『七』と『第七官界彷徨』2011/02/15 22:37

『七』と『第七官界彷徨』
 昨日、7という数字のことをちょっと考えたので、花田清輝さんの小説『七』を思い出し、読み返した。(『七 錯乱の論理 二つの世界』(花田清輝著)所収) 
 ドイツを舞台に、日本人学生の目を通して、七という数に取り憑かれた若き学者・ペーテル・ペーテルゼンなる人物を描いた短編である。
七は、七という数の持つ力は、僕がいくら捨てようとしても、また僕が、そんなたわけたことがあるものか、といくら自分自身を説得しようとしても、いっかな僕から離れようとはしない。しつこく僕につき纏って僕を食べ尽くそうとする。そんな変ちきりんな、そんな莫迦なことがあるもんじゃない、とあなたもまた思われるでしょうが。
 ペーテルはこういいながら、あの悲しげな微笑みを浮かべたのであった。
(『七』花田清輝)

 ポーや、ホフマン、ロアルド・ダールなどを連想させる、奇妙な味の小説だ。花田さんがこれを書き、懸賞小説として入選したのは、21歳、1931年のことだという。留学の経験などなく、完全にBookishな知識からつくった話である。翌年、ドイツではナチスが第一党となり、中国東北部には満州国がつくられる。そんな時代である。寓話じみた体裁もあって、旧さはまったく感じさせない、というか、いまも新鮮な小説だ。

 読み返したのは20年ぶりぐらいで、当時は読みすごしていたが、地球の歳差運動(自転軸の公転面に対するすりこぎ運動)、あるいは章動(歳差運動のぶれ)の周期が7年であるかのような記述があり、疑問がわいた。いったいどこから来た話なのだろうか。章動にはいくつかの成分があるが、18.6年、半年、半月などであり、歳差(太陽と月の引力による日月歳差)の周期は約25800年である。

 と、まあ、細かい話はおいて、『七』といえば、花田さんが「ながいあいだ、わたしのミューズでした」と称した尾崎翠さんの代表作も、『第七官界彷徨』と、「七」をタイトルに持つ。80年も経ったことを思うと、これも、なんとも新しい小説である。

私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう。そして部厚なノオトが一冊たまつた時には、ああ、そのときには、細かい字でいつぱい詩の詰まつたこのノオトを書留小包につくり、誰か一番第七官の発達した先生のところに郵便で送らう。さうすれば先生は私の詩をみるだけで済むであらうし、私は私のちぢれ毛を先生の眼にさらさなくて済むであらう(私は私の赤いちぢれ毛を人々にたいへん遠慮に思つてゐたのである)
 私の勉強の目的はこんな風であつた。しかしこの目的は、私がただぼんやりとさう考へただけのことで、その上に私は、人間の第七官といふのの定義をみつけなければならない次第であつた。これはなかなかの迷ひの多い仕事で、骨の折れた仕事なので、私の詩のノオトは絶えず空白がちであつた。
(『第七官界彷徨』尾崎翠)

 花田さんは「十代の終わりに読んだきり」とも書いているが、これは記憶違いのようで、年譜によると、『第七官界彷徨』の前半が初めて活字になったのは1931年で、『七』と同じ年なのであった。
 これが1932年なら、昭和七年で、かつ1932=276×7で7の倍数となり、話はきれいにまとまるのだが、そううまくはいかない。