道祖神の記憶2008/01/20 10:18

世田谷区奥沢三丁目の道祖神
 ひとは、新しいことを始めたと思っていても、そのじつ、こどもの頃の記憶をなぞっている場合が多い。その一例か、わたしには道祖神の思い出がある。たぶん、小学5年生のことだ。地域的な結びつきが弱い東京の私鉄沿線の住宅街で、伝統的な行事や習慣とはまったく無縁といってよい生活環境だった。そんな場所での道祖神の思い出というのは、次のようなものである。

 社会科の自由研究といった名目で、クラスメート数人と、近所の石碑の拓本を取ってまわった。歴史や石碑自体への興味というより、紙を石碑にあてて、それをクレパスなどでこすると、文字が紙に写るということが楽しかった。何枚も取ったはずだが、鮮明に覚えているのは世田谷区奥沢三丁目の道祖神だけである。これには理由がある。拓本を取っていたときに、通りかかった老人に「悪戯をするんじゃない! 神様だぞ」と叱られたためである。あまりに強く怒鳴られたので、「これは、社会科の勉強で…」という説明をする前に、逃げようとした。「社会科の勉強」などとは、自分でも信じていなかったのかもしれない。じっさい、「自由研究」をどうまとめたのかも覚えていない。覚えているのは道祖神は神聖なものなのだという感覚だけである。道祖神という民俗信仰の存在は、これによってわたしの中に刻み付けられたのかもしれない。

 正月に実家に帰ったさいに、その道祖神にお参りをしてきた。当時はたしか雨ざらしだった石碑に屋根がついており、水や花が供えられていた。日々、この道を通勤通学に使っているひとのこころの片隅にも、この道祖神は生きているのだと思わせた。わたし自身にしても、この町を離れて四半世紀になるが、家から最寄りの駅に向かうときに通るこの道で、道祖神を意識し、こころの中で軽く礼をしていたような記憶がある。
 こうした石碑は、土地の記憶でもある。文化九年とあったので、200年前のものだ。小学生の頃はそんなことは考えもしなかったが、小さな石碑は、この場所に田園風景や野原・林が広がっていた風景も想像させる。

コメント

_ Panic姫 ― 2009/06/12 11:35

初めまして、いきなり古い記事にコメントで失礼します。

毎朝、この道祖神様の前を歩いて通勤しています。
由来などを調べてみたくなり、ヒットしてお邪魔しました。

200年も前からココにいるんですね。
私も毎朝ココの前を通る時、軽く挨拶しているような感じがします( ̄▽ ̄〃)

_ maekawa ― 2009/06/13 22:58

奥沢+道祖神で検索すると、ここになりますねえ。

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