『算法身之加減』は出版されなかった本で、渡辺の没後130年、いまから40年ぐらい前に、佐久間の蔵書の中で「原著」が発見され、福島県和算研究保存会によって1977年に復刻されたものである。元の本も幻の本であったが、復刻版も100部余りなので、入手は困難である。つい最近、神保町の古書店のガラスケースの中にあることも見つけたのだが、かなり高い値がついていて、手がでなかった。デジタル化されているという情報もない。そこで、一番ゆっくり閲覧できそうな福島県立図書館に行って確認した、というわけである。
この折鶴の計算問題については、まだまだ面白いことがありそうだと思っている。なお、11月刊行予定の『折紙探偵団 136号』の『折形算法散歩』でおもに扱ったのは、この問題にも関連する、千葉県の算額に関してである。
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福島に向かう新幹線では、
『戊辰算学戦記』(金重明)という、和算に戊辰戦争をからめた小説を読んだ。新刊書籍では入手困難になっているのだが、この機会にどうしても読みたくなって、古書店で購入した。主人公は、フランス人から西洋数学を学んだ、二本松藩出身の幕軍の部隊長で、駐屯先の越後で、和算家と交流するという設定である。
じっさいの戦場でも、数学の問題を考えていた兵士はいたのだろうな、とも思った。塹壕の中で『論理哲学論考』を書いていた哲学者・ウィトゲンシュタインのように。なお、戊辰戦争と算学者の史実では、次のようなものがある。
渡辺一の曾孫・木村銃太郎:算術に秀でていたが、二本松藩の二本松少年隊の隊長として22歳で戦死した。一関の算学者千葉胤秀の孫・千葉量七:算学者であったが、刈和野の奪回戦において25歳で戦死した。
『算法身之加減』を持っていた佐久間纉も三春藩の藩士で、歴史の激流に揉まれたはずのひとである。しかし、影響がないはずはないのに、彼の伝記的事実をざっと追っただけでは、それはまったく見えない。このような時代で、佐久間は、数学や詩歌に平常心で打ち込んでいたように見える。不思議なほど穏やかに見えるのだ。和算から洋算という激動もあったわけだが、維新後につくった算学塾でも、多くの門人を育てている。
というように、社会や時代と個人の距離のとりかたというのも、ひとし並みではない…などと考えた旅でもあった。こんなことを考えたのは、福島の市内を歩き、穏やかなふつうの暮らしを感じたことも大きい。
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