古川柳の中の星空 その22019/11/01 22:32

『俳風柳多留』を読みすすめ、興味深い句を見つけた。まず、折り紙関連句である。

池のみぎわに靏を折待つて居る

「靏」は「鶴」の正字で、池の畔で折鶴を折りながら待ち人を思う、たぶん娘の姿を描いた句である。安永八年(1779年)刊行の第十四篇の収録なので、『秘伝千羽鶴折形』(1797年)と同時期の句ということになる。「靏を折り池のみぎわで待つて居る」のほうが、五七五の収まりがよいと思うのだが、なぜか七五五である。ちなみに、5:7:5という比率は、正方形の辺:正方形の対角線:正方形の辺の近似なので、折り紙的(!)である。

そして、また、天文川柳も見つけた。

客星の光うしなふ後の月

客星というのは、定家の『明月記』の記述でも知られるように、超新星や彗星などの見慣れない星、突発天体のことである。この客星はいったいなにか。山澤英雄氏の校注によると、安永六年(1777年)の投句なので、そのすこし前の天文現象を調べてみた。

「C/1774 P1 Montaigne」彗星が、時期的に一番近かった。この彗星に関する記述のある、天文学者・シャルル・メシエのノートには、1774年の8-10月の観測とあった。発見はそれよりはやく、同年の4月、ジャック・モンテーニュ(あのモンテーニュとは別人の天文学者)による。それらは、望遠鏡を使った観測であり、肉眼での観測は難しかったようだ。とは言え、メシエの記述には、月の明かりに観測が妨げられたという内容もあって(『Cometography: Volume 1, Ancient-1799: A Catalog of Comets』 G. W. Kronk、1999による)、川柳の記述に妙に符合している。「後の月」を歳時記通りに太陰太陽暦九月十三日の月とすると、1774年10月13日にあたるので、メシエらがこの星を観測できなくなった時期とは若干ずれるのだが、たいへん興味深い。

まさか、メシエやモンテーニュが詠んだ句と主張するのではないが、ちょうどこのころ、日本に麻田剛立(1734-1799)というひとがいたことは付け加えておくべきだろう。豊後の国を脱藩し、大坂で医師をしながら天文の研究を続け、ケプラーの第三法則を独自に発見したという話(異論も多いのだが)も伝わる傑物だ。彼が1770年ごろから望遠鏡による観測もしていたのはたしかである。麻田自身がこの句を詠んだというより、麻田から話を聞いた者が(それは、観測自体ではなく、麻田が入手したメシエらの情報かもしれない)、それを元に詠んだ句なのではないかと、想像したのである。なんの文献的な裏づけもない、思いつきなのだが。