『ダブル・ダブルスター』など2021/09/27 19:26

著者の穂高明さんから『ダブル・ダブルスター』をご恵贈いただいた。中学一年の少年と彼と引き離された母の物語。揺れ動く心情が丁寧に描かれている。

タイトルのダブル・ダブルスターは、二重星がさらに二重になる多重星・「こと座のε星」のことである。穂高さんの描く地上と天界の対比には、『夜明けのカノープス』でもそうだったが、天文への深い思いがある。作中、野辺山宇宙電波観測所の特別公開と同観測所の予算削減の窮状も話題になっていて、ひとごとでない。折り紙もちらりと登場する。

 広海と別れたあと、真知子と怜は広海から勧められた、階下で開かれている折り紙教室のコーナーに向かった。電波望遠鏡を銀色の折り紙で折ったり、パラボラアンテナの原理を折り紙で説明してくれたり、とても興味深い体験ができた。
「そうか。パラボラアンテナのパラボラって、放物線の意味なんだね。平行な線が反射して、ひとつの点に集まる形がパラボラ、放物線ってことなのか」
 手のひらに載るサイズの、かわいらしい折り紙の電波望遠鏡を見つめながら、怜が深く頷いた。

◆そんな記憶も時間の中に消える
すこし前、放映中の『仮面ライダー』シリーズに、折り紙の「三つ首の鶴」がでてきたらしい。『ブレードランナー2049』の「羊」もそうだったが、残念ながら創作者のわたしに連絡はなかった。時を同じくして、職業能力開発センターの実習でわたしの折り紙作品の展開図をデザインの一部に使いたいという申し出があり、こちらはきちんとしたものだった。

このような目立たないところに書いてもなんだが、折り紙作品もまた美術などの著作物であるということは、広く認識されてほしい。

『ブレードランナー2049』といえば、最近読んだミステリ『見知らぬ人』(エリー・グリフィス著、上條ひろみ訳)の中で、登場人物のせりふとして「一作目はおもしろかった記憶があるが、これは信じられないぐらいつまらなかった」と、ひどい言われようをされていた。「言っておくと、最近のわたしの映画に対する許容範囲はかなりせまい」との補足はあったが、歴史的傑作の『ブレードランナー』と比較されるのはハードルが高い。

そして…、
わたしが、折り紙の「三つ首の鶴」や「羊」の創作者であった記憶も、時間の中に消えるのだろう。雨の中の涙のように。

蛇足ながら、これは『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)のクライマックス、人造人間(レプリカント)ロイ(ルトガー・ハウアー)のせりふのパロディである。こうした、わかるひとにはわかる話というのは書きたくなる。わかるひとにはわかるとして、そのまま投げ出すほうがよいのだろうが、解説もしたくなる。見つけたときはアレだ。誰かに言いたくなる。最近では、芥川賞の『貝に続く場所にて』(石沢麻衣著)で、マドレーヌを焼いたのに「私の記憶は揺さぶられず、何にも繋がらず、ぼんやり眠ったままだった」という記述など(プルーストの『失われた時を求めて』である。『失われた…』読んでいないけれど)。

『謎ときサリンジャー』(竹内康浩、朴舜起 著)
芭蕉の句が、論考の大きな要素になっていて、そのあたりに興味を持ったひとは、我田引水ながら、『しししし3』に載った、わたしのエッセイ『バナナフィッシュと麦畑』も面白く読んでもらえるのではないか、などと。