連鶴新資料に関する研究会 ― 2015/03/10 01:16
半世紀前の伊勢湾台風で水浸しになり、そのまま朽ち果てても不思議はなかった200年以上前の資料。他の資料との関連で読み解くことは知的興奮を呼び、創作家的には、堀口さんが試みていたような、泉下の作家にシンクロしようとする感覚もわくわくする。水木しげる先生ふうに「オモチロイ!」と言いたくなるぐらい、面白いのであった。(謎の表現だが、興奮した!ということである)
長円寺の住職・義道は、広いネットワークを持った知識人だったので、彼の考案したつなぎ折鶴の記録や出版物が遺ったわけだが、歴史に埋もれた創作家もいたのかもしれない、などとも考えた。
なお、研究会の呼びかけ人のひとりとして、会があることをもっと広報しておけばよかったと、反省した。
最近のコメント