かの星に人の棲むとはまことにや2018/08/01 21:46

昨日は、火星の大接近だった。距離0.385au(5759万km)で、等級はマイナス2.8、しばらくの間、火星は木星やシリウスより明るい。そして、火星といえば、以下の歌である。

かの星に人の棲むとはまことにや晴れたる空の寂し暮れゆく 若山牧水

1910年(明治四十三年)、天文学者・パーシヴァル・ローウェルの火星人説やH. G. ウェルズの『宇宙戦争』が話題を呼んでから約10年後の歌で、「かの星」は火星のことと考えられる。しかし、牧水はじっさいに火星を見て作歌したのか、という疑問を持つひともいる。これを検証してみた。

正確な作歌の日付は調べることができていないが、この歌は、「自 明治四十三年一月 至 同四十四年五月」とある歌集 『路上』(1911)の収録歌である。同歌集内、この歌のほぼ直後に配された次の歌が、時期特定の参考になる。

ややしばしわれの寂しき眸(まみ)に浮き彗星(はうきぼし)見ゆ青く朝見ゆ

これは間違いなく、1910年5月に最接近したハレー彗星を詠んだ歌である。夕方ではなく朝に見たということなので、近日点通過前の4月下旬か5月上旬であろう。つくられた順に編まれているとも限らないが、『路上』を読みとおすと、そうした入れ替えは最小限と思われ、前後の歌から読みとれる季節からも、「かの星に」は、4月ごろの歌と推定できる。この歌は、注釈として「五 戸山が原にて」と記された五首の五番目でもあり、それらの歌も「摘草」「梢あをむ木蔭」など、春から初夏を思わせる。

ただ、このころの日没時の空(東京)を確かめてみると、火星は明るくない。地球との距離は約2au(3億km)である。それでもこの年の4月、陽の沈んだ西の空、オリオン座とぎょしゃ座に挟まれた仰角40-50度ぐらいの空に、約1.5等級の火星が見える。大接近時にくらべて1/50ほど暗く、一番暗いときに近いぐらいだが、北極星よりやや明るい。「寂し暮れゆく空」を「陽が沈んで、地平線にやや赤みの残る夜空」と解釈すれば、歌にぴたりの状況だ。

今から108年前の4月ごろ、牧水が、戸山が原(現新宿区戸山)で、火星を火星として見たのはまず間違いがないというのがわたしの結論である。牧水は、いわゆる自然主義なので、見ていないもの、経験していないことを歌うひとでもない。1910年のハレー彗星は、尾の中に地球がはいることで毒ガスの危険あり云々の流言も生み、自転車のチューブが売れたりしたそうだが、これは一面で一種の天文ブームでもある。この年、一般にも、星空を見上げる機会は増えていたに違いない。

最後に豆知識として、火星の明るさは地球との距離だけで決まるわけではないことにふれておこう。最も遠いときと大接近の距離は約1/7倍なので、明るさの比はその二乗の約50倍になりそうだが、大接近と最遠の実視等級の差は4.6(-2.8と1.8)で、等級の定義から、明るさは、(100^0.2)^4.6≒70倍となる。火星は外惑星で満ち欠けもない。季節の変化での極冠の大きさが変わる反射率の違いもあるだろうが、そんなに大きくはない。では、なぜか。答えは単純で、太陽と火星の距離で火星自体の絶対等級が変わるためである。大接近のときは、近日点近くであり、遠日点に比べて太陽-火星の距離がに0.83倍近い。そもそも大接近が、会合周期(太陽から見て、火星と地球が同じ方向になる周期)の780日でなく、15年ぶりになるのも、火星の軌道の離心率が高いからだ。この楕円軌道によって、近日点では、距離の比の二乗の逆数の1.4倍ほど明るくなる。これと、地球との距離による約50倍が掛け合わされて、約70倍の明るさの差となる。

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