朝ドラの話など2018/04/27 21:03

第十二話が、明日4月28日、22:45-23:00に放送される。
博士役の滝藤賢一さんは、朝ドラ『半分、青い。』にも出演中で、その宣伝もあってか、今朝のインタビュー番組にもでていた。その中に、自宅で折り紙を折るシーンがあったが、画面にちらっと映った図はわたしのものだった。滝藤さんは、作中で折るモデルをきちんとマスターする勉強家なのである。

◆朝ドラの話
その朝ドラの高校生の部屋に、大十二面体と小星型十二面体が置いてある。このモデル、色が同一面で同じになっている。よくできている。

大十二面体は12個の正五角形、小星型十二面体は12個の五芒星が、対称的に交差してできた多面体である。しかし、できあがったかたちは、60個の三角形の面が見え、交差した面はわかりにくい。面の交差という構造を示すためには、色分けを使うとよいのだ。
大十二面体と小星型十二面体

大十二面体のモデルは、拙著『折る幾何学』にも載っている。ただし、「大十二面体外殻」として、名前には「外殻」をつけた。これは、やはり、面の交差にはなっていないからである。内部の面はないのだ。ただ、やや変わった対称性を用いたので、面白いモデルになったと自負している。「『折る幾何学』型紙選集」にもはいっているので、パズルとしてどうぞ。

また、この朝ドラの主人公の少女は、片耳が聞こえない。じつは、親戚にも同じ障碍のひとがいる。視力低下によって幻覚が見えるシャルル・ボネ症候群というものがあるが、それの聴覚版の、聴覚性シャルル・ボネ症候群なるものもあって、幻聴として、音楽が聞こえたりもするらしい。親戚の女性も、小さいころ、いわゆる霊感が強いと言われていたという。なお、彼女は、長じて耳鼻科の医師になった。

姫路科学館の「火星儀」工作の詳細2018/04/24 12:35

ひとつ前の記事に書いた姫路科学館のイベントの詳細です。
・場所:姫路科学館
・内容:折り紙技法による火星儀製作
・日程:4月28日、5月6日、それぞれ13:10と14:30の2回
・各回先着10名、開館時から先着順、参加費無料
・図版製作:安田岳志@姫路科学館、図版協力:前川淳
(なお、わたしは、残念ながら現地にはいません)

ひとつ前の記事の写真の火星儀は、NASAのバイキングのデータによるものだが、惑星気象科学の先駆者・宮本正太郎さん(1912-1992)による「宮本火星儀」を元にしたバージョンもある(写真下)。1964年のマリナー4号に始まる飛翔体観測より前の、地上という井戸の底からしか観測ができなかった時代のものだが、なんというか、とても「火星らしい」。極冠(北極と南極にある氷結した二酸化炭素と水)は地上からも白く見えるのにそう描いていないが、これは、季節変化があるためだろう。
火星儀(宮本正太郎版)

上の写真で、火星儀の下にあるのは、『宮本正太郎論文集』の『The Great Yellow Cloud and The Atmosphere of Mars』(1957)という論文である。1956年に発生した大黄雲(大規模な砂嵐)の観測を記したものだ。大黄雲は、地球から観測される火星全体がぼんやりとなってしまうほどの巨大な大気現象で、10-20年に1度ぐらいに起きている。前兆現象は捕えられるが、カオス的な現象なので、予測は困難だという。

おしらせなど2018/04/16 21:39

4/22(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:鯉のぼり他
鯉のぼり

先日来、『嬉遊笑覧』(1830)を読んでいたのは、ふと、鯉のぼりの起源も気になったからであった。同書(持っている巻だけだが)には、「絵のぼり」、「風流(ふりゅう)」の記述はあったが、鯉のぼりに関しては記されていなかった。鯉のぼりは、広重の『名所江戸百景』(1856-1858)の『水道橋駿河台』に描かれているので、徳川時代からあったのはたしかだが、幕末になってからの流行のようだ。

鯉のぼりに関してもうひとつ気になるのは、「この下に子供がいます鯉のぼり」という句がよいなあと思った記憶があるのだけれど、誰の句かどこで読んだのかも思い出せず、ネットの検索にもかからないことである。

◆自己相似的国会議事堂
自己相似的国会議事堂
以前から、国会議事堂の中央の屋根が入れ子的構造的な造形だなあと思っていた。じっさいは、小さな塔のようなものが塔の上にあるだけだが、きっちり自己相似図形にしたものを描いてみた。

この相似形と無限小への収斂は、政府が国民の合わせ鏡であることを暗示するようにも、超国家主義における「中心からの価値の無限の流出」(丸山眞男)の象徴のようにも見える。...というのは、考えすぎである。

宝井其角は折鶴を折ったか?2018/04/15 22:00

江戸時代後期の考証随筆・『嬉遊笑覧』(1830、喜多村イン庭:インは竹かんむりに平均の均)には、折り紙に関することも書いてあるが、中にはこれは変だよねという話もある。何度か読んだ箇所なのだが、先日あらためて見て、以下の記述が気になった。この部分が詳しく話題になったことはないと思うので、考察を記しておく。

その記述とは、以下である。
『五元集拾遺』に、聖代を仰ける句とて、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」といへり。春の設の提子など飾る料なるべし。
(『五元集拾遺』に、古きよき世に向けた句として、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」とある。新春のしつらえの酒注ぎなどの飾りであろう)
『嬉遊笑覧』巻六の下)

『五元集』(1747)は、蕉門の高弟、宝井(榎本)其角(1661-1707)の句集である。『嬉遊笑覧』では、この句に関して、折鶴と雄蝶雌蝶のような飾りを結びつけているわけだ。しかし、これはいかにも強引で、よくわからない話である。

句自体、解釈が難しい。『嬉遊笑覧』の記述にあるように、この句には、「聖代」という題がついている。上古のことを指すのか、「聖代」と「鶴折りて」に引っ張られて、わたしの解釈は迷走した。
聖代
鶴折りて日こそ多きに大晦日

国文関係で困ったときは、岡村昌夫さん、ということで氏に確認してみた。すると、やはり『嬉遊笑覧』の解釈はこじつけだろうね、という話になった。

句意に関しては、以前、高木智さんが、「鶴折りて」は「鶴降りて」なのではないかと言っていましたね、という指摘もあった。たしかにそれならば、「鶴が舞い降りてきた。(一年は三百何十日あるのに)この大晦日に」という内容で、わかりやすい。「聖代」は、正月を前にして、単に、ありがたい平安な世の中ということと考えればよいのだろうと、納得した。

しかしである。『嬉遊笑覧』のみならず、引用元の『五元集拾遺』(1747)の原本をあたると、そこには、しっかり「鶴折りて」と「折」の字が書いてあるのだった。原本は、たとえば、早稲田大学のデジタルライブラリーにある。 『五元集』は、其角自撰の句集で、もとが仮名であっても、「降りて」は、「おりて」であり、「折りて」は「をりて」なので、間違う可能性は低いのではないかと思えた。

そこで、これは、「降りて」でもなく「折りて」でもなく、「居りて」なのではないかと考えた。「居りて」なら「をりて」なので、元が仮名で書いてあったのなら、「折りて」に誤りやすいのではないか。自撰といっても、其角没後40年経っての編纂であり、印刻までには何人もの手がはいっている。

つまりこれは、「鶴がいるよ。ちょうどこの大晦日に」という句なのではないか。舞い降りたのと似ているが、ふと見ると鶴がいたというのは、より現実的で自然な驚きがある。こう考えると、下の、其角の別の句にも通じる、情景が見える句となるように思えた。
日の春をさすがに鶴の歩み哉 其角
(春の陽射しの中、やっぱり鶴が(鶴らしくゆっくりと)歩いているねえ)

以上のような思いつきを、あらためて岡村さんに伝えると、「居る」はおもにひとに使われる語で、当時の仮名遣いも、国学の偉いさんを除けばけっこう自由ですよという指摘があった。また、「居りて」の可能性も高木さんが指摘していたとのことであった。

岡村さん、高木さん、折り紙研究の先達、瞻仰すべし。其角の仮名遣いが正しくても編者が間違えたということもありそうで、「降りて」にせよ「居りて」にせよ、この句は折鶴を表した句ではなく、誤って伝わったのではないか、というのは、かなりもっともらしく思えた。

其角は西鶴と交流があったという。西鶴の『好色一代男』中に、「折りすゑ」の「比翼の鳥」も出てくるので、其角も折鶴を折ることができた可能性もあるかもなあ、とも思うのだが、「鶴折りて」では、どうにも句柄がはっきりしない。

というわけで、わたしのとりあえずの結論は、「其角は折り鶴を折っていなさそう」である。仮説の二段重ねになるが、この解釈を正しいとすれば、1700年代半ばになると、「鶴をりて」(または「鶴おりて」)は、「鶴居りて」や「鶴降りて」よりも「鶴折りて」と解釈されやすいほどに、折鶴が普及していた、ということも言えそうだ。

そもそも江戸市中に鶴がいたのかという話だが、江戸には丹頂鶴もいたし、鴇(とき)もいた。たとえば、広重の『名所江戸百景』『蓑輪金杉三河しま』にも丹頂鶴が描かれている。鶴は、ありがたい瑞鳥でありながら、案外身近にいたのだ。現代になっても、長野県の野辺山の矢出原湿原には、昭和四十年代まで、毎年丹頂鶴の飛来があったという話もある(八ヶ岳 自然いっぱい情報誌 『だたら八つ』2010年秋冬号)。

###
其角といえば、最近読んだミステリ小説『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(田中啓文)の第二話は、正岡子規がホームズ役に、高浜虚子がワトソン役になって、芭蕉の死の真相を解明するという趣向で、其角の句も謎解きに関係している、面白い話だった。

昨日、某会議出席のついで、神保町に寄る時間があったので、4月10日にオープンした「神保町ブックセンター」をのぞいた。以前岩波ブックセンターがあったあとにできた、岩波の本を揃えた書店・喫茶である。岩波文庫の『嬉遊笑覧』に持ってない巻があったので、あれば買おうと思ったこともある。しかし、岩波の本を揃えているこの書店にも、それはなかった。まあ、出版社自体のサイトにも「品切れ」とあるのでしかたがない。というわけで、頭の中が岩波文庫の黄色背表紙の探索モードになったので、近くの古書店の安売りワゴンものぞいた。すると、『徘家奇人談 続徘家奇人談』(竹内玄玄一)というものがあったので、これを求めた。昨晩はそれをぱらぱら読んでいたのだが、これがかなり面白い。岡村不卜というひとの項にあった其角の以下の句は、ちょうど今の季節のものである。
桜ちる弥生五日は忘れまじ 其角

太陽暦にずらして四月にして、かつ現代語にして、「さくら散る4月5日を忘れない」とすると、俵万智さんの短歌というか、Jポップの趣きになる。

桜といえば、先週、山梨県北杜市大泉町の谷戸城跡の桜が満開だった。東京と標高が800mほど違うので、2週ほど遅れるのだ。
谷戸城址の富士と桜

桜の話になったところで、すばらしい現代俳句もふたつ紹介しておこう。
想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子
花よ花よと老若男女歳をとる 池田澄子

後者は、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった以下の句と並べても面白い。
死にさうな人ひとりなし花の山 祇徳

言うまでもなく、西行の歌をしたじきにしている。とは言いつつ、ここに詠まれたひとは、みんな死んでしまったのである。上の写真には富士も写っているが、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった富士の句では、季が違うが、以下がすばらしい。
によつぽりと秋の空なる冨士の山 鬼貫
にょっぽり!

如月の望月2018/03/31 10:11

如月の望月

願がはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 西行

昨日は、まさに如月の望月(太陰太陽暦二月十五日)で、桜も満開であった。

ただし、これはたまたまである。気候変動で桜の開花時期が往時と異なる、ということが言いたいのではない。西行(1118-1190)の生きた12世紀は、北半球中緯度の多くの地域が「中世の温暖期」と呼ばれる気候であったと言われる。屋久島の杉の年輪からもわかるようで、案外暖かった時期のようなのだ。温暖化が進む現在よりは平均気温は低いと推定されるし、桜の種類にもよるのだろうが、当時の桜の開花時期が、彼が晩年に住んだ畿内や四国、紀伊において、三月下旬から四月であったとすること自体は、妥当と思われる。

問題は暦である。如月の望月を、ざっくり「現在の三月中旬以降の満月の日」と書いてある解説も多いのだが、太陰太陽暦二月十五日は、三月上旬から中旬となることほうが多い。今年は珍しいほうなのだ。

以下、ここ10年間の、如月の望月の太陽暦をあげておく。
2011 3/19、2012 3/7、2013 3/26、2014 3/15、2015 4/3、2016 3/23、2017 3/12、2018 3/30、2019 3/21、2020 3/9

月の朔望による12カ月は354日と少しなので、太陰太陽暦、いわゆる旧暦では、ほぼ3年ごとに13カ月とすることで、月と季節のずれを合わせることになる。どこに閏月をいれるかは、(天保暦などでは)太陽運行で決まる二十四節気が月に合うように決められる。以上のようなことで、閏月がはいった翌年の二月十五日は、三月下旬から四月上旬の桜の開花時期に合いやすいが、そうではない年のほうが多くなる。じっさい、桜は如月の花とはされていない。花札でも桜は二月ではなく、三月(弥生)の花である。三月には花見月の別名もある。

では、西行はなぜ「如月の望月」と詠んだのか。まずは、この日が釈迦の入滅日でもあるためであるのは間違いない。ならば、花はこの歌にとってただの脇役なのか。「ころ」という言葉で幅を持たせて、無理に結びつけたのか。開花日とのずれから、花を梅とする解釈もあるという。しかし、万葉の時代なら花は梅だったかもしれないが、これはやはり桜に違いない。この歌が月光と桜の歌でないと、納得できないひとは多いはずだ。

重要なのは、如月の望月(二月十五日)が桜の開花時期に合う年もあるということだ。それは数年に一回の周期で訪れる。そして、むしろ、数年に一回訪れることを、時の繰り返しの中のたゆたいの妙と見て、それもまた、この歌の歌柄(うたがら)とすべきではないのか。

この歌は晩年の作とされる。1176年、1184年、1187年、1190年が、1184年の閏二月を含めて、如月の望月が桜の開花時期(三月末から四月頭)にあたる年だ。そして、西行が没したのは、まさにこれに含まれる1190年、如月の望月の翌日、如月の十六夜であった。828 年前の三月末、河内の国に桜は咲いていたにちがいない。

西行忌は、じっさいの忌日より一日前の二月十五日とされている。前日でもよいのだが、わたしはこれを、太陰太陽暦二月十五日が二十四節気春分の次候「桜始開(サクラハジメテサク)」過ぎになる年のみにすべきと考える。数年に一回の忌日である。次は2021年3月27日だ。

ちとせ前花のもとにて公逝けりかの如月のいざよいのころ

『数学セミナー』のツイッターアイコンなど2018/03/28 21:32

第11話が3月31日22:45-23:00に放映。なんと、4月以降も継続である。

繁体漢字版の『折る幾何学』である『摺紙幾何學』が出版間近だ。簡体漢字版も出る予定である。ふつうの折り紙の本ほど売れないと思われるのは、著者としてやや心苦しいが、類書は少ないので出版する意味はある(はずだ)。台湾や中国のひとで、ここを読んでいるひとはいないと思うけれど、よろしく。

台湾のネット書店にある著者紹介などの記述は、漢字文化圏の者として意味がわかるのだが、「白髪三千丈」的な誇張した表現のように見えてしまう。「ソフトウェア技術者」を「軟體工程師」と書くのも面白い。ウェルズの火星人やヨガの先生を思い浮かべてしまった。

『数学セミナー』のツイッターのツイッターのアイコンに、日本評論社のマークのパロディーとしてつくった「折紙評論社」のマーク(『折る幾何学』に掲載)を使わせてくださいという話がきたので、快諾した。『数学セミナー』では「数学短歌の時間」という連載が始まっていて、わたしも何首か投稿した。

◆世相からフィクションを連想する癖
ニュースで見る役人のあれこれから、例によって、太宰の『家庭の幸福』を連想したが、松本清張氏の小説世界のようでもある。

かわいそうなのは、その下で忠勤を励んで踏台にされた下僚どもです。上役に目をかけられていると思うと、どんなに利用されても感奮しますからね。(『点と線』)

ステロタイプな描写だとも思うのだが、どうやら現実もこんな感じらしいのでおそろしい。

ちなみに、いま手元にある古い『点と線』には、青函連絡船の乗船カードがはさまっている(若干のネタバレ)。これを読んだとき、北海道旅行に行くという兄に頼んで入手したもので、いまやこれ自体が貴重なものかもしれない。
『点と線』

あらためて読むと、「下僚ども」という表現もなかなか強烈で、ゴーゴリの『外套』を思い出した。『外套』の主人公である、風采の上がらない下級官吏アカーキイ・アカーキエウィッチは、凡中の凡たる人物として造形されているが、文書清書係のアカーキイがふとしたことから秘密を知ってしまう、巻き込まれ型サスペンス『清張風 外套』なんてどうだろう。

凡中の凡と書いたが、学生時代にこれを読んだとき、徹底的に冴えないアカーキイ・アカーキエウィッチには、身につまされ共感したのみならず、見習うべきなのではないかとも思った。彼は、定職を持っているし、それが心から好きで、なにより正直なのだ。彼が正直たりうるのは、孤独で、守るべきものが彼自身だけだったからでもあるが、その正直さには曇りがない。物語の冒頭近くで若い同僚を変えるのも、この美点によるものだ。

◆善管注意義務
『外套』のアカーキイ・アカーキエウィッチの正直さは「善良」と言い換えることもできる。この「善良」なる言葉が、法律用語にも出てくることを知って、へぇと思ったことがある。「善良な管理者の注意義務」、略して「善管注意義務」である。民法400条などに出てくるもので、一般的なモラルを意味する概念らしい。民法400条を巡って「善とは何か」を争う、西田哲学みたいな裁判があったりしたら面白い。

内村鑑三と富士山と漱石2018/03/21 13:51

長野山梨県境は大雪である。
ここしばらく、さまざまの案件で呻吟していたが、それもいくつかを残してやっつけ(やっつけられて)、今日は久しぶりのなにもない(ないことにした)休日である。忙しい忙しいというその合間にも、さまざま逃避していたのではあるが。

『内村鑑三 悲しみの使徒』(若松英輔)を読んだ。これを読んだのは、1年近く前に鑑三を読んでいた関心の延長である。そのころなぜ鑑三を読んでいたかというと、『大辞林(三版)』の「扶翼(ふよく)」の引用文献がおかしいことに気づき、それを確認するためだった。その誤りに関しては、出版社の問い合わせフォームからも報せたのだが、何ヶ月もたっても返事がなかったので(うまく届いていないだけなのかもしれないが)、ここに書いてしまうこととする。

誤りは、「扶翼」の項の引用に、「天壌無窮の皇運を-する/求安録 鑑三)とあったことだ。これは、ほとんど悪い冗談に思えた。この文言は言うまでもなく、『教育勅語』(1890)のそれで、『求安録』(1893)にその引用があったとしても、引用の引用である。辞書は通常二次引用はしない。これを確認するために、『求安録』全文を確認し、その関連文献も読んだわけである。結果、この言葉自体が見あたらなかった。見落としがあるかもしれないが、国会図書館のデジタルコレクションにある初版をはじめとして、かなり綿密に見たので、まず間違いない。

鑑三と『教育勅語』と言えば、いわゆる「不敬事件」である。その経緯は以下だ。

『教育勅語』が渙発(公布)された翌年(1891年)、第一高等中学校の嘱託教員だった鑑三が、それに向かって最敬礼していない(礼はしていたらしい)として、同僚や生徒、そして新聞等で責められ、教員を辞することになった。非難の十字砲火を浴び、今でいう炎上となり、騒動中に病気となった妻も亡くし、彼はほとんど放浪の身となった。『求安録』はそのような中で書かれた信仰の書である。

彼への批判が苛烈となったのは、彼がキリスト者という、日本社会の異分子だったことが大きな理由だろうが、彼を取り囲んだ批判者が、皇威を借りて批判を拡大し、インテリを引き摺り下ろす感情に走ったことも大きかったと思われる。丸山眞男氏が「超国家主義」を論じて「倫理の内面化が行われぬために、それは絶えず権力化への衝動を持っている」とした分析(『超国家主義の論理と心理』)にあてはまる例だ。それは、全国津々浦々の学校で、勅語と真影が奉安殿という祠に納められ、日々子供たちがそれを拝礼するようになってゆく前史にあたる。

それから約10年後、鑑三は、こんなことを書いている。
余は明治政府を戴く日本の今日の社會とは縁の至て薄い者である。余は彼等とは主義、方針、目的、道徳、信仰を全く異にする者であつて、彼らの利害は余の利害ではなく、彼らの歓喜は反て余の悲痛である。余は陣を敵地に張るの心を以て彼らの中に棲息する者である。(略)余はその政府を嫌ひその貴族を嫌ひ、その議会と政治家とを嫌ひ、その教育家と哲学者と文學博士とを嫌ひ、その僧侶と神主と牧師と宣教師とを嫌ひ、その文學と技術と宗教と實業とを嫌ふ者である。
『よろづ短信』『余の従事しつゝある社會改良事業』、1901年、内村鑑三)

これほどまでに明治日本の体制を嫌いながら、鑑三は日本への愛着は捨てられない。
教育界を逐はれたる余は日本に於いて全く無要の人間となつた。この事を聞いたる米國の余の友人(宣教師ではない)は、余のために非常に心配して交々(こもごも)書を寄せて余に彼國への移住を促し來たつた。余も亦た思ふた、日本計りが世界ではない、亦た日本人計りが人類ではない(略)然し、余は終に富士山の聳ゆる日本國を捨てることが出來なかつた。(略)余もまた愚鈍なる感情家である。
(同上)

日本への愛着の象徴のひとつが富士山なのである。こんなことも書いている。
余は日本國の山を愛し、河を愛し、その谷を愛する。秋いたる毎にその富士山が新たなる純白の肩掛(ショール)を着けたときの風情は天が下に二つとない姿である。
(同上)

単なる修辞とは思えない富士山好きが、なんだか微笑ましい。富士山すごいな。

これらを読んで持った感想のひとつは、漱石もこうした鑑三の言葉を読んでいたのだろうな、ということである。わたしの中で、鑑三と、『三四郎』(1908)の廣田先生が重なったからだ。廣田先生のモデルは一高教師の岩元禎とも言われているが、鑑三をシニカルにしたひとしての廣田先生が頭に浮かんだ。
..あれより外に自慢するものは何もない。ところが其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が拵へたものぢやない」と云つてまたにやにや笑つてゐる。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢ふとは思いも寄らなかつた。どうも日本人ぢやない樣な氣がする。
「然し是からは日本も段然発展するでせう」と瓣護した。すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云つた。
『三四郎』、1908年、夏目漱石)

日露戦争と言えば、鑑三は日露戦争にあたっての非戦論でも知られる。
小生は日露開戦に同意することを以て日本國の滅亡に同意することゝ確信いたし候。
(『よろづ短信』『朝報社退社に際し涙香兄に贈りし覺書』、1903年、内村鑑三)

日露戦争後にこれらの文を一書にまとめたときの前書きには以下のような言葉がある。
此書に載する所の余の痛罵の言を赦せよ、而して日本の將來をして全然余の言に反する者たらしめ、此小著をして、永く余の恥辱として存しせめよ。
(『よろづ短信』『自序第二』、1908年、内村鑑三)

漱石そのひとのみならず、当時の読者の多くも、廣田先生と鑑三を重ねていたのではないだろうか。

わたしの頭には「無神論者の内村鑑三としての廣田先生」というフレーズも頭をかすめた。まあ、さすがにその表現は逸脱である。

カナヘビとか2018/03/05 23:15

◆ヤバイものを見た。
「やばい」「ああそうかい」
「やばい」 「ああそうかい」

★燃える雪
平昌オリンピックのメインスタジアムが正五角形で、さらに、雪の結晶的な映像まで正五角形であるのを見て、「これ」を思い出した。

◆和算をあつかった小説
和算をあつかった書き下ろしの小説を、日をおかずに読んだ。ブームなのか?

『算額タイムトンネル』(向井湘吾)
じつは、あまり期待せずに読み始めたのだが(向井さん、ごめんなさい)、考証や設定でぎりぎりにそれらしいところをついてきて、読み進むにしたがって、これはいいぞ、となった。折鶴を扱った問題もちらりとでてきてニヤリである。和算を扱ったフィクションには、考証を完全に捨て去っているものもあるが、この小説ではそうしたことは感じず、扱っている題材が、作者にとってただの借りてきたネタではないことが伝わった。なお、本書は、題名からはそれとわからない前後編の前編である。

『茜空 - 大江戸算法純情伝(1)』(山根誠司)
登場人物の性格づけが現代人的かなと思ったが、逆にそれもあってか、読みやすい話になっている。数学史(和算史)的な興味では、零約術 (無理数の有理数近似)の扱いが面白かった。主人公の新助の着想を、帰納法的なアプローチとして、建部賢弘に感心させている。

ちなみに、建部の零約術は、連分数展開に相当するものとしてまとめられたはずだが、ここでの、√73の「解答」である1068/125は、連分数からの値とは違っている。これもちょっと面白い。√73の連分数は、[8; 1, 1, 5, 5, 1, 1, 16]で、1...16が循環するかたちになる(二次の無理数は必ず循環する連分数になる)。循環の前までで計算すると17669/2068、その前の1までで計算すると、2008/235、その前では487/57である。1068/125は、2008/235より精度がよい。

いずれにせよ、『算額タイムトンネル』と同様、作者の和算好きが伝わる物語だ。
と思ったら、著者は、ブルーバックスの和算の本を書いているひとなのであった。
その本(『算法勝負!「江戸の数学」に挑戦』)も以前ざっと読んだが、そこでも折鶴の問題がとりあげられていた。史実における折鶴の問題は、最上流の渡辺一によるもので、関や建部が活躍していた時代よりややあとになるのだが、17世紀末なら折鶴が普及していたとして無理はなく、お話としては許容範囲なので、続編では、折鶴の問題がでてくるかもしれない。

◆ドラえもん
先週、強風と湿った雪で、駐車スペースの上のカラマツの枝が折れ、フロントグラスにヒビがはいるなど、車が破損した。そして、レンタカーを借りたら、同じ車種で色が黄色から青色のものになった。この話を聞いた近所の少年が「ドラえもんみたいだ」と言った。別ストーリーがいくつかあるようだが、もともと黄色だったドラえもんが、ネズミに耳をかじられて青ざめたという話があるのだ。わたしの車は、カラマツに窓を割られて青ざめたのである。じっさいに青ざめたのはわたしだが。

◆折紙探偵団関西コンベンション
3/3-3/4の折紙探偵団関西コンベンションに、3/3だけ参加した。朝5時前に家を出て、日が変わって帰宅するという強行軍となった。講習したのはカナヘビ(尾の長いトカゲ)である。特別な工夫はない作品だが、無理なくかたちができるので、講習の前に何度か折るたびに、好きな作品になっていった。窓にはりつけて写真を撮ってみた。はりついていると、カナヘビというよりヤモリで、ヤモリにしては尾が長すぎる。
カナヘビ

ダイヤモンド格子連鶴(南 樹)
展示作品の南さんの「ダイヤモンド格子連鶴」。この展開図はどうなっているのか?

3/2の移動の新幹線ではダン・ブラウンさんの『オリジン』を読んだ。登場人物のカーシュは、リチャード・ドーキンス氏やケヴィン・ケリー氏(『Wired』や『テクニウム』のひと)が憑依している人物であった。いつもどおりの「観光案内つきクリフハンガー(連続活劇)」なのだが、「強い無神論者」の主張を扱うなんて、肝が座っているなあ、映画化たいへんなんじゃないか、などと。

で、『オリジン』は、ロバート・ラングドン教授だけれど、以下は、ロバート・ラング博士である。
"Twists, Tilings, and Tessellations"

数日前に、彼の『Twists, Tilings, and Tessellations』が届いた。題名のとおり、テセレーション(連続模様)の折り紙をメインテーマに、その設計法を記した分厚い本である。テセレーション的な折り目の造形への応用として、わたしの孔雀が載っているほか、平坦折りの定理の話などが関係している。

お知らせなど2018/02/21 22:57

◆折り紙教室@府中
2/25(日)13:00-15:00
作品:雛人形(シンプルな新作)
雛人形(シンプル)

2/23(金)21:00-23:00 日本TV系
『数学セミナー』の連載でお世話になった編集者のI氏が、数式を書くシーンなどで協力したというので紹介しておきたい。数学者・岡潔さんと妻のみちさんのドラマである。

岡潔氏は天才だが、わたしの偶像(アイドル)かというと、すこし違う。以前、小林秀雄氏との対話などを読んで、なんというか、「敬してこれを遠ざく」という思いを持った。

2/24(土)22:45-23:00 第10話 NHK-Eテレ

◆鶴と兜
金子兜太さんの訃報に接し、折り紙者として、『米寿快談 俳句・短歌・いのち』という本のカバーを思い出した。金子兜太さんと鶴見和子さんの対談で、折り紙の兜と折鶴が並んでいるのだ。装幀が誰かは、手元に本がないので不明である。

◆本歌取り
『短歌タイムカプセル』(東直子、佐藤弓生、千葉聡 編)を読んでいたら、こんな歌があった。

おりがみを折るしか能のないやつに足の先から折られはじめる 吉岡太朗

妻に見せると、「失礼ね」と言った。言葉の強さに反応したのだろうが、(だいたいにおいて)わたしの味方である彼女が失礼と思ったということは、わたしがおりがみを折るしか能のない者で、それを「やつ」と表現されたためか、と考えた。わたしは、僅かでも、ひとつでも、才能のようなものがあったのなら御の字だと思うし、この歌には不思議な味があるので、失礼とは思わなかったのだが、せっかくなので(?)、本歌取りしてみた。

みじかうた詠むしか能のないやつに頭の上から言葉の箍締め

最後は「たがじめ」。そのままなぞってみたら、やっぱりきつい言葉のような気も。

昨日はありし声音2018/02/20 21:21

父が亡くなって、1ヶ月が過ぎた。父は、晩年になって折り紙に関心を示し、折ったものを近所の小さい子供に配っていたりしていた。

下の写真には、西川誠司さんのサンタクロースや、布施知子さんの鶴と亀などが見える。「お前のものは難しすぎるのが多い」と言っていたが、飾り兜は気にいっていたようで、素直にうれしかった。棺には折り紙の花をいれた。
父が折った折り紙

客観的に見れば、わたしは、だれにでもある喪失を恵まれたかたちでむかえた、ということなのだろう。しかし、こうした喪失は、客観とはかけ離れた、私的なことである。そして、こういう場所に記すことでもないようにも思える。それでも、折り紙のことなので、すこしだけ書いてみた。関東甲信越に雪が降った日で、その雪は、東京には珍しく、しばらく溶け残っていた。

この雪に昨日はありし声音かな (前田普羅)

俳人・前田普羅(ふら)氏が妻を亡くした翌日の句だという。その命日は父のそれと同じ日だった。ただの偶然だが、思いがけない一致は、文芸のありがたみのひとつかもしれない。

雪といえば、先週末、北海道大学に用事があって、札幌に行っていた。長野の松本空港から飛んだのだが、空から見る北日本は、雪に埋もれていた。

雪積む家々人が居るとは限らない(池田澄子)

三好達治氏の詩『 雪』(太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。) を「本歌」にした、ごもっともという句だが、坂口安吾が「文学のふるさと」だとした、「突き放した」「アモラル(超道徳)」も感じさせる。