幾何学的形態と構成主義2008/05/11 00:26

パリ-CDG
 パリでは、美術館を数館観て歩いたが、ポンピドゥーセンターにあったアントワーヌ・ペヴスナーの彫刻作品が、わたしの好みにドンピシャだった。どこかで観たことはあるように思うのだが、まとまった数を観たのは初めてだし、名前として記憶されていなかった。(作品は、例えばここ
 ペヴスナーはロシア生まれでフランスで活動した、いわゆるロシア構成主義の彫刻家である。付け焼き刃の知識で教科書的に言えば、ロシア構成主義というのは、幾何学的形態と、具体的なモデルのなさ、そして、絵画よりも彫刻において活動的だった美術運動である。
 話は跳ぶようだが、幾何学的形態と言えば、パリとCDG空港を結ぶ路線の車両内のポール(写真)が面白かった。途中で3本に分かれているのである(天井ではまた1本になる)。パリジャンにとっては当たり前、そうでないひとも感激したりはしないだろうが、これは、幾何学と機能が融合した優れたデザインである。むろん、ここで重要なのは機能だが、こうしたかたちから、機能、または対象性(≠対称性)を拭い去ると構成主義彫刻になるのかもしれない。まあ、車両のポールは単純すぎるけれど、こうした幾何学的形態からさらに素材を拭い去ると数学やパズルになる。そこまで抽象化しても、「美」はある。むしろ際立つのではないかと思うことがある。アントワーヌ・ペヴスナーや堀内正和さんの彫刻はそれに近い。
 一般に幾何学的といわれる美術であっても、たとえば、パウル・クレーの作品は、色彩や素材なくして語れない。クレーの作品の魅力が、ある種の隠れた論理性や幾何学性にあるのはたしかだとしても、素材感とゆらぎ、微妙な言い方だが「手作り感」は不可欠である。美術の主流はそういうものだとも思う。
 だが、わたしがほんとうに好きなものは、色彩はともかく、素材までも捨象・抽象化することが可能な作品なのかもしれないと思うことがある。わたしは、いわゆる芸術の美しさよりパズルの美しさに惹かれることがある。詩的に言えば、目を閉じて観る作品と言えなくもない。ものは必要ないのである。数式のような数学的風景を一番美しいと思うのがわたしの性向なのかもしれない。ただし、それは数学の才能がありさえすればということなのだが、残念ながらわたしにはそんな数学の才能はない。そうしたものにわずかに触れた、と思うことがあるだけである。
 …また小難しい話を書いてしまった。