『「かたち」の哲学』2008/09/08 21:22

 『「かたち」の哲学』(加藤尚武著)を読んだ。10年以上前、『形の哲学-見ることのテマトロジー』という題だった単行本でも読んだのだが、今回文庫になったものを買い、読み出すと引き込まれた。
 その中に、恋人同士が抱き合うときに目をつぶるのはなぜかということにたいして、相手の存在そのものをたしかめようとするためかもしれない、といった旨の記述があった。結論のように断言しているわけではなく、詩的な喚起力もある表現だが、これに関してわたしの頭に浮かんだのは、もっと生理的、単純な考えだった。視覚というものは、遠隔知覚なので、近距離すぎると役にたたない。むしろ、邪魔になる。その意味で、眼をつぶるのは当然なのではないか、と。そして、ここから、近視の不思議体験(?)を連想した。
 わたしは、それほど強くないが近視である。(早々に老眼がくるだろうが、まだそうなってはいない)目が疲れると、この近視状態が強くなるような気がする。そんなときだ。ごく近くのものにピントが合ってしまい、たとえば自分の指先や紙の表面などが、奇妙なものに見えることがあった、という経験を思い出したのだ。一種のジャメビュ(デジャビュの反対:見なれたものが不思議なものに見える心理現象)と言えるだろうか。子供のとき、簡易顕微鏡を持っていて、ありふれたものが拡大するだけで異様なものとなるのが面白くてしかたなかったが、近視の眼は、そんな感覚を裸眼で体験させることがあった。これは、一般的な感覚なのだろうか。特殊なものだろうか。

 同書に、ディドロの『盲人書簡』からの引用があり、それが、最近のわたしの折り紙モデルの主要テーマである「立方体の分割」に関係していたことも、あらためて知るかたちになった。そして、今日、その『盲人書簡』を図書館で借りたのだが、その本でちょっとした不思議を味わった。なにげなく開いたまさにそのページに、ちょうど「探していた」以下の文があったのだ。
 彼女は幾何学が本当に盲人に適した学問だと主張していた。(略)『幾何学者はほとんどその全生涯を眼を閉じて過ごしているのです。』と、彼女はつけ加えて云ったものだ。(略)私は或る日彼女に云った。『お嬢さん、正六面体を一つ頭に描いて御覧なさい。- はい、それを思い浮かべました。- その正六面体の中心に一つの点を想像なさって下さい。-そういたしました。-この点から各頂点に向かって直線を引くこと、そうすれば、あなたはその正六面体を区分したことになるでしょう。-各々が同じ斜面と、正六面体の底面と、正六面体の半分の高さをもった、相ひとしい六箇の角錐(ピラミッド)になります、と彼女は自分でつけ加えた。-その通りです。だが、あなたはそれをどこで御覧になるのですか?-あたしの頭のなかですわ、あなたも同じだと思いますが。』
ヂィドロ『盲人書簡』(吉村道夫・加藤美雄訳)
 この部分は『「かたち」の哲学』でもそうであったように引用されやすい箇所で、本にわずかな開き癖があっただけなのだろうけれど。
 なお、この本(岩波文庫)は、1949年の版である。仮名遣いは新仮名遣いなものの、文字は「幾何學」といったように旧字になっていたが、引用は新字に変えた。ヂィドロのヂは、そのまま写したもので、タイプミスではない。

コメント

_ Joker ― 2008/09/09 22:36

ジャメビュの話は、ロシアフォルマリスムでいう 異化(オストラネーニェ)の話を連想しました。『形の哲学-見ることのテマトロジー』探していたのですが、文庫化されていたのですね。さっそく注文しました。じつは私には足掛け10年になる本の構想があって、それはスタート段階では駄洒落の研究書になるはずだったのですが、いまレトリックの研究書として構想しなおしているところです(ど素人なのでどこまで本気か分かりませんが)。レトリックといっても「はたらき」ではなく「かたち」に興味があって、とくにルビンの壺などの図形の知覚と関連付けて論じようというもの。おそらく加藤さんの本は欠かせないのではと思っておりました。
哲学でルビンの壺、ゲシュタルト関係といえば、ウィトゲンシュタインのアスペクト研究がありますが、いわば私の構想はアスペクト研究の記号部門としてレトリックを捉えなおそうというものです。本の仮題は『記号の中の幽霊』。いつも脱線ばかりで恐縮ですが、完成したらぜひ読んで頂きたいなあと、こっそり思っています。
脱線ついでに続けますが、今日、面白い偶然に気付きました。占星術でアスペクトといえば天体間の黄経差のこと。一方、私が考える記号のアスペクト(=レトリック)は大きく分けてふたつあって、それぞれ本の中で双子座と天秤座になぞらえるつもりでした。双子座と天秤座が成す角は120度、占星術ではトライン(強い幸運)。私の誕生星座が水瓶座で、これがそれぞれと120度の位置、3つの組み合わせは正三角形になります。占星術によると、これはグランドトライン(非常な幸運)。オカルトについては否定派寄りの私ですが、ひょんなことに、つい嬉しくなってしまいました。

_ maekawa ― 2008/09/11 23:30

 『記号の中の幽霊』ときましたか。面白そうですね。ちょっとシンクロですが、わたしも、『「かたち」の哲学』を読んで、たぶん、JOKERさんの題の元ネタの、『脳の中の幽霊』(V. S. ラマチャンドラン著)を読み返したいと思っていたところでした。ちなみに、『脳の中の幽霊』(『Phantoms in the Brain』)のphantomの訳語は、「幽霊」のインパクトを選んだのでしょうが、同書の中心テーマであるphantom limbの訳語が「幻肢」でもあるので、「幻」のほうがしっくりくるような気もしています。
 ウィリアム・アイリッシュの、かっこいい冒頭が忘れ難い小説『Phantom Lady』が、『幻の女』ではなくて『幽霊女』だったら違う話になりそうだなあ、などとも。一方、ガストン・ルルーの『The Phantom of the Opera』は、『オペラ座の幻』とか『オペラ座の幻影』じゃ変です。『オペラ座の幽霊』、『オペラ座の亡霊』はありですね。
 そう言えば、戦闘機にもファントムという愛称(愛称って言うのか?)のものがありますが、名前だけからすれば、ステルス機みたいです。で、ちょっと検索してみたら、ファントムはけっこう旧い機体で、ステルスでもなんでもないみたいでした。そして、マグダネル・ダグラス社は、このほかにも、ブードゥー、デーモン、バンシー (ケルトの妖怪)などという戦闘機があるとのことでした。趣味が悪いというか、なんというか。
##
 ウィトゲンシュタインは、『哲学探究』で、多義図形としてジャストローの「アヒル・ウサギ図」を例示していましたが、以前それを、中割り折りとかぶせ折りが視点によって変わるものであり、案外と定義が難しい、という説明に使ったことがありました。これを見た折り紙作家の川畑文昭さんが、即興に、アヒルにもウサギにも見える折り紙作品をつくってくれたことがあるのも思い出しました。

_ Joker ― 2008/09/12 00:58

『脳の中の幽霊』は"Phantoms"だったのですね。『記号の中の幽霊』の元ネタは、じつはウィトゲンシュタインとも関連が深い、哲学者のギルバート・ライル。彼は心身二元論を「機械の中の幽霊」だと批判したのですが、こちらは"Ghost"でした。ケストラーはライルの言葉から『The Ghost in the Machine』という本を書いていて、士郎正宗の『攻殻機動隊』はケストラーに着想を得て『GHOST IN THE SHELL』になったようです。あるいはラマチャンドランが自著に命名する際にも「機械の中の幽霊」が頭の中に鳴り響いていたのかもしれません。……とか言いながら、じつは、ここに登場した本のほとんどを読んでいない、外題学問の私です(笑)。

中割り折りとかぶせ折り。これは感じたことがあります。すっきりするたとえを教えていただき、ありがとうございます。「ああ、そうか、視点によって変わるんだ」という所までは行けても、なんとなく釈然としないものが残っていて。すっきりすると同時に、ここにフラストレーションを感じていたのは私だけではなかったのだと分かり、嬉しくなりました。

_ maekawa ― 2008/09/12 13:04

 たしかに、『脳の中の幽霊』という題は、アーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊』の本歌取りかもしれません。すくなくとも訳者にはそれがあったでしょうね。ケストラーは、『偶然の本質』を読んだ記憶がありますが、どうも「あっち」(オカルト)のひとというイメージが強くて…。
 『攻殻機動隊』もよく知りませんが、片手で折り鶴を折るシーンがあるらしいですね。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
スパム対策:このブログの作者は?(漢字。姓名の間に空白なし)

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://origami.asablo.jp/blog/2008/09/08/3751609/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。