昨日は、太陰太陽暦で9月13日、中秋の名月から約1ヶ月後の「のちの名月」こと、十三夜の宵だった。残念ながら、東京では月は雲に隠れていたが、今日は十四夜の光が輝いている。
(20:30現在、月齢・約13.5。上の写真は、17:40頃、国立天文台第一赤道儀室(三鷹)の上に昇った月)
十三夜と言えば、「お月さんいくつ 十三七つ」というわらべうたの「十三七つ」とはなんだろうか、ということが気になって調べたことがある。疑問になって調べて、個人的には納得したというものだ。以下にそれを記す。
わらべうたは、以下のように続く。
「お月さんいくつ 十三七つ まだ年や若いね あの子を生んで この子を生んで 誰かに抱かしょ」
参考になったのは、以下の論文だった。
武笠さんの説の概略は、以下である。
「十三七つ」の歌詞は、「十三ひとつ」「十三九つ」とする例もある。この「十三ひとつ」が元のかたちなのではないか。つまり、13+1で十四夜を意味する。十四夜は、異名を小望月(こもちづき=望月(満月)に準じる月)と言い、その音は「子持ち」に通じる。この言葉遊びはかつてはよく知られていたものであった。14歳は、(現代では若すぎるが)出産可能年齢である。これが、「まだ年や若いな あの子を産んで」につながる。
説得力のある説である。いっぽう、この論文にあがっていた以下の説なども興味深かった。「十三七つ」を「正しい」とした場合の解釈である。
(1)13+7=20で、二十歳とする説
ただし、往時の感覚では、二十歳はけして若くはない。満月をすぎた二十日月を若いとするのも変で、ややこみいった解釈が必要になる。
(2)十三夜の七つ時とする説
十三夜の月は、七つ時頃(午後4時頃)に月の出となる。月自体もまだ若く(満月になっておらず)、地平線から出たばかりの意味でも若いという意味か。辞書には、この説が書いてあることが多い。
(3)十三夜の月と十七歳の娘という説
八重山の民謡に次のようなものがある。「十三七つ」は、ここから来たものではないか。
「月ぬ美(かい)しゃ 十日三日(とおかみか) 女童(みやらび)美(かい)しゃ 十七つ(とおななつ)」
(4)十三の月(閏月)が7回あることを述べたという説
太陰太陽暦では、19年間に7回閏月がはいって1年が13ヶ月となるという周期がある。月に関連する7と13という数字が、歌と符合している。
いずれも興味深いのではあるが、月に齢を訊いて、その答えにまだ若いと返している歌の流れに合っているのは、武笠さんの説である。とくに(4)は、天文や暦に関する話としては面白いのだが、考えすぎであろう。
武笠さんの説の変奏として以下のようなことも考えられる。
「ななつ」が、「ななつななつ」の略で、14を意味する。つまり、「お月様は、13か14ぐらいで、まだ満月になっていない」ということである。「ななつななつ」は、武笠さんの論文中に、『御伽草子』中の表現としても挙げられている。
なお、「完全のすこし前」の美しい月ということで、十四夜より十三夜が選ばれるのは、満月の前日より二日前ぐらいのほうが頃よいという感覚のほかに、陰陽道的に偶数が陰の数で、奇数が陽の数ということもあるのではないだろうか。
ただし、
以前も書いたことがあるが、月見団子を積むことを考えた場合、3^2+2^2+1=14で、ピラミッド型にきれいに積めるのは、15個ではなく14個なので、団子的には、今宵が月見に相応しい。と、わたしは言いたい。
満たぬ月 団子はぴたり 十四夜
○How does it feel ?
まったく違う話。昨日のノーベル文学賞のニュースで、思い出した。何年か前、中島敦の『石とならまほしき夜の歌』を読んで、驚いたのだ。
眼瞑(と)づれば氷の上を風が吹く我は石となりて轉(まろ)びて行くを
Blowin' in the windで、 Like a rolling stoneだ。ディランじゃん。中島敦、ロックだな、と思ったのである。
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