突然の日記2009/12/23 15:44

 このブログは、内容があまり発散しないようにと「広義の折り紙」と「広義の幾何学」の話題にしぼって書くという方針なのだが、たまには日記風のものを載せてみたくなった。先週が、なぜか「小イベント」に満ちた一週間だったためでもある。誰がそれに興味があるのかということは、棚上げにして。

12/12(土)
 前日が父の誕生日だったので、日本酒の小瓶セットと和菓子を買って、久しぶりに実家に行った。父は体質的に完全に下戸なので、日本酒が母用で、菓子が父用である。父と母が健康なのは、ありがたく、しあわせなことだ。
 仏壇の祖父の写真を見て、その風貌がわたしによく似ていることを、あらためて思った。祖父は医者で、わたしの生まれるずっと前、終戦直前に亡くなっている。祖父もわたしと同様、口髭を生やしていたので、なおさらそう見える。だがしかし、妻も言っていたが、写真の祖父は、白衣を着ているので、野口英世にも見える。では、わたしも野口英世に似ているということか。いや、とてもそうは思えない。千円札で確認したが、まったくそんなことはない。あらためて見ると、祖父のほうが立派な顔をしているような気がしてきた。
 今年でわたしは、祖父より長生きしたことになる。野口英世の没年でもある。祖父はわたしを知らないのに、わたしがその命を受け継いでいるのは、どこか不思議である。祖父が救ったであろう命のことなども思った。
 夕方、日本折紙学会事務局で会議。

12/13(日)
 折り紙の科学・数学・教育研究集会の世話人をつとめる。

12/14(月)
 午前中はソフトウェアのデバッグで、午後から三鷹の天文台で打ち合わせ。天文台に行く途上のコンビニエンスストアの駐車場で、小さな事故に遭う。大きな楽器を持っていたひとがよろけて、停車中のわたしの車にぶつかったのだ。すごい音がした。車が少し凹み、わたしも少し凹んだ。楽器- チューバだった- は大丈夫だったのか。とりあえず、連絡先だけ訊き、仕事に向かった。よく行くコンビニエンスストアではなく、いままで行ったことのない店だった。事故なるものは偶然の積み重ねだ。
 打ち合わせ後、駐車場の車を見て、過失は相手が100%だが、新車でもないし、弁償請求でもないかと、ぼんやり考える。そして、たぶんそのひとは音楽家なので、コンサートのチケットを賠償代にしてくださいと提案しよう、と思いつき、落ち込んだ気分が、なにかの縁という明るい気分になった。ただ、その後連絡がつかず、なんども電話するのもためらわれて、このアイデアは立ち消えになった。
 この日は、結婚記念日。遅くなったが、妻とレストランに行く。注文したものがなかなか出てこなかったり、間違っていたりと、非科学的な表現だけれど、どうにも星回りが悪い日だった。レストランは、ふたつ忘年会をやっていて、忙しかったようだ。小さいことでカリカリしない妻はありがたい。深夜、山梨に移動。

12/15(火)
 夜、野辺山宇宙電波観測所で、新開発の分光計を使って、初めて天体の電波の観測に成功した。いわゆる「ファーストライト」である。さまざまな新装置を組み合わせたもので、研究者・技術者の精勤の結晶だ。みなで記念写真を撮った。一員として立ち会えるのはうれしい。

12/16(水)
 この日も、新システムの試験で、夕方からは、観測所の忘年会。冒頭に間に合わず、演し物(有志職員による合唱)を聞き損ねた。この職場は、昼休みに職員が合唱の練習をしていたりと、ほのぼのしている。ナイジェリアから研修に来ている研究者も歌を披露した。彼らにとって、日本、しかも標高1300mの野辺山の冬は寒いだろうなあ。

12/17(木)18(金)
 試験や会議などで、ばたばたと落ちつかず、しばらくぶりに会った、以前一緒に仕事をしていたひとが、「おひさしぶりです。元気そうで」と声をかけてくれたのだが、「あ、はい」みたいなそっけない対応になってしまった。ちょっと忙しいとまったく余裕がなくなるのは、情けない。

12/19(土)
 通常、金曜日の夜は東京に戻るのだが、おもに車の冬タイヤ交換のために、山梨の山荘に泊まった。この冬、何度か雪が降っているのに、交換が延び延びになっていたのだ。前の晩は前の晩で、冬季対策が遅れて、洗濯機と台所の水道を凍結させ、開通に手間がかかった。さいわい破裂はない模様。
 そして、朝、足をすべらせ、二階の一番上から一階までドタタタと落ちる。新撰組の池田屋事件かよ、というような、みごとな階段落ちで、臀部打撲、左足中指突き指、右足親指爪裂傷。階段から落ちて命を落とすひとも多いということなので、笑いごとでもない。先日の車といい、小さい事故のつづく一週間だ。
 新撰組と言えば、東京の自宅は、近藤勇の生家と墓所の近くにある。先日、墓所の最寄りのお蕎麦屋さんでこんなことがあった。
 昼刻で混んでいたため、名前を書いて並んだのだけれど、「ヒジカタ」と書いているひとがいたのだ。土方歳三は日野のひとだし、近藤さんの墓参りに来た新撰組ファンの洒落だろうと推測したが、本物の関係者かも。
 タイヤを冬タイヤに交換し、夕方帰京。夜、居候中の姪のパソコンの設定を深夜までおこなった。いちおう計算機の専門家なのに、普段使うのがMacitochとLinux,、Solarisなので、Windowsの設定は素人以下で、かなりてこずった。

12/20(日)
 年賀状のデザインをする。エッシャー風の繰り返し模様を考え、干支にちなんだ「地口」ネタを配す。
 左足の中指は、さしたる痛みはないが赤黒く腫れている。折り紙の機関誌用のエッセイを書こうとするが、まったくはかどらず、この日記をまとめることに移行してしまった。困ったもんだ。
 TVドラマ『JIN-仁-』の最終回を観てから、深夜、山梨に移動。『JIN-仁-』は、時代劇のルーチンから少しずれた近世の描きかたが面白いドラマだった。幕末・明治初期の日本は、かなわないながらも一番行ってみたい場所である。言葉がまあまあ通じる完全な異世界。イザベラ・バード等の旅行記を読むと、蚤シラミがすごいとか、現代人はきつそうではある。しかし、近世日本という、総体としては事実上滅びてしまった文明、空の広い大都市・江戸を、じっさいに見てみたい。
 地味ではあるが、陰陽寮と幕府天文方のつばぜり合いや、和算家のでてくるドラマもつくってくれないかなと思う。江戸の科学革命の話である。陰陽師を詐欺師や時代遅れと見る天文方視線・洋学者視線の物語。そういえば、先日、江戸前期の天文学者・渋川春海を描いた『天地明察』(冲方丁著)という小説を見かけた。まだ買っていないが、読書リストにいれた。

 読書リストと言えば、読みたい本がたまっている。この一週間で読了した本は、一冊もなかった。というか、ほとんど読んでいない。いま読んでいるのは『完全なる証明』(マーシャ・ガッセン著 青木薫訳)。ポアンカレ予想を証明したあと、数学界から消息を断ったグリゴーリー・ペレルマンを描いたノンフィクションである。「才能というのは、一種の呪いでもある」と言ったのは、だれだったか、ペレルマンの話などを知ると、本物の数学の才能は、たしかに呪いのようなものかと思わないでもない。数学者になりたかったと思うことがあるが、わたしは、さいわいと言うべきか、才能がなかった。なにかになりたかったという話では、中島敦の『山月記』の一節は忘れ難い。
人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
(『山月記』中島敦)
 こう引用するのも、もっとなにごとかに打ち込んでいれば何者かになったという、自分を大きく見せる意図があるような気がしてきた。なんだかんだ言って、わたしは、ほとんど精一杯でいまのわたしである。関心があっちこっち飛んでいるのに、ちょっと忙しいとまったく余裕がなくなる。それがわたしである。

コメント

_ maekawa ― 2010/01/04 21:40

 『天地明察』を読み了わった。天文学の歴史には以前から興味があるので、「結末」は知っていたわけだが、面白く読めた。政治的な人物との印象がある渋川春海が、理科系・草食系男子で、ヒロイン「えん」はツンデレなのだが、その設定にも物語巧者を感じ、違和感はなかった。
 一番ひっかかったのは、関孝和の稿本を見た春海の「(算学の誕生だ。この大和の国の算学、和算だ)」という内面の声だった。春海のつくった大和暦(貞享暦)に対応させたのだろうけれど、和算というのは、明治になって西洋の数学が輸入され、それ(洋算)との対比で生まれた呼称であるとされる。まあ、著者・冲方さんは「確信犯」だろうけれど。
 冒頭に算術の問題がでてくるが、こうしたものは、小説を読むリズムをちょっと中断しても解いてみたくなってしまう。方程式を使えばすぐに解ける問題だけれど、良問だった。

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