋏を描いておくと、リアリティーが高くなった。

・「奴さん」は、同種の造形が薦僧(こもそう)として徳川時代にもあり『欄間図式』(1734)には「奴さん」そのものと思われる図もある。しかし、それも上半身のもので、袴(ズボン)は、明治以降にフレーベル系の「折り紙」が輸入された後のものと推定できる。また、その折りに関して「奴さん」という名称が定着するのは、明治末年頃と考えられる。

・「帆かけ船」も、すくなくとも資料として確認できるのは、フレーベル系の造形の輸入以降で、じっさいにそうだった可能性が高い。

・いわゆる「くるくる蝶々」も近代以降のものである可能性が高い。(これに関しては、何の考証もないけれど) 紙の蝶を扇子で舞わせる手妻(手品)師の芸は徳川時代にある。しかし、手妻師の蝶と「くるくる蝶々」は手筋が異なる。「くるくる…」が作者不詳の伝承作品であり、徳川時代に流行した「投扇興」に似ている、とは言えるけれど。

 と、いろいろ書いたが、『JIN-仁』が、江戸の空気を感じさせる優れた物語であることは変わらないし、「折りもの」をとりあげてくれてうれしい。