謝っている鳩とか2012/10/10 22:55

某月某日 謝る鳩
鳩が謝っていた。
謝る鳩

某月某日 ええもん
ええもんをもらった。
ええもん

某月某日 30周年
野辺山観測所30周年記念行事に出席した。海部宣男さんの講演の最後の謝辞が、「計画を支援くださった多くの方々に(特に、伏見康治先生をはじめ、物理学の指導的先生方のサポートは絶大でした)」と始まっていた。
伏見先生には、折り紙だけでなく、「いま野辺山観測所がある」ということで間接的にお世話になっていた、というわけである。

某月某日 下総印旛地方
折り紙に関係する和算の資料の調査で、週末、二週連続で千葉県印西市と栄町を歩いた。農村と郊外住宅が隣接する風景は、異なる時代を繋ぎ合わせたパッチワークのようだった。広大な宅地造成予定地の原っぱの寂寥感も強烈で、海外にいるよいりも異邦人になった感覚があった。

某月某日 会田安明
和算家の会田安明をあらためてすこし調べた。研究にも教育にも熱心だったひとだが、常軌を逸した負けず嫌いで、やたら自慢話が多い。教育者として優れているひとというのは、謙虚さがあるように思うのだが、彼を見るとそうばかりでもないのかも、とも思った。

某月某日 E.T.
E.T.
リクエストがあって、「E.T.」を折った。「親バカ」というか、「これっていいモデルじゃないか」と思った。四半世紀前のものである。展開図だけで、折り図(工程図)はないということも再認識した。

某月某日 証明?
インドの新聞にゴールドバッハの予想を証明したという記事が出ていたということを知った。数学者が反応しておらず、論文掲載予定誌の評判もかんばしくなく、思い切り眉唾である。

丸石神 その342012/10/17 22:50

丸石神その9『暗黒神話』によせられた「北落師門」さんのコメントが気になって、先日、甲斐市亀沢(旧敷島町)の丸石神を見にいった。

まずは、『暗黒神話』のイラストの元になったと思われる木造の祠の中の丸石神。
敷島町亀沢丸石神2

そして、真ん中に石棒のあるもの。
丸石神(甲斐市亀沢)

以下は、次のような声が聞こえてきそうなもの。
石垣の石「おれたちは石垣なのに、向こうは神様だもんなあ」
丸石神(甲斐市亀沢)

また、 以前から注目していた県道六号(穂坂路)・甲斐市竜地(旧双葉町)の二座の丸石さんもゆっくりと見てきた。どちらも幕末のもので100m弱しか離れていない。台座には「道祖神」ではなく、「衢神」と書いてある。天孫降臨のさいにニニギを先導したサルタヒコがいた天の交差点・「天の八衢」(あめのやちまた)で使われている字だ。下の写真のように、「丸石神・火の見櫓隣接の経験則」がどんぴしゃ の例でもある。
丸石神(甲斐市竜地)

丸石神(甲斐市竜地)

『算法身之加減』の折鶴問題2012/10/25 22:15

江戸時代の和算書『算法身之加減 補遺』(渡辺一(わたなべかず) 天保元年 1830)に、折鶴に関する計算問題(羽根の幅から長さを計算する問題)があることを確認できた。同書の前書きなどから推定すると、この問題がつくられたのは、天明八年(1788)から文化九年(1812)の間のことである。
『算法身之加減』の折鶴問題

『算法身之加減』の問題を引用している、渡辺の弟子・佐久間纉(さくまつづき)の『當用算法』(嘉永六年 1853)の記述から、『算法身之加減』に、折鶴の計算問題が掲載されているはずだと、以前から気になっていたのだが、先日、『折紙探偵団』に『折形算法散歩』というエッセイを書いているさいに、あらためてこのことを確認しておかなくては、と思いたち、福島県立図書館で調べてきた。問題は、予想通り『當用算法』のものと同一であった。

福島県立図書館
福島県立図書館

『算法身之加減』は出版されなかった本で、渡辺の没後130年、いまから40年ぐらい前に、佐久間の蔵書の中で「原著」が発見され、福島県和算研究保存会によって1977年に復刻されたものである。元の本も幻の本であったが、復刻版も100部余りなので、入手は困難である。つい最近、神保町の古書店のガラスケースの中にあることも見つけたのだが、かなり高い値がついていて、手がでなかった。デジタル化されているという情報もない。そこで、一番ゆっくり閲覧できそうな福島県立図書館に行って確認した、というわけである。

この折鶴の計算問題については、まだまだ面白いことがありそうだと思っている。なお、11月刊行予定の『折紙探偵団 136号』の『折形算法散歩』でおもに扱ったのは、この問題にも関連する、千葉県の算額に関してである。

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福島に向かう新幹線では、『戊辰算学戦記』(金重明)という、和算に戊辰戦争をからめた小説を読んだ。新刊書籍では入手困難になっているのだが、この機会にどうしても読みたくなって、古書店で購入した。主人公は、フランス人から西洋数学を学んだ、二本松藩出身の幕軍の部隊長で、駐屯先の越後で、和算家と交流するという設定である。
じっさいの戦場でも、数学の問題を考えていた兵士はいたのだろうな、とも思った。塹壕の中で『論理哲学論考』を書いていた哲学者・ウィトゲンシュタインのように。なお、戊辰戦争と算学者の史実では、次のようなものがある。
渡辺一の曾孫・木村銃太郎:算術に秀でていたが、二本松藩の二本松少年隊の隊長として22歳で戦死した。一関の算学者千葉胤秀の孫・千葉量七:算学者であったが、刈和野の奪回戦において25歳で戦死した。

『算法身之加減』を持っていた佐久間纉も三春藩の藩士で、歴史の激流に揉まれたはずのひとである。しかし、影響がないはずはないのに、彼の伝記的事実をざっと追っただけでは、それはまったく見えない。このような時代で、佐久間は、数学や詩歌に平常心で打ち込んでいたように見える。不思議なほど穏やかに見えるのだ。和算から洋算という激動もあったわけだが、維新後につくった算学塾でも、多くの門人を育てている。

というように、社会や時代と個人の距離のとりかたというのも、ひとし並みではない…などと考えた旅でもあった。こんなことを考えたのは、福島の市内を歩き、穏やかなふつうの暮らしを感じたことも大きい。

『和算の問題から得られた折り紙の命題』の誤記2012/10/25 22:20

昨年、『折り紙の科学』(Vol.1 No.1 2011)に投稿した『和算の問題から得られた折り紙の命題』に、以下の誤りがあった。

誤:杉妻村大字田沢 丹治徳次郎
正:杉妻村大字黒岩 中村熊治郎
また、「徳次郎の算額定理」と通称したが、これは「熊治郎の算額定理」に訂正する。

この件に関しては、一年ほど前に五輪教一さんからも、出題者の名前が違うかもしれませんという旨の指摘を受けていたのだが、先日、現地で復元された(1966年:元は1893年)算額を見て、誤りが確認できた。(写真)
黒岩虚空蔵堂の算額(部分)

誤ったのは、参照した『福島の算額』(福島県和算研究保存会 1989)を読み損ねていたためである(写真)。
『福島の算額』から

問題の後に書いてある名前を出題者と思っていたのだが、問題の前にある名前が出題者なのであった。中村熊治郎の場合は、ちょうどページの切れ目なので、余計に間違いやすくなっていた。なお、同書には、前の前のページに、「この算額は、各々、出題者は出題番号の前に名を提示していることに要注意」とも書いてあるので、わたしの不注意以外のなにものでない。

黒岩虚空蔵堂は、阿武隈川河岸にある名所で、川面がきらきらと陽光に輝き、気持ちのよいところだった。
黒岩虚空蔵堂

三鷹・星と宇宙の日2012/10/27 20:41

電波望遠鏡カード
国立天文台・三鷹地区特別公開「三鷹・星と宇宙の日」の野辺山観測所ブースに、「折り紙の電波望遠鏡(カード版)」の折りかたの図を、提供した。
ブース担当者ではなかったのでちょっと顔を出しただけだったけれど、こどもたちがたのしそうに折ってくれていた。

『日本児童遊戯集』と『Cassell's book of sports and pastimes』2012/10/29 22:49

『日本児童遊戯集』から
先日、第53回神田古本まつりに行って来た。いくつか収穫があったが、そのうちのひとつが、『日本児童遊戯集』(大田才次郎)(東洋文庫の復刻版)だった。このブログでも参照したことのある本だが、ワゴンセールで美本を廉価で購入した。

これをパラパラとめくっていると、「とんび」という項目で、いまでいう紙飛行機が掲載されていることに気づいた。知るひとぞ知る話だったようだが(たとえば、「趣味際的模型航空」)、わたしは今回初めて知った。

ここでまず興味深いのが、『日本児童遊戯集』の原著が出版された年である。明治三十四年(1901年)なのである。ライト兄弟の初飛行(1903)よりも前で、森鴎外が『小倉日記』の中で、「飛行機」という言葉を初めて使ったのと同じ年なのである。「紙飛行機」という名前ではなく、「とんび」という名前なのは、さもありなんなのである。

なお、紙飛行機の起源に関しては、20世紀よりも前に、「Paper Darts」というものがあったことが知られている。たとえば、1882年の『Cassell's book of sports and pastimes』という本に、はっきりとした図がある。この本も今回初めてちゃんと見たのだが、ほかに、Paper Bellows, Paper Boat, Paper Boxes, Paper Chinese Junk, Paper Hat, Paper Parachute, Paper Purseが載っていて(813ページから)、折り紙の歴史資料としてきわめて興味深い。

明治期に西洋から伝わった「折り紙」は多いので、「とんび」も、そのひとつ(くちばしをつけたのは日本での改変か?)である可能性は高い。

さて。これをじっさいに折ってみたのだが、展開図も完成図も正確な描写とは思えず、頭をひねった。以下の説明もわかりにくいが、上掲写真のような、くちばしつきの「やり飛行機」であろうと解釈した。これは、よく飛ぶ。
製法は長方形なる一方を折り、その折りたる両端を又内方に折り、その尖端を二折して嘴を作り、その折れ込まざる方に半折して、再びその脊髄に当れる所より両方に同じ折り返しをなす。このとんびを高処より投下せば急に落下せず、いと興あり。

また、「郵書投げ」という遊びも興味深い。(上掲写真参照)
近年流行の遊戯にして、郵書投げと云えり。その法は紙を、かくの如く畳み折りて、向いに矢の如く投じ、その間数の遠きに達するを勝とす。
(東洋文庫の復刻版では、仮名遣いは新かなになっているので、それにしたがった)