紙縒の犬のつづきの話など2019/11/23 20:04

◆紙縒(こより)の犬 - つづき
紙縒の犬
一つ前の記事に書いた、幸徳秋水も手癖でつくっていたという紙縒の犬についての話のつづきである。

「どういうものなのか不明」と書いたが、ネットで検索すると、伝承と思われる紙縒の犬の写真がいくつか見えた。詳しいことはやはり不明なのだが、それを参考に、わたしもつくって見た。鼻先から対称にねじってゆくだけなので、難しいものではない。『武玉川』の句にあわせて、痩せ犬の風情を強くしてみた。

物思ひ紙縒の犬も痩せがたち

パフォーマンスのバルーンの犬にも似ている。幸徳秋水先生にならって、帰ってほしい客のときはこれをつくるとよいのかもしれない。

◆酉の市
かんざし守
先日の酉の日、大國魂神社の摂社の大鷲神社の酉の市に行って、小さい熊手を買ってきた。熊手と呼ぶには小さすぎるのためか、「かんざし守」という名であった。祭神は、浅草の鷲神社と違って、紙の神様でもある天日鷲神ではなく、ヤマトタケルの別名らしい大鷲大神(オオトリノオオカミ)である。

重陽の節句の「のちの雛」のことを調べようと『守貞謾稿』を手に取ったさい、同書をぱらぱらめくっていると、酉の市のことが書いてあるのも見つけた。

この記述が、「十一月酉の日 江戸にて今日を酉の町(ママ)と号し、鷲神社に群詣す。この社、平日詣人なく、ただ今日のみ群詣して富貴開運を祷ること、大坂の十日戎と同日の論。また群詣も比すべくして、しかも十日戎の盛に及ばず。」と、やや感じが悪い。「この日、江戸四民男女専ら参詣す。けだし熊手を買ふ者は、遊女屋、茶屋、料理屋、船宿、芝居に係る業躰の者等のみこれを買ふ。一年中天井下に架して、その大なるを好とす。正業の家にこれを置く事を稀とす。」ともあって、なんだかトゲがある。「かつては、水商売の縁起物だったんだね」と言うと、妻が「いいの。うちの父は水道局職員で、水商売だったんだから」と返した。(引用は、岩波文庫『近世風俗志四』より。ただし文字遣いをすこし変えた)

酉の市といえば、現代の酉の市の決定方法が、新旧折衷の苦肉のものであるのも面白い。かつての酉の市の期日は、言うまでもなく、太陰太陽暦の霜月(十一月)の酉の日であった。しかし、現代の酉の市は、グレゴリオ暦の11月を用いる。それでいて、酉の日は、十干十二支が巡る「干支紀日法」で決める他はない。この折衷方式は、太陰太陽暦の霜月とすると、酉の日が年明けになる場合がときどきあって、年の瀬の行事としてまずいためだろう。たとえば、来年の太陰太陽暦の霜月二十六日が酉の日だが、これは2021年1月9日である。太陰太陽暦では、来年は閏四月があって一年が長く、かつ十一月に三の酉があるためだ。

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