『ココ・マッカリーナの机』 ― 2008/02/26 12:57
閉塞感をかかえて、何かを変えたいと、7年間勤めた出版社を退職し、日本文化を紹介する教育実習生としてアメリカに渡ったキョウコさん。子供たちはキョウコ・ナカジマと発音できずに、ココ・マカジナ→ココ・マッカリーナと呼ばれる。ココ先生は、最初の授業で、ニンジャの話をして、手裏剣の折り方を教える。その後も、四歳児クラスでコップの折り方を教えたり、広島の佐々木禎子さんの千羽鶴の話のビデオを紹介したりと、折り紙はココ先生の定番である。
歴史的に言っても、現状から言っても、折り紙は日本だけのものではないけれど、そうであっても、オリガミは「日本文化」として、日本紹介には欠かせないものとなっている。
中島さんの名前は、『イトウの恋』という小説で知った。小説のモチーフに、何年か前に読んで「これは面白い」と感嘆した『日本奥地紀行』(イザベラ・バード著 高梨健吉訳) が使われているということで手に取った。『日本奥地紀行』に登場する通訳のイトウを小説に生かそうという発想からして才能は明らかだったが、じっさい、内容豊かな小説で、充実した読書時間をもらった。というわけで、このエッセイにも手を出して、折り紙に遭遇したという次第である。ひとりの女性の再出発の日々を、コミュニケーションの不思議ということにからめて著したエッセイは、春を待つこの時期に読むのにぴったりだった。ただ、冒頭に占い師とのやりとりがあって、それが一種のカウンセリングであるのはわかるけれど、占いやオカルトを冗談以外としては語りたくないという、ゴリゴリのスケプティスト(懐疑主義者)のわたしは、うーんと思った。
(スケプティストという言葉もなくもないみたいですが、スケプティックというのが「正しい」みたい。3/12)
『江戸遊戯画帖』 ― 2008/02/26 12:59

手前の鳥は折鶴というより鷺のように見える。男が持っているのは、手の位置から言っても、いわゆる宝船だろう。彼の得意そうな顔も面白い。
『日本奥地紀行』などの古い旅行記を読んだり、こうした絵を見たときなど、「ああ、このひとたちはみんな死んでしまったんだなあ」と思うことがある。それは、別に悲しいとか、定型的な諸行無常の詠嘆とは違っていて、現在やわたし自身というのは特別なものではなく、流れの中のひとつなのだという、むしろほっとする感覚につながっている。
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