出版、イベントいろいろ2024/11/07 14:56

折り紙の事典
編集に携わった『折り紙の事典』が、11月11日に発売されます。

『日常は数学に満ちている』
レビューに携わった三谷純さんの新著が11月19日に発売されます。

NHKラジオ「まんまる」
11月20日(水) 12:50-1:55 NHKラジオ第一『まんまる』にゲスト出演して、折り紙に関する話をします。

第37回折り紙の科学・数学・教育研究集会(11/30,12/1)
参加します。今回の会場は九州大学です。
11/13から参加申し込みを開始する予定となっています。

◆第14回折紙探偵団 名古屋コンベンション(12/7,8)
参加します。会場は愛知工業大学です。

◆折り紙教室@府中
クリスマス・キルト
11/23(祝)13:00-15:00、府中郷土の森ふるさと体験館で、折り紙教室を担当します。府中郷土の森博物館は入場料が必要ですが、教室自体は無料です。作品は、「クリスマス・キルト」です。

折り紙教室@府中 など2024/04/21 07:56

◆折り紙教室@府中
4/28(日)13:00-15:00、「郷土の森博物館出張体験イベント」で、折り紙教室を担当します。会場は京王線府中駅前の商業施設「ミッテン府中」9階のオープンスペースで、無料です。作品は「飾り兜」です。
飾り兜

◆『あやとりの楽しみ』
『数学セミナー』の4月号から長谷川浩さんの『あやとりの楽しみ』という連載が始まっている。4月号の記事中、あやとりを折り紙に対比する話に関連してわたしの名前もあがっていた。別のことろにも書いたが、わたしは、日本あやとり協会の初期メンバーで、あやとりの「手タレント」としてTVにでたこともあった。

この記事から、あやとりと数学の関係ということをあらためてすこし考えたのだが、直感的な数学らしい数学(?)より、順列組み合わせ的にパターンを確かめてゆくようなコンピュータ援用数学に向いた研究対象かもしれない、などと思った。

◆人形改造コンテスト
鳥山明さんが、タミヤ模型(田宮模型)主催の「人形改造コンテスト」という、1/35分の1のプラモデルの人形を用いてさまざまな造形を競うコンテストの常連で、金賞も受賞していることは、知るひとぞ知る話である。

じつは、わたしの名前がはじめて活字になったのは、その「人形改造コンテスト」の作品集で、中学生のときであった。作品は「考える人」、ロダンのあれである。応募したのは一度だけで、その後、前川少年はモデラーになることはなかった。作品集はどこかに紛れて手元からなくなってしまい、ずっと「第1回』だと思っていたのだが、いろいろ調べるとどうも『第2回』のようだ。

鳥山さんが亡くなったのは驚いたが、歳をとるのは、知っているひとたちが先に逝ってしまうことだとあらめて思う。今年になって葬式に2回参列し、先日もわたしより若いひとの訃報を受け、家族の悲しみを思うと胸が痛くなった。

『最後の三角形』など2024/01/22 21:06

◆『最後の三角形』
『最後の三角形』(ジェフリー・フォード著、谷垣暁美訳)を読み了わった。奇想に溢れ、テッド・チャンさんや安部公房さんを思わせる短編小説集で、最近読んだ小説では出色だった。所収の『アイスクリーム帝国』の以下の言葉からは、折り紙造形の勘所ということを思った。

表現の抑制は、表現の複雑さに劣らず、技術の熟達を示す重要な特色だ。

◆九角形
九角形のコップ
餃子の王将のお冷のコップが九角形だった。これはプラスチック製だが、ガラスの九角形のコップも前に見たことがある。

◆濡れない文字
石碑の「中」の文字は濡れにくい

雨から天気が回復していった日、墓参りに行った。共同埋葬施設の横の墓碑も濡れていたが、ふと見ると、「中」という字だけが乾いていることに気がついた。他にも乾きやすい字はあるようだったが、「中」は特別だった。このかたちに水が溜まりにくいのは間違いないが、単に中心が縦に長い直線であることだけではないようでもある。

数学本など2023/09/10 09:01

◆数学本2冊
『数学者の選ぶ「とっておきの数学」』他
最近出版された「数学本」2冊にインタビューとエッセイが掲載されています。

1冊目、『ロビンソン・クルーソー』の初版ほどではないにしても、最近のライトノベルみたいというか、題名が長い。

2冊目、こんな題名ですが、わたしは「数学者」ではなく、巻末の執筆者一覧でひとりだけ肩書きが「折り紙作家」と異色なのでした。

◆折り紙教室 
三色キューブ
9/24(日)13:00-15:00、府中郷土の森ふるさと体験館で、折り紙教室を担当します。府中郷土の森博物館は入場料が必要ですが、教室自体は無料です。
作品は、「三色キューブ」です。

気がつけば2ヶ月ぶり2021/08/22 19:05

◆小さく固く折りたたんでゆく
相原かろ氏の歌集『浜竹』に、折り紙を詠んだ歌があった。

折り紙でエリマキトカゲを大量に作りき我は作れずもはや 相原かろ

エリマケトカゲが車のCMで人気者になったのは1984年のことである。相原さんの折ったエリマキトカゲはどんなものだったのだろうか。

『おりがみ新世界』(笠原邦彦、1989)に、わたしのエリマキトカゲが載っている(図:笠原氏)。この作品は、笠原さんの造形を参照して、辺の三等分を用いて効率的な構造を目指したもので、笠原さんは次のように記している。
「笠原の作品は、かなり難しい折り方のものです。それが、前川作品ではかくもやさしいものになったという次第です」
しかし、頭部の立体化にすこしわかりにくいところもあり、そんなに簡単に折れる作品でもない。
エリマキトカゲ

相原さんのこの歌は、幼少年時代の喪失などというには力が抜けている。歌論の用語に、見たまま感じたままを技巧をつかわずに投げ出すように歌う「ただごと歌」というものがあって、そんな歌だと言える。折り畳むことに関した歌は次のものもあり、これも「ただごと」というか、「あるある」だ。

ポケットの中で紙片の手ざわりを小さく固く折りたたんでゆく 相原かろ

次のような歌も、「そうそう。言われてみればそうだよなあ」というものだ。

測量の人が見ている測量の世界の中を通ってしまう 相原かろ
満員の電車のなかに頭より上の空間まだ詰め込める

相原さんは、神奈川生まれで生活圏も首都圏のようだが、山梨名物の信玄餅を詠んだ連作も四首あった。そのなかから二首をひく。

容器からモモっと注ぐ黒蜜を信玄餅のきな粉がはじく 相原かろ
扇風機の首振りが来て黒蜜になじんでいないきな粉は飛んだ

これらの歌には「桔梗屋」という小題がついているが、二拠点生活のひとつを峡北(山梨県西北)地域とする半・山梨県民としては、信玄餅といえば、桔梗屋ではなく、北杜市白州町台ヶ原の金精軒である。じっさい、信玄餅という商標は金精軒のもので、桔梗屋のものは桔梗信玄餅が正しい呼称だ。ただ、餅と黒蜜ときな粉を小さな風呂敷に包んだパッケージを最初に販売したのは桔梗屋のほうが先だったようで、いまは商標争いも和解している。
きな粉が飛んだということでは、高浜虚子の次の俳句も連想した。

草餅の黄粉落せし胸のへん 虚子

これには次のような本句取りを考えたことがある。

ナポリタン赤い点々胸のへん
カレーうどん黄色く飛んだ胸のへん

相原さんの歌は、全般にとぼけたような味があるのだが、やや苦みのある歌もある。1978年生まれの相原さんが社会にでたのは、いわゆる「失われた30年」の只中ということになり、それを反映している歌と見ることもできる。

部屋を出たあとに聞こえる嗤い声いまに見ていろ歌にしてやる 相原かろ
履歴書の空白期間訊いてくるそのまっとうが支える御社

「いまに見ていろ」という意趣返しが「歌にしてやる」であるのはいかにも弱く、その歌はわらい声の主にはとどかない可能性のほうが高い。しかし、それは歌として、歌集としてのこり、読む者もいる。それはある意味、芸術の勝利かもしれない。ただ、相原さんの詠む忘れがたい光景の多くは、批評性とは違い、これといった象徴性もなく、それゆえに印象が強いということがある。

階段を松ぼっくりが落ちてきてあと一段の所で止まる 相原かろ

◆12^3+1^3=9^3+10^3=1729
ラマヌジャンの「タクシー数」を視覚化してみた。してみたが、とくに新しい発見があったわけではない。
1729

なお、「タクシー数」のエピーソードは以下である。(『ある数学者の生涯と弁明』(G. H. ハーディー、柳生孝昭訳)掲載の『ハーディーの思い出』(C. P. スノー)より)

彼(ラマヌジャン)がパトニーの病院で死の床に伏せっていたとき、ハーディーはよく見舞いに行った。例のタクシーのナンバーのことがあったのも、ある日の見舞いの時の出来事であった。(略)彼はラマヌジャンの寝ている部屋へ入って行った。ハーディーは、いつも会話を始めるのが下手だった。恐らく挨拶などはしなかったのだろう。最初は、確かこうだろう。「私の乗った車のナンバーは1729だったよ。まあつまらない数だが」ラマヌジャンはこれに対して「いや、面白いですよ。ハーディー。とても面白い数です。二数の立方数の和で表す表し方が二通りある最小の数ですよ」と答えた。
 これはハーディーの記録している二人のやりとりである。肝心の所は正確に違いない。彼は真に正直であったし、しかも、誰もこんな話を創作できなかっただろう。

◆中からは見えない
野辺山観測所の公開日(8月28日)は今年もオンラインである。そのコンテンツのひとつとして、「棒渦巻銀河」の折り紙のビデオを撮った。われわれの天の川銀河の形状も「棒渦巻銀河」なのだが、中にいるとその全体の構造はわかりにくい。

で、ふと思った。
戦争のただ中を生きたひとの話を聞いたり、『方丈記』の天災や飢饉の記述を読むと、今の世の平穏を感じてきた。基本その思いは変わらないが、将来1990年代-2020年代の日本を振り返ると、カルト宗教のテロがあり、大地震や気象災害が頻発し、経済は停滞し、感染症も蔓延して、たいへんな時代だったと思われるのではないかと。

最近のこの国は、堅牢だったものが傾いたというより、歴史を参照すれば聞いたことのある話で、地金がでたというか、もともとこんなものだったのだろうと、妙に納得している。しかしそれを、冷笑的態度で終わらせ、傍観者を気取ってすむ話でもない。自分もその共同体の一員であるからだ。

第30回折り紙の科学・数学・教育研究集会 ほか2021/06/15 21:44

◆第30回折り紙の科学・数学・教育研究集会
6/20(日)10:00-17:00に上記の会があります。参加費1000円のオンラインの会で、どなたでも聴講できます。詳細は下記のURLからどうぞ。

◆「折」の字
折りパケ
カルビー食品のスナックの袋に「折」の字が書いてあって、なんのことか思ったら、ゴミの体積減のために袋を折り畳もうというキャンペーンだった。
わたしは、以前から袋を畳んで結んで捨てることがほぼ習慣化している。

◆ヤマハタザオと軽量構造
ヤマハタザオ
1メートル近くの高さで亭々と立つこの草の名は、ハタザオ(ヤマハタザオ)といって、見たままの命名である。天辺にはちいさな白い花が咲いていて、旗竿の先端の「冠頭」の趣きがある。英名も、タワー・マスタード(マスタード=芥子菜)、タワー・ロックレス(ロック・クレス=岩・クレソン)と、タワーの名を持つ。この写真でも根元が画面から外れているぐらいひょろりと高い。茎の直径は2ミリぐらいの細さで、高さを約80センチとして、電信柱の直径30センチで計算すると100メートル超のスケールになる。むろん、構造力学的に比例計算にはならないが、写真のうしろに写っているアカマツに比べても高く見えて、大げさにいえば、軌道エレベーターかジャックの豆の木みたいな感じだ。

次号の『折紙探偵団マガジン』に、『Forms and Concepts for Lightweight Structures』(Koryo Miura and Sergio Pelegrino)(『軽量構造のための形状とコンセプト』三浦公亮、セルヒオ・ペルグリーノ著)の紹介記事を書いたあとに、このヤマハタザオを見て、まさに軽量構造で、バイオミメティクス(生物模倣工学)のタネになりそうだなあ、などとも考えた。

◆『三体III』の折り紙の舟
大作SFの完結編『三体III 死神永生』劉慈欣著、大森望他訳)に折り紙がでてきた。重要な展開への伏線にもなっている。

一枚の白い紙を振りながら程心に言った。「これで舟を折れる?」
「折り紙も忘れられた技術ってこと?」程心は紙を受けとって訊ねた。
「もちろん。いまどき、紙だってめったに見かけないんだから」
程心は腰を下ろして舟を折った。

西暦でいうと2300年ごろの設定だ。2200年ごろに全人類が難民化したさいの記述には、以下の比喩もあった。

正午の陽射しのもと、合板と薄い金属板でできた住宅は、真新しいと同時にいかにも壊れやすそうで、砂漠に散らばる折り紙の箱のようだった。

「折り紙」の原文は「摺紙」だと思うが、「折紙」かもしれない。わたしの『折る幾何学』の繁体版のタイトルは『摺紙幾何學』で、簡体版は、訳者の案では『折畳几何学』だったのだが、『折紙几何学』になった。「摺紙」と「折紙」なのである。「折」はbreakの意味が強いようだが、日本と同様にfoldingの意味もある。

『三体』は、大ボラ話としてのSFの王道。ディテイルをあれこれつつくのは野暮かな、と。