√2に関する式など ― 2015/09/09 23:42
「則した」と「即した」 - 『本格折り紙√2』と『日本文化のかたち百科』の誤植 ― 2012/02/17 12:40
図形に則した考えかたをする、ギリシアの数学の面目躍如の「名品」と言えるでしょう。『本格折り紙√2』の26ページ、ユークリッドの互除法に関して。
→即した
もっと造形に則した折り紙と数学の関係もある。『日本文化のかたち百科』「折り紙をひろげる」
→即した
###########
これに気がついた経緯は次のようなことである。
ある日、かなりくだけた表現なのにもかかわらず、「則って」という表記を目にした。「のっとって」である。訓読み漢字を仮名でひらくことが多いわたしは、文体との対応に微妙な違和感を持ったのだが、音読みの単語は漢字も使うので、「則す」という言葉はわたしも使うな、とも思った。ここで、待てよ、となったのである。「そくす」には「即す」と「則す」がある。似たような意味だが、使い分けがあるのではないか? 過去にどう書いたのかが気になって、活字になった自分の文章をチェックした。すると、上のふたつがでてきたのである。
『大辞林 第三版』によると、「即する」と「則する」は、次のように説明される。
即する。:離れないで、ぴったりとつく。ぴったりあてはまる。「事実に即して考える」『大辞林 第三版』
則する。:あることを基準として、それに従う。手本にする。「前例に則する」
「事実」には「即して」、「前例」には「則する」。これはややこしい。
『新明解国語辞典』では、以下のように記述される。
即する:[理論やたてまえにとらわれることなく]その時どきによって変わる現実の事態に合う対処をする。[表記]この意味で「則する」と書くのは、誤り。「現実(変化)に即して/実際に即して考える」『新明解国語辞典 第六版』
則する:何かをする際に、理論・規則・方針など、基準(規範)となるものをより所とする。「建築基準法に則して/平等思想に則した政策」
いつものように、「新解さん」は自信満々である。表記の誤りも指摘しているが、事実や現実と理論との峻別はそう簡単でもない。たとえば、「前例」は、現実なのか規範なのか。あるいは、自然科学において、事実の中に論理性を見るような場合は、どう考えればよいのか、などである。
漢字の意味に立ち返ると、「即」は「つく、近く、ただちに」、「則」は、「規範」といったことである。これに基づいた言い換えを考えると、「即した」は「寄り添った」で、「則した」は「規範にした」などとなる。これを、「照らしあわせた」とすると、どちらにも通用する言い換えに「なってしまう」。
「則した」は、比較的新しい用法である可能性も高い。『広辞苑 初版』(1955)には、「即する」のみが項目としてあり、「則する」はない。登場するのは第二版(1979)からだ。また、やや古い文献においては「則した」の実例はすくない。青空文庫の検索で見つかったのは、以下の二例だけであった。
天地の大道に則した善き人間となりたいという願い倉田百三 『学生と生活 --恋愛--』 1953
そこの風土に則した工業を興すという点三澤勝衛 『自力更生より自然力更生へ』 1979
倉田氏のものは、「理念にのっとった」ということで、「天地の大道を規範にした」という言い換えに適合するが、三澤氏のものは「風土を規範にした工業を興す」となって、やや解釈が難しい。「風土に寄り添った工業を興す」ならばより意味が通じやすいだろう。したがって、「即」がふさわしいと言える。単純な誤記の可能性も高い。しかし、「を規範にした」と似た意味の「に適合した」を使って、「風土に適合した工業を興す」とすれば、意味が通じる。誤用かどうかの見極めは、やはり難しい。さきに挙げた『大辞林』の「前例に則した」にも、この難しさがあるが、『日本国語大辞典 第二版 第八巻』の「則する」の用例もその例である。
その時作られる百科辞典は概ね、当該思想に則して編まれるのを常とする渡辺一夫『フランスの百科辞典について』 1950
唯物史観の定式に則して社会の発展をとらえるとき伊東光晴「現代経済を考える』1973
後者は、「定式」という言葉があり「規範にして」と解釈しやすいが、前者の「当該思想」は、「規範」を広義に考えて、「当該思想というパラダイム(範型)によって」というふうに解釈することになる。(1950年には、「パラダイム」のそういう用法はないけれど)
規範にも広義と狭義があることで、判断が難しくなるのだ。しかし、それだけでもない。法や方針など狭義の規範の用例をみるために、法律の条文も見たところ、そこにも混用があったのだ。まず、以下のようなものがあった。「則した」を使っても問題がないと広く認められた例だろうが、どちらも、新しい例である。
同法第二条の基本理念に則した東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進『東日本大震災復興特別区域法』(平成二十三年十二月十六日法律第百二十五号 (未施行))
前項の服務の本旨に則して職務を遂行する旨『日本年金機構法』(平成二一年五月一日法律第三六号)
いっぽうで、30年以上前のものになると、法令の場合も、方針や規程に対して「即した」を使うものが多い。
基本構想並びに都市計画区域の整備、開発及び保全の方針に即し、『都市計画法』(昭和四十三年六月十五日法律第百号)
その内容は、卸売市場整備基本方針に即するものでなければならない。『卸売市場法』(昭和四十六年四月三日法律第三十五号)
当該協定が共同施業規程に即していると認められるときは、『森林組合法』(昭和五十三年五月一日法律第三十六号)
ほかにも多々あるので、これらは誤記とは言えない。「則した」という用法が、比較的新しいことを示しているのだろう。ただ、混用が古いか新しいかということでは、次のようなこともある。
漢文においては、則と即がほとんど同じように扱われる、ということである。訓み下しは「すなわち」だ。典型的な例が、『史記』の有名な一節である。
先即制人 後則為人所制 (先んずれば即ち人を制す、後るれば則ち人に制せらる)『史記』
前者が即で、後者が則なのである。即も則も、「A→B」という同じ順接の副詞で、たぶん、単に同じ語の繰り返しに芸がないということだけで、即と則となっている。
細かくみれば、違いはあるらしい。「レバ則」(「であれば」のレバのこと)ともいわれるように、論理関係で説明がつくものは「則」、類似的、直感的、時系列的に直後に起きるといった関連づけには「即」のようだ。しかし、上の『史記』の例のように、明確に使い分けられているわけではない。ちなみに、「すなわち」という日本語は、もともとは「そのとき」という意味だそうで、則より即に近いと言える。
漢字ということでは、「則」を旁を持つ「側」が、「即」の意味にも通じる「近い」という意味であるのも、ややこしい。ただ、これは、意味を表す「意符」ではなく、発音を表す「音符(声符)」として使われたもののようである。
◎まとめ
とまあ、いろいろ考えたが、わたしの結論は次である。
・「則した」は、比較的新しい用法と考えられる。つまり、「即した」が基本で、せいぜい、ある場合は「則」を使ってもよい、使うようになってきた、といったものである。
・「則した」は、「狭義の規範(法、理念、理論)にのっとった」という意味の場合のみに使うほうがよい。
・紛らわしい場合は、「照らしあわせた」など、別の表現に置き換えたほうがよい。
・わたしの例は、どちらも「即」にするべきである。
わたしの例の前者は、「ギリシアの数学は、代数的な概念よりも図形(幾何)的な概念が基本にある」という文脈なので、「図形(的実在)という規範にのっとった」ということで、「則した」を使っても通じる例であると言える。しかし、「図形に寄り添った考えかた」、つまり「図形に即した考えかた」でも、言いたいことは伝わる。
後者は、「造形という現実に寄り添った」ということであり「造形の思想を規範とした折り紙と数学の関わり」とすると、きわめてわかりにくくなる。「則した」でよいと考えるのは難しい。
『本格折り紙√2』誤植4 ― 2012/02/07 00:07
無限という概念を組み込んだ史上初めての式とも言われます。
→
無限積という概念を組み込んだ史上初めての式とも言われます。
『本格折り紙√2』誤植3 ― 2012/02/01 22:02
1850年 グスタフ・フェヒナーの調査による
どのような長方形が好ましいかのアンケート結果
→
1860年代 グスタフ・フェヒナーの調査による
どのような長方形が好ましいかのアンケート結果
補足:フェヒナーの調査に関しては、『本格折り紙√2』に「出来過ぎなくらい黄金比にピーク」と書いたが、調査方法などにバイアスがあるとの疑問は、心理学や美学の研究者にも強く、「捨て去るべき」や「そこそこ証拠はある」など、さまざまな評価があるという。(参考:『黄金比はすべてを美しくするか?』( マリオ ・リヴィオ著 斉藤隆央訳)
『本格折り紙√2』誤植2-1(蜂の巣の末端) ― 2011/09/17 19:18
蜂の巣は、ロウを最も節約する構造であり
→
蜂の巣は、ロウを節約する構造であり
『本格折り紙√2』の作品に頻出するマラルディの角度(約109.5度)に関連する話題として、上記のように「蜂の巣は、ロウを最も節約する構造」と書いたが、『かたち-自然が創り出す美しいパターン』(フィリップ・ボール著 林大訳)によって、以下のことを知ったので、「最も」を削除する。
蜂の巣に見られる、閉じた六角柱の束が背中合わせになる場合の隔壁の最小面積は、六角柱の中心軸が反対側の六角柱の辺に合う、といった条件下では、マラルディの角度を持つ菱形になるが、違う条件では、かならずしもそうではない。
『かたち』で触れられた、この点に関する内容を要約すると、以下となる。
1964年に、数学者ラースロー・トートが、この問題の「解の可能性の範囲を広げ、正方形と六角形の面からなるもっと精巧な構造のほうがほんのわずかだけ表面積が小さいことを発見した。」 ケルビンの十四面体の部分を使った構造である。
物理学者デニス・ウィアとロバート・フィーラン(北京オリンピックの水泳会場・ウォーターキューブの構造の元になった空間充填多面体を考え出した学者である)が、断面が六角形になる泡による境界は、境界面の厚さにより、ケルビンパターンとマラルディパターンの2種類で安定することを示した。
なお、同書には、マラルディの名がでてこず、この菱形の角度の問題について、生物学者・ルネ・レオミュールが問題を立て、数学者・サムエル・ケーニッヒが、できたばかりの手法であった微積分をつかって解いたと記されている。
この点については疑問に思ったので、わたしが「蜂の巣問題」を知った本であり、『かたち』においても、主要な文献となっている古典・『On Growth and Form』(D'Arcy Thompson)にあらためてあたってみた。『On Growth and Form』には、邦訳(『生物のかたち』(柳田友道他訳))もあるが、抄訳であり、全文はGoogle Booksで読める。同書の記述をまとめると、以下である。
最大最小という概念を原理として問題をたてたのがレオミュールで、それを解いたのが、ケーニッヒである。それより以前に、マラルディが、「単純さと数学的な美しさというふたつの原理」によって計算した。
(2014/03/27 修正)
『本格折り紙√2』図のミス 2 ― 2011/01/25 21:20
赤い線で示したもの
誤:鎖線(山折り)
正:破線(谷折り)
指摘くれた読者のかた、ありがとうございました。
最近のコメント