野分、例の年よりもおどろおどろしく2019/10/16 23:09

◆野分、例の年よりもおどろおどろしく
月曜日、山梨-東京間の交通路がことごとく遮断された中、静岡方面から山梨に辿り着いて、火曜日から予定通り天文台に出勤した。不要不急の移動は避けるようにという言葉を聞くたびに、天文台の仕事も、東京での用事も、みな不要不急のことのような気がしてくるので困った。

千曲川流域や多摩川流域に住むひとを含め、近い知り合いには被害はなかったが、子供のころ2年間住んでいた茨城県大子町の冠水や水郡線の寸断も気にかかる。さらに、知り合いに被害がなければそれでよいのかと、賢治の『農民芸術概論綱要』の呪い(世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない)におそわれそうになる。

歳時記を読んで、『源氏物語二十八帖・野分』に、「野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ」という記述があるのを知る。今回の台風は、まさに例年よりおどろおどろしかった。さらに、最近の気象では、数年おきにおどろおどろしいのが来そうなのが、恐ろしい。蛇足ながら、野分(のわき、のわけ)は、台風のこと。

◆千億万億倍
岸本佐知子さんのエッセイ集『ひみつのしつもん』『羊羹』に、「人類はひいこら言って、大騒ぎしてやっと月まで行ったが、そのさらに千億万億倍も離れたところに太陽はあるのだ」という記述があった。千億万億倍! 要するにでかいという意味だが、いくらなんでも桁が大きすぎる。

細かいことを気にするなよ、ということだが、「万に一つ」という表現が、その事象の確率のオーダーに合っているかを気にするひともいるので、わたしがこれを気にするのも無理はないのである。地球-月間の距離の千億倍を計算してみたら、約4千光年で、太陽は遥か遠いお星様になってしまった。万億倍(一兆:万億という言葉は、子供の「百億万円!」みたいだが、この命数法もちゃんとあるらしい)は、だいたい銀河中心までの距離のオーダーである。

じっさいの太陽までの距離は、月までの400倍だ。太陽/月の大きさの比率も400なのは驚くべき偶然(それゆえ、両者の見かけの大きさが等しい)だが、それは措いて、400という数字は、そんなに大きくもない気もする。ちなみに、太陽までの距離は499光秒と覚えやすいので、覚えておいて損はない。さして得もないけれど。

岸本さんのこのエッセイでは、星と星の間にある羊羹のようなダークマターというイメージも語られていたが、そのイメージは、ダークエネルギー(遍くあって宇宙の膨張を加速している)のほうが近いようにも思う。

などと、文句をつけたみたいになっているが、岸本さんのエッセイは、わたしの文章の499倍くらいは面白い。エッセイというより、奇想短編小説の味わいである。