凹CUBOとムナーリ展とORIORIA ― 2008/01/21 20:47

そして、一連の作品は、「凹CUBO」(くぼくーぼ)という、ちょいマヌケな感じのはいった名前にしたいと思う。CUBOはイタリア語で立方体。ブルーノ・ムナーリ氏(1907-1998)による立方体の灰皿「CUBO」で知った単語である。昨日、汐留で『ブルーノ・ムナーリ しごとに関係ある人 出入りおことわり』という展覧会を観てきたことで、思いついた。以前読んだ『芸術としてのデザイン』(小山清男訳)という本に刺激を受けたが、最近、ムナーリ氏がもっと直接に折り紙とも関係があることも知った。「旅行のための彫刻」(折り畳み可能な立体)や、一枚の金属板を切って曲げただけの皿などの造形があるのだ。昨年生誕100年だったこともあって、『芸術新潮』の1月号でも特集されている。絵本作家でもあることから、ちょっと前まで、うさこちゃんのディック・ブルーナ氏とごっちゃになっていたのは、恥ずかしいので伏せておこうと思ったが、書いておく。
会場の隣りで、氏の著作・『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』と『ファンタジア』( ともに萱野有美訳)も購入した。翻訳は最近だが、前者は60年代、後者は70年代の著述である。しかし、内容はまったく古びていない。一例をあげれば、フラクタル幾何学なるものが提唱される以前なのに、雪片曲線(コッホ曲線)や枝の分岐の幾何学に注目していることなど、先見性の高さがすばらしい。デザインを、意匠や装飾としてではなく、ひとつの「論理的な解決」として捉えているために、時代を越えた普遍性を持っているのだろう。まだちゃんと読んでいないが、パラパラと見ているだけでも楽しい。
そして、後者には「オリガミ」に関する記述もある。内山光弘(道郎)氏の「家紋折り」のほかに、稚拙といってもよい「かえる」の折り方が載っているのだ(折り鶴の基本形に鋏をいれるもので、折り紙の教本から取ったもののようだが、詳細は不明)。洗練されたものよりも、あえてプリミティブな例なのだろうとは思ったが、なぜこれなんだという、いぶかしさも残った。なお、家紋折りの写真は、ムナーリ氏と親交のあった柳宗理氏のものだ。柳氏と言えば、『柳宗理-エッセイ』という本の中で、シンプルさを忘れた「現代折り紙」に苦言を呈する記述を読んだことがある。手元にないので引用できないが、議論のディテイルは、いまひとつ納得できない内容だったように記憶している。まあ、それはまた別の話だ。
なお、再開発された汐留は、IT企業の事務所に一度行ったことがあるきりで、ゆっくり歩くのは初めてだった。工事中で通行止めの街路も多く、少なくとも現状は、動線(ひとの動き)のわかりにくい町だった。
ビルの中では電通の本社ビルのたたずまいが印象的だった。急角度のエッジがあるので、21世紀のフラットアイアンビル(NY五番街の鋭角三角形のビル)というか、大江戸線の汐留駅近辺からは、妙に薄っぺらく見えて、曇天の鈍い陽射しの影響もあってか、特撮のマットペイント(描き割り)のような非現実感があった。
ムナーリ展は、イタリア街と称する煉瓦調のビルの並ぶ一角で行われていた。車道も石畳になっているテーマパークじみたところである。JRAの場外馬券売り場やショップもあるが、基本的にはオフィス地域で、天気のよくない冬であるのも相まって、ガランとしていた。じっさい、ビジネスマンが主要な客なのだろう、休みの店もあった。開いていれば間違いなく探索することになった店も休みだった。Orioria(オリオリア)というイタリアンレストランである。「折々屋」と「お料理屋」をかけたものだろうが、ロゴマークは折り紙を思わせるもので、ウェブサイトのアニメーションも面白い。ちなみに、イタリア語のoriは「黄金」である。辞書をひいて調べたわけだが、折紙者には嬉しい知識になった。
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