「ダブルエックスキューブ」2008/01/20 10:26

ダブルエックスキューブ
 立方体シリーズの新作である。正方形2枚組で、名前は、向かい合う2面にXのかたちがあることからつけた。外側から見た凹みは四角錐状だが、内側は屋根型になっている。見た目より、折り目を立体的にするときのパズル的な難易度は高い。

「要石立方体」と「ブラックホール」2008/01/20 10:27

要石立方体とブラックホール
 立方体シリーズの新作をもうふたつ。このモデルは、以前にもつくったことがあり、裏表の色の違う紙で折ると面白く、展開図もじつにきれいなのだが、折っただけでは、なかなかきっちりとまとまらない。今回、凹んだ部分に重りをいれるというアイデアを思いついて、ビー玉をおいたところ、美しくまとまった。漏斗状だからこそできる技である。重りを石に見立て「要石(かなめいし)立方体」とした。手元にビー玉がなかったので、涼しげな花瓶として取っておいたラムネの瓶のプラスティックの口を無理矢理外して、玉を調達した。

 このモデルは、「アワーグラスキューブ」の親戚で、底面にも漏斗状に凹んだ面が隠れている。この凹んだ面が見えるように、正方形の真ん中に穴を開けてみた。
 そして、穴と、空間の歪みを漏斗で表現するブラックホールのモデルの連想から、「ブラックホール」という名前を思いついた。なお、ブラックホールの漏斗状モデルは、空間を2次元に減らして、もう1次元を使って空間の歪みを表すというもので、空間を2次元にして時間軸を加えた3次元で事象を表す「光円錐」とは違うので要注意だ。「要注意だ」って、誰に向かって書いているのかわからない表現だなあ…。そもそもが、平面の組み合わせになっているので、空間の歪みの表現としてはぎこちない。まあ、紙に穴をあけたのでホールという駄洒落である。

道祖神と立方体2008/01/20 10:32

 妙な符合に気がついた(そんなの、ばっかりだけれど)
 道祖神は、賽の神、塞の神(サイノカミ、サエノカミ)とも呼ばれる。「塞」は要塞のサイで、ふせぐの意味、境界に立って悪鬼を防ぐ役割にふさわしい。一方、「賽」は賽銭のサイで、神への礼を意味する。そして、「賽」にはサイコロの意味もある。字面だけでいえば、賽の神は、サイコロの神でもあるのだ。
 そう。いままで気がつかなかったが、いま、わたしが道祖神と立方体に同時に関心を持っていることには、このような「意味」があったのだ! なーんて、「何にでも隠れた意味を見いだすこと」を、オカルト(隠秘)というわけで、いわば駄洒落遊びの一種である。

凹CUBOとムナーリ展とORIORIA2008/01/21 20:47

函車とORIORIA
 まずは、立方体シリーズの新作、「函車」(はこぐるま=函+風車)を紹介する。(写真左・中)
 そして、一連の作品は、「凹CUBO」(くぼくーぼ)という、ちょいマヌケな感じのはいった名前にしたいと思う。CUBOはイタリア語で立方体。ブルーノ・ムナーリ氏(1907-1998)による立方体の灰皿「CUBO」で知った単語である。昨日、汐留で『ブルーノ・ムナーリ しごとに関係ある人 出入りおことわり』という展覧会を観てきたことで、思いついた。以前読んだ『芸術としてのデザイン』(小山清男訳)という本に刺激を受けたが、最近、ムナーリ氏がもっと直接に折り紙とも関係があることも知った。「旅行のための彫刻」(折り畳み可能な立体)や、一枚の金属板を切って曲げただけの皿などの造形があるのだ。昨年生誕100年だったこともあって、『芸術新潮』の1月号でも特集されている。絵本作家でもあることから、ちょっと前まで、うさこちゃんのディック・ブルーナ氏とごっちゃになっていたのは、恥ずかしいので伏せておこうと思ったが、書いておく。
 会場の隣りで、氏の著作・『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』『ファンタジア』( ともに萱野有美訳)も購入した。翻訳は最近だが、前者は60年代、後者は70年代の著述である。しかし、内容はまったく古びていない。一例をあげれば、フラクタル幾何学なるものが提唱される以前なのに、雪片曲線(コッホ曲線)や枝の分岐の幾何学に注目していることなど、先見性の高さがすばらしい。デザインを、意匠や装飾としてではなく、ひとつの「論理的な解決」として捉えているために、時代を越えた普遍性を持っているのだろう。まだちゃんと読んでいないが、パラパラと見ているだけでも楽しい。
 そして、後者には「オリガミ」に関する記述もある。内山光弘(道郎)氏の「家紋折り」のほかに、稚拙といってもよい「かえる」の折り方が載っているのだ(折り鶴の基本形に鋏をいれるもので、折り紙の教本から取ったもののようだが、詳細は不明)。洗練されたものよりも、あえてプリミティブな例なのだろうとは思ったが、なぜこれなんだという、いぶかしさも残った。なお、家紋折りの写真は、ムナーリ氏と親交のあった柳宗理氏のものだ。柳氏と言えば、『柳宗理-エッセイ』という本の中で、シンプルさを忘れた「現代折り紙」に苦言を呈する記述を読んだことがある。手元にないので引用できないが、議論のディテイルは、いまひとつ納得できない内容だったように記憶している。まあ、それはまた別の話だ。

 なお、再開発された汐留は、IT企業の事務所に一度行ったことがあるきりで、ゆっくり歩くのは初めてだった。工事中で通行止めの街路も多く、少なくとも現状は、動線(ひとの動き)のわかりにくい町だった。
 ビルの中では電通の本社ビルのたたずまいが印象的だった。急角度のエッジがあるので、21世紀のフラットアイアンビル(NY五番街の鋭角三角形のビル)というか、大江戸線の汐留駅近辺からは、妙に薄っぺらく見えて、曇天の鈍い陽射しの影響もあってか、特撮のマットペイント(描き割り)のような非現実感があった。
 ムナーリ展は、イタリア街と称する煉瓦調のビルの並ぶ一角で行われていた。車道も石畳になっているテーマパークじみたところである。JRAの場外馬券売り場やショップもあるが、基本的にはオフィス地域で、天気のよくない冬であるのも相まって、ガランとしていた。じっさい、ビジネスマンが主要な客なのだろう、休みの店もあった。開いていれば間違いなく探索することになった店も休みだった。Orioria(オリオリア)というイタリアンレストランである。「折々屋」と「お料理屋」をかけたものだろうが、ロゴマークは折り紙を思わせるもので、ウェブサイトのアニメーションも面白い。ちなみに、イタリア語のoriは「黄金」である。辞書をひいて調べたわけだが、折紙者には嬉しい知識になった。

「何も入らない箱」2008/01/28 00:12

何も入らない箱
 できあがりはただの立方体で、面白みはないけれど、組み方がちょっと変わっている4枚組作品。名付けて、「何も入らない箱」

丸石神その13−三段重ね道祖神2008/01/28 00:13

勝田杉山神社・道祖神
 道祖神探索とは別の理由で訪ねた横浜市都筑区勝田町の杉山神社で、じつに変わったかたちの道祖神(塞神:サイノカミ)を見つけた。裏には、「再建 平成四年十月吉日」とある。もとはこのかたちそのものではなく、似たかたちの積み石だったのではないだろうか。
 道祖神のとなりには「力石」(ちからいし)がふたつ。説明文によると、「村の若い衆が力試しを競い合い遊びし石」で、重さは五十貫(約180kg)とのこと。丸石神にも、もしかしたら力石の系統もあるのかもしれない、などと考えた。